大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

運慶

運慶

 芸術新潮 2009年 01月号 [雑誌] は運慶の特集である。もう30年以上も前になるが、学生の時に、当時の運慶の「確定」現存作はほとんど見てまわった。この特集をみて感慨を深くしたのは、その後の運慶作が随分と増加していることであり、この間の運慶研究が進んでいることを物語っている。
 わが国の彫刻家で、その足跡をかなり詳細にトレースできる大家は明治期以前でほとんどいない。そのなかにあって定朝と運慶、快慶はその存在自体がそびえ立つ「巨像」といってよいだろう。
 なかでも運慶は、写実性、男性的なエネルギーの躍動、工房としての生産性などからみて、その後の日本彫刻へ決定的な影響を与えている。奈良を訪れると奈良時代前後の彫刻に加えて慶派、とりわけ運慶、快慶の素晴らしい多くの彫像に圧倒される。
 それは南都復興という大事業を慶派が請け負い、その棟梁こそが運慶であったことと分けては考えられない。歴史的な大事業をまえに、天平彫刻を研究しつくし、そこに台頭する武家社会の時代の息吹を注入した仏師こそ運慶であった。
 一方、伝運慶といった糢糊作はあまた存在し、また、運慶作だからといって本当に名品かどうかは判断の難しい作品もある。自分にとっても気に入った作品ばかりではない。当時の慶派工房は、急ピッチでの多くの作業を要請され、それをこなしていくためには、高い生産性を要求されたに違いない。よって、運慶作のなかにも、どこまで運慶自身の鑿が入っているかは慎重に考えなければならない作品も多かろう。
 学生の時の研究テーマは運慶の東国下向問題であった。果たして運慶は鎌倉などの東国に自ら足を運んだかどうかという問題である。関東には運慶の秀作が多く残されている(本書でも多くの紹介がある)。しかし、この問題は未だ解決をみていないようだ。慶派の優れた仏師が関東に駐在(ないし在住)したことは間違いないだろうが、そこに短期間でも運慶自らがいたかどうかは依然として謎のようである。そのあたりも魅力の源泉かも知れない。

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謹賀新年

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2009年元旦

 以下の2番組を見る。東大寺では、大仏殿の建物内の上部から大仏を見下ろすアングルが新鮮だった。また、天平の金銅仏の1/30の模倣仏の鋳造過程が再現されるがこれは実に興味深かった。
 薬師寺の番組は以前にも見た。薬師三尊の造像時期について、710年を境に、それ以前、藤原京時代に作られこれがいまの場所に運ばれたという白鳳期説と、それ以降に、現立地点で天平時代に作られた説の両論が紹介されるが、改めて後者の方に説得力があるように思われた。


●東大寺 よみがえる仏の大宇宙
[BShi]1/2(金) 前9:00-10:50
戦乱で焼けた東大寺。天平創建当時の大仏を完全復元。大仏殿のフルCG再現…荘厳な仏の宇宙がよみがえる。…1250年前の大仏殿にタイムトリップする。
【出演】宮本亜門
(参考/世界遺産シリーズから)
奈良は710年から74年間、平城京として古代日本の政治、経済、文化の中心となったところです。唐の長安に倣った都市計画に基づき、古代律令国家が確立した地で、数々の寺院をはじめ8つの文化財が世界遺産に登録されています。
「シリーズ世界遺産100」では、奈良東大寺に建てられた大仏を紹介します。
東大寺金堂に鎮座する大仏は、高さ15メートル、重さ380トン、銅で作られた仏としては世界一の大きさです。743年に始まる大仏の建立は、国を挙げての大事業でした。当時、朝廷は律令制による国づくりを始めていましたが、民衆を管理しきれず、更に天然痘や地震が頻発し、都は飢えで苦しむ人々で溢れていました。律令国家を目指していた聖武天皇は、民衆に離反され、国づくりの基礎を失ってしまいます。そんな中、聖武天皇が注目したのが仏教の教えを民衆に説いている僧、行基でした。仏教の力で国を安定させようと考え、行基のもとに民衆の力を集めて大仏を作ろうと詔を発したのです。
国を救う仏は大きくなくてはなりませんでした。こうして国中から銅が集められ、延べ260万人もの人員を要して大仏が作られるのです。完成したのは、752年のことでした。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards321.html

●薬師寺~白鳳伽藍の一年~
[BShi]1/2(金) 前11:00-後0:50
奈良、薬師寺。1300年前の国家建設への願いが込められた、国宝東塔や薬師三尊などを、1年の季節の変化とともに紹介する。
【語り】石坂浩二
(参考/世界遺産シリーズから)
仏教彫刻の最高傑作のひとつといわれる薬師三尊像。奈良、西ノ京にある薬師寺の本尊として1300年の間、寺の金堂に鎮座してきました。薬師寺は680年、天武天皇が皇后の病気平癒を願って発願した寺で、薬師三尊は人々の身体や心の病を癒す仏として、人々の祈りを受け続けてきました。
「シリーズ世界遺産100」では、普段見ることの出来ない薬師如来の足の裏や、日光・月光菩薩の背中などの映像を交え、1300年人々の祈りを受け続けている薬師三尊の魅力を丹念に描きます。特別な位置から撮影した中尊の薬師如来には、その身体に仏の超越した能力を現す模様が刻まれていることが分かります。2008年、うしろにあった光背が外され、背中をあらわした脇侍の日光菩薩、月光菩薩の姿は、理想的な人間の肉体が表現されていました。人が長くても40年ほどしか生きられなかった時代、健康でいきいきとした暮らしを求めた、人々の祈りが込められていたのです。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards539.html

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