大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

日本の美仏

海龍王寺十一面観音

http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/2087833.html
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/2102259.html

特別展 仁和寺と御室派のみほとけ 再訪

龍華寺 菩薩半跏像

◆今回展示で大きなインパクトをうけた仏さま。まずは来歴から。

【以下は引用】
神奈川・龍華寺で菩薩坐像を初の開帳(2010年4月15日)

 横浜市洲崎町の龍華寺で、脱活乾漆造の菩薩坐像が初めて一般公開される。
 菩薩坐像は、1998年に龍華寺の蔵から破損した状態で発見された。本像は、脱活乾漆造り(だっかつかんしつづくり)という、興福寺阿修羅像などと同様、非常に手間と費用がかかる技法で造られている。
 脱活乾漆造像は時代的にも地域的にも、ほとんどの像が天平時代(710年~784年)に奈良を中心に制作されている。東日本から発見されたのは本像が初めてである。 
 発見後と修理後に神奈川県立金沢文庫などで公開されたが、お寺で一般公開されるのは初めてとなる。
 一般公開は4月17日(土)から25日(日)まで。
https://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/topics/hibutu2011.html

◆以上によって、概要は知ることができるが、修復には随分とご苦労があったようである。

【以下は引用】
近年、美術への関心は質の高い資料を提供することが求められてきています。この研究では新しい美術史料の可能性を探ります。
今回とりあげる菩薩半跏像は横浜市龍華寺に伝来した、天平時代の脱活乾漆造の仏像です。近年、修理がなされ、姿を一新しましたが、発見当時は首、胴、両腕、脚部、足先が断絶していました。それら修理前の詳細な画像情報や調書は、いまだ謎の多い天平時代の脱活乾漆造の技法を解明してゆくうえで、いまとなっては貴重な資料となりつつあります。本研究は修理前の画像情報・調書および関係文献ほか、龍華寺菩薩半跏像に関する詳細な情報をあつめつつ、天平時代の脱活乾漆造の技法を解明にせまろうとするものです。本研究は東アジアの美術に関する資料学的研究の一環であり、本年度の刊行を目指したいと考えます。
http://www.tobunken.go.jp/japanese/publication/gaiyo/pdf/2006/2006bijyutsu_ken.pdf

◆以上の経緯を踏まえつつも、いま現前にある仏さまはとても魅力的である。黒光りするお姿は小振りの中宮寺観音を連想させる。お顔は候補の影響もあり天平仏よりも下った時代の手になるように見えるが、実によき表情をしておられる。この仏さまがいま関東におあす由来は不詳だが、頼朝の時代以降、奈良大寺院の再興・大改修の勧請(支援)の御礼に、奈良のしかるべき大寺院から伝来したのではないかと思った。さらに思いを巡らすと本像は本尊を喪った脇侍であり、それゆえに関東に下向したのかも知れないなとも思料した次第。謎だらけの仏さまは、すべてを包み隠して、高貴な佇まいをわれわれに示している。

龍華寺 菩薩半跏像2

特別展 仁和寺と御室派のみほとけ に行く

道明寺十一面観音

先日、「特別展 仁和寺と御室派のみほとけ」に足を運ぶ。以下、印象に残った3体について簡単にメモしておきたい。

1.大阪・道明寺 国宝 十一面観音菩薩立像 1軀 平安時代 8~9世紀 (目録番号 166)

壇像彫刻の逸品。法隆寺九面観音像など舶載仏も連想させる。いかなる経緯で造仏されたのか興味は尽きない。
(参考)
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/2070758.html

【以下は引用】
道明寺は、山号を蓮土山と号し、真言宗の尼寺です。古代氏族土師氏の氏寺として、7世紀中葉に建立されたと考えられます。
江戸初期の『道明寺旧伽藍図』から、塔、金堂、講堂が南北に直線的に並ぶ四天王寺式の伽藍配置をとっていたことが知られます。建立当初は、道明寺天満宮の南方の参道付近に位置し、現在でも参道の西側に巨大な塔心礎が残っています。
戦国時代の兵火や江戸時代の洪水による荒廃で、道明寺天満宮の境内地に移り、さらに明治初年の神仏分離により天満宮と東高野街道を隔てた現在の地に移りました。
平安時代には、土師氏を祖先とする菅原道真公の伯母覚寿尼が土師寺に住んでいたことから、道真公は度々当寺を訪れたことが伝えられています。とくに道真公が都を離れ太宰府へ赴かれる際、一夜の暇を許され当寺に立ち寄られ覚寿尼に別れを告げ、
「鳴けばこそ 別れも憂けれ 鳥の音の なからん里の あかつきもかな」
との御歌を残し、九州へ赴かれたと伝えられています。
道真公の死後、土師寺を道明寺に改称し現在にいたっています。

