大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

法隆寺釈迦三尊像<異聞>

法隆寺釈迦三尊images

下記の記事について、<鏡>さんから貴重なご意見を頂いた。了解を得て以下に掲載します。

【釈迦三尊】
奈良博には2週間前の未だ四天王が二天王の時に行きました。背後から見た四天王の袖口のフリルは、羽化したての昆虫の羽根のようでした。玉虫の厨子など、何故か法隆寺は昆虫のイメージがあります。 天蓋の年代に関しては、
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080613/acd0806131913007-n1.htm
のようにもっと以前の木材との説もありました。
先週の土曜は、ちょうど重源の命日で、像が開帳されていましたので行ってきました。リアルではありましたが、ものわかりの悪い老人のイメージと言えば失礼でしょうか。

法隆寺の釈迦三尊は上御堂で拝観して以来、頭を離れません。硬いとか厳しいという評判は、お顔の金メッキの剥離の具合が、たまたま目や眉の形に厳しい表情を加えたのもで、暗い金堂で遠くからしかも正面からみればそのように錯覚するようです。明るいところで、近くから、そして少し斜めからお顔を窺えば、これぼど品格と慈悲をそなえた仏像は他には思い浮かびません。印の如く、初めての人にも「畏れなくてよい」と語りかけているような表情です。この表情は外へ向けての大海のようなメッセージのようであり、特定の人間の病気の平癒等を願っているようなスケールの小さなものではないように感じます。
「凝着」に雑音を入れました。 




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国宝 法隆寺金堂展

法隆寺の壁画images

「国宝 法隆寺金堂展」(2008年6月14日~7月21日/奈良国立博物館)に行く。

 法隆寺金堂について、2004年の調査(奈良文化財研究所)によれば、金堂の天井板の用材の伐採年は、スギが667(天智6)年頃、ヒノキが688(持統2)年頃と推定されるという。用材は伐採後、暫し「寝かせて」使うことが多いから、金堂建立は688年以降のいずれかのタイミングということになろう。これは、それ以前の建築史などからの研究との関連でも妥当性は高いとされる。なお、『七大寺年表』を引用典籍とすれば、「詔により法隆寺が再建」されたのは708(和銅元)年となる。
 一方、今日、金堂の再現壁画12面を見る。驚きであった。そのスケールの大きさ、オリエンタルで濃厚な表現ぶりは、メインの展示物たる飛鳥時代の「生硬」な表情の四天王像とは随分と異質な印象であり、四天王は明らかに、金堂建立後、別の堂宇から移設された客仏であろうと思った。
 あえて、この大振りにして鷹揚、品格ある壁画群とイメージが重なる現存の仏様といえば、薬師寺の三尊、聖観音像であろうか。『薬師寺縁起』で薬師寺が西の京に移建されたのは718(養老2)年とされ、さきの『七大寺年表』との時代差は約10年。時代は十分接近する。
 もしも、今日、金堂の壁画が焼失しなかったとしたら、現代の科学をもってすれば本当に様々なことが明らかになったかも知れない。保田與重郎の厳しい指摘が思い出される。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-68.html

 さて、四天王像である。4体が一同に会し「四方」からの照明も行き届き、近くで拝観できることは実に得難いながら、それは奈良博や大宝蔵院の法隆寺特別拝観でも一部はかなえられてきたとは言える。しかし今回の衝撃はその「背面」だった。一点の曇りもない微細を極める技法、意匠をみた観察者は「正面観賞性」といった過去の無理強いの理論をなんとも笑止と思うことだろう。それは最近の薬師寺展での感想と同じである。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-69.html 

四天王像をじっと見て瞼に焼き付け、その印象をもったまま、釈迦三尊も同じ日に見たくなって帰路、法隆寺に寄る。上御堂で拝観するのは今回で3回目だが、見るたびに新しい発見がある。もう少し考えを「凝着」させてから記してみたいが、「初回」の印象は以下のとおりである。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-58.html

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NHK/法隆寺展特集

法隆寺金堂多聞天像

 今日、下記を見る。映像は参考になったが分析はいまひとつ迫力に欠く。同じNHKの「薬師寺」の特集に比べて、いささか手抜きの印象で残念だった。

2008年7月6日/日曜美術館/放送
最古の守護神 現る
~法隆寺国宝・四天王像~

 仏像の世界でひときわ異彩を放つ一群がいる。険しい形相でにらみをきかせる守護神・四天王像。現在、奈良国立博物館で開催されている「国宝・法隆寺金堂展」には1400年前の飛鳥時代に造られた最古の四天王像(国宝)が展示されている。法隆寺以外の場所で4体そろって展示されるのは史上初のことである。
そもそも四天王とは、持国・広目・増長・多聞の4天。古代インドで方位の守り神として信仰されてきた。仏教では、その世界観の中心にそびえる須弥山という山で東西南北の守りを担っている。
まっすぐ正面を見据える姿。飛鳥時代の仏が醸し出す静かなるまなざしは、見るものに独特な緊張感を感じさせる。身の丈はそれぞれ130センチ余り、顔つきはまゆ尻を上げて口元はかすかな笑みを浮かべている。
法隆寺の四天王像は、後の時代の四天王像とは全く姿や表情が異なり、多くの謎に包まれている。最初から法隆寺にあったのか、足元の邪鬼が大きいのはなぜか、あの静かなるまなざしは何を見つめているのか。番組ではこれまでベールに包まれてきた法隆寺の四天王像を克明に撮影し、その謎に迫る。そこから、日本に仏教が伝来したころ、人々が仏教をどうとらえていたかが明らかになってくる。

