大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

向原寺観音菩薩立像

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向原寺に36年ぶりに戻ってきた、頭部が飛鳥時代のものとされる寺宝の観音菩薩=23日午後、奈良県明日香村(門井聡撮影)

【以下は記事の転載】
 蘇我稲目(そがのいなめ)により国内で最初に仏像が置かれた地とされる奈良県明日香村豊浦の向原寺(豊浦寺)で、昭和49年に盗まれた金銅観音菩薩像が36年ぶりにオークション・カタログから見つかり、同寺が24日、発表した。仏像は飛鳥時代にさかのぼる寺宝で、蘓我原(そがはら)敬浄住職は「長い旅でした。いつか絶対帰ってくると信じて待っていました」と話した。

 仏像は像高24・1センチ。寺伝によると、江戸時代の明和9(1772)年に境内の「難波池」から頭部(4・1センチ)のみが発見され、当時の京都の仏師により新たに体部が鋳造され、接合されたとされる。

 仏像について蘓我原住職から聞いていた、大阪大大学院で仏教美術を研究する三田覚之さん(28)が先月9日、古美術のインターネットオークションを開催する「古裂会(こぎれかい)」の会員制カタログから発見。同会の仲介で同寺が出品者から買い取った。カタログでは最低落札価格は35万円だった。

 一方、仏像とともに盗まれた厨子(ずし)は出品されておらず不明のまま。窃盗罪はすでに時効で、盗んだ人物の特定は難しいという。

 改めて仏像を鑑定した鈴木喜博・奈良国立博物館上席研究員は「飛鳥時代後期(7世紀末~8世紀初め)の特徴と共通する頭部の歴史的価値に加え、伝承の通りに補作され信仰されたことがわかる注目すべき仏像だ」と評価している。

 盗難があった昭和49年は、高松塚古墳の極彩色壁画が発見された約1年半後で考古学ブームが続いており、同寺を訪れる観光客も多かったという。当時から住職だった蘓我原住職は「この寺に立ち寄る人は本当に歴史が好きな人」との思いから参拝者に仏像を公開しており、犯行はその心意気を裏切るものだった。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100924/acd1009242044002-n1.htm

 上記のニュースをみて驚く。慶事であり珍事である。こういうこともあるのだなという素朴な感想のほか、蘇我氏ゆかりの本寺で、蘓我原住職というお名前なのだから、誰しも想像力もかきたてられよう。一方で全国で仏像の盗難事件が多発している。それと関係があるのかどうか、インターネットオークションには、古仏についても厖大な出展があること自体、どう捉えたらよいのか・・・、そう考えると手放しでは喜べない事件ではある。

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永青文庫

夏季展示 「神と仏 日本の祈りのかたち」
6月26日(土)~9月26日(日)


 朝から思わぬ豪雨。小降りになった束の間に、家内と永青文庫美術館へ出発。高田馬場からタクシーで向かう途中、ふたたび雨足が強くなる。リーガロイヤルホテル前を左折し、胸突坂前で降車。名前のとおりの急な坂は、東京都文京区目白台一丁目にある。近隣には見どころも多い(※1)。
 坂を登り切った左手がめざす永青文庫。都内とは思えない静寂、鬱蒼たる緑のなかの古い洋館が美術館となっている。下のように本館と別館があるが、本館にて期限間近、表記の展示を見る。その後、別館にて昭和以前の年代の風景に浸りながらゆっくりと珈琲を飲む。

<本館>
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本建物は旧細川侯爵家の家政所(事務所)として昭和初期に建設されたもの
<別館>
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本建物は、吉田五十八の弟子で両国国技館、京都南座、日本美術院などを手がけた建築家・今里隆の設計による、1960年代住宅様式の代表作

以下が本展示リストである。太字の彫刻を見るのが今日の目当てである。

<主な展示作品>
細川幽斎 奥書 『豊後国風土記』  文禄3年(1594)
細川幽斎 奥書 『出雲国風土記』 慶長2年(1597)
北野天神縁起絵巻  室町時代(16世紀)
祇園祭礼図巻  江戸時代(17~18世紀)
藤崎宮祭礼絵巻  江戸時代(18~19世紀)
『日本書紀』  寛文9年(1669)
『神皇正統記』  慶応元年(1865)
賀茂真淵 『真淵雑録』  江戸時代(19世紀)
本居宣長 『玉くし希』  文化14年(1817)
本居宣長 序、長瀬真幸 後序 『古訓古事記』 享和3年(1803)
平田篤胤 著 『多満の真はし良』  江戸時代(19世紀)
三尊仏坐像  北周・建徳元年(572)
阿弥陀如来坐像  唐・咸亨3年銘(672)
菩薩立像  隨・開皇二十年銘(600)
菩薩坐像  唐時代(8世紀)

