大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

唐招提寺  ドイツ製LEDライトで一新

唐招提寺
設置されたばかりのLEDライトが仏像を照らす新宝蔵=8月31日、奈良市五条町の唐招提寺

【以下は引用】

細部くっきり天平仏 - 新宝蔵にLED照明/唐招提寺

2012年9月2日 奈良新聞

 奈良市五条町の唐招提寺で、寺宝を収めた新宝蔵の照明が、ドイツ製のLEDライトに一新され、1日から公開された。金堂から降ろされた国宝の鴟尾(しび)や天平仏が細部まで拝観できる。

 新宝蔵は昭和45年に完成し、照明設備として40本の蛍光灯が設置されていた。ただ同照明は光量を調整できない上、鴟尾の照明が逆光で拝観者に不評だったという。

 このため、今年7月から約900万円をかけて設備を一新。蛍光灯を撤去して42基のLEDスポットライトに付け替えた。1基ごとに光量や角度を調整でき、照明の専門家に演出を依頼した。

 新宝蔵には一木彫像の傑作とされる衆宝王菩薩立像(重要文化財)や高さ約3・5メートルの大日如来坐像(同)など、19件の宝物が展示されている。

 松浦俊昭執事は「天平の宝物を平成の光で存分に見てもらえれば」と話している。

 新宝蔵の公開時間は午前9時から午後4時まで。拝観料は中学生以上100円、小学生50円(入山料別)。問い合わせは同寺、電話0742(33)7900。

http://www.nara-np.co.jp/20120902114823.html
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平等院鳳凰堂 56年ぶりの大修理

平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂の大修復を前に行われた本尊の魂を抜く儀式=京都府宇治市で2012年9月3日午前11時16分、小松雄介氏撮影

【以下は引用】

平等院鳳凰堂:56年ぶり大修理 菩薩像の魂「引っ越し」

毎日新聞 2012年09月03日 13時24分(最終更新 09月03日 13時35分)

 京都府宇治市の平等院で3日、鳳凰(ほうおう)堂(国宝)の56年ぶりの大修理が始まり、工事の前に本尊・阿弥陀如来坐像(ざぞう)と、堂内の壁に52体ある雲中供養菩薩(ぼさつ)(いずれも国宝)の魂を抜く「撥遣式(はっけんしき)」があった。作業中は鳳凰堂全体が素屋根で覆われ、2014年3月末まで拝観停止となる。

 鳳凰堂の修理は1950〜56年以来で、事業費は約4億円。瓦や壁、柱の傷みを修復するとともに、柱を1053年の創建当時の赤によみがえらせ、屋根にある一対の鳳凰(レプリカ)も金色に復元する。お堂は解体せず仏像も移動しないが、騒音を避けて魂だけを移す。

 式典では僧侶の読経の中、神居文彰住職が樫(かし)のつえで空中に円を描いて本尊などの魂を大理石製の宝玉に移し替えた。

 工期中も庭園やミュージアム鳳翔(ほうしょう)館は開館し、拝観料は通常の半額(一般300円)となる。【村瀬達男】

http://mainichi.jp/select/news/20120903k0000e040188000c.html
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特別展 湖北の観音 

特別展 湖北の観音

【以下は引用】

 琵琶湖の北端に位置する湖北地方は、仏教文化財の宝庫です。中でも観音菩薩像が濃密に分布し、集落の数に匹敵するほど多くの観音像が今なおこの地に伝えられています。「観音の里」と称される旧伊香郡地域の仏教文化財は、奈良・平安時代にさかのぼるものが多く、その内訳は十一面観音、聖観音、千手観音、馬頭観音など、バラエティーに富んでいます。
 この地域はかつて、東にそびえる己高山(標高923m)を中心として繁栄した仏教文化圏に属していました。応永14年(1407)、天台宗の法眼春全によって記された『己高山縁起』(鶏足寺蔵)によると、「この山は近江国の鬼門にあたり、いにしえより修行場であった。そこへ行基(688から749)が訪れて仏像を刻んで寺を建て、また泰澄(682から767)が修行場とし、のちに最澄(766から822)が訪れ“白山白翁”と名乗る老人の勧めによって再興した」とあります。
 つまり、近江国の鬼門として古代より霊山と崇められてきた己高山は、交通の要所にもあたることから、奈良時代には中央仏教と並んで北陸白山十一面観音信仰の流入があり、さらに平安期に至っては比叡山天台勢力の影響を強く受け、これらの習合文化圏として観音信仰を基調とする独自の仏教文化を構築したことが窺われます。
 平安時代以降、天台宗傘下として己高山を中心に栄えた湖北の寺々は、室町期頃には弱体化し、かわって浄土・曹洞・一向(浄土真)宗・時宗らのいわゆる新仏教が、自治能力を高めていった農民勢力の台頭に併せて勢力を伸ばしていき、また己高山寺院は真言宗との結び付きを深めていったようです。
 そして村々にあった天台寺院の多くは次第に衰退して無住・廃寺化し、そこに残された尊像たちは、宗派・宗旨の枠を越えて、村の守り本尊として民衆に守られていきました。中近世においては、神と仏は一体であり、氏神ならぬ「氏仏」という考えがあったことによります。また、戦国時代には、湖北は幾度も戦乱の舞台となりましたが、その度ごとに民衆は、仏たちを身を挺して守ってきたというエピソードも事欠きません。各集落に伝わる観音をはじめとする仏たちは、村全体の信仰の象徴(氏仏)として、江戸時代を経て、今の住民に引き継がれてきました。

□ 主催 長浜市長浜城歴史博物館
□ 会期 平成24年9月7日(金曜日)から10月14日(日曜日)
□ 会場 長浜市長浜城歴史博物館2・3階展示室
□ 開館時間 午前9時から午後5時(入館は午後4時30分まで)

