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<title>大和古仏探訪</title>
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<description>京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。</description>
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<title>仏像の道－インドから日本へ　５　朝鮮</title>
<description> 　仏像伝播の道は中国から朝鮮半島にいたる。この前のシリーズ＜帰化人の問題＞で考えてきたように、朝鮮半島で熟成した技法、素晴らしいセンスが日本へ伝えられる。はじめは「直輸入」といっても良いだろう。しかし、御本地の半島では、戦禍があいつぎ他の地域と同じように、あるいはそれ以上に、固有の歴史的な資産、蓄積が壊滅的に失われる。　日本にも多くの戦争、自然災害はあったが、奇跡的に、いまある優れた資産が残された
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-36-origin.fc2.com/y/a/m/yamatokoji/10383245.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-36-origin.fc2.com/y/a/m/yamatokoji/10383245.jpg" alt="10383245.jpg" border="0" width="400" height="646" /></a><br /><br /><span style="font-size:large;">  　仏像伝播の道は中国から朝鮮半島にいたる。この前のシリーズ＜帰化人の問題＞で考えてきたように、朝鮮半島で熟成した技法、素晴らしいセンスが日本へ伝えられる。はじめは「直輸入」といっても良いだろう。しかし、御本地の半島では、戦禍があいつぎ他の地域と同じように、あるいはそれ以上に、固有の歴史的な資産、蓄積が壊滅的に失われる。<br />　日本にも多くの戦争、自然災害はあったが、奇跡的に、いまある優れた資産が残された。それは、日本民族が古仏を大切に伝承してきた証であり、誇りであるといえよう。<br />　韓国中央博物館の弥勒像をみて、日本の国宝第一号広隆寺のそれとの近似性に驚く人は多いだろう。自分も学生時代、はじめてその事実を知った衝撃は大きかった。<br />　この２像の存在は、日韓のさまざまな同一性の問題を提起し、考えさせられる多くの課題をわれわれに問うている。東博の仏像の道はその意味でも意義ある展示であったといえよう。</span> ]]>
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<dc:subject>自問自答</dc:subject>
<dc:date>2009-11-15T16:20:52+09:00</dc:date>
<dc:creator>大和織工</dc:creator>
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<title>仏像の道－インドから日本へ　４　中国への伝播</title>
<description> 　　中国では石窟彫刻が有名である。その白眉とでもいうべきが、上の雲岡石窟第20窟の如来坐像である。「雲岡、敦煌詣で」は、かつてでは考えられなかったが、いまは一種のブームであり、多くの日本人観光客も目にすることができるようになった。しかし、以前からの疑問なのだが、われわれが惹かれる飛鳥、白鳳、天平、貞観彫刻とシナジーを感じる中国の彫刻は、実は一部を除き多くはないのではないか。もちろん、様式の共通性はあ
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-36-origin.fc2.com/y/a/m/yamatokoji/2a1.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-36-origin.fc2.com/y/a/m/yamatokoji/2a1.jpg" alt="2a1.jpg" border="0" width="479" height="324" /></a><br /><br />　<span style="font-size:large;">　中国では石窟彫刻が有名である。その白眉とでもいうべきが、上の雲岡石窟第20窟の如来坐像である。「雲岡、敦煌詣で」は、かつてでは考えられなかったが、いまは一種のブームであり、多くの日本人観光客も目にすることができるようになった。しかし、以前からの疑問なのだが、われわれが惹かれる飛鳥、白鳳、天平、貞観彫刻とシナジーを感じる中国の彫刻は、実は一部を除き多くはないのではないか。もちろん、様式の共通性はある。彫出仏などはその典型だし、三尊形式もしかり。しかし、そのご尊顔では異質性を感じるほうがはるかに多いのではないか。</span><br /><br />　元は霊巌寺といい、現在では石仏寺などと呼ばれる。北魏の沙門統である曇曜が文成帝に上奏して460年（和平元年）頃に、桑乾河の支流の武周川の断崖に開いた所謂「曇曜五窟」(第16窟、第17窟、第18窟、第19窟、第20窟)に始まる。三武一宗の廃仏の第一回、太武帝の廃仏の後を受けた仏教復興事業のシンボル的存在が、この5窟の巨大な石仏であった。