大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

運慶、快慶、慶派

運慶展

運慶、慶派について別ブログで書いたものを添付します。

◆運慶考1 父は偉大だった (康慶論)
 以前は運慶の父、康慶の評価はあまり高くなかったと思いますが、種々の研究がすすんで、康慶の「実力」への理解は高まっています。


http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1901969.html

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◆運慶考2 天才児であった (若き日の運慶)
 運慶は幼少の時期から卓抜な能力に恵まれていたと思います。康慶が偉丈夫なら、その子、運慶は康慶も驚く異能の才をもった長子でした。

http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1901985.html

◆運慶考3 年表        (運慶および慶派の動向)
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1901995.html

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◆運慶考4 政治との関係  (鎌倉幕府との距離)
 運慶論でここがとても重要だと考えます。康慶の激動の時代を読むするどい勘働きも、運慶らの必死の努力も乱世に生きるための処世訓でした。 

http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1903034.html

◆運慶考5 運慶と頼朝    (両英雄の邂逅はあったか?)
 ここは時代考証の「隙」を衝けないかというちょっとした空想論ですが、運慶はより巨大な存在で、最高権力者とも会っていたという見解です。

http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1903964.html

◆運慶考6 自由な発想   (文献史学への見方)
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1904269.html

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◆運慶考7 運慶工房の生産性<チーム運慶の実力>
 近年の諸研究の成果によって、慶派工房の抜群の生産性が実証されています。これは日本のものづくりの原点でもあります。

http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1905146.html

◆運慶考8 運慶彫刻の魅力ー金沢文庫特別展をみて
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1906204.html

◆運慶考9 運慶の継承者たち
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1906384.html

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◆運慶考10 運慶について<インデックス>
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1906537.html

これ以降は、本ブログを中心に過去に書いたものなどです。

●運慶
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-95.html

●運慶ブーム
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-210.html

●運慶ブーム2
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-211.html

●【特別展】運慶 中世密教と鎌倉幕府 神奈川県立金沢文庫80年
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-212.html

●参考文献リスト 4  鎌倉時代の彫刻
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-213.html

●回顧【特別展】鎌倉時代の彫刻 東京国立博物館1975年 
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-214.html

●仏像彫刻試論6 肖像彫刻
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-237.html

運慶工房の秀作、秋の公開 興福寺北園堂
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1969475.html

鎌倉 覚園寺 仏像開眼
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1843721.html

直伝 和の極意 運慶・快慶 慶派仏師の仏像ルネッサンス
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-274.html

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<快慶について最近思うことなど>

●快慶について考える
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-268.html

●快慶について考える2
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-271.html

快慶作の執金剛神立像、見つかる!
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-266.html

快慶の名品、お里帰り
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-269.html

快慶作、また発見!
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-272.html

●快慶
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-85.html

実慶について
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-280.html

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鎌倉の本

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【以下は引用】

岩橋春樹:著 本文/216頁

1,050円(税込) ISBN:9784896602067

鎌倉の社寺巡りのガイドブックは数多く出版されていますが、鎌倉の美術を本格的に鑑賞するために最適の本をつくりました。
著者は鎌倉国宝館副館長などをつとめ、中世美術に造詣が深い方です。 鎌倉ゆかりの作品と率直と向き合いながらそれらの意義を問い直し、明らかに京都の文化とは異なる、鎌倉の地にあった人々に通底する美意識を明らかにしようと、この本を執筆されました。
鶴岡八幡宮に伝わる国宝・籬菊螺鈿蒔絵硯箱に見る平安の王朝美、建長寺の蘭溪道隆像に象徴される禅の造形、また鎌倉五山系詩画軸には「室町ルネネサンス」とも形容すべき形式美が見いだされることなど、中世鎌倉の多彩な美術史的展開を、古絵図や考古遺品にもスポットを当てて紹介しています。