中世には、奈良西大寺の中興の祖叡尊と深いつながりをもつことが知られています。当寺に所蔵される聖徳太子孝養立像の像内には、諸種真言等の納入品が見つかり、当時の信仰の一端を知る資料として本像とともに重要文化財に指定されています。
さて、ご本尊の十一面観音菩薩立像は、像高1メートル、檜の一本造です。表面は、彩色や漆箔にせず、頭髪、眼、唇等にわずかに絵具を挿しただけで、あとは木肌のまま仕上げた檀像彫刻です。
檀像とは、元来白檀のような香木を用いた彫像であり、香りを消滅させないために素地のまま仕上げているのが特徴です。しかしわが国では、香木の入手が容易でないことから良質の檜材を用いて代用する場合が多く、本像もその好例です。本像の表面は小豆色で光沢があるため見落としがちですが、素地の木肌は緻密で美しいことが特徴です。
頭上に十一面を頂き、胸を張り、両足を揃えて蓮花座上に直立する姿は、均整のとれた体躯と相まって温雅端正な形と姿を作り上げています。お顔はふくよかで、しかも威厳があり、両眼には黒い石をはめ込んで生気のある眼を作り出しています。
肩から腕や腰にかかる天衣の緩やかな曲線や、腕を覆う天衣の柔らかな丸み、指のふくよかな肉付きは、檀像彫刻の技巧の妙味を感ずるとともに、厳しさが和らぎ、日本的な造形美
をも感じさせてくれます。
本像の製作年代は、道真公生存年代と推定されていますが、未だ諸説があり判然としません。
本像は、彫技の精巧さと檀像彫刻中特筆すべき優品として、昭和27年国宝に指定されています。
毎月18日と25日には、厨子の扉が開かれ、本尊を拝観することができます。
教育広報『萌芽』第8号 平成6年2月号より
http://www.city.fujiidera.lg.jp/rekishikanko/shiteibunkazai/kunifusiteibunkazai/1387699155197.html

2.大阪・葛井寺  千手観音菩薩坐像 1軀 奈良時代 8世紀 (目録番号167)

画像は以下を参照
➡ https://serai.jp/event/304230

葛井寺にはかつて足を運んだ。この界隈は一種、独特の雰囲気のあるエリアで、いまも渡来人、帰化人が歩いているように錯覚するエキゾチックさがある。この仏さまもユニークで、ここまで千手観音という複雑、難物な観音を、ある意味で「リアル」に表現した作例は、唐招提寺の千手観音とともに稀だろう。しかもそのご尊顔は近くで拝見すれば実に神々しい。今回展示の最大の見どころである。

【以下は引用】
葛井寺の始まりは、百済からの渡来者王仁氏の子孫王味沙が白猪連と改姓し、さらに葛井と改姓した養老年間の8世紀と伝わる。葛井氏は、新たな文化をもたらした実績が買われて、広大な土地が与えられ、その地に寺院を建立した

しかし、11世紀末には諸堂の荒廃がはなはだしく、これを嘆いた藤井安基が伽藍の修復に尽力し、復興させた。当寺の別名が藤井寺で、地名も藤井寺(市)となっているのは、彼の姓をとったものである。

葛井寺は、戦国期の兵火や地震によって再び荒廃してしまう。西国三十三所の第五番札所として、織田氏や豊臣氏ら諸侯と庶民の信仰篤いことから、諸所修復がなされ、以降も必要が生じるたびに整備されて、今に至っている。
https://serai.jp/tour/246361

葛井寺の千手観音像は、文字通り゛千の手”と”千の目”を持つ千手観音像である。
頭上に十一面をいただき、そして正面で手を合わせる合掌手、宝鉢や宝輪、数珠などをもつ40本の大手に、クジャクのようにひらく1001本の小手、合わせて1043本の手を持つ。 さらに、掌にはそれぞれ眼が描かれており、まさに千手千眼である

日本では、千手観音は四十二手とされるのが一般的で、実際に千手をあらわすのは我国では唯一と言える遺例のひとつである。 端正な顔つきに、のびやかな肢体、そして千手という超人的な姿を自然な調和をもってあらわした像容は天平彫刻の粋を集めた観音像である。
http://www.fujiidera-temple.or.jp/kokuho.html

3.兵庫・神呪寺  如意輪観音菩薩坐像 1軀 平安時代 10世紀(目録番号168)

兵庫・神呪寺

こちらは関西に住んでいたときに、隣町にあって気になっていたものの開扉日に会いに行けなかった仏さまである。身近で今回、はじめてお目にかかって、嬉しかった。

【以下は引用】
◆神呪寺 木造如意輪観音坐像
平安時代。当時の本尊。寺伝にいう空海の時代の作ではなく、10世紀後半から11世紀前半の作とされる。如意輪観音像には6臂像と2臂像があるが、この像は6臂像である。通常の如意輪観音像は右脚を立て膝とするが、本像は右脚を斜めにして左脚の上に乗せた珍しい形をしており、頭部が斜め上向きになっている点と合わせ、図像的に珍しい作例である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%91%AA%E5%AF%BA

