大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

仏さまと代表作 ユニークな仏像

白鳳N1

<映像でみる数々の仏像>

◆Japanese Buddhist 日本の仏像 Sculpture Photos by Kari Gröhn karigrohncom mayagrohncom
http://www.youtube.com/watch?v=V1w1nJLEE-0

◆奈良の国宝の仏たち
http://www.youtube.com/watch?v=AY9kFEPuiVQ&feature=related
◆奈良国立博物館 なら仏像館
http://www.youtube.com/watch?v=lOjqeSVh_PM&feature=fvsr

◆DVD「仏像大好。」予告編
http://www.youtube.com/watch?v=sd-Ij-STTCc&feature=fvsr

◆感仏 1 法輪寺編
http://www.youtube.com/watch?v=OMABZsjmyKY&feature=related
◆感仏 2 霊山寺編(前半部分)
http://www.youtube.com/watch?v=gv1sctoNzwE&feature=related
◆感仏 3 長谷寺編(前半部分)
http://www.youtube.com/watch?v=2r10NTZkeoE&feature=related

◆仏像ガール比叡山を行く①
http://www.youtube.com/watch?v=Y2DqsVYq9No&feature=related
◆仏像ガール比叡山を行く②
http://www.youtube.com/watch?v=-P98-dK67hI&feature=related
◆桃子ちゃんと仏像ガール
http://www.youtube.com/watch?v=YSc2S5h751w&feature=related

◆鎌倉古寺の仏像 長谷寺他
http://www.youtube.com/watch?v=P0GbEFzpK1g&feature=related
◆鎌倉 円応寺 閻魔大王
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=Zqvb4xgGF4U&feature=endscreen
◆Kamakura 古都 鎌倉 にて 1 鎌倉五山 この国の記憶 鎌倉編
http://www.youtube.com/watch?v=SeHRyLQQuho&feature=fvst

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NHK 世界遺産 時を刻む「大彫刻~石に魂をこめる~」を見る

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巨大な「華厳三聖像」

 BSプレミアム、 2012年2月24日(金)放送(午後9:00~午後9:58)の上記番組を見る。よく考案された作品と高く評価したい。中国の昇竜の勢いが画面からひたひたと伝わってくる。まず、番組の概要の引用から。

【以下は引用】

◆女性らしさにあふれた媚態観音像、なぜか親孝行する大仏など、中国重慶の岩壁には個性豊かな石仏が5万体も刻まれている。なぜ人は彫り続けるのか?大彫刻が今に語りかける

◆重慶の大彫刻群は「大足石刻」と呼ばれ、年間60万人の観光客が訪れる世界遺産。600年にわたって岩壁に刻まれた石仏にひかれる人は多い。山の一角に自らの彫刻を残す日を夢見て、笑顔あふれる羅漢像を彫り続ける気鋭の彫刻家。四川から訪れ、巨大なねはん像をはじめ名作の写生を続ける女流画家。地元の貧しい農家から仏像販売で億万長者になった社長。「大足石刻」の魅力は多くの人生を決定づけてきた。【ナビゲーター】向井理

https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20120224-10-23672&pf=p

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大足の職人・姜さん

  番組には大足の石工職人・姜さんが登場する。真摯に仏像を彫る姿勢からは、かつて仏像(特に石造)先進国だった中国の長い伝統、高い技術が伝わってくる。布袋様を得意とする姜さんが宝石のような固い素材と格闘するさまには緊張感があり、その身についた高度なテクニックには実に驚かされる。

【以下は引用】

◆600年にわたり彫り続けられている5万体の石像。中国重慶市大足区に残る大規模石窟「大足石刻」だ。
最も大規模な石窟がある宝頂山には、幅31mの「巨大釈迦涅槃(ねはん)像」、200㎡の「地獄の様子」、「悟りをひらく牡牛の様子」など、仏教の経典を分かりやすく説明した石像が並び、人気スポットになっている。いまこの地には大足石刻に魅せられて「彫る」仕事に没頭する人が多い。姜暁さんもそのひとり。32歳の若さで重慶市彫刻コンクールの最優秀賞をとった俊英だ。いま取り組むのは羅漢像。先人の傑作「媚態(びたい)観音」のような動きと感情にあふれた作品にしたいと願っている。天然石を彫る作業はミスが許されない緊張の連続。「なぜ彫るのかと尋ねられても、好きだからとしか言えない。しかし作品を作る以上、大足石刻のように数百年後の人たちにも驚きを与えたい。」という姜さん。ひとはなぜ彫り続けるのか。なぜ固い石に挑み続けるのか。大足石刻とともに生きる人たちにその深い思いを探る。

http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/toki/archives/120224.html

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「円覚洞」

  中国の高度成長の息吹は、中国重慶市大足区にある石造彫刻の工房の躍進にもあらわれている。分業体制で生み出される仏像の需要は大きく、ビジネスとしての成長を地元の共産党幹部が目を細めてみているシーンがあった。
 しかも、映像で見る限りだが、それは大振りで堂々とした出来栄え。端倪すべかざるもの。こうした大量生産の技法と技能の継承あればこそと思わせる。1体、100万円で売れていくというから職人さんのやる気も上がろうというものだ。ここには敬虔な信仰はないが、功利的な合理主義にはいかにも大陸・中国的なものと感じた。

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蟹満寺釈迦如来坐像 研究進む

蟹満寺

最近読んで、注目される記事。本像については「飛鳥・白鳳彫刻の魅力(5) 蟹満寺釈迦如来座像」でその感想を書いた。下記の記載にははっきりと書かれていないが、別の記事によれば、本像は当初からここに鎮座された可能性が高まったとのこと。