白隠慧鶴 筆 布袋携童図  江戸時代(18世紀)
仙義梵 筆 指月布袋  江戸時代(19世紀)
平櫛田中 作 五大明王  大正~昭和時代(20世紀)
沢田政広 作 聖観世音菩薩  昭和45年(1970)


 永青文庫について以下のブログでその特色について書いてきた。今回、三尊仏坐像:北周・建徳元年(572年)、菩薩立像:隨・開皇二十年銘(600年)、阿弥陀如来坐像:唐・咸亨3年銘(672年)のように、造像時期が特定できる中国仏があるのが見物。日本での現存仏との比較においても貴重な存在である。菩薩坐像:唐時代(8世紀)も美形。土砂降りの雷雨のなか、古建築のなかの古仏は静かに息づいていた。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-167.html

<参考>周辺にはぶらりと散策によい所も多い。以下はすべて引用

※1:胸突坂(むなつきざか)
神田川から目白台に上るための坂である。周囲には新江戸川公園、椿山荘、永青文庫、芭蕉庵等が位置する。 階段とスロープによって成り立っている。かなり急であるため、距離は短いにもかかわらず休憩所が設けられている。自転車も通れるが乗ったまま下るのはきわめて危険である。上りきると和敬塾がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%B8%E7%AA%81%E5%9D%82


新江戸川公園:当地一帯は江戸時代中頃まで幕臣の邸宅があったところであった。その後、幾度かの所有者の変遷を経て、幕末に細川家の下屋敷になり、明治時代には細川家の本邸となった。1960年に東京都が当地を購入し、翌年には公園として開園。1975年、文京区に移管されて現在にいたる。当地付近は目白台からの湧水が豊富な地点で、その湧水を生かした回遊式泉水庭園を主体とした公園となっており、江戸時代の大名屋敷の回遊式泉水庭園の雰囲気を現在でも楽しむことが出来る。

関口芭蕉庵:東京都文京区関口にある史跡。かつて松尾芭蕉が神田上水の改修工事に携わった際に住んでいた住居跡が元になっている。敷地内は芭蕉堂や庭園、池などからなっている。

財団法人和敬塾:東京都文京区目白台にある男子大学生・大学院生向けの学生寮。1955年(昭和30年)、前川製作所の創業者である前川喜作によって創設された。和敬塾本館(旧細川侯爵邸)は、1936年、細川護立(元首相細川護煕の祖父)が細川侯爵家の本邸として建てた西洋館であった。細川護煕も幼少時、和敬塾本館で過ごしていた。東京都指定有形文化財になっており、映画やドラマ撮影のロケにも使われている(現在は敷地が分割されているが、新江戸川公園、永青文庫の敷地まで細川邸であった)。 また、本館は結婚式の会場に使われることがある。

椿山荘:武蔵野台地の東縁部にあたる関口台地に位置し神田川に面したこの地は、南北朝時代から椿が自生する景勝地だったため「つばきやま」と呼ばれていた。明治の元勲である山縣有朋が1878年(明治11年)に購入、自分の屋敷として「椿山荘」と命名した。1918年(大正7年)には大阪を本拠とする藤田財閥の二代目当主藤田平太郎男爵がこれを譲り受け、東京での別邸とした。戦災で一部が焼失したが、1948年(昭和23年)に藤田興業の所有地となり、その後1万余の樹木が移植され、1952年(昭和27年)より結婚式場として営業を開始した。1955年(昭和30年)に藤田興業の観光部門が独立して藤田観光が設立されると、椿山荘の経営は藤田観光に移管された。そして1992年(平成4年)に、敷地内にフォーシーズンズホテル椿山荘東京が開業した。2006年(平成18年)5月には藤田観光の本社が敷地内に移転している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B7%9D%E5%85%AC%E5%9C%92
【“永青文庫”の続きを読む】

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奈良の古寺と仏像展 再訪

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今回のハイライト、法隆寺「夢違観音」白鳳時代

 もうすぐ東京での公開が終わってしまうので、家内と一緒に表記の展覧会に行く。日本橋三越の隣りのビルの7階に会場はあるが、三越はいま銀座店がリニューアル・オープンしており、買い物客は銀座に集中しているようだ。街を行きかう人も多くない。会場内も混んではいたが痛痒を感じるほどではなかった。前回は金銅仏以外について感想を書いたので、今日はメイン展示を中心にふれよう。

