大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

仏像の見方(サライ/2008年17号)

サライtop_cover


【大特集】 如来、菩薩、明王...傑作・全146体一覧ー仏像の見方
■巻頭言 辻 惟雄 土偶に宿る自然や生命への畏れが、仏像に受け継がれる 

■第1部  刮目すべき彫りの技、みなぎる命
大仏師 運慶 万世不朽の仕事
運慶 その生涯と作品
運慶の仏像を「鑑定」する
大修理でわかった二王像の全容

■第2部  名作から読み解く、仏の種類や意味
永久保存版 仏像 基本のき  
【前編】
仏像の見方:如来、菩薩
私の好きな仏像(1) 滝田 栄
如来を囲む菩薩

【後編】
仏像の見方:明王、天、習合神・高僧
私の好きな仏像(2) 清水眞澄
掲載仏像の所蔵寺院一覧

■第3部  飛騨、岩手、小浜・湖北ー1泊2日 古仏巡礼の旅  

古仏巡礼の旅1  「円空仏」に会いに飛騨を旅する
1日目 下呂温泉合掌村~下呂温泉
2日目 高山市丹生川町~国府町

古仏巡礼の旅2  「毘沙門天」をみちのくに訪う
1日目 北上市~花巻温泉
2日目 花巻温泉~奥州市水沢区

古仏巡礼の旅3  「十一面観音」を訪ねて小浜・湖北へ
1日目 小浜市内
2日目 小浜市~湖北

仏像をより深く学ぶ旅道具

 サライを読む。最近のこの手の解説書のなかでは出色のものではないかと思う。巻頭言では、原始アニミズムとの関係で日本の仏像をみる、いわば日本における源流論からアプローチである。
 第1部の運慶・慶派については、下記のブログ「快慶」を参照。山本勉氏が登場している。第2部はいわゆるイコノグラフィー分類で、これは最近の主流ながら如来、菩薩、明王、天の4つに加えて、習合神・高僧を5番目に掲げている。 
 第3部:飛騨、岩手、小浜・湖北ー1泊2日 古仏巡礼の旅は、いかにもサライらしい旅提案だが、ここは、久野健氏らの「地方仏再考」路線を踏襲しており、野趣あふれる仏様が紹介されている。
 これが500円はお買い得。かつ、平易な解説ながら深みのある文章で「保存版」の名に恥じない。

快慶

快慶地蔵菩薩立像

 東京国立博物館に、特別展「対決-巨匠たちの日本美術」 (創刊記念『國華』120周年・朝日新聞130周年、2008年7月8日(火)~8月17日(日))を見に行く。
 同時開催で、本館第11室では、特集陳列「六波羅蜜寺の仏像」(2008年7月10日(木)~9月21(日))と本館第12室では特集陳列「二体の大日如来像と運慶様(うんけいよう)の彫刻」(2008年7月10日(木)~9月21(日))をやっている。

 順序が逆になるが、まず「大日如来」について。東博の解説を以下に引用する。
 

「運慶は平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した仏師です。運慶は奈良や京都といった旧来の需要層にとどまらず、鎌倉幕府という新しい勢力による造像も多く手がけました。頼朝の岳父北条時政が発願した静岡・願成就院の諸像などがそれで、近年発見された、運慶作品と考えられる光得寺と真如苑所蔵の二体の大日如来像も御家人の足利義兼発願である可能性があります。今回は運慶自身の造像である可能性が極めて高い二体の大日如来像と、関東などに残る運慶の作風にならった像、運慶の孫が造った像などを展示し、鎌倉時代における運慶の役割を示します」。
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B06&processId=01&event_id=5604&event_idx=1&dispdate=2008/7/10