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-59.html

【以下は引用】

謎の仏像 2度焼けた? 科学的手法で解明進む 蟹満寺釈迦如来坐像

産経新聞 1月21日(土)14時56分配信

 奈良・薬師寺の薬師如来坐像(ざぞう)と並ぶ古代金銅仏の傑作、蟹満寺(かにまんじ)釈迦如来坐像(京都府木津川市、国宝)に初めて科学のメスが入った。小さな寺で約1300年にわたって守られてきた「謎の仏像」。薬師寺の像とほぼ同じ大きさながら、重さは半分しかなく、炭素14年代測定では西暦700年前後に造られたとのデータが明らかになった。(渡部裕明)

 釈迦如来坐像は高さ約2・5メートルの、いわゆる丈六(じょうろく)像。金箔(きんぱく)がわずかに残り、かつては銅に金を貼り付けた姿だった。

 本堂改築を機に、三船温尚(はるひさ)・富山大教授(鋳造技術史)や奥健夫・文化庁主任調査官(仏教美術史)らが調査を実施した。鋳造技術や炭素14年代測定、3次元レーザー計測、蛍光X線成分分析、考古学などの分野で、成果は先月末、『蟹満寺釈迦如来坐像-古代大型金銅仏を読み解く』(八木書店)として出版された。

 ◆700年ごろ造立

 調査成果によると、像は重さが約2・2トンで、2度にわたって火災を受けたらしいこと、また右手の像内に残った土の炭素14年代測定によって7世紀後半から8世紀半ばにかけて造立された可能性の大きいことが分かった。

 大型の金銅仏は材料の銅や金が高価なため、官営の工房でしか制作できなかったと考えられている。現在の蟹満寺には不似合いなほどの巨像で、いつ誰によって造られたか、移されたのならどこにあったかなど多くの説が出されている。

 ◆薬師寺像より軽く

 薬師寺像の重さは約4・9トンで、蟹満寺像の倍以上と判明した。三船教授は「有名な山田寺仏頭(ぶっとう)(興福寺蔵、国宝)も蟹満寺と似て肉厚は薄い。薬師寺像の重さがむしろ異常だ」と首をかしげる。

 また、奥調査官は「橘諸兄(たちばなの・もろえ)(684~757年)が創建した井堤寺(いでじ)跡(京都府井手町)は蟹満寺にも近く、最近の発掘調査で官寺級の遺構が見つかっている。井堤寺の本尊だったとする説は魅力的だ」と話している。

【メモ】蟹満寺

 奈良市の北約10キロにある真言宗の寺。発掘調査で7世紀末に創建されたことがわかった。『今昔物語集』などに、蟹を助けた娘に蟹が恩返しをする説話も残っている。

 ◆謎に迫る貴重な成果

 根立研介・京大教授(日本彫刻史)の話「蟹満寺像はその大きさとすばらしさに比べて由来が不明で、不思議な仏像の一つだ。今回の調査では多くの科学的データが得られており、謎に迫る貴重な成果といえる」


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120121-00000117-san-soci

『国宝 蟹満寺釈迦如来坐像: 古代大型金銅仏を読み解く』については次のとおり。

【以下は再び引用】

 なぞの金銅仏はいつ、どうやって造られたか 約700点の図版収録! 薬師寺像との先後関係など、仏教美術史に再検討を促す! 彫刻史上の傑作のなぞに迫る! 白鳳から天平にかかる数少ない古代大型金銅仏

刊行の意義   奥 健夫(文化庁)  
 蟹満寺釈迦如来像は薬師寺金堂薬師三尊像とともに古代大型金銅仏の遺品としてよく知られた作例であり、現在127件を数える彫刻の国宝指定物件の一つとして、文字通り日本を代表する彫刻作品である。  
 しかしながら本像に関する研究は決してこれまで多くない。それは本像が重要視されていないからではなく、本像を考える手掛かりが乏しいことによる。すなわち本像は蟹満寺に後世に移坐されたとされ、原所在地について諸説があり、その製作事情について確かなことはほとんど何もいえない状況にあった。然るに近年、蟹満寺境内発掘調査により本像が7世紀末頃に建てられた蟹満寺の本来の本尊であった可能性が提示され、それに関して反論も行われるなど議論が活発化している。 
 様式からいえばその製作年代は、7世紀後半から8世紀半ばまでの間とみられるが、その中のどこに置くかについては説が一定していない。 
 本像を論じようとするとき常に問題となるのは、本像とならぶ丈六金銅仏の遺品で、かつ像容が類似する薬師寺金堂薬師三尊像の中尊像との関係であり、この点についても薬師寺像より前に置く見方と、同像より遅れるとする見方が対立している。  
 今回行われた鋳造技法を主とする調査研究ではこれらの点について考えるうえで大きな手掛かりを提供する知見がいくつか得られた。まず蟹満寺像の重量が薬師寺像よりはるかに軽い2172kgであり、銅厚が体部の主な箇所で2~3cmほどと、非常に薄手に造られていることが挙げられる。鋳掛けにより顔立ちを修整していることが知られたのも注目すべき知見である。さらにいくつかの点から本像が?型ではなく土型で造られた可能性も示されるに至っている。調査結果の分析は慎重になされるべきであることはいうまでもないが、本像と薬師寺像との関係について従来の考え方に再考を促し、本像の美術史上の位置付けに大きく寄与するデータが得られている。そしてそれは日本彫刻史上、最大の問題の一つというべき薬師寺像論争の行方にも影響を与えるものとなろう。(本書「仏教美術史から見る調査意義」を抄録)


http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%BD%E5%AE%9D-%E8%9F%B9%E6%BA%80%E5%AF%BA%E9%87%88%E8%BF%A6%E5%A6%82%E6%9D%A5%E5%9D%90%E5%83%8F-%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%A4%A7%E5%9E%8B%E9%87%91%E9%8A%85%E4%BB%8F%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E8%9F%B9%E6%BA%80%E5%AF%BA%E9%87%88%E8%BF%A6%E5%A6%82%E6%9D%A5%E5%9D%90%E5%83%8F%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A/dp/4840620830/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1329589245&sr=8-1

