大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

帰化人の問題4ー原始日本は・・・

野中寺弥勒菩薩2

 「原始、女性は太陽だった・・・」をもじって言えば、「原始、日本の文明はすべて帰化人がつくった」とでもなろうか。実は、戦前の専門の日本の学者は、その事実をおそらくは十分に認識していたと思うし、なにより「直轄」統治下にあった当時の朝鮮、中国についての現地での研究は、いまよりはるかに自由に、そして強力に行われていたはずである。
 にもかかわらず、日本美術史、彫刻研究などにおいて、意図的に「日本的な美」の抽出にとらわれていたとすれば、それは「皇国史観」というドクサがあったからだろう。
 最近の日本史研究では(日韓共同研究の成果でもあろうが)、たとえば任那の日本府そのものの存在すら大きな疑問符がついている(※1)。

 われわれが飛鳥、白鳳仏に言いしれぬ畏敬の念をもつのは、それがいまとは「不連続」の、「異質」の美だからではないのか。そして、そこにこそ帰化人の絶対的な貢献、というよりも帰化人こそ日本人のひとつのルーツという見方が成立すると思う。30数年前に、飛鳥彫刻を調べていたときに朧気に「直観」したことが、いまの実証研究によって次第に明確になりつつあり、帰化人の時の政権への影響力とその時代の彫刻(の盛衰)がパラレル・フィッティングするのではないかとの<仮説>には一定の説得力があるように思える。

 しかし、一傍観者たる自分如きとは違い、この間の歴史学、民俗学、言語学などの厖大な国際的な研究によって、その事実が次第に浮かび上がってきたことも確かだろう。学際的な研究こそが、この帰化人問題についても、多角的な可能性の地平を拓いてきたとも言えよう。そして、 そのことは、いわゆる孤塁を守るような古い「文献史学」や、儀軌などにのっとる視野狭窄な「形態中心の彫刻研究」の限界をも暗示していないだろうか。

 あえて言えば、このところ、帰化人問題がどうしても気になり、「ああそうだった!」と古い記憶から引き出してきた「直観」は、多くの飛鳥・白鳳彫刻を実に漫然と、しかしなんどもなんども繰り返し眺めてきた自分にとって、遅まきながら突然閃いた一種の思考の「跳躍」でもある。


※1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E9%82%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%BA%9C

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