 この12室だけでも相当、見応えがある。真如苑所蔵の大日如来像は、先頃のオークションで14億円の値がつき大変話題になった仏像。しかし、両像比較では光得寺の仏様のほうが、ご尊顔が締まって見える。真如苑所蔵仏は、運慶初期の円成寺大日如来像に比べても小振りで、受けるインパクトも弱い。運慶一門の作であることは下記の研究によっても事実ではあろうが、どこまで運慶自らの鑿が入っていたであろうか。願成就院、浄楽寺諸像などは学生のときから見ているが、両寺院の仏様は由緒・来歴もあり、像容も大きく、運慶自らの参画度合も強かっただろうが小像の場合も同様に考えてよいのかどうかはかねがねの疑問ではある。

 以下は、長くなるけれど両像を世にだした山本勉氏の見解の抄録。いずれにせよ、これが最近まれにみる大変な発見であることは間違いないだろう。

 「■運慶作品と評価した足利市・光得寺像によく似た像容
 
  ・・・細部まで光得寺像(栃木県足利市の光得寺[こうとくじ]大日如来像)と同じ形で、像高はほぼ倍の66.1cm(光得寺像は31.3cm)。 光得寺像同様、作風・構造技法いずれも運慶自身の特色を濃厚に示し、上げ底式に刳[く]り残した像底部に台座との接合用の金具を打ち込む点は、光得寺像との共通点としてことに興味深かった。
<中略>
■X線写真によって光得寺像の前段階の像内納入品を確認

 さて、文献的に運慶作品と確定する証拠をもたない光得寺像が運慶作品の範疇でとらえられるのは、Ⅹ線写真によって像内に一連の運慶作品と共通する納入品、すなわち五輪塔形の木柱、心月輪[しんがちりん](仏像の魂)としての水晶珠[すいしょうしゅ]、舎利[しゃり]とその容器の存在が確認されたことも大きな根拠であった。
 それらは文治2年の伊豆願成就院[いずがんじょうじゅいん]諸像や同5年の浄楽寺諸像の納入品から発展して、早くも運慶晩年、建暦2年(1212)の興福寺弥勒仏像納入品のレベルに達したものだった。 新出の像も光得寺像同様の像内を密閉する構造から、当然、納入品の存在が予想された。 それらが確認でき、そこにも光得寺像との若干の年代差を証しうる特徴がみいだせれば、わたしの推論に傍証がえられるはずだ。 東京国立博物館への搬入に先だち、隣の東京文化財研究所で、協力調整官三浦定俊氏をわずらわせてX線撮影を実施した。

 はたして像内には予想とたがわぬ納入品が確認された。 像内中央に立つ五輪塔形の木札は願成就院諸像納入の五輪塔形木札と光得寺像納入の五輪塔形木柱の中間的なものであったし、心月輪として納入された水晶珠は光得寺像と同工のものであった。

 木札を銅線で固定したり、水晶珠の蓮台の茎を木柱に巻きつけて留めたりする手法はいずれも光得寺像にみられる手法にくらべて未熟の観があった。

 舎利を入れた水晶製五輪塔は建久3年(1192)に快慶が造った京都醍醐寺弥勒菩薩像など運慶以外の慶派仏師の作品に類例があった。 運慶作品特有の納入品であり、同時に、その形態や納入方法は光得寺像のそれらの前段階の特徴をもっていたのである。

 それは作風の検討からえられた年代観とみごとに符合している。 なおこまかい検討を残してはいたが、Ⅹ線写真の映像をみた段階で、わたしは自分の推測に確信をもった。 断定こそできないが、この像は運慶作品にちがいない、そして、かつて足利樺崎寺の下御堂にあった、建久4年銘の厨子にはいっていた大日如来像であると。  

■運慶と東国との関係が一門の東大寺再興造像独占の布石
 
   冒頭にものべたように、この像はいま東京国立博物館の平常展で光得寺像とともに公開されている(6月30日まで)。 公開開始後まもなく、以上の経緯と所見をまとめた論文も公刊されたが(「新出の大日如来像と運慶」『MUSEUM』589号)、実際に像をみて論文を読んでいただいた多くの専門家からも共感の声を寄せていただき、意をつよくしている。