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東慶寺で仏像展

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【以下は引用】

東慶寺で仏像展  重文など一堂に 4月8日まで

 北鎌倉の東慶寺で4月8日(日)まで、仏像展が開催されている。会場は、境内の松岡宝蔵で午前9時30分から午後3時まで。会期中は無休。入館料300円、入山料別途100円。

 国重要文化財の「聖観音菩薩立像」をはじめ、「香薬師如来像」「観音菩薩半跏像」、同寺20世住職の天秀尼による念持仏「阿弥陀如来立像」などを特別展示している。

 また、境内水月堂では、通常は特別拝観としている県重要文化財の「水月観音菩薩半跏像」=写真=の展示も行っている。

http://www.townnews.co.jp/0602/2012/02/17/135793.html

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仏さまと代表作 大日如来 円成寺大日如来像

運慶展


<映像でみる大日如来>
◆円成寺 大日如来
http://www.youtube.com/watch?v=ZEHY-1sUYdk
◆Unkei's Dainichi Nyorai (運慶の大日如来)
http://www.youtube.com/watch?v=btsy9PwPjTI

◆Buddhist Song 大日如来
http://www.youtube.com/watch?v=6vH1H83jZ5k&feature=related
◆東寺 立体曼荼羅の世界Ⅰ
http://www.youtube.com/watch?v=V8iFTMpi3uQ&feature=related
◆東寺 立体曼荼羅の世界Ⅱ
http://www.youtube.com/watch?v=HzUHAGHywXQ&feature=related

【以下は別ブログからの転載】

 円成寺大日如来像こそが運慶青年期のエポックメーキングな秀作というのが40年前の「定説」であったが、否、いまや運慶13~14才の頃、蓮華王院の第510号の千手観音こそ(現在確認できる)その処女作という説も強くなっている

 足ほぞに「運慶」の名があること(筆跡から後世の加筆という説もあるけれど)、なにより父、康慶ほか一派がここで働いていたのだから、「状況証拠」からは十分すぎる可能性がある。

 さらに、『芸術新潮』(1992年2月号)所収の拡大写真(p.9)をみると、(記事の構成も巧みなのだが)、円成寺大日如来像(p.11)と尊顔がよく似ており、かつ前者の生硬さがかえってその可能性を示しているようにも思う。
 分析する西村公朝師は、言うまでもなく、ここ蓮華王院で第二次大戦前後、厳しい仏師修業をし、長きにわたり多くの仏さまの修理を行った第一人者であり、その語り口には強い説得力がある。とすれば、13~14才ゆえに父康慶はじめ一門の助力、強力な指導はあったにせよ、いま見ても個性ある大人顔負けの仏像を彫った!--想像どおり、運慶は天才児であったということになろう。


http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1901985.html

【以下は本ブログからの転載】

大日如来のもつ意味

 仏教のなかの一流派として密教を捉えるか、そうではなく密教を仏教をも取り入れた新宗教として捉えるかによって、考え方は当然かわってくる。空海の「独創」は後者に立脚点があったのではないかと思う。しかし、空海が自ら打ち立てた真言宗は、時代とともに次第に前者の枠組みのなかに居場所を求めていったような気もする。

 それは、釈迦(如来)を最高神として捉えるかどうかにもよる。仏教のファウンダーともいえるお釈迦様がなにを語ったかに最高の価値をおくか、あるいはもっと大きな宗教空間・世界が存在し、釈迦をそのなかで相対的な存在として位置づけるかによって位相はかわる。実在の釈迦如来よりも架空の大日如来を評価することには仏教関係者のなかにも抵抗感があるかも知れない。

 空海が構想した彼の密教での最高神は大日如来であり、比喩的にいうならそれは太陽神信仰に結びつく。いわゆる大乗の考え方の範疇のなかでは、そしてとりわけ空海の独創的な世界観からは釈迦は控えめな存在であるかも知れない。

 空海のエピソードで釈迦如来が登場するのは、その幼年期である。しかし、その一方、両界曼荼羅の主、大日如来はなぜかくも重要な地位を与えられるのか。永貞元年(延暦24年、805年)8月10日、唐において空海は恵果から阿闍梨位の灌頂を受け、「この世の一切を遍く照らす最上の者」(=大日如来)を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられた。

 空海は大日如来の生まれ変わり、ないし「変身」。そこまでファンタジー的でないとしても、少なくとも空海の生涯の守護神は幼少期の釈迦如来ではなく、大日如来と思っていたとしてもなんら不思議ではないだろう。

 宇宙は大日如来であり、それと一体化することこそ、人を仏にする方法論であると空海は考えた。そこにいたる論理を構造的にいくえにも組み上げ、巨大な観念論の体系を打ち立てた。大日如来を頂点とし(両界)曼荼羅という緻密な体系をもった総合的な教義―それを空海は真言宗と命名する。

