大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

聖徳太子について(11)

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 以下で3冊の「聖徳太子はいなかった」本を取り上げたが、少し雑感を書いておきたい。日本書紀など現存する資料を疑ってみる方法論はわかる。しかし、度が過ぎると書かれていないことを良いことに、いまとなっては新たな資料が見つかる可能性がないと踏んで、歴史の「闇」の部分に勝手な解釈を入れ込む輩がでている。
 小説家であれば、それは必要な作業で読者も大いに楽しめるが、学者や研究者の場合はそうはいかない。考証すべき資料を批判しながら、実はその資料にべったりと「寄生」しながら生きているような場合、非常な不快感を感じる。自分は安全地帯に逃げ込みながら、大声をあげ、空砲を打って戦争をしているふりをしている卑怯な似非戦士が目に浮かぶ。
 聖徳太子論の場合も、市井の多くの人は、太子に関して、日本書紀の記述がすべて正しいと思っているわけではないだろう。太子没後、日本書紀編纂まで約100年もたっているので、そこには誤認、潤色、捏造がある可能性はあるだろう。他方で、当時の殷々たる語り部文化を想定すれば100年は短くもある。一定の「事実関係」を全く無視することはできないとも思うし、中国サイドの史書との整合性がとれている記述、わが国の風土記などから類推できる事項もあるはずである。
 そこまで厳密に考えなくとも、あるがままに太子像を思い抱き、その関係において仏像に接することはなんら問題はないと思う。同様な意味で、基礎知識がない仏像鑑賞は駄目だと説く高名な美術史家の見解にも不快感を感じる。そんな連中が仏像を守ってきてくれたわけではないと言いたい。
 太子論について、このシリーズで取り上げてきた先人の知恵を再度、よく吟味してみたいと思っている。

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聖徳太子について(10)

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 谷沢永一『聖徳太子はいなかった』(新潮新書 2004年)を読む。石渡本は、ある意味でヒロイックに力を籠めて、帰化人による政権論を説き、その象徴としての聖徳太子神話のベールを剥ぐといったおもむきだが、この谷沢本はもっと軽い、ないし歴史書ではなく、単なる読み物として書かれた聖徳太子論といった印象である。
 松本清張の論考は、ときの「学界」に対する反権威主義に貫かれ、深い歴史的な造詣によって書かれた一種の挑戦状といった風情があり、石渡信一郎の本は、さらにこの路線を徹底して、仮説としての帰化人王権説を展開するが、谷沢永一の本には、そうした気概や迫力はない。書肆学者としての谷沢は、どこまでが底を踏める論証かを慎重に見極めながら、ここまでは言っても決定的な「反論」はかわせるなといった地点に立って、安心して批判を展開しているかに見える。考証可能性という防具をまとっての緒論である。その意味では、類書に比較してオリジナリティのない、得るところの乏しい本と言えよう。

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聖徳太子について(9)

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 石渡信一郎『聖徳太子はいなかった』(三一書房 1992年)を読む。松本清張の論文が書かれてから20年後の出版だが、こちらはもっと根本的な帰化人政権説に基づいている。「帰化人の問題」はこのブログでも書いているところだが、石渡の考え方はより徹底しており、4~5世紀に帰化人が政権を簒奪し、蘇我氏をその中心に置く。『ウィキペディア(Wikipedia)』から、彼の主張を引用すれば、以下の諸点となる。

1.蘇我馬子=聖徳太子(厩戸皇子)は、用明天皇の架空の分身。
2.応神天皇は百済の蓋鹵王の弟昆支で、462年に崇神王家の入り婿となった。478年には倭国王武として宋に遣使し、491年に百済系の倭国「大東加羅」を建設した。
3.奈良県桜井市にある箸墓古墳の年代は393年。その被葬者は崇神天皇。
4.仁徳陵の被葬者は継体天皇。仁徳天皇は継体天皇の架空の分身で、継体天皇は応神天皇の実弟。
5.『日本書紀』、『古事記』の神話に出てくるスサノヲは蘇我大王家の象徴。
蘇我蝦夷、入鹿の父子は天皇。
6.天武天皇は天智天皇の異母兄である古人大兄皇子と同一人物。
7.4世紀前半に朝鮮半島の加羅勢力が北部九州に渡来し、瀬戸内海を経て、大和の纏向が王都の倭国=大加羅(南加羅)を建設した。崇神天皇はその初代王。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B8%A1%E4%BF%A1%E4%B8%80%E9%83%8E

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聖徳太子について(8)

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 松本清張「聖徳太子の謎」(『日本史謎と鍵』平凡社刊 1976年所収)を読む。もともとは、より以前に雑誌『太陽』72年10月号に発表されたものだから、1970年代から「聖徳太子はいなかった」論に、ときの強力な文豪が援軍が加わったことになる。論旨明解で、文献考証力にも優れた力作。
 蘇我馬子のイニシアティブによる政治的業績が、彼ほか蘇我一族が滅亡後、「国賊」になることによって、同時代の太子の業績にほぼ全て転化されたとする論旨である。日本書紀の編纂は太子没後約100年後であり、この間にその転化が周到に行われたとする見方である。反権威主義的な主張は、文献の書かれた政治的な背景を考え、歴史の暗部に光をあてる。

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謹賀新年

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 昨年は、アジアの彫刻についての関心が高まり、いろいろな画集やインターネットでの検索を楽しみました。新しい発見や考えるべき多くの示唆があり、その奥深い世界に引き込まれる思いです。石像彫刻などでは、インド、中国はもとより、アフガニスタン、パキスタン、カンボジア、インドネシアなどにとてつもない逸品があることは改めて、驚きです。
 その一方、木造、乾漆像での日本の圧倒的に優位な集積にも感慨を覚えます。われわれは本当に優れた仏様の身近にいる幸福をより実感すべきでしょう。「阿修羅展」は約95万人の観客を動員しました。日本人が、この国宝に大いなる誇りをもっているひとつの証左でしょう。今年もこの古仏の広大無辺な世界に折々触れてみたいと思います。

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