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福島金治:著 本文/216頁

1,050円(税込) ISBN:4896601963

鎌倉時代の中ごろ、鎌倉幕府は蒙古襲来の危機に直面し、執権政治にかわって、北条氏嫡流家の得宗による専制支配が進行していた。
安達泰盛は、源頼朝の従者で側近として活躍した盛長の曾孫という名門の血をひき、北条時宗の死後、次々と改革の指針を打ち出し、幕府政治の転換点に立った人物である。
本書は、盛長・景盛・義景の安達家三代の軌跡をたどりながら、有力御家人層の信頼を一身に集めた泰盛の軌跡と、弘安8年(1285年)に、新興勢力である得宗被官の平頼綱に滅ぼされた霜月騒動の明らかにする。

※ 著者は愛知学院大学文学部教授、元神奈川県立金沢文庫主任学芸員。 専攻は日本中世史。

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貫達人:著 本文/228頁

1,050円(税込) ISBN:489660136X

源頼朝は父祖・頼義が勧請した由比若宮を現在地に遷し、社殿を荘厳して自らの心の拠り所とした。
本書は、頼朝などの外護者や歴代別当について紹介しながら、都市鎌倉と栄枯盛衰をともにし、神仏分離令によって廃寺となった歴史を明らかにする。

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井上禅定:著 本文/208頁

1,000円(税込) ISBN:4896601297

鎌倉・東慶寺は近世初頭に豊臣秀頼の娘・天秀尼が入り、徳川家康に縁切寺の維持を願って許された。当時、一般に妻は夫を離縁できなかったため、多くの女性がこの寺に駆け込み、救われた。
寺法の取扱いや駆込女の実態などを前住職が解説する。

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関口欣也:著 本文/240頁

1,260円(税込) ISBN:4896601920

武家政治の都であった鎌倉には由緒ある古社寺が多い。
本書は、建築遺構や指図・古絵図類の調査をもとに、近年の発掘調査も活用しながら、鎌倉郡衙がおかれた古代から江戸末期までの各時代の建築を論述し、その具体像を浮き彫りにする。
大仏殿の規模などの新たな知見と、世界遺産登録に向けての普遍的価値について増補した決定版。

http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/yurin_439/yurin4.html

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実慶

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【以下は引用】

◆東国に住みついた宗慶・実慶などの慶派仏師

 (前略)このような需要にこたえるため鎌倉にしばらく、あるいは長く滞在した、中には住みついて仏所を構えた慶派仏師の存在が当然考えられる。東国武士達による造仏もこの時期に活発化し、その点からもそのような仏師が必要とされたことは、数多くの慶派の遺品が物語っている。

 埼玉県保寧寺の阿弥陀三尊像は銘文によれば、建久7年(1196)大仏師宗慶が造った。施主は武蔵七党の児玉党に属する四方田弘綱にあたると思われる。宗慶の名は静岡県瑞林寺地蔵菩薩像の治承元年(1177)の銘文に大仏師康慶のもとに小仏師としてあらわれ、寿永2年(1183)の「運慶願経」にも結縁した慶派仏師の枢要な一員である。

 同様に「運慶願経」に名があり、運慶の周辺にあって共に仕事をしていたことが確かな実慶の作品が桑原区薬師堂の阿弥陀三尊像と修禅寺大日如来像である。

 前者は作風の上から宗慶の保寧寺像とほぼ同時期の作かと思われ、後者は銘記に承元4年(1210)8月28日の日付けがあり、女性の黒髪とかもじを納入している点から、おそらく重い病のため7月8日に落飾し、間もなく亡くなったと思われる辻殿(源頼家室、後に実朝を暗殺する公暁の母)の供養のための像かと推測される。実慶は当時東国に在住していたのであろうし、あるいは長く滞在していたのかもしれない。

 東国のその他の慶派作品の示す作風は多様である。京都・奈良における慶派の作品の作風変遷との比較を通じて、それぞれの作家のあり方をなお検討する余地があると思う。

http://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/431_4.html

◆木造阿弥陀如来及両脇侍像

 桑原の長源寺の裏山にある薬師堂に安置される、来迎印を結ぶ等身の阿弥陀如来坐像を中心に三尺の両脇侍菩薩立像を配する三尊像である。三尊とも頭体幹部を檜の一材から彫出、前後に割矧【は】いで内刳りを施し(中尊像は像底を上底式に刳り残す)割首とし、玉眼嵌入、表面は漆箔で仕上げる。中尊像首〓内面に「大仏師実慶」両脇侍像頭部内面にそれぞれ「仏師実慶」の作者銘が記される。