 密教において、次のような「五智」という根本概念がある。このうちもっとも重要、上位なのは法界体性智であり、最高神、大日如来に具現化される。

1.法界体性智(宇宙の真理を現す知慧/真理解明の智慧)
2.大円鏡智(森羅万象を鏡す知慧/鏡の如く映す智慧)
3.平等智(あらゆる機会平等の知慧)
4.妙観察智(正しい観察智慧)
5.成所作智(成就を目指す智慧)

 この五智をうけて、以下のように、五大如来(金剛界、胎蔵界の2分野がある)―五大菩薩―五大明王の4系列のヒエラルヒーが示される。なお、仏さまはすべて、中央(中尊)と東南西北の4方は配される。よって、この関係だけで最大4×5=20の仏さまが居並ぶことになるのである。

<空海、真言密教が構想した仏像ヒエラルヒー>

【如来部(金剛界)】自性輪身
    名称 :印相 :彩色
中 尊|大日如来:智拳印:白色  
東 尊|阿閦如来:触地印:青色
南 尊|宝生如来:与願印:黄色
西 尊|無量寿如来:常印:赤色
北 尊|不空成就如来:施無畏印:黒色

【如来部(胎蔵界)】自性輪身
中 尊|大日如来  
東 尊|宝幢如来
南 尊|開敷華王如来
西 尊|無量寿如来
北 尊|天鼓雷音如来

【菩 薩 部】正法輪身
中 尊|金剛波羅蜜菩薩  
東 尊|金剛薩凱菩薩
南 尊|金剛宝菩薩
西 尊|金剛法菩薩
北 尊|金剛業(利)菩薩

⇒東寺の場合の五大菩薩坐像:木造漆箔:金剛波羅蜜多96,4cm 金剛宝93,4cm 金剛法95,8cm、金剛業94,6cm、中尊・金剛波羅蜜多を除く:平安時代

【明 王 部】教令輪身 
中 尊|不動明王   
東 尊|降三世明王
南 尊|軍荼利明王
西 尊|大威徳明王
北 尊|金剛夜叉明王(天台宗では鳥枢渋摩明王)  

⇒東寺の場合の五大明王像(五尊):木造彩色(乾漆補):不動173,3cm 降三世173,6cm 軍荼利201,5cm 大威徳143,6cm 金剛夜叉171,8cm:平安時代


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仏さまと代表作 薬師如来 薬師寺薬師三尊像

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<映像でみる薬師如来>
◆薬師寺 薬師三尊
http://www.youtube.com/watch?v=yWlNu4ObAmc

◆新薬師寺 薬師如来
http://www.youtube.com/watch?v=-xpL5ukyLys&feature=related
◆新薬師寺 薬師十二神将
http://www.youtube.com/watch?v=rCIr4h9PYZ0&feature=related
◆勝常寺 薬師如来
http://www.youtube.com/watch?v=UVRy3UdLNGY
◆願興寺 薬師如来
http://www.youtube.com/watch?v=wvsLV9o7U-M&feature=related

【以下は別ブログからの引用】

薬師寺薬師三尊像について考える

 日本彫刻史上の最高傑作のひとつは、薬師寺の薬師如来三尊立像と聖観音立像でしょう。こうした巨大なブロンズ像(破片の含有量分析では99.9%が銅)が、当時の日本で造られ、今日に伝えられていることは本当に驚くべきことです。
 享禄元年(1528年)の火災では三尊も火を浴び金色剥落、光背なども失われましたが、今日のお姿は奇跡的に残りました。また、明治以降も地震の影響で、月光菩薩の首が落ちそうになり、中子(なかご:中空の鋳物を作る際に、中空となる部分に入れる鋳型。なお、外形の鋳型は主型(おもがた)という)を切り落として首をいったん下ろしました。いまも首筋に痛々しい亀裂(手術のあとの線条のようです)があり、これで日光、月光のお顔はすぐに判別可能です。今日までこうした遺産を受け継いできた無名、無数の人々の献身、努力に対して、まずは心から感謝したい気持ちです。

 金堂の本尊は、正確な製造時期は特定されていませんが、7~8世紀頃の造像といわれます。薬師寺自体に、いまだ決着のついていない明治以来の複雑な「移転論争」があることから、この仏さまも藤原薬師寺から移転されたものか(その場合は白鳳時代の作品、白鳳「移座説」)、あるいは、現在地で鋳造されたものか(天平「新鋳説」)によって年代が違ってくるわけです。
 専門家にとっては重要な論争でしょうが、制作年限の差は千年単位でみれば誤差の範囲です。むしろ、より本質的ないくつものユニークな特色があります。

1.銅像かつ大振りの像容

 三尊、聖観音ともブロンズ(銅像)。真中におあす薬師如来は254.7㎝、左脇侍(向かって右)の日光菩薩は317.3㎝、右脇侍の月光菩薩は315.3㎝と非常に大きな仏さまです。その大きさは遠くでは実感できませんが、近くで拝観するとその見上げるボリューム感に圧倒されます。
 日光、月光両菩薩の正確な図版を、ネガ、ポジ変換して重ねると、両者はピタッと一致するともいわれます。見事なシンメトリー(左右対称)性が確保されている、三尊のバランスに配意し大振りな造像をここまで巧緻になしえた当時の工房の腕の確かさは驚異です。