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聖徳太子本1~10

 まず、最近の「聖徳太子本」の25リストは以下のとおり。

http://www.amazon.co.jp/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90/lm/RGDDC5DWJNV4S/ref=cm_lm_byauthor_title_full

 次に、一部重複するが、このブログを書くにあたって参考にしている本は以下のとおり。

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-category-4.html

 下に掲載した聖徳太子本<1~10>のコメントは基本的に各サイト情報を貼り付けているが、それがないものは少しく私見を述べた。中村元、梅原猛、上原和らの本による影響が大きいと思うが、<10>や<9>も大変参考になる好著である。
 このほかにも絶版の古い本で感心するものもあるが、またの機会にラインナップしよう。

聖徳太子本10:聖徳太子の歴史を読む  上田 正昭・千田 稔(著)

聖徳太子本10

 聖徳太子の生涯を解明し、国政と仏教興隆にいかなる役割をはたし、世界遺産法隆寺がいかに具体化したかを考察する。また、太子をめぐる美術、さらに太子信仰のありようも考える。学際的な「聖徳太子学」入門。  文英堂 (2008/02)

聖徳太子本9:聖徳太子の仏法 (講談社現代新書) 佐藤 正英 (著)

聖徳太子本9

 聖徳太子とは日本人にとって何だったのか。太子に関する資料は限られている。仏法の伝来にかかわり、十七条憲法を制定したというのは、どういうことなのか。日本に画期をもたらした思想として捉えなおす。 講談社 (2004/6/21)

聖徳太子本8:聖徳太子の正体―英雄は海を渡ってやってきた (文春文庫) 小林 惠子 (著)

 「日出ずる処の天子」と隋に使者を送り中国と対等に渡りあった聖徳太子、三宝を敬い、日本人の心に安らぎを伝える聖人聖徳太子―。しかしその実像は、興亡やまぬアジアの草原を疾駆した騎馬民族・突厥の英雄・達頭可汗その人だった。闘う倭王・聖徳太子の姿を、ペルシャ、中国、韓三国、日本の史料を駆使して明らかにする。 文藝春秋 (1993/11)

聖徳太子本7:聖徳太子と玉虫厨子―現代に問う飛鳥仏教 石田 尚豊 (著)

聖徳太子本7

 玉虫厨子にこもる大乗思想を根底に置きながら、聖徳太子へとさかのぼる事によって、はじめて玉虫厨子の思想と聖徳太子の思想を結ぶ事ができた。曼荼羅研究の第一人者が法隆寺「玉虫厨子」の謎を初めて説き明かす。  東京美術 (1998/01)

聖徳太子本6:聖徳太子の寺を歩く JTBキャンブックス  林 豊 ・ 南谷 恵敬・ 沖 宏治 (著)

聖徳太子本6

 聖徳太子が創建に関わっている寺や、太子伝承が残る寺院を紹介。貴重な仏像、美術品の写真も多数掲載。『四天王寺誌』97年1月~2001年7月連載の「太子の寺」を加筆訂正して上梓。掲載データは2001年8月末現在。なお、最近、改訂版がでた。 JTB (2001/10)
(参考)
南谷 恵敬
1953年、大阪市に生まれる。大阪大学文学研究科博士課程修了。現在、四天王寺国際仏教大学教授、四天王寺執事(出版時点)

聖徳太子本5:どうする東アジア聖徳太子に学ぶ外交 (祥伝社新書)  豊田 有恒 (著)

聖徳太子本5

 著者はSF作家だが、本書は外交問題を聖徳太子の時代にそって論述したもの。いま以上に、東アジアの外交が一体性をもっていたことに思いがいたる。 祥伝社 (2007/10)

聖徳太子本4:飛鳥の朝廷 学術文庫 (文庫)  井上 光貞 (著)

聖徳太子本4

 倭王武にはじまり、仏教伝来と聖徳太子の登場、大化の改新を経て白村江の戦い、壬申の乱と続いた動乱の時代。中国・朝鮮と濃密な関係にあった日本は、東アジア世界の激動の中、文化の飛躍的発展を背景に古代天皇制を確立し、統一国家への歩みを進めた。『日本書紀』など史料の精緻な分析により、史学界の泰斗が六~七世紀の日本の姿を鮮やかに描き出す。 講談社 (2004/7/10)

聖徳太子本3:新装 法隆寺論争  家永 三郎・古田 武彦 (著)

聖徳太子本3

 歴史学者2人が、法隆寺金堂釈迦像をめぐる互いの考察をぶつけ合う。金堂釈迦像は法隆寺再建の際に九州から運ばれてきたとする古田武彦と、斑鳩の地で再建金堂に安置するべく造られたとする家永三郎による、書簡論争の第2弾。 新泉社 (2006/03)

聖徳太子本2:国宝・百済観音は誰なのか?―実在したモデルとその素顔   倉西 裕子 (著)

聖徳太子本2

 日本で造られたのに、なぜ百済観音像なのか?写実的造形と仏像らしからぬ八頭身の理由は?竹を模した特異な光背支柱のもつ意味は?誰がいつ、何を目的に百済観音像を造ったのか?『日本書紀』と『竹取物語』の共通性を手掛かりに、大胆な推理と緻密な検証で解き明かす仏教受容期における古代天皇制社会の実像。  小学館 (2006/03)


聖徳太子論1:来目皇子―志摩・幣の浜から聖徳太子を仰げば

聖徳太子本1

 聖徳太子の同母の弟・来目皇子について、福岡県志摩町、奈良県橿原市久米町、大阪府羽曳野市などのゆかりの地を探訪し、その系譜、久米氏と来目皇子、聖徳太子と推古天皇と来目皇子の関係などについてまとめる。 梓書院 (2003/09)

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