大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

仏さまの慈悲

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 とても悲しいときに仏さまのまえに立って、じっとそのご尊顔をあおぐ。こころに仏さまの慈悲が一瞬でもしみわたってくるなら、どんなにか癒やされることだろう。
 それは、自らのいかんともしがたい悲しさを、仏さまがすべて見透かしておられると感じることで、こちらのこころにかえがたい安寧をあたえてくださるということかもしれない。
 たくさんの仏さまのお姿を知っているけれど、では、こうしたときに真っ先にどの仏さまのまえにすすむべきか。不詳。ふと、小さな、名もしれぬ、古の金銅仏かもしれないときょうは思う。

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48メートルの阿弥陀仏像、江西省に誕生

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 中国の勢いはさまざまな領域におよんでいる。以下のニュースも、そのスケールがいかにもいまの中国らしい。

【以下は引用】

48メートルの阿弥陀像、近く完成 2012.5.10 05:00

 江西省九江市星子県で続けられている世界最高の阿弥陀仏銅像「東林大仏」の制作が終わりに近づいている。近く無料で一般公開される。大仏の高さは48メートルで、形は盛唐時代の仏像の優れた点を取り入れている。浄土宗の発祥地、東林寺が制作している。(中国新聞社)
http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/120510/cpd1205100500000-n1.htm

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世界で最も高い阿弥陀仏像、江西省に誕生

  新華社江西:記者が星子県旅游局獲から得た情報によると、江西省星子県温泉鎮で世界で最も高い阿弥陀仏銅像―東林大仏がほぼ完成した。来年初めには全ての工程が竣工する予定。
東林大仏プロジェクトの関係者によると、高さ48メートルの東林大仏は竜門石窟等、唐最盛期の仏像の特徴を取り込んだ現代最高水準の宗教技術作品で、世界で最も高く、また中国唯一の露天阿弥陀仏像だ。仏像の製造のほか、浄土文化区や新東林寺、比丘尼院、隠逸文化区、安養区、海会堂、大徳精舎区などの施設も造られている。
【翻訳編集:JCBB(H.A)】

http://xinhua.jcbb.jp/xinhua/next?uid=NULLGWDOCOMO&nid=20111122W31760&cid=0104&contid=01&fsid=nl&nsid=n&nsid=n&langdiv=J

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もっとも高さだけであれば、日本にもスーパー巨大級の仏さまがおあす。牛久大仏である。

【以下は引用】

120メートルは慈悲の大きさ 牛久大仏 2012.5.4 12:00

 東京から約50キロ離れた茨城県牛久市に巨大な大仏がある。高さ約100メートル。台座も入れると120メートルに達する。米ニューヨークの「自由の女神」(台座を含めて約93メートル)をしのぐ高さで、ギネスブックにも「世界一高いブロンズ製の仏像」として登録されている。

 平成5年、浄土真宗の拠点に建立され、同年から一般公開されている。周辺から拝むだけでも御利益がありそうだが、背面から大仏の中に入ると、さらに霊験あらたかな気持ちになる。

 「光の世界」「知恩報徳の世界」「蓮華蔵(れんげぞう)世界」「霊鷲山(りょうじゅせん)の間」に分かれ、どのフロアも神秘的な空間に包まれている。中でも大仏の中での写経(約70席)は、心が洗われる非日常体験だ。

 そもそも、桁外れの大仏様を建造した目的はどこにあったのか。

 牛久大仏管理事務所は「阿弥陀如来の慈悲の大きさを表現するために120メートルになった。奈良や鎌倉の大仏様を意識したわけではありません」と説明する。大仏内はエレベーター付きで、地上85メートルからの眺望は圧巻。南西の空にスカイツリーも見渡せる。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120504/trd12050412000008-n1.htm