2.唐の影響を強くうけている

 平城京遷都1300年記念の大遣唐使展では、米国・ペンシルバニア大学博物館蔵「観音菩薩立像」(Loaned by the University of Pennsylvania Museum of Archaeology and Anthropology,Philadelphia, U.S)が出展されました。聖観音立像とならんで見比べることができましたが、両像は多くの共通点を有し、日米別個の研究でも唐の影響が強いとされています。


観音菩薩立像(Loaned by the University of Pennsylvania Museum of Archaeology and Anthropology,Philadelphia, U.S
→http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-156.html

3.当時の唐は異文化の坩堝であった
 
 しかし、ここで難しいのは、唐の影響といっても、当時の最先進国たる大国・唐には世界の文物が流入し、文化の爛熟がみられ、一種の文物の坩堝であったことです。その場合、固有の唐文化とはなにか、という問題があるということです。
 たとえば、聖観音の造作はやや生硬で「初唐」の、三尊の体躯は豊満、成熟し「盛唐」の影響があるともいわれますが、私は両者造像時期に差はない、と思っています。なにより、当時の工房の隔絶した実力は、この両作品を見れば一目瞭然で、様式に微妙な差をもってつくることはなんら難しくはなかったのではと思います。以下、薬師三尊像の特色を見てみます。

(1)三曲法:脇時の体躯の見事な曲率

 顔,腰,足にひねり等を加えて傾きの方向を三回変えて,腕,指先等に流れるようなラインを演出し,体全体をしなやかに見せる技法は「三曲法」といわれます(ほかにも別の技巧で「三屈法」というのもありますが、当時から一種のマニュアル化があったということでしょうか)。
 左脇侍の日光菩薩を例にとると,まず顔を中尊の方,すなわち右に向けさせ,次に腰を同じ方向にひねり,足は右足に重心を置き左足は「やすめ」の格好となります。これはインド・グプタ朝の彫刻様式などの影響が、唐時代の中国を経て日本へ伝わったもの、つまりは「三国伝来」の手法といわれます。


http://kawai51.cool.ne.jp/i-pala-tyouzou.html

(2)風水学:中尊の台座

 中尊を支える台座、正面からみると裳を広げた裳懸座であり、全体はその形象から宣字座といいますが、その裏には、ギリシア、ペルシア、インド、そして中国へとシルクロードなどを経由して伝わったとされる葡萄唐草文、蓮華文や蛮神・異国風の人物(立ち上がった邪鬼のようにも見えます)、四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)などのレリーフがあります。
 葡萄唐草文はギリシアからの影響で豊穣な大地の実りを意味し、外框の蓮華文はペルシア伝来といわれます。蛮神・異国風の人物は「蛮人」とも呼称されますが裸形、蓬髪の姿の源流は、インドやガンダーラにあるとのことです。
 そのうえで、個々の意匠を総合して、一体なにをあらわそうとしているのか、興味は尽きませんが、全体の発想としては、伽藍配置をふくめ中国直入の風水学の影響が顕著であることは確かでしょう。


http://www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_kondo.html

風水による都市計画
→http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-164.html

(3)尊顔の威厳

 ご尊顔は威厳にみちたものです。体躯の豊満さとは異質の厳しくも包容力のある<慈悲>の心を体現しています。よくぞ、ここまで超越的な仏のお顔を鋳ることができたと誰しも思うことでしょう。
 中尊薬師如来は、下記の「東塔檫銘」あるとおり、「巍巍蕩蕩(ぎぎとうとう)たり薬師如来、大いに誓願を発し、広く慈哀を運(めぐら)す」とされます。多くの解説書には、「巍巍」とは高い峰のように大きく堂々としている様子、「蕩蕩」は大河のように広くゆったりとした様子と記されますが、それはご尊顔に結集されていると感じます。
 いまは失われ見ることができませんが、奈良時代に建立された東大寺大仏(現在は江戸時代の後補)、そして本像との共通点もある蟹満寺本尊なども意図的に「巍巍蕩蕩」に鋳造されたと考えられます。おそらく当時の匠の頭には、鎮護国家のシンボルはかくあるべしとの考え方があったのではないでしょうか。

    「東塔檫銘」
維清原宮馭宇
天皇即位八年庚辰之歳建子之月以
中宮不悆創此伽藍而鋪金未遂龍駕
騰仙大上天皇奉遵前緒遂成斯業
照先皇之弘誓光後帝之玄功道済郡
生業傳劫式於高躅敢勒貞金
其銘曰
巍巍蕩蕩薬師如来大発誓願廣
運慈哀猗<嶼の偏が犭>聖王仰延冥助爰
餝靈宇荘厳御亭亭寶刹
寂寂法城福崇億劫慶溢萬


http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8ba5.html

蟹満寺について
→http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-59.html

4.もうひとつの<三尊>

 薬師寺で興味深いのは、大講堂に「もう1セット」のブロンズの三尊像があることです。しかも、これが金堂三尊同様の大きな立派なものであるということです。
 本尊267.5㎝(金堂薬師本尊254.7㎝)、左脇侍288.7㎝(金堂日光菩薩317.3㎝)、右脇侍301.4㎝(金堂月光菩薩315.3㎝)と金堂三尊と比較しても遜色のないボリューム感です。しかし、<表と裏>、<陽と陰>ではありませんが、燦然と日本仏教彫刻史の頂点に位置する金堂三尊にくらべて、講堂三尊は日陰の身、といっては言いすぎかも知れませんが、ひそやかな存在であまり注目されません。市販本の図版でも、ほとんど紹介されないか、扱われる場合でも小さな扱いのものが多いこともその証左でしょう。
 その理由は出所、由来がまったく異なっているからです。まず、下記の薬師寺自身の説明(引用)にあるとおり、阿弥陀→薬師→弥勒と尊称をかえており、かつ、その造像時期を巡っても、金堂三尊に先立つ白鳳期説から、後世の模糊作説まであり、はっきりとしません。
 さらに、本尊と脇侍ではいささか作風が異なり、当初からこの三尊が同一セットであったかのかどうか、疑問もあります。金堂三尊の「水も漏らさぬような」一体的統一感にくらべて、講堂三尊では、本尊の古式の表現と脇侍のやや写実的な趣きとはたしかに違いがあります。後補、修理などの後世の手が入っているため、一層難しさもあるのでしょう。