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観音菩薩立像 飛鳥時代 68㎝

 止利派の有名なボリューム感のあるこの立像が金銅仏展示パートの最後におかれ、ポスターを飾る夢違観音が全体展示の「トリ」といった趣向。この立像と近似する半跏思惟像も同時に展示してほしかったなあとも思う。照明がよいので、鏨(たがね)彫りの丁寧で根気のよい処理がよく見える。堂々とした像容である。止利派では628年銘のある舟形光背、一光三尊仏が入り口で出迎えてくれるが、金銅仏展示は止利派ではじまり終わるといったコンセプトで構成している。

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半跏思惟像 岡寺 31.5㎝ 奈良時代 

半跏思惟像では、岡寺のこの仏さまと東大寺蔵(伝聖武天皇持仏)の2仏が並んでおられた。東大寺像との比較では、東博蔵48体仏の中によく似た作例がある。岡寺の本像にはなんどもお会いしているが、いつも観察者の心を安んじるようなやさしい包容力を感じる。一方、小さな仏さまながら、下から仰ぎ見るとき、そのご尊顔はとても高貴な表情を見せる。逸品である。
 
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薬師如来倚像 正暦寺 28.0㎝ 奈良時代

 金銅薬師如来倚像 - 正暦寺本尊。奈良時代前期。平素は秘仏とされ、春秋などに期日を限って瑠璃殿(宝物館)で公開されるという。倚像では深大寺像とよく比較される。本像よりも小振りながら、奈良桜本坊の釈迦如来坐像 18.4㎝も正面、横からのお姿がよく似ている。特に左手与願印。坐像の場合は左手のひらを上に向け、膝上に乗せるが、両像の指の曲げ方は同じように見える。一見、頭でっかちの童顔ながら、その丹念な作像は仏の存在の有り難さを見るものに与えずにはおかないだろう。

003 如意輪観音像 元興寺 鎌倉時代

004 持国天像(四天王のうち) 東大寺 鎌倉時代

 鎌倉時代の優品を2像、かかげておこう。如意輪観音像は素晴らしいバランスで、これだけ複雑な姿態をなしながら、どこからみても破綻がない。見事な技術である。ご尊顔も気高い。家内がなぜ重要文化財ではないのか・・・と言っていたが同感。持論だがもっと、鎌倉以降の優品を積極的に指定すべきと思う。
 同様に持国天像。四天王のなかでも際だって造型力が高い。「群像」の場合であっても、より柔軟に考え「単独」でこの像のみと指定をしても良いのではないか。
 一般に造像銘のある基準作や仏師が特定されていると、その出来にかかわらず指定が行われるような気もするが、そろそろ別の考え方からも国宝、重要文化財のあり方を考えてもよいのではないか。世界遺産といった考え方がグローバルに浸透してきた今日、日本もかつての大御所のひいた権威主義的、形式的、硬直的な考え方は見直すべき時である。
 思わず脱線してしまったが、そうしたことを考えさせるような仏さまは上記2仏のみならず鎮座していた。

(参考)前回報告 http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-191.html

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『秘佛巡禮』

津田さち子『秘佛巡禮』1975年 駸々堂

 この女史の本ははじめて読む。女流で仏像を論じる名筆家は少なくない。このブログでも紹介したものもあるが、本書を読んで思うのは、その実、結構、ご苦労して秘仏を回っていていささか大変だっただろうなということである。
 素直を書いているので、お寺や仏さま、仏画に接したときの<感動>や逆に(抑えていても)、<しらけ>とでもいうべき思いも垣間見える。全49作品が紹介されるが、秀作に接したときの文章はやはり光っている。あえて、悪くちを言わなくとも読んでいれば、自ずと行きたい寺は限られてくる。女性の感性は恐い!


(参考)主要著作
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1.あの風景  津田さち子 沖積舎 2007/11 \1,890(税込)
2.奈良慕情  津田さち子 沖積舎 2005/12 \1,890(税込)
3.源実朝   津田さち子 沖積舎 2002/07 \2,940(税込)
4.思遠    津田さち子 沖積舎 1999/08 \2,940(税込)
5.こころの寺 津田さち子 三修社 1999/08 \2,940(税込)
6.猫が見た夢 津田さち子 まろうど社 1997/09 \2,625(税込)
7.大河は花を浮かべて 津田さち子 大本山永平寺祖山傘松会 1995/03 \2,548(税込) [入手不可]
8.手鏡の月  津田さち子 沖積舎 1992/07 \3,058(税込)
9.秘仏巡礼 改訂第3版  津田さち子 駸々堂出版 1980/05 \1,470(税込) [絶版]
10.良寛ひとり 津田さち子 大本山永平寺祖山傘松会 1991/01 \2,625(税込) [入手不可]
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/pocketpc/wsea.cgi?HITCNT=10&W-AUTHOR=%92%C3%93c%82%B3%82%BF%8Eq

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