 そのはつらつとした作風には鎌倉時代初期のいわゆる慶派の特色が顕著に示されている。中尊像の頬が張り、口角を引き締めて強い眼差しで前方を凝視する若々しい面貌表現は運慶作の神奈川・浄楽寺阿弥陀如来坐像(重文、文治五年・一一八九)に類するが、やや細身で胴の締まった体型やふくらみをもたせた地髪部の形状などは同じく運慶の主宰した興福寺北円堂弥勒仏坐像(国宝、承元二年・一二〇八)に一歩近づいた感がある。その制作年代は十二世紀末から十三世紀初頭にかけてと見られる。

 作者実慶は寿永二年(一一八三)の運慶願経(国宝、兵庫・上野氏他蔵)に快慶らの仏師と共に結縁した実慶と同一人物と思われる。その遺品としては他に承元四年(一二一〇)銘の静岡・修禅寺大日如来坐像が知られるが、その作風は本三尊像に比べやや張りを減じて落ちついた気分を示している。桑原の地には北条時政の子息宗時の墳墓堂があったことが『吾妻鏡』により知られ、ほど近い韮山の願成就院に存する時政発願の運慶作諸像(重文)と同様、本三尊像は北条氏関係の造像である可能性が考えられる。実慶は東国に定住し、幕府関係の造仏に携わった仏師であったと想像され、こうした慶派仏師の活動をうかがう意味でも看過できない遺品といえよう。
 保存状態も総じて良好で、特にその過半を当初のまま残す蓮華座の丈高な概形と力強い各部の意匠に当代この種遺例の典型を見ることができるのも喜ばしい。

http://www.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=201&item_id=5118

◆世界に誇る阿弥陀三尊像 -桑原薬師堂内の仏像群・その1

 阿弥陀三尊像は鎌倉時代の仏師を代表する運慶の一門「慶派」のひとり実慶が 今から800年ほど前の鎌倉時代初期(十二世紀末~十三世紀初頭)に作ったもので、保存状態も良く、この時代の特徴をよく示していることから国の文化財(重要文化財)に指定されています。

 中でも当初の状態が残る蓮華座(阿弥陀如来の台座)は、鎌倉時代初頭の蓮華座の特徴を最もよく表す模範となるものと絶賛され、後世の阿弥陀如来の顔面の彫り直しが無ければ国宝であったと高く評価されています。

 平成3年には、ロンドンの大英博物館で開催された「日本の鎌倉時代展」のメイン作品として出展され、世界の人々を魅了しました。

◆阿弥陀三尊像

 阿弥陀如来が観音菩薩と勢至菩薩を両脇に従えた三尊形式。阿弥陀如来の本来の光背は失われ、現在は近世の新しいもの(頭部、後の金色の輪)が付けられている。

 阿弥陀如来の首の内側に、墨で「大仏師実慶」と書かれている。「実」の部分に「しんにゅう」が見られるが、これは後世に加筆されたもの。両脇侍蔵の首の内側には朱で「仏師実慶」と書かれている。

◆解体保存修理された阿弥陀三尊像

 三尊像は、江戸時代の修理で色づけられたり、金箔が貼られたりしていました。こうした後の時代に付け加えられたものを取り除き、傷んだ部分を直し、制作当初の姿に戻すための解体保存処理を昭和63年に行いました。

 慶派の仏像は、写実的で男性的な力強い表現に優れていることから、武士に受け入れられ幕府の注文による造像も多く手がけるなど、慶派は超一流の仏師の集団でした。
なぜ、桑原の地に、こうした国宝級の仏像があったのでしょうか?
鎌倉幕府の記録書「吾妻鏡」には、源頼朝の義父、北条時政の長男・北条宗時の墳墓堂が桑原にあったことが書かれています。宗時は石橋山合戦(頼朝が平家を滅亡させるための最初の戦い)で平井の周辺地で戦死しました。
墳墓堂は、この宗時の慰霊のために時政が建立したもので、阿弥陀三尊像を本尊(時政の注文により造られた)とした阿弥陀堂であったと考えられます。現存する阿弥陀堂で有名なものに、平等院の鳳凰堂、中尊寺の金色堂があります。
残念ながら阿弥陀堂があった場所は不明ですが、当時、桑原の地に華麗な阿弥陀堂があったことを推測させる阿弥陀三尊像と言えるでしょう。