 興福寺東金堂の日光、月光菩薩について、かつて少しく書きましたが、この三尊についても興味をそそられます。改めてまた考えてみたいと思います。


http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1857412.html

【以下は薬師寺HPからの引用】

弥勒三尊像 【重要文化財】 白鳳~天平時代

 薬師寺は法相宗の大本山です。その法相宗の唯識教義を説かれた弥勒仏をお祀りするのが本来の在り方です。

 天平時代には西院正堂のご本尊は弥勒浄土相の障子絵でした。またその北側には玉華寺[ぎょっかじ]の玄奘三蔵の御影像も安置されていました。玉華寺とは玉華宮殿を玄奘三蔵の経典翻訳所として改めたもので、地上の兜率天宮とも呼ばれました。大講堂に安置されている弥勒三尊は、近世の早い頃から西院弥勒堂の仏様でした。向かって右は法苑林菩薩[ほうおんりんぼさつ](左脇侍)で、左は大妙相菩薩[だいみょうそうぼさつ](右脇侍)です。ところが江戸時代になって講堂を再建するために、もとの講堂本尊の阿弥陀繍帳にちなんで阿弥陀三尊と名称を変えてお迎えし、さらに明治以降は、本薬師寺旧仏とのからみから薬師三尊と名称を変えてお祀りしてきました。しかし、平成15年(2003)に大講堂が復興されるに当たって、法相宗の薬師寺にふさわしく、もとの西院弥勒堂のご本尊の由緒を継いで頂くとともに、本来の正しい尊名にお戻り頂くことになりました。

 今後は、大講堂ご本尊を「弥勒三尊」として親しんでお参り頂き、また大講堂を唯識教学の真の研鑚道場として活用していきたいと願っております。
http://www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_daikodo.html

【以下は過去のブログ】

銅造薬師如来及両脇侍像(薬師寺金堂)と銅造観音菩薩立像(薬師寺東院堂)

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-69.html
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-94.html

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-83.html

【参考文献】
長谷川誠・入江泰吉『薬師寺 金堂薬師三尊と聖観音』1974年 岩波書店
大橋一章『法隆寺 薬師寺 東大寺 論争の歩み』2006年 グラフ社
大橋一章 松原智美編著『薬師寺 千三百年の精華 美術史研究のあゆみ』2000年 里文出版
※講堂三尊については同書所収 小林惠英「講堂薬師三尊像」pp.150-185を参照
安田暎胤『住職がつづる 薬師寺物語』2004年 四季社

(注)金堂薬師三尊の造像時期について、長谷川誠氏は白鳳時代説、一方、大橋一章氏は天平時代説。なお、講堂三尊について長谷川誠氏も上記において丁寧に記載している。

http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1891898.html

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仏さまと代表作 阿弥陀如来 浄土寺阿弥陀如来三尊像

浄土寺阿弥陀三尊


<映像でみる阿弥陀如来>

◆浄土寺 阿弥陀三尊
http://www.youtube.com/watch?v=6uu2XPAs8uA&feature=related

◆阿弥陀如来Ⅰ
http://www.youtube.com/watch?v=kVcOAZ_mozA
◆阿弥陀如来Ⅱ
http://www.youtube.com/watch?v=VMbgOP8tjdQ
◆法隆寺 阿弥陀三尊
http://www.youtube.com/watch?v=4fgtBt5_Uow&feature=related
◆阿弥陀如来および両脇侍立像(善光寺式三尊像)
http://www.youtube.com/watch?v=8vb27I_KL60

【以下は本ブログの再掲】

浄土寺阿弥陀如来三尊像について考える

 ある日の午後、贅沢にもこの阿弥陀三尊立像を(ご住職以外)、一人で思うさま拝観していて感じたのは、快慶がこの三尊を全方位マルチに見せることを強く意識していたのではないかということである。真正面から仰ぎ見るのがもちろん常道ながら、真横に立ってみる脇侍のプロフィールは鋭角的な目鼻立ちが森厳さをたたえ、やや斜めから三尊の表情を拝すれば柔和な面立ちにまた別の感興をもつことであろう(ご住職は、向かって右斜めからの仰角を推奨しておられた)。
 つまり、堂内をぐるぐると回行し功徳をうることを念頭においていたのでないかという勝手な想像をした。そして、この想像は、<チーム運慶>の興福寺北円堂諸像の作造のあり方や鑑賞法へも直結する(また、東大寺二月堂の修二会、いわゆるお水取りの日、堂内で行なわれる修業へと連想は広がっていく)。

 浄土寺は重源ゆかりの寺である。播磨別院の淵源は聖徳太子に、そして帰化人にいきつくように思うし、ここは太子と関係が密接な鶴林寺とも近い。豊かな風土、富の蓄積とともに、浄土寺のある小野はかつて算盤の生産で知られた。古代から優秀な帰化人がここに住んでいたのではないか。その伝統あればこその別院が設けられたのではないかとも思う。