◆如意輪観音
菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一尊に数えられる。

日本では「如意輪観音菩薩」、「如意輪観世音菩薩」、「大梵深遠観音」などさまざまな呼び方があるが、重要文化財等の指定名称は「如意輪観音」となっている。また「救世菩薩」とも呼ばれる。

如意とは如意宝珠(チンターマニ)、輪とは法輪(チャクラ)の略で、如意宝珠の三昧(定)に住して意のままに説法し、六道の衆生の苦を抜き、世間・出世間の利益を与えることを本意とする。如意宝珠とは全ての願いを叶えるものであり、法輪は元来古代インドの武器であったチャクラムが転じて、煩悩を破壊する仏法の象徴となったものである。六観音の役割では天上界を摂化するという。

如意輪観音像は、原則として全て坐像または半跏像で、立像はまず見かけない。片膝を立てて座る六臂の像が多いが、これとは全く像容の異なる二臂の半跏像もある。六臂像は6本の手のうちの2本に、尊名の由来である如意宝珠と法輪とを持っている。

日本における如意輪観音の作例のうち、大阪・観心寺本尊像は六臂像の代表作である。6本の手のうち、右第1手は頬に当てて思惟相を示し、右第2手は胸前で如意宝珠、右第3手は外方に垂らして数珠を持つ。一方、左第1手は掌を広げて地に触れ、左第2手は未開敷蓮華(ハスのつぼみ)、左第3手は指先で法輪を支える。兵庫・神呪寺像、西国札所の園城寺(三井寺)観音堂本尊像、奈良・室生寺本堂像、京都・醍醐寺像などはいずれも観心寺像と同様の六臂像である

二臂の如意輪観音像として古来著名なものは、滋賀・石山寺の秘仏本尊像である。飛鳥の岡寺の本尊像も二臂である。 法隆寺の隣にある中宮寺の本尊像は、右脚を左膝に乗せ(半跏)、右手を頬に当てて考えるポーズを取る(思惟)、典型的な半跏思惟像である。この像は古来如意輪観音像と称されているが、造像当初の尊名は明らかでなく、弥勒菩薩像として造られた可能性が高い。

◆日本における主な如意輪観音
石山寺 - 滋賀県大津市
園城寺 - 滋賀県大津市
観心寺 - 大阪府河内長野市
神呪寺 - 兵庫県西宮市
室生寺 - 奈良県宇陀市
岡寺 - 奈良県明日香村
頂法寺(六角堂) - 京都市
橘寺 - 奈良県明日香村
青岸渡寺 - 和歌山県那智勝浦町
https://buddha-statue-world.jimdo.com/%E8%A6%B3%E9%9F%B3/%E5%A6%82%E6%84%8F%E8%BC%AA%E8%A6%B3%E9%9F%B3/ 【“特別展 仁和寺と御室派のみほとけ に行く”の続きを読む】

