大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

鉈彫に新説

鉈彫 日光菩薩立像(平安時代)
読売新聞文化部 辻本芳孝氏の以下の記事、丹念な取材で大変参考になる。

【以下は引用】
木彫仏の「鉈彫」…成立に新説
2015年06月12日 08時10分

鬼神を表現、「一日造立」
平安時代の木彫仏には、表面を滑らかに仕上げず、ノミ跡をくっきり残した特異な像がある。

 「鉈彫なたぼり」と呼ばれ、仏像研究の一テーマとなってきたが、文化庁主任文化財調査官の奥健夫さんが相次いでその成立に関する新説を専門誌で発表した。それぞれ鉈彫像の種類と製作過程から捉え直しを図っている。

 まずは、鉈彫とはどんなものか。神奈川県立金沢文庫(横浜市)の特別展で14日まで、代表例である日向薬師ひなたやくし(神奈川県伊勢原市)の薬師三尊像が展示されている。通常は年5日間しか公開されない秘仏だ。

 薬師如来像は、顔や体は平滑で、衣に覆われた部分にノミ跡が残る。両脇の日光・月光菩薩像は、顔から足の爪先まで切れ間なく、ノミ跡に覆われている。

 仏教伝来以来、金銅仏、粘土による塑像など多様な素材で造立された仏像だが、平安時代、木彫像が主流となった。背景の一つには、樹木に聖性を見いだす古来の感覚があったとする見方もある。

 木彫像では、彩色や金箔きんぱくで飾らず、木の素地を生かすことも行われた。鉈彫もその一つと言えるが、あえて荒々しいノミ跡を残す理由は謎めいている。仏教では“不完全な仏”を造ることは禁じられており、かつては未完成品と片づける見方もあった。近年は、木から仏が現れ出る様子を表す手法という説が有力視されてきた。

 奥さんが注目したのが、鉈彫の技法が用いられた対象だ。鉈彫はまず9世紀、四天王像に踏まれる疫病神「邪鬼」の表現として登場する。四天王像自体は鉈彫ではない。厄災をもたらす邪鬼の本性を表現したのが鉈彫と考えられるという。

 その後、荒ぶる神の側面を持つ天神像や、天神と密接な関係のある十一面観音像にも広がっていく。奥さんは「当時、絵画で鬼神を描く際、荒々しい線で輪郭や体毛を表現しており、それを彫刻で試したのが始まりかもしれない。ノミ跡自体が鬼神の表現となり、神像や観音像に転用されたのではないか」と語る。

 ただ、奥さんはまた別の説も提示している。こちらで注目したのは、1日で仏像を仕上げる「一日造立」の造像作法。その一部始終を人々が見る行事もあったとみられ、一刀刻むごとに響く音にも功徳があると考えられていた。鉈彫像のノミ跡には、それを視覚的に追体験させる機能があったのではないかというのだ。奥さんは「鉈彫像の成立には、複数の起源が想定されていい」と考えている。

 他方で、金沢文庫の瀬谷貴之学芸員は「近年の研究では、鉈彫像は、国分寺級の格の高い寺に多い」と指摘し、日向薬師の場合もそれにあてはまるという。にわかに活況を呈してきた鉈彫論。議論が進展し、人々が何を仏に求めたのか、平安時代の精神史の解明に期待したい。(文化部 辻本芳孝)
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20150604-OYT8T50144.html

醍醐寺 大日如来坐像

醍醐寺大日如来

醍醐寺大日如来2

 醍醐寺は大寺であり豪勢な寺である。建築、庭園、史跡など見所が多い。じっくりと回ればゆうに半日以上はかかろう。そのなかにあって彫刻、すなわち仏像は以下のような集積はあっても、全体としてはなお控えめな存在である。

【国宝】
彫刻木造薬師如来及両脇侍像(旧上醍醐薬師堂安置)
【重文】
彫刻木造薬師如来及両脇侍像(金堂安置)
銅造阿弥陀如来坐像
木造阿弥陀如来坐像
木造聖観音立像
木造千手観音立像
木造如意輪観音坐像
木造地蔵菩薩立像
木造弥勒菩薩坐像 快慶作(三宝院本堂安置)
木造閻魔天像
木造吉祥天立像
木造金剛力士立像(所在西大門) - 1134年造立
木造帝釈天騎象像
木造五大明王像(旧三宝院護摩堂安置)
木造不動明王坐像 快慶作
木造不動明王坐像
木造五大明王像(上醍醐五大堂安置)[2]
木造理源大師坐像(開山堂安置)
(次のHPを参照)

http://www.daigoji.or.jp/

 その醍醐寺が奈良にやってくる。奈良博の夏場から初秋(晩夏)[平成26年7月19日(土)~9月15日(月・祝)]にかけてのメイン・イベントは醍醐寺展(「国宝醍醐寺のすべて―密教のほとけと聖教―」)である。大きな話題となろう。
http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2014toku/daigoji/daigoji.pdf