◆「鶴林寺(兵庫加古川市)」(2010/12/11)
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1879505.html

 その重源と快慶の親密さはよく指摘されることであり、両者は固い絆で結ばれていたともいわれる。そして、浄土寺についても以下のような見方がある。

【以下は引用】
 重源は東大寺再建に際し、西行に奥羽への砂金勧進を依頼している。更に東大寺再建のためには時には強引な手法も用いた。建久3年9月播磨国大部荘にて荘園経営の拠点となる別所(浄土寺)を造営した時及び周防国阿弥陀寺にて湯施行の施設を整備した時に関係者より勧進およびその関連事業への協力への誓約を取り付けたが、その際に協力の約束を違えれば現世では「白癩黒癩(重度の皮膚病)」の身を受け、来世では「無間地獄」に堕ちて脱出の期はないという恫喝的な文言を示している。また、文治2年7月から閏7月にかけての大仏の発光現象など大仏再建前後に発生した霊験譚を重源あるいはその側近たちによる創作・演出とする見方もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%BA%90

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-268.html

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仏さまと代表作 釈迦如来 法隆寺金堂釈迦三尊像

法隆寺釈迦三尊N1

<映像でみる釈迦如来>

◆法隆寺 釈迦三尊
http://www.youtube.com/watch?v=IXH9WzXc7pE&feature=related
◆法隆寺 金堂の諸仏
http://www.youtube.com/watch?v=bnRkjBhJ0lg&feature=fvwrel

◆西大寺 釈迦如来立像
http://www.youtube.com/watch?v=iloIAkqieSE
◆室生寺 釈迦如来立像
http://www.youtube.com/watch?v=vQVVnJXR6Tc&feature=related
◆願興寺 釈迦三尊
http://www.youtube.com/watch?v=Pj9N1EsvgVo&feature=related
◆穴太寺 なで仏(釈迦涅槃像)
http://www.youtube.com/watch?v=nPgTTSkPdII&feature=related

【以下は本ブログの再掲】

法隆寺金堂釈迦三尊像について考える

【釈迦三尊】
 仏像配置の1形式である三尊仏の一種。釈迦如来を中心に,左に薬王菩薩,右に薬上菩薩,または左に文殊菩薩,右に普賢菩薩を配する。
  法隆寺金堂の本尊である釈迦三尊像は,鞍作鳥(止利仏師)が623年につくったものといわれ,左右対称の厳格な構成など,飛鳥彫刻の特徴を示す代表作であり国宝。

【鞍作鳥】
 7世紀初ごろ飛鳥時代の代表的な仏像彫刻師。渡来人で仏教をつたえたといわれる司馬達等の孫で,止利仏師ともいわれ,聖徳太子に用いられた。その作風には中国の北魏の影響が見られる。代表作に法隆寺金堂の釈迦三尊像がある。「鳥」は「止利」とも書く。

http://kids.gakken.co.jp/jiten/3/30024490.html

 さて、この釈迦三尊像については、恐るべきシンメトリーさが隠されている。その点を学生時代に少しく書いたことがある。また、光背などにみる文様分析もその時に囓った。意匠を見抜くには図版のほうが良い場合もあるが、法隆寺金堂から上御堂へ移座された釈迦三尊像をこの目でいくども観察して、その尊顔の素晴らしさに魅入りながら、この仏様には「稚拙さ」などとはほど遠い完成度が秘められていると感じた。止利(工房)の渾身の作であったことは間違いないが、この釈迦三尊と同じ(ないし類似)タイプの、より巨大なものも別に鋳られ、炎上前の(旧)法隆寺に鎮座したかも知れない。何故なら、同じ止利(工房)の飛鳥寺の釈迦仏の大きさとこの釈迦三尊の大きさは、「丈六」と言われてもあまりにも合わない。後者は抜群に優れているがあまりに小さく見える。
 鋳造された年月を信じるとしても、これはいまの法隆寺金堂のために造られたのではなく、有力な関連寺院に置かれた客仏で、金堂建立(再建)時に移設された可能性が高いというのが小生の勝手な意見であり、これについては以前も書いた。
 一種の<サンプル作>であるとすれば、あらゆる意味でさまざまな意匠を実験、積載しており、だからこそシンメトリーさや文様だけでなく、当時の粋を結集している、また、鋳直しの謎も解明できるのではないかと思う次第である。
 様式論にはあまり興味がないが、その尊顔の厳しさとともに角度によってかいま見せる慈しみの優しさ、また、後世の剥落の影響からか、全般に漂うほの寂しさなどの<複雑な印象>は、生前の聖徳太子を写したという伝説にリアリティを与える。その一方、険しくも高貴なお顔からは、既に人心をこえた超越的なものを感じさせずにはおかない。<神>を鋳てさらに仕上げて彫ったと言ってよいと思う。
 なお、語るべき点は多いけれど、いままでに心に浮かんだ感想のひとつの凝着である。

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-97.html

(上記文章に先立って書いた文章)
 法隆寺金堂の須弥壇が修理中ということで、いまは釈迦三尊像と薬師如来座像が上御堂に「緊急避難」しておられる。普段は金堂の暗闇のなか、遠方から懐中電灯を照らして、なんとか拝観できるこれらの仏様が、この期間中は上御堂の前面におわし、白日のもとおそば近くで接することができる。