http://www.izunet.jp/manabu/knm-bunkazai/0005.htm

◆桑原薬師堂阿弥陀三尊像(実慶作) 静岡県函南町桑原区

函南町の桑原区に区有の仏像があります。やはり阿弥陀三尊なんですが、この仏像の首に赤で書かれた字があって「実慶」という名前が読み取れました。この実慶は、さっきの瑞林寺の像に、宗慶と並んで小仏師として名前が出てくる人です。(実慶の作品は)さっきの宗慶とは少し雰囲気が違うんです。もう少し厳しく、ちょっとスリムな感じがこの人は好きなんですね。着物にも一杯襞があって、宗慶のものよりも顔は少し華奢なんです。ところが面白いことに、この実慶は腰から下のボリュームを大きく作るのが好きなんです。

http://www.uehara-buddhismart.or.jp/kouen/h161114-2.html

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本尊の大日如来像は1984年に解体修理され、像内から銘文と納入品が発見された。これによって、1210年に実慶が造ったものとわかった。

実慶は「運慶願経」(1183年)に名前の見える慶派の仏師である。この修理の時点では作品は知られておらず、重要な発見となった。新聞でも報じられたそうである。

納入品は美しい布に包まれた髪の毛であった。1210年というのは、この地で非業の最期をとげた鎌倉幕府の2代将軍源頼家の7年忌にあたることから、頼家ゆかりの人の髪と考えられる。『吾妻鏡』の1210年7月8日の条には、頼家の妻辻殿が出家をしたという記事があり、この髪は辻殿のものである可能性が高いと思われる。

http://web.mac.com/butsuzoutanbou/sekidoyoshio/%E3%83%BC%E4%BF%AE%E7%A6%85%E5%AF%BA.html

 弘法大師が開基し、源氏興亡の舞台となった「修禅寺」には、昭和36年に出土された「独鈷杵」(とっこしょ)を始め、多数の寺宝が展示されている宝物館が本堂に向かい、境内の右手にあります。
この宝物館で11月1日から10日まで特別展観が開催され、修禅寺本尊の大日如来座像が展示されます。この仏像は、通常本堂に安置されて見学できませんが、この10日間に限り、一般に公開されます。
 仏像は、昭和59年に解体修復が行われ、1210年に運慶の流れをくむ仏師「実慶」(じっけい)が制作したものと確認されており、鎌倉幕府二代将「源頼家」(みなもとのよりいえ)の七年忌に母「北条政子」が実慶につくらせたものとされています。
 体内からは二種類の毛髪が発見され、政子と、妻「辻殿」という説が有力になっています。又、平成4年には国の重要文化財にも指定されています。

http://shuzenji.info/dainitinyorai.htm

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仏像カレンダー

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 最近、いろいろな種類の仏像カレンダーが販売されており楽しめる。以下を参照。

http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1971523.html

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奈良大和路仏像ポスター

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【以下は引用】

奈良大和路仏像ポスター発売、如意輪観世音菩薩を起用

(2011年12月12日)
 奈良県などは12月12日、奈良への観光誘致を目的として製作した「奈良大和路仏像ポスター」を発売した。

 「奈良大和路仏像ポスター」は、奈良県、奈良市、JR西日本、近鉄、奈良交通が合同で1954(昭和29)年から国宝や重要文化財の仏像を取り上げて製作しているもの。約3000部を製作し、うち230枚を販売。残りはJR西日本・東海、近鉄の主要駅などに掲示して観光PRを行う。

 ポスターに起用したのは、中宮寺に安置されている、如意輪観世音菩薩(ぼさつ)像(国宝)。東洋美術における「考える像」として知られ、飛鳥時代の彫刻の最高傑作とされる。国際美術史学者の間では、顔の美しさが「古典的微笑」の典型と評価され、レオナルド・ダ・ビンチ作のモナリザと、エジプトのスフィンクスと並び「世界の三つの微笑像」とも呼ばれている。