 奈良博HPは、醍醐寺のプロフィールを簡潔にまとめている。以下は引用。

「醍醐寺の歴史は、貞観16年(874)理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう)が京都山科の笠取山山上に准胝・如意輪の両観音像を安置したことに始まります。以来、真言宗小野流の中心寺院として発展してきました。
 醍醐寺は、奈良とも深い関わりを持っています。聖宝は若き日に東大寺で修学を重ね、鎌倉時代初めに東大寺再興の指揮をとった大勧進重源(ちょうげん)は、醍醐寺の出身でした。さらに、吉野を拠点として活動した修験道当山派は、大峯修行を再興したとされる聖宝を祖と仰ぎ、醍醐寺三宝院門跡(さんぽういんもんぜき)が当山派の棟梁となります。
 こうした長きにわたる醍醐寺の歴史は、修法の記録や研究の成果である聖教(しょうぎょう)、権力者との遣り取りを記す古文書によって、詳細に知ることが出来ます。膨大な文書・聖教群が、数百年の時を超えて維持されてきた背景には、僧侶による並々ならぬ努力がありました。このたび、平成25年に69378点に及ぶ醍醐寺文書聖教が国宝に指定されたことを記念し、醍醐寺の歴史と美術をたどる特別展を開催致します」。 
http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2014toku/daigoji/daigoji_index.html

 さて、(以上の基礎知識をふまえて)上記写真をご覧いただきたい。国宝でも重文でもない平安時代の大日如来坐像(金剛界)である。いささか整いすぎた感はあるが、おそらく江戸時代の修理(記録あり)の精緻さゆえであり、原型がうしなわれた(古色をほどこすなど手が入りすぎた?)という判断からか文化財としては「無冠」の扱いとなっている。

 しかし、醍醐寺のそれ以外の仏さま(上記国宝、重文)と比較しても、一観察者として、この仏さまの品位と美形はなかなかに際立っていると思う。同じく無冠の如意輪観音様(下記)もおあすのだが、こちらは類似作も多数あれど、この大日如来坐像は平安時代の作品のなかでも一頭、群をぬいていると感じた。

 形の優劣ではなく、文献考証などが確定され(歴史的由来正しく)、後補の影響が軽微であれば国宝、重文の指定がなされ、小生のような俗人が実に良きお姿と感じても、それを評価する術はもちろんない。しかし、それをおかしいというつもりはなく、自身の好きな仏さまをみつけるのに、国宝、重文の「権威」は必ずしもいらないと考えよう。運慶のかの円成寺大日像以前に鑿がうたれ、江戸時代の仏師が修理に丹精をこめた最優品のひとつ、それで良いと思う。

 拝観期間は限定ながらいまは「醍醐の春」。秀吉が晩年に愛でた醍醐の桜は現在も約800本。花見のつれづれに幸い霊宝館仏像棟にて、お側近くで凝視できる格好な公開シーズンである。
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平等院鳳凰堂 56年ぶりの大修理

平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂の大修復を前に行われた本尊の魂を抜く儀式=京都府宇治市で2012年9月3日午前11時16分、小松雄介氏撮影

【以下は引用】

平等院鳳凰堂:56年ぶり大修理 菩薩像の魂「引っ越し」

毎日新聞 2012年09月03日 13時24分(最終更新 09月03日 13時35分)

 京都府宇治市の平等院で3日、鳳凰(ほうおう)堂(国宝)の56年ぶりの大修理が始まり、工事の前に本尊・阿弥陀如来坐像(ざぞう)と、堂内の壁に52体ある雲中供養菩薩(ぼさつ)(いずれも国宝)の魂を抜く「撥遣式(はっけんしき)」があった。作業中は鳳凰堂全体が素屋根で覆われ、2014年3月末まで拝観停止となる。

 鳳凰堂の修理は1950〜56年以来で、事業費は約4億円。瓦や壁、柱の傷みを修復するとともに、柱を1053年の創建当時の赤によみがえらせ、屋根にある一対の鳳凰(レプリカ)も金色に復元する。お堂は解体せず仏像も移動しないが、騒音を避けて魂だけを移す。

 式典では僧侶の読経の中、神居文彰住職が樫(かし)のつえで空中に円を描いて本尊などの魂を大理石製の宝玉に移し替えた。

 工期中も庭園やミュージアム鳳翔(ほうしょう)館は開館し、拝観料は通常の半額(一般300円)となる。【村瀬達男】

http://mainichi.jp/select/news/20120903k0000e040188000c.html
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神護寺不動明王