<br /><br />その後も、第1・2窟、第3窟、第5・6窟、第7・8窟、第9・10窟、第11・12・13窟と大規模な石窟の造営が続けられ、雲崗期（460年-494年）と呼ばれる中国仏教彫刻史上の一時期を形成した。<br /><br />様式上は、最初期の「曇曜五窟」には、ガンダーラやグプタ朝の様式の影響が色濃い。その後の石窟ではギリシア様式の唐草文様に代表される西方起源の意匠も凝らされており、当時の建築様式を模した装飾も豊富に見られる。しかし、洛陽へ遷都する494年以降の末期になると、初期の雄大な質感は姿を消し華奢で力強さの感じられない造形が増加する傾向が顕著となる。そして、この傾向の延長線上に、続く龍門期が待ち受けている。<br /><br />また、その影響関係で言えば、雲崗の様式は涼州(甘粛省)の石窟にその淵源を持つとも考えられるが、雲崗の影響は龍門・天龍山・南北の響堂山などの広範囲な石窟寺院に及んでいる。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E5%B4%97%E7%9F%B3%E7%AA%9F ]]>
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<dc:creator>大和織工</dc:creator>
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<title>仏像の道－インドから日本へ　３　マトゥラー</title>
<description> 　マトゥラー彫刻は、ガンダーラよりもインド土着の影響が強いといわれるが、いろいろなパターン、多様性があり一概に特定はできない。上記の彫像などは、薄く彫ったシルキーな衣紋といい、円形光背の配置といい、仏様のやや優しい表情などで、＜剛＞のガンダーラに対して＜柔＞の印象ももつが、こうした彫像はかなり日本の仏像に近いイメージをかもしているように思う。　マトゥラーは古代インド（マウリヤ朝～グプタ朝期）におけ
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-36-origin.fc2.com/y/a/m/yamatokoji/1185478_29367224_10.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-36-origin.fc2.com/y/a/m/yamatokoji/1185478_29367224_10.jpg" alt="1185478_29367224_10.jpg" border="0" width="336" height="448" /></a><br /><br /><span style="font-size:large;">　マトゥラー彫刻は、ガンダーラよりもインド土着の影響が強いといわれるが、いろいろなパターン、多様性があり一概に特定はできない。上記の彫像などは、薄く彫ったシルキーな衣紋といい、円形光背の配置といい、仏様のやや優しい表情などで、＜剛＞のガンダーラに対して＜柔＞の印象ももつが、こうした彫像はかなり日本の仏像に近いイメージをかもしているように思う。</span><br /><br />　マトゥラーは古代インド（マウリヤ朝～グプタ朝期）における美術・仏像の町といわれている。同時期に発祥し、ギリシャやペルシャ、インド等の影響を受けたガンダーラ美術とは異なり、「マトゥラー美術」と称されるそれは土着的なインド特有の美術様式を備えている。特にインド中部における仏像製作に関しては中心ともいえる都市であった。マトゥラー美術はグプタ朝時代に最盛期を迎えたが、5世紀頃に侵攻して来た遊牧民エフタルによる仏像破壊によりその幕を下ろすこととなる。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%A9%E3%83%BC ]]>
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<dc:date>2009-11-15T12:57:45+09:00</dc:date>
<dc:creator>大和織工</dc:creator>
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<title>仏像の道－インドから日本へ　２　ガンダーラ</title>
<description> 　　ガンダーラ美術は、一般に仏像彫刻の淵源といわれる。西洋人的な風貌、髭をはやし屈強な骨格をもち威圧感のある彫像が多い。その特色から一目でガンダーラ美術とわかるくらいだが、立像は闘争神的でもあり、邪鬼の原型もみてとれる。衣紋は複雑に刻み律動感もある。　ギリシャ、シリア、ペルシャ、インドの様々な美術様式を取り入れた仏教美術として有名である。開始時期はパルティア治世の紀元前50年-紀元75年とされ、クシャ