 写真は写真家・立木義浩さんの作品。サイズはB1判で、価格は1,000円。奈良県ビジターズビューローと奈良市観光協会で窓口販売するほか、奈良市観光協会では通信販売も行う。

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中国彫刻 ギャラリー

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莫高窟 45窟 盛唐

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莫高窟 275窟 交脚弥勒 北涼 

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龍門石窟

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雲崗石窟

【以下は引用】

中国仏像の変遷
 インドにてクシャーン朝が支配する1世紀に後漢時代の中国に初めて仏教がガンダーラから西域、もしくは海路から伝わったといわれております。 五胡十六国時代の3世紀末頃から、造像が盛んになったのは、3世紀末頃からでガンダーラ彫刻の影響が色濃くみられます。時代の変遷よる仏像制作の変化を簡単に下記表にまとめました。

王朝(時代): 特徴: 主な石窟

五胡十六国【3~5世紀】仏像制作初期 ガンダーラ、マトゥラー様式の影響 河西地区(甘粛)莫高窟、炳霊寺石窟、馬蹄寺石窟など

北魏【5~6世紀】仏像の体型はなで肩、肉体より衣の表現を重視する平面的な表現 雲崗石窟、龍門石窟麦積山石窟

東・西魏・斉・周【6世紀】造像は簡素、表情が穏やか、円満な丸みのある彫刻 天龍山石窟北響堂山石窟麦積山石窟

隋【6~7世紀】写実的な表現 量感のある体躯 莫高窟

唐【7~10世紀】名作品が多い仏教美術最盛期(特に初唐)洗練された優雅な趣き。インドグプタ様式の影響、肉感の追及。 龍門石窟天龍山石窟大足石窟

五代・宋・遼【10~12世紀】細部にこだわる自然主義的傾向 大足石窟

元・明・清【12世紀~】写実を基本とし、力強い理想的な体躯に表現インドの新しい影響による密教造像が行なわれた生命力の希薄な偶像化敵傾向が顕著 仏教美術の衰退 楡林窟、東千仏洞 莫高窟

参考文献:東京書籍 仏教美術事典 中村元 久野健 監修
http://www.saray.co.jp/statue.html

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インド彫刻 ギャラリー

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カニシュカ王像(マトゥーラ)

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マトゥーラ様式

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ガンダーラ彫刻代表作 釈尊苦行像

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アマラヴァティー様式 浮彫 アシタ仙の占星

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サールナート様式 初転法輪像

【以下は引用】
ガンダーラ仏像の特徴
黒色の片岩を用いてギリシャ神像のような繊細かつ流麗さが伴う彫刻

マトゥーラ仏像の特徴
赤色砂岩を用い、インド古来の量感と力強さ、豊かさを感じられる彫刻

アマラバティー美術
インド南東部(現在のアンドラプラデッシュ)で紀元2~3世紀に最盛期を迎えた石灰岩を用いて、ストゥーパ基壇や欄循の表裏に、お釈迦様の仏伝図やジャータカ物語を主題に浮彫が彫刻されています。仏像製作の中心地。

サールナート様式(派)
釈尊初転法輪の地サールナート。特に北インド仏教美術の最高傑作とされる初転法輪像をはじめ、インド文化が最も成熟し華開き、黄金時代ともいわれたグプタ朝期(紀元5~6世紀)で、チュナール産の灰色砂岩を用いています。

参考文献:東京書籍 仏教美術事典 中村元 久野健 監修
http://www.saray.co.jp/statue.html

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直伝 和の極意 運慶・快慶 慶派仏師の仏像ルネッサンス

運慶展

 今回、第7回のみ見ての感想。とても期待していたので、がっかり。初心者向けであればより丁寧に、映像を駆使して関心がもてるような工夫ができるだろうし、もう少しすすんだファン向けなら、NHKの豊富なアーカイブスやCGなども利用して歴史的により深みのある編集も可能ではないか。
 ときどきNHKでは、こうした手抜き、あるいはプロデューサーの「趣味的」な仏像番組があるがこれはその典型。制作費などの制約はあるだろうが、同じNHKの朝ドラ「カーネーション」の小憎らしいまでの機転、丹念かつ濃密な演出を少しは見習っては如何・・・