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不動明王は平安中期作 神護寺「当時の最新技法」

【以下は引用】

 神護寺(京都市右京区)に伝わる不動明王像が、修理に伴う調査で平安時代中ごろの作と分かった。これまで制作年代が不明だった。長く寺に伝わってきたとみられ、専門家は「当時の最新の技法を用いた出来のよい仏像」と評価している。

 毎月、同寺が行っている護摩たきの際に公開している不動明王像(木造、高さ144センチ)で、背の部分が外れたり虫食いがあったため、山科区の仏師、長谷法寿さん(55)が1月から修理している。

 文化財指定はされておらず、年代も不明だった。修理の過程で像を調査した、仏像に詳しい伊東史朗和歌山県立博物館長によると、作風や用いられている技法から、11世紀初めの作とみられるという。

 神護寺には平安時代前期に空海作の不動明王像があったが、関東で平将門の乱(939年)が起こった際、将門討伐を祈とうするために下総(現在の千葉県)に運ばれ、身代わり不動尊で知られる成田山新勝寺に伝わった、とされている。今回、平安時代の作とわかった像が、成田山に移った不動明王像に代わってまつられた可能性もあるが、伊東館長は「制作時期が70~80年開いており、関係は不明」としている。

 修理は年内に終わる予定で、神護寺の谷内弘照貫主は「長年、寺に伝えられてきた貴重な仏像。修理を終えたら再び大切におまつりしたい」と話している。

http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20120410000078

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関東、最高レベルの薬師如来坐像!

桑原薬師堂2

 上記は函南町桑原所在の薬師如来坐像である。この秀逸なる仏さまの存在を教えていただいた静岡県立静岡がんセンター山口建総長からのご好意で、下記のブログを書いて以降、「静岡県函南町 薬師堂仏像群への誘いー函南町桑原ー」(1993年 函南町教育委員会、非売品)を頂戴した。以下は、この薬師像についての記述を転載する。

「木造薬師如来坐像
像高110センチ、一木矧造といって、頭体部を檜材の縦目に沿って前後に割離し、中をくり抜いてから、再び割れ目をはぎ合わせて彫刻する技法をとっています。
 堂々とした体躯や貴族的で穏やかな顔つきは平安時代中期(藤原時代)の特色です。この像の作者はわかりませんが、中央(京都)の仏師の系統を引くものの制作でしょう。(中略)
 『箱根山縁起』によりますと、弘仁8(817)年桑原に新光寺を建立したとありますので、新光寺の本尊だったのでしょう。寺の跡と伝えられる桑原・柿生土周辺からは、布目瓦が採取されたり、平清寺(新光寺の子院)の銘が入った版木も付近の民家から発見されています」(p.21)


平等院阿弥陀如来2

桑原薬師4

  天下の秀作、定朝現存唯一の確定作、平等院阿弥陀如来坐像と上下の画像で比較しても、その尊顔の高貴さでは引けをとらないようにさえ思う。しかし、かたや大仏師定朝、こなた無名の地方所在仏の由来の違いは「評価」をわけている。かたや国宝、こなた静岡県有形文化財。専門家のあいだでは「格」が違う、ということになる。

(平等院アンソロジー)
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-228.html
(平等院阿弥陀如来坐像について)
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-104.html

 もうひとつは後補の影響か。本作はいまみるかぎり見事に整い、美しい木肌をもっている。しかし、本作同様、地元の方々がながらく守ってきた実慶作、阿弥陀如来三尊像(重要文化財、下の画像)は江戸時代に相当な修復の手が入っているようだ。本作にも後補があるとすると、それが重要文化財にもみなされない一因なのかも知れない

20111219-3.jpg

(実慶について)
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-280.html

  自分はいまそこにおあす仏さまから直接受ける<パルス>をなによりも重視する。この薬師如来坐像の静謐な存在感には強い衝撃をうけた。そこにはランクも後補も関係はない。有難き稀有な尊厳を感ぜずにはおかない。

桑原薬師3

 さて、新たにオープンする仏の里美術館の設計は栗生明氏。平等院宝物館鳳翔堂の設計も氏の作品ということで大いに展示には期待がもてる。また、美術館自体、優れたホームページを公開しているので、解説、画像ともに以下を参照。本像も上記画像のように多角的に拝観が可能となるという。まちがいなく関東に最高レベルの薬師如来坐像ありということで大きな話題となろう。

(栗生明氏について)
http://www.com-et.com/colonne/002/kuryu/kuryu.htm
(平等院宝物館鳳翔堂 訪問記)
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-105.html
(仏の里美術館 HP)
http://www.kannami-museum.jp/index.html

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