 論文中にもふれ、新聞記事でも特筆されたことだが、これまで空白であった、建久年間前半の運慶を考える材料があらわれた意義は大きい。

 文治元年(1185)に源頼朝が開いた鎌倉勝長寿院[かまくらしょうちょうじゅいん]本尊を本家筋にあたる成朝[せいちょう]が造ったのに続いて、運慶は、同2年に北条時政の願成就院諸像、同5年に和田義盛の浄楽寺諸像を造っている。

 だから、建久4年以前に、源頼朝とは血縁関係も姻戚関係もある足利義兼の造像を担当することもきわめて自然であるが、この時期の彼の中央における事績が不明であることをふまえて、さらに憶測をくわえれば、運慶はこの頃ずっと東国にいて頼朝政権要人の造仏需要にこたえていたのかもしれない。 むろん師であり父である康慶の意をうけてのことであろうが。

 運慶の造像を通して築かれた東国武士との強固な関係は建久中盤以降の康慶一門による東大寺大仏殿関係の再興造像独占の布石となった。 そしてほかでもない運慶自身の、その後の栄達の基礎にもなったのである」。
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/yurin_439/yurin4.html

 次に「六波羅蜜寺の仏像」だが、一緒に行った家内がお目当ての「空也上人像」がないと残念がっていたが、この猛暑のなか京都で六波羅蜜寺を訪れる参詣者のことを考えれば、それは仕方ないだろう。むしろ、ほかの仏像をよくぞ、ここまで踏み切って東京に「出張」させてくれたと思う。京都ではもちろん何度も見ているが、上記展示との関連でも、運慶座像など慶派関係の諸仏がここに会している意味は大きい。これも東博の解説を以下に引用する。

 「平安時代、街を歩いて念仏を弘めた空也上人が天暦5年(951)に開いた西光寺は、貞元2年(977)天台別院となり六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)と改称しました。周囲は鳥辺野(とりべの)という葬送の地でしたが、平安時代後期には平清盛が付近に邸宅を構えました。

 今回の特集陳列では創建期に空也が造像した四天王像のうちの持国天立像、天台別院となった頃の薬師如来坐像、11世紀前半に仏師定朝(じょうちょう)が造ったと伝える優美な地蔵菩薩立像、鎌倉時代の仏師として名高い運慶(うんけい)の肖像、快慶(かいけい)の弟子長快(ちょうかい)作弘法大師坐像、そして平家の全盛期を支えた平清盛の肖像とされる僧形坐像などを展示します。六波羅蜜寺の仏像がまとまって東京に出品されるまたとない機会です」。
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=D01&processId=02&event_id=5587&event_idx=1&initdate=2008/07/01&dispdate=2008/08/17

 さて、特別展「対決-巨匠たちの日本美術」 における<運慶vs快慶>(東博も随分と商業主義的なタイトルをつけたものだが・・・)である。運慶は上記の六波羅蜜寺から大きな地蔵菩薩座像が、快慶は写真の名品・地蔵菩薩立像が出展されている。
 正直なところ、若き学生時代は運慶の男性的で、ときに荒々しいまでの作風に惹かれ、快慶の美しすぎる仏様は、あまりに技巧的すぎると好みではなかった。
 しかし、齢を重ねてきて、久しぶりの快慶仏との「再会」では、この89cmの「小柄」な地蔵様の見事に整ったご尊顔には、なんとも言われぬ「気品」があると感じる。等身からみても、この小さなお顔の最上の「気品」は、薄く薄く彫っていながら、絶妙な立体感を表現した体躯一面の衣紋の文様、切金細工の「超絶技巧」にいささかも負けていない。そこが快慶の真骨頂なのだと思った。見るほどに、その美形に惹かれながらも、その一方、心を沈静化する落ち着き、涼やかさも漂わせている。
 この両像に関する限り、(東博のシナリオにのって!)この勝負、快慶>運慶の軍配は、小生だけでなく多くの来訪者の思いではなかろうか。

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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