【以下は引用】

彫刻家・籔内佐斗司流 仏像拝観手引

空前の仏像ブームです。京都・奈良では今日も、仏像ガールたちが古仏を求めて巡り歩いています。人はなぜ、仏像に魅せられるのでしょうか?
今回、私たちを仏像のふしぎな世界へ誘ってくれるのは、仏像修復の達人・籔内佐斗司さん。「寄せ木造り」「乾漆造り」などの複雑な古典技法を実演をまじえながらわかりやすく解説します。

      タイトル          放送     再放送
第1回 ほとけさまの長い長い旅路   11月 1日(火) 11月 8日(火)
第2回 籔内流 仏像拝観の基本    11月 8日(火) 11月15日(火)
第3回 仏像の原点 大仏さまめぐり  11月15日(火) 11月22日(火)
第4回 漆でできたほとけさま     11月22日(火) 11月29日(火)
第5回 一木造りのほとけさま     11月29日(火) 12月 6日(火)
第6回 寄木造りのほとけさま     12月 6日(火) 12月13日(火)
第7回 運慶・快慶 慶派仏師の仏像ルネッサンス
                  12月13日(火) 12月20日(火)
第8回 岡倉天心を知っていますか?  12月20日(火) 12月27日(火)
第9回 若者が受け継ぐほとけの遺伝子 12月27日(火) 1月10日(火)

(参考)
趣味工房シリーズ 直伝 和の極意彫刻家・籔内佐斗司流 仏像拝観手引
薮内佐斗司 講師

目からうろこ! ひと味違う仏像講座
保存修復に携わるなど、仏像の内部の構造にも詳しい籔内さんが拝観の極意を解説。知るほどに深まる仏像の魅力を伝えます。

目次
第1回 ほとけさまの長い長い旅路
第2回 籔内流 仏像拝観の基本
第3回 仏像の原点 大仏さまめぐり
第4回 漆でできたほとけさま
第5回 一木造りのほとけさま
第6回 寄木造りのほとけさま
第7回 運慶・快慶 慶派仏師の仏像ルネッサンス
第8回 岡倉天心を知っていますか?
第9回 若者が受け継ぐほとけの遺伝子
仏像拝観 ガイド

番組情報  2011/11/01~2011/12/27
教育テレビ(Eテレ) 火 午後10:25~午後10:50
教育テレビ(Eテレ) 火 午前11:30~午前11:55 (再放送)翌週

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現代仏師の修業は・・・

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仏像彫刻師・須藤隆さんが彫る観音菩薩像

 どの世界でもプロになる道にはいたるところに荊(いばら)がある。それを踏み越えてプロになり、そして一歩一歩、その細い道を歩んでいく。そこには山あり谷ありながら足取り確かに・・・。そんな記事が下記。

【以下は引用】

日本のものづくりを担ってきたのは下町の工場であり、こだわりの技を受け継いできた職人だろう。その職人が姿を消しつつある。薄利多売に馴染まない手仕事で生み出される品々は、大量生産の荒波に駆逐され、若者たちは厳しい修業を強いられる職人の世界に目を背ける。

事実、職業訓練校は生徒が集まらず、休校、廃校に追い込まれている。大工を養成する木造建築科の生徒は、平成6年の時点で全国に1600人いたが、15年後にはわずか680人に減少している。このままいけば、日本の古き良き伝統が失われる。

今こそ職人の技と伝統を語り継ぐ必要があるのではないか。そうした職人の一人が、京都の仏像彫刻師・須藤隆さん(37歳)。創業36年の須藤工房の2代目だ。

須藤さんが、親方である父・光昭さんから受けた教えは、「仏師は仏の道を歩む人だが、仏像彫刻師は仏像を彫る職人」。大学時代から父の工房で仏像彫刻を習い、大学の助手の仕事を辞めて12年前に正式に入門した。

「修業期間の10年は『住み込み』が条件。仕事を覚えるには住み込みが一番なのですが、弟子は私のほかに女性が4人。最近まで男の子が1人いたのですが、3か月で辞めてしまいました。男の子にはキツイようですね」と嘆く。

「今私たちが積んでいる修業は、親方が発するヒントをいかに敏感に受け止めるかということ。まだまだ緊張の連続です」(須藤さん)

撮影■小倉雄一郎

※週刊ポスト2011年12月9日号

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快慶作、また発見!