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-36-origin.fc2.com/y/a/m/yamatokoji/bodhisattva.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-36-origin.fc2.com/y/a/m/yamatokoji/bodhisattva.jpg" alt="bodhisattva.jpg" border="0" width="285" height="429" /></a><br /><br />　<span style="font-size:large;">　ガンダーラ美術は、一般に仏像彫刻の淵源といわれる。西洋人的な風貌、髭をはやし屈強な骨格をもち威圧感のある彫像が多い。その特色から一目でガンダーラ美術とわかるくらいだが、立像は闘争神的でもあり、邪鬼の原型もみてとれる。衣紋は複雑に刻み律動感もある。</span><br /><br />　ギリシャ、シリア、ペルシャ、インドの様々な美術様式を取り入れた仏教美術として有名である。開始時期はパルティア治世の紀元前50年-紀元75年とされ、クシャーナ朝治世の1世紀～5世紀にその隆盛を極めた。インドで生まれた仏教は当初、仏陀そのものの偶像を崇拝することを否定していたが、この地でギリシャ文明と出会い、仏像を初めて生み出した。また大乗仏教も生まれた。「兜跋（とばつ）毘沙門天像」という頭に鳳凰のついた冠をかぶった像が存在し、毘沙門天の起源がギリシア神話のヘルメス（ローマのメルクリウス）であるという説がある。5世紀にはこの地に匈奴が侵入し、その繁栄は終わりを告げた。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%A9 ]]>
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<dc:date>2009-11-15T12:27:24+09:00</dc:date>
<dc:creator>大和織工</dc:creator>
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<title>仏像の道－インドから日本へ 1</title>
<description> 　東京国立博物館の特別第５室は、天井の高いアトリウム型の解放空間で心地よく時間が過ごせる。ここで、最近まで展示されていたのが表記の「仏像の道－インドから日本へ」である。東博に行くとだいたいここに立ち寄るから、もうどこに何が展示されているかもあらたか覚えてしまったが、ＨＰの表示が残っているうちに、このブログに転載しておこう。　仏教は紀元前5世紀頃のインドでブッダが説いた教えで、ブッダの死後もその教えを
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-36-origin.fc2.com/y/a/m/yamatokoji/C0044406.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-36-origin.fc2.com/y/a/m/yamatokoji/C0044406.jpg" alt="C0044406.jpg" border="0" width="186" height="300" /></a><br /><br /><span style="font-size:large;"> 　東京国立博物館の特別第５室は、天井の高いアトリウム型の解放空間で心地よく時間が過ごせる。ここで、最近まで展示されていたのが表記の「仏像の道－インドから日本へ」である。東博に行くとだいたいここに立ち寄るから、もうどこに何が展示されているかもあらたか覚えてしまったが、ＨＰの表示が残っているうちに、このブログに転載しておこう。</span><br /><br />　仏教は紀元前5世紀頃のインドでブッダが説いた教えで、ブッダの死後もその教えを受け継ぐ人々によって伝えられてきました。仏教徒は、ブッダの遺骨（舎利：しゃり）を納めた仏塔（ストゥーパ）を礼拝の対象としました。この仏塔にブッダにまつわる説話を表わしたり、さまざまな装飾をほどこすようになり、仏教美術が始まります。しかし、はじめはブッダを人間の姿で表わすことは禁じられており、ブッダは足跡や傘、車輪といった象徴によって、その存在を暗示するという約束ごとがありました。<br /><br />　紀元後1世紀になって、ブッダを人間の姿で表わすことが行なわれるようになり、仏教徒は仏像を礼拝するようになります。仏教の教えの広がりとともに、インドのみならず各地でさまざまな形の仏像が造られ、人々の信仰を集めました。<br /><br />　仏像の誕生とほぼ時を同じくして、仏教は中央アジアを経由して中国に伝えられました。中国では、南北朝時代になると、国家の保護の下で仏教が繁栄し、5世紀に入ると大規模な石窟（せっくつ）寺院なども造営されるようになり、おびただしい数の仏像が作られました。仏像の様式がインド風から中国風へと変化するのはちょうどこの頃で、外来の仏教を自分たちのものにしていく様子がわかります。<br /><br />　4世紀の終わりに、仏教は中国から朝鮮半島へ伝わりました。やはり王室が仏教を保護し、仏像は中国南北朝時代(420～589)のスタイルを継承しながら、朝鮮半島に独自の流行もうみ出しました。<br /><br />　6世紀には、朝鮮半島の百済からわが国へ仏教が伝来しました。日本では7世紀に入ると造寺造仏活動が本格化します。伽藍（がらん）配置や仏像の様式には、朝鮮半島や中国との関連がうかがわれます。中国では618年に唐王朝が成立し、都の長安では仏教が大いに栄え、わが国の仏教文化にも大きな影響を及ぼしました。<br /><br />　今回の展示では、仏像の誕生したガンダーラから中国、朝鮮半島、日本の仏像20点余を選び、それぞれの時代、地域で、どのような仏像が作られ、人々の信仰を集めていたのかをたどってみたいと思います。 <br />http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=01&event_id=4467 ]]>
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