牛久大仏


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土門拳 沖縄で展示会

土門拳2

 沖縄で土門拳の写真展があったとの記事。その内容が面白いので以下に貼り付けておく。

【以下は引用】

[大弦小弦]土門拳の写真に圧倒された。仏像…
2012年5月18日 09時20分


 土門拳の写真に圧倒された。仏像、古寺、風物、古陶。被爆者に寄り添った「ヒロシマ」。極貧の筑豊で生きる子どもたち

 ▼那覇の県立博物館・美術館で土門作品と向き合い、「鬼の土門は気合一辺倒ではない」と、あらためて感じ入った。カメラアングル、光の使い方、構図やバランスがいい。レンズを絞り、ピントも鋭い

 ▼会場で、玄人はだしの土門の絵を見て、納得した。授業料を免除させた絵の才能が、写真での成功をもたらしている。ファインダーの世界はカンバスとなったであろう。加えて、貧しかった家庭は弱者をいたわる心を育てた

 ▼土門は、日本人カメラマンの逸話を綴(つづ)った「瞬間伝説―歴史を刻んだ写真家たち」で、全身全霊で撮影に打ち込む猛々(たけだけ)しいが憎めない男として描かれている。闇夜に炎が走る東大寺二月堂の「お水取り」に苦心惨憺(くしんさんたん)、気合で撮る

 ▼作家川端康成の撮影を渋々承諾するも、「あの男のめし、食わないよ」とのたまう。が、リアリズムを体現する土門はその日、心の底まで暴こうと肉薄する。その写真が展示されているのは面白い

 ▼人々を感動させる一瞬を切り取る写真の妙味は、巨匠だけの特権ではない。県内の個展やグループ展にも光る写真がいくつもあった。〝沖縄のいま〟を斬新に切り取る写真家が輩出してほしい。(福島輝一)

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-05-18_33885/ 【“土門拳 沖縄で展示会”の続きを読む】

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秦河勝、蜂岡寺を創建

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とても興味深い記事が掲載されていたので、以下に引用する。このシリーズはほかにも役にたつ記事があるかもしれない。

【以下は引用】

<決断の日本史(125)>603年11月1日 秦河勝、蜂岡寺を創建
2012.5.29


■聖徳太子の新羅仏いまに

 秦河勝(はだの・かわかつ)は約1400年も昔の人物だが、京都ではいまも特別な愛着をもって語られている。聖徳太子から弥勒(みろく)菩薩像を下賜(かし)され、太秦の広隆寺を創建したからである。

 推古天皇の11(603)年11月1日、聖徳太子は小墾田宮(おはりだのみや)(奈良県明日香村)で、群臣を前に「私の持っているこの尊い仏像を祀(まつ)る者はいないか?」と問いかけた。

 そのとき、河勝が進み出て仏像をもらい受け、蜂岡寺(はちおかでら)を建てたと『日本書紀』は記す。広隆寺は蜂岡寺の後身で、国宝第1号の「弥勒菩薩半跏(はんか)像」こそ、この像とされている。

 河勝はなぜ、仏像を引き受けたのだろう。従来は聖徳太子と河勝の間の、深い信頼関係だけで説明されてきた。しかし昨年末、伝記『秦河勝』(ミネルヴァ書房)を執筆した井上満郎・京都市歴史資料館長(日本古代史)は次のように言う。

 「秦氏は5世紀後半、土木や織物などの先進技術を伝えた渡来氏族です。出身地は朝鮮半島東部の新羅だったと私は考えています。問題の像が新羅仏だったので、もらい受けた。河勝は新羅仏教の日本側の受け手だったのではないでしょうか」

秦氏の一族は京都盆地にやってきて、西部を南北に流れる大堰川(おおいがわ)に堰(せき)を築いた。嵐山・渡月橋(とげつきょう)のあるあたりである。ここから引いた水で、原野だった嵯峨野一帯を耕地に変えた。

 こうした技術が、のちの桓武天皇による平安遷都にもつながった。「平安京の大内裏は河勝の邸宅跡に建てられた」との伝承も生まれたのである。

 河勝は推古18(610)年、新羅使を接遇する役目を果たした。また皇極天皇3(644)年には、駿河地方に派遣され、邪教を広めていた豪族を討ち果たしている。長命で、国家に功の多い生涯であった。(渡部裕明)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120529/art12052907400002-n2.htm 【“秦河勝、蜂岡寺を創建”の続きを読む】

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