大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

法隆寺金堂釈迦三尊像

法隆寺金堂釈迦三尊像

 下記は子ども向けの解説といえども馬鹿にはできない。実に簡潔に書かれたコメントを引用。

http://kids.gakken.co.jp/jiten/3/30024490.html
【釈迦三尊】
 仏像配置の1形式である三尊仏の一種。釈迦如来を中心に,左に薬王菩薩,右に薬上菩薩,または左に文殊菩薩,右に普賢菩薩を配する。
  法隆寺金堂の本尊である釈迦三尊像は,鞍作鳥(止利仏師)が623年につくったものといわれ,左右対称の厳格な構成など,飛鳥彫刻の特徴を示す代表作であり国宝。
【鞍作鳥】
 7世紀初ごろ飛鳥時代の代表的な仏像彫刻師。渡来人で仏教をつたえたといわれる司馬達等の孫で,止利仏師ともいわれ,聖徳太子に用いられた。その作風には中国の北魏の影響が見られる。代表作に法隆寺金堂の釈迦三尊像がある。「鳥」は「止利」とも書く。

 さて、この釈迦三尊像については、恐るべきシンメトリーさが隠されている。その点を学生時代に少しく書いたことがある。また、光背などにみる文様分析もその時に囓った。意匠を見抜くには図版のほうが良い場合もあるが、法隆寺金堂から上御堂へ移座された釈迦三尊像をこの目でいくども観察して、その尊顔の素晴らしさに魅入りながら、この仏様には「稚拙さ」などとはほど遠い完成度が秘められていると感じた。止利(工房)の渾身の作であったことは間違いないが、この釈迦三尊と同じ(ないし類似)タイプの、より巨大なものも別に鋳られ、炎上前の(旧)法隆寺に鎮座したかも知れない。何故なら、同じ止利(工房)の飛鳥寺の釈迦仏の大きさとこの釈迦三尊の大きさは、「丈六」と言われてもあまりにも合わない。後者は抜群に優れているがあまりに小さく見える。
 鋳造された年月を信じるとしても、これはいまの法隆寺金堂のために造られたのではなく、有力な関連寺院に置かれた客仏で、金堂建立(再建)時に移設された可能性が高いというのが小生の勝手な意見であり、これについては以前も書いた。
 一種の<サンプル作>であるとすれば、あらゆる意味でさまざまな意匠を実験、積載しており、だからこそシンメトリーさや文様だけでなく、当時の粋を結集している、また、鋳直しの謎も解明できるのではないかと思う次第である。
 様式論にはあまり興味がないが、その尊顔の厳しさとともに角度によってかいま見せる慈しみの優しさ、また、後世の剥落の影響からか、全般に漂うほの寂しさなどの<複雑な印象>は、生前の聖徳太子を写したという伝説にリアリティを与える。その一方、険しくも高貴なお顔からは、既に人心をこえた超越的なものを感じさせずにはおかない。<神>を鋳てさらに仕上げて彫ったと言ってよいと思う。
 なお、語るべき点は多いけれど、いままでに心に浮かんだ感想のひとつの凝着である。

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

なぜ夢殿は八角形かー数にこだわる日本史の謎

夢殿

[著者:宮崎興二、出版社:(株) 祥伝社]1995年
(目次)
七五三が行く―七夕には何を祈るか
一字金輪を見る―大日如来の力はどこに宿るか
二世尊に聞く―天円地方は誰が造ったか
八角堂に入る―聖徳太子はなぜ「八」に囲まれているか
六地蔵を照らす―平清盛はなぜ「六」にこだわったのか
四天王が暴れる―四谷怪談はなぜ怖いか
五重塔を見おろす―清明桔梗はどこに咲くか
三途の川を越える―空海と最澄はなぜ仲が悪かったのか
十万億土を征服する―百人一首には何が隠されているか
十一面観音がのぞく―観音菩薩にはなぜ怪物が多いか
十二支を捕まえる―宝珠はどこから来たか
十三仏と会う―源氏香はどのように決められたか
九輪に登る―極楽への入口はどこにあるか

 面白い本。奈良法隆寺夢殿、京都広隆寺桂宮院、兵庫斑鳩寺太子堂など聖徳太子ゆかりの御堂はいずれも八角堂であること。一方、法隆寺五重塔はなぜ5層なのか。京都太秦の木嶋神社には三角鳥居があるが、渡来人秦氏は3という数字に重きをおきこれを考案したとか・・・。
 しかし、それ以上に面白いのは、筆者の別の著作もあるプラトンとアリストテレスの数の関係。プラトニズムは5を尊重するが、これは独創性を表し、一方、アリストテレスは3という数字を大切にするが、これは融和を表しているという説はユニーク。日本では空海が前者、最澄が後者に分類される。
 このほか目次にあるとおり、さまざまな数と日本文化との関係が語られるが、実によく調べている。大胆不敵な推論も多いが、とにかく数に関するディテールの積み上げがすごく、これぞ「学者」でないと書けない本とも言える。

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