特別展 仁和寺と御室派のみほとけ

仁和寺

2018年1月16日(火)─3月11日(日) 東京国立博物館 平成館
主催:東京国立博物館、真言宗御室派総本山仁和寺

◆展示会の概要
http://ninnaji2018.com/

◆出品目録
http://ninnaji2018.com/image/list_jp.pdf

◆仏像の見どころは
「第5章 御室派のみほとけ」
152 ◉ 阿弥陀如来坐像および両脇侍立像 3軀 平安時代 仁和4年(888) 仁和寺 ①~⑧ 
157 ◎ 釈迦如来立像 1軀 鎌倉時代 13世紀 宮城・龍寶寺 ①~⑧ 
158 菩薩坐像 1軀 奈良時代 8世紀 神奈川・龍華寺 (神奈川県立金沢文庫管理)   ①~⑧ 
159 ◎ 大日如来坐像 1軀 平安時代 10世紀 三重・蓮光院 ①~⑧ 
160 ◎ 降三世明王立像 1軀 平安時代 11世紀 福井・明通寺 ①~⑧ 
161 ◎ 深沙大将立像 1軀 平安時代 11世紀 福井・明通寺 ①~⑧ 
162 ◎ 馬頭観音菩薩坐像 1軀 鎌倉時代 13世紀 福井・中山寺 ①~⑧ 
163 ◎ 十一面観音菩薩立像 1軀 平安時代 10世紀 京都・遍照寺 ①~⑧ 
164 ◎ 五智如来坐像 5軀 平安時代 12世紀 大阪・金剛寺 ①~⑧ 
165 ◎ 大日如来坐像 1軀 平安~鎌倉時代 12世紀 大阪・金剛寺 ①~⑧ 
166 ◉ 十一面観音菩薩立像 1軀 平安時代 8~9世紀 大阪・道明寺 ①~⑧ 
167 ◉ 千手観音菩薩坐像 1軀 奈良時代 8世紀 大阪・葛井寺 ⑤~⑧ 
168 ◎ 如意輪観音菩薩坐像 1軀 平安時代 10世紀 兵庫・神呪寺 ①~⑧ 
169 ◎ 不動明王坐像 1軀 平安時代 10世紀 広島・大聖院 ①~⑧ 
170 ◎ 千手観音菩薩坐像 1軀 平安時代 10世紀 香川・屋島寺 ①~⑧ 
171 ◎ 八幡神本地仏坐像          3軀 平安時代 11世紀 香川・長勝寺 ①~⑧ 
172 ◎ 千手観音菩薩坐像 経尋作 1軀 平安時代 12世紀 徳島・雲辺寺 ①~⑧ 
173 ◎ 毘沙門天立像 慶尊作 1軀 平安時代 寿永3年(1184) 徳島・雲辺寺 ①~⑧ 
174 不動明王立像 慶尊作 1軀 平安時代 12世紀 徳島・雲辺寺 ①~⑧ 

◆補足
仁和寺にはよく行った。市内にあってロケーションの良さにくわえて、春の御室桜は有名。寺域がひろいので人が多くとも、時間帯によっては比較的ゆっくりと観桜できる。建築や庭も立派でお金持の寺院である。彫刻についても良いものをたくさん持っておられる。しかし、今回の最大の見どころは宗派の関連寺院の上記「御室派のみほとけ」だろう。関連して以下も参照

◇空海について
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-261.html

◇空海と密教美術展に行く 仏像の魅力
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-241.html

なにわの仏教美術、順次公開 独自の神仏習合映す

大阪 渡来人マップ

面白い記事なのでピックアップ。上記は http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-449.html から。
ご参考まで。

【以下は引用】

 大阪市教委が今年度を通して、市内に点在する古寺の仏教美術を特別公開する催しを始める。数々の存亡の危機を乗り越えた多彩な仏画や仏像を順次公開する。

運慶と快慶、奈良・東京で展覧会

 大阪市内には千を超す寺院があるという。だが、江戸時代の「三大大火」や、1945年の大阪大空襲などで何度も被災。明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響もあり、寺宝も大半が失われたとみられていた。

 一方、近年の市教委の調査で、200点を超す仏教美術が各寺に残っていることが判明。それらを7回程度、現地の寺や「辰野ひらのまちギャラリー」(中央区平野町1丁目)で期間限定でみせる。

 1回目(30日~7月5日)は、このギャラリーで各寺社の仏画を紹介。市指定文化財を中心に、室町から江戸時代までの十数点を公開する。「刺繡(ししゅう)青面(しょうめん)金剛画像」(四天王寺蔵)は、長寿や息災を願う道教由来の「庚申(こうしん)信仰」の本尊。杭全(くまた)神社蔵の「牛頭(ごず)天王画像」は元々、インドの祇園精舎の守護神だ。

 2回目(7月9~11日)は「天下茶屋の聖天さん」で知られる正圓(しょうえん)寺(阿倍野区松虫通3丁目)で、江戸時代の珍しい仏像群二十数点を見せる。「木造天川弁才天(てんかわべんざいてん)曼荼羅(まんだら)」の異形さが際立つ。厨子(ずし)の中に水神の化身・ヘビ、童子や宝珠などがひしめく。赤い体に忿怒(ふんぬ)の顔の彫像は愛染明王にも見えるが、カメに乗って立つ「木造童子形男神(どうじぎょうだんしん)立像(りゅうぞう)」という。

 この2回には共通テーマがある。日本古来の神々への信仰と、伝来した仏教とが融合した「神仏習合」。市教委の鈴木慎一研究副主幹は「四天王寺や住吉大社など、大阪は神仏習合の影響を受けた信仰拠点だった。色々な信仰がまじり、独自性をもった仏像や仏画も伝来している」と言う。

 3回目以降は東大寺(住吉区)、金台(こんたい)寺(天王寺区)、三津寺(中央区)でも寺宝を公開予定。辰野ひらのまちギャラリーでは、大坂(石山)本願寺の前身の御坊を築いた蓮如をテーマにした展示も構想中だ。大阪には宗教都市の歴史もあることを学べる構成になる。

 1、2回目は午後1~4時。市教委学芸員の解説もある。朝日新聞社など共催。資料代として1回100円(学生無料)。市教委文化財保護課(06・6208・9168)。(清水謙司)
http://www.asahi.com/articles/ASK6K4QWHK6KPLZL001.html

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