 時間のたつのも忘れてじっと凝視していたが、突然、ある疑問が湧いてきた。法隆寺再建・非再建論争は措くとしても、この釈迦三尊像は、かっての、あるいはいまの金堂ができたとき、本来の「あるべき」ご本尊として造られたのかどうかについての問いである。私は金堂の内陣の大きさや脇侍の像高のある四天王に対して、不釣り合いにあまりに「小さすぎる」のではないかと思ったーーこの感覚は、お側近くに接してはじめて今回もつものであった。イマジネーションが増し、それ以前のどこかの極めて所縁のある寺院から運ばれた<客仏>ではないか・・・。

 少なくとも当初、若草伽藍におわしたご本尊は、いまの飛鳥寺(旧法興寺)の釈迦如来像と同様な「丈六」の仏様でなければ据わりが悪いのではないか。また、若草伽藍が焼失した際に、本来の、あるいはいまの釈迦三尊像を機敏に運び出せたとは常識的にはとても思えない。よって、若草伽藍とともに当初造像され仏様は灰燼に帰した可能性が高く、その後、建立された現在の伽藍にあって、金堂にふさわしい本尊をもっとも近しいお寺から運んできたのではないかと思った次第である。これは、上原和氏がかって指摘されていた視点とも符合する。

 一方、高田良信編・著の『聖徳太子の生涯と信仰』法隆寺刊 1995年を読んでいると、再建された頃の法隆寺の懐具合はけっして楽ではなかったようだ。しかし、高田師は上記のような見解はとられておらず、若草伽藍があった時代に同時併行的に現堂宇の建立ははじまっており、釈迦三尊像も古い時代に造像され、新金堂には運ばれたとのご意見だが、仮に十分な資金がなかったとすれば<客仏>説にも一定の合理性はあるようにも思う。

 よく尊顔の表情の厳しさなどの様式史から、釈迦三尊像は早い時期に造像され、薬師如来像はそれとの対比で時代が下るとの説もなされるが、釈迦三尊像の二等辺三角形を徹底して意識した構図や、本尊と両脇侍の目線の位置の絶妙なバランス感覚などでの秀でた意匠性は、<プリミティブさ>からは無縁であり、様式史をもって単純に年代が遡るとは言えないと思う。銘文は重視しつつも、このあたりはもっと考えを巡らす必要がありそうだ。

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-58.html

(さらに、それ以前に書いた備忘録)
 法隆寺釈迦三尊に注目してみよう。
 これについて詳述しているのは<望月:前掲書>である。飛鳥彫刻の源流には2系譜があり、釈迦三尊を北魏系とし、それに対して百済観音を南梁系として両者の特色を大陸の事例との比較で検討していく。釈迦三尊の北魏系は、磨崖仏の伝統から「浮彫」的な技法にあり、一方、百済観音の南梁系は「丸彫」りを特色とする。そこから前者には正面観照性があるとされ、後者は背面を含むあらゆる角度からの観賞にたえるとされる。
 <望月>は、飛鳥時代の2系譜のうち前者は大陸の完全模倣、後者は日本的な展開の萌芽といった分類で論陣をはっているが、これは戦中の意識を色濃く反映しているようにも思う。即ち、大陸模倣(釈迦三尊)よりも日本的な特質の源流(百済観音)を上にみる見方である。それは第5章の結言にも読み取ることができる。

 <佐和>では驚くべきことに釈迦三尊についての記載がほとんど存在しない。止利の確定現存作を飛鳥寺釈迦如来像に限定し、徹底的な資料考証からのみ検討を行っている。日本書記を読み込んで、そこからの事実認定で作品の時代を特定していく方法論をとっているが、それはそれで面白い。しかし、釈迦三尊についてほとんど無視する姿勢は専門家としてはやや狭量にすぎる感は否めないだろう。

 <和辻>も、<佐和>と同じく釈迦三尊をほとんど記載せず百済観音に多くの紙幅をさいている。さらに<吉村>は釈迦三尊を全く取り上げていない。それに対して<亀井>は<望月>的なアプローチを参考にしながらも、こうした様式論、文献史学に対して一定の否定的な見解を示し、資料から止利の人間的な謹厳実直さを垣間見ようとしている。<竹山>はここでもユニークな見解で、堂宇で遠くから目視する釈迦三尊と写真で近接してみる違いから印象論を展開していく。

 <野間>は時代が下った論文であり、それ以前の論点を整理していく。まず、<望月>のように飛鳥時代に2系譜を並立させるのではなく、南梁系の諸作を後の白鳳時代の作としてここに時間差を置いている。また、<佐和>のような文献接近の方法論も意識しているが、実はこの背後には有名な法隆寺再建、非再建論争がある。両陣営に分かれた大論争の渦中にあっては、時代考証に当時慎重な見方があったとしても仕方がなかったかも知れない。これについては次の事実が最近、確認されている。


 「2004年(平成16年)、奈良文化財研究所は高精度デジタルカメラ(千百万画素)で撮影した画像による年輪年代測定の結果を発表した。それによると、法隆寺金堂、五重塔、中門に使用されたヒノキやスギの部材は668年(天智7) - 685年(天武14)ころに伐採されたものであるとされ、法隆寺西院伽藍は7世紀末の再建であることがあらためて裏付けられた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA 

 自分は、素人ゆえに仏像への根本的な見方では<亀井>に共感するが、好きな仏様と邂逅すれば、より知りたくなるのも当然。その意味では<野間>の見解が素直でもっとも参考になる。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-10.html

(参考)
NHK/法隆寺展特集
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-82.html

国宝 法隆寺金堂展
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-83.html

法隆寺再建の謎
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-98.html

NHK 法隆寺
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-178.html

法隆寺を歩く
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-185.html

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