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 ここのところ、快慶や弟子の作品が続々と特定(ないし推定)されている。快慶ブームの火付け役になるかもしれない。

【以下は引用】

大御堂寺の阿弥陀如来像、快慶作と判明
2011.12.2 19:17

愛知・美浜町の古(こ)刹(さつ)、大(おお)御(み)堂(どう)寺(じ)に伝わる阿弥陀如来立像が鎌倉期を代表する仏師、快慶の作と分かり、松浦正昭富山大教授が2日、大阪市内で発表した。仏像を支える足ほぞに、浄土真宗の開祖、親鸞が願主となって造像したと示す銘文があり、松浦教授は「親鸞が師の法然の入滅(1212年)に際し供養のために作った像と考えられる」としている。

 像は寄木(よせぎ)造りで、高さ79センチ。左足を踏み出し、亡くなった人を迎える来迎(らいごう)形をしている。当初は金泥で仕上げられていた。同寺では作者不明のまま厨子(ずし)にまつられていたが、松浦教授が今春から調査。作者銘が残る岡山・東寿院の快慶作阿弥陀如来像と、特徴ある襟の形などを含め表現様式が一致、快慶作と判明した。

 足ほぞには15世紀の修理の際に書かれた「親鸞上人御彫刻」との銘があった。X線調査では、その修理で胎内納入物が取り出された跡があった。松浦教授は、納入物の記述内容を足ほぞに記録したものとし、願主が親鸞と判断できるとしている。法然入滅の際には弟子が阿弥陀像を造り供養した。

 同像は5日から22日まで、大阪市中央区の「文化力の旅ラウンジ」で公開される(有料)。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111202/art11120219220004-n1.htm

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快慶について考える2

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 運慶の「経綸」の才は、快慶との役割分担によって可能となった。すでに、運慶については本ブログのほか別ブログでも書いてきた。

運慶考10 運慶について<インデックス>
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1906537.html

また、快慶については以下のとても参考になる記述もある。
http://www.pauch.com/kss/g009.html

 運慶は東国の武士、すなわち当時の新興権力者(かつスポンサー)を担当した。いわば東上作戦を総帥した。一方で快慶は、クライアント中でももっとも重要な東大寺の重鎮、重源を後ろ盾として南都から周防にいたる勧進(金集め)のための強力な戦力であった。つまり西進作戦を重源とともに実行した。
割り切って単純化すれば運慶と快慶の役割分担とは、かたや東に、こなた西に展開。かたや武士とともに、こなた僧侶とともに飛躍することにある。

 <チーム運慶>、<チーム快慶>はこの2人の棟梁のもと、運慶の子息をはじめすぐれた弟子の「脇仏師」をもって編成されたが、プロジェクト毎に、編成替えもあったろう。共通する慶派の特色はそうした脇仏師の存在によって生み出され、また棟梁の関与の強度によって、運慶風、快慶風により変化したかも知れない。ここが実に面白い。

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快慶の名品、お里帰り

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 快慶の初期の名品が久しぶりにボストンから日本に里帰りする。東京国立博物館での特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」に、旧興福寺蔵、弥勒菩薩立像が出展される。文治5年(1189年)の作で、既にこの段階において、快慶らしい均整のとれた美意識を堪能することができる。

【以下は引用】

特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」
平成館 特別展示室 2012年3月20日(火) ~ 2012年6月10日(日)


 海外には少なからぬ日本美術の名品があるが、こと仏像となると多くはない。その中で、この弥勒菩薩立像は、作者が快慶であること、そして像内に納められた経典の奥書きより、文治5年(1189)に制作されたことが判明するという点で注目されるばかりでなく、表現の素晴らしさという点でも、在外の仏像中で最も重要な作品といえる。しかも、現存する快慶作品中、最も若い時に造られたという点も貴重で、作品からは真摯で丁寧な仕事ぶりがうかがえる。
http://www.boston-nippon.jp/highlight/01.html 【“快慶の名品、お里帰り”の続きを読む】

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