(主要展示仏)

湖北の仏像1
木造十一面観音立像 余呉町坂口 菅山寺蔵

 漆を用いた特殊な仏像制作技法で造像された乾漆像(かんしつ)である。中国の唐朝と日本の奈良時代に行われた。木心乾漆(もくしんかんしつ)は、木で心木を造り、その上に木粉に麦漆を混ぜた「木屎漆(こくそうるし)」を厚く盛り上げ塑形・彫像してゆく。手指などの細い部分には、針金を芯に用いる。本像は、近年の調査で滋賀県内で四例目の木心乾漆像であることが判明した。像背面墨書と台座裏墨書銘から、寛政13年(1801)に天神九百年忌を記念して、彦根藩家老・木俣守前(もりちか)と母・清玉院によって菅山寺に寄進されたものである。
【奈良末期~平安時代初期 像高 102.8センチメートル】

湖北の仏像2
木造聖観音立像 弓削町  来現寺蔵

 浅井郡弓削村(長浜市弓削町)の観音堂に安置される等身大の観音立像である。観音堂のある場所は小字「満願寺」と言い、聖徳太子の建立した寺院と伝えている。この像は、頭体幹部をヒノキの一材から造り、右腕は手首まで左腕は上膊(じょうはく)まで共木より刻出する.後補の両手・両足先を矧(は)いでいる。背面の腰上と腰下から刳(く)り、それぞれ蓋板(ふたいた)を嵌(は)める。山形の髻(もとどり)は簡素であるが、眼鼻立ちは大振りで美しく、刀技も明快で古様である。体部は、腰下を長く造り、裳裾を左右に大きく広げ、両膝上には衣文を全く刻まないため、すらりとした姿に表現される。
【平安時代(前期) 像高 178.8センチメートル】

湖北の仏像3
木造菩薩形立像(伝聖観音) 高月町唐川 日吉神社蔵

 高月町唐川の湧出山(ゆるぎやま)の中腹、日吉神社と並んで建つ観音堂に、千手観音立像(重文)と共に祀られる。『赤後寺(しゃくごじ)観音縁起』(文和2年・一三五三奥書)によると、この2像は、元亀年間(1570~73)に廃絶した赤後寺の本尊と伝える。本像は、全身を錆(さび)下地で覆い、漆箔(しっぱく)も部分的に残っている。頭体幹部のほぼ全身を、ヒノキ一材から彫成し、内刳(うちぐ)りを施さない。木心は、中央やや右後方に籠(こ)めている。大きな髻や端正な顔立ち、そして胸腹部のくびれを明快に表現し腰を軽く捻(ひね)って立つ姿、量感豊な体躯と粘性を帯びた衣文(えもん)の彫り口など、穏やかさのある像容を造り出している。制作は、9世紀末から10世紀もごく初期の造像である。
【平安時代(前期) 像高 182.8センチメートル】

湖北の仏像4
木造十一面観音立像 高月町西野 充満寺蔵

 西野薬師堂に伝薬師如来立像と共に安置され、右手を垂下し左手に華甁(けびょう)を執り、右足をやや浮かせて立つ十一面観音像である。ヒノキの一材から彫出し、内刳りは施さない。両手首や両足先を矧ぐ。本像は、薬師如来像と共に近世にはかなり損傷が激しかったようで、像底はヒノキ材で根継ぎ状に矧ぎ足し、肉身部は江戸時代の分厚い漆箔に覆われ、腰下も表面の荒れが補修されなど像容を損ねている。しかし下膨れの丸い顔、胸腹部を量感豊に表す手法、裳(も)の形式的に整理された衣褶、両脚部の渦文(かもん)など重量感に溢れる作風から十世紀の製作であることが判る。
【平安時代(後期)像高 166.7センチメートル】

湖北の仏像5
木造十一面観音立像 西浅井町山門 善隆寺蔵

 本像は、右手を垂下し左手で華甁を執る通形の十一面観音立像である。小づくりの頭部には、秀麗な眉や目尻が上がる切れ長の細い眼、鼻筋はよく通り、小さな口を刻む細面の面貌が表現される。体躯はプロポーション良く、引き締まる。衣の襞(ひだ)は左右対称で規則的に配される。10世紀後半から11世紀へかけての制作が想定される。
【平安時代(後期)像高 88.1センチメートル】

湖北の仏像6
木造十一面観音立像 木之本町石道 石道寺蔵

 石道寺(しゃくどうじ)の本尊十一面観音立像の厨子内に安置される像である。かつて石道の集落の上流にあった己高山高尾寺の本尊と伝える。錆地(さびじ)でわずかに漆箔(しっぱく)を残している。頭体幹部を、右手の前膊(はく)部と左手の上膊部までを含め、ヒノキの一材から彫出し内刳りを施さない。髻頂(けいちょう)に仏面を一面、天冠台上地髪(じはつ)部に十面を配する。左手は屈臂(くっぴ)して華甁を執り、右手は垂下して掌(たなごころ)を前に向けている。面貌は古様で、胸・腹のくびれも明快に表現され、条帛(じょうはく)や裳(も)などの衣文(えもん)線も明瞭に刻まれる。しかし腰を左に捻(ひね)りながら、少し硬直化した印象の造形や個々の刻線も総じてしなやかさに欠けるものがある。10世紀末から11世紀の初め頃の制作と考えられる。
【平安時代(後期)像高 107.3センチメートル】

湖北の仏像7
木造聖観音立像 湖北町山本 常楽寺蔵

 山本山の中腹に建つ常楽寺に伝わる像である。山本山から北へ賤ヶ岳に続く尾根上には、130余基の古墳が連なる国史跡古保利古墳群がある。常楽寺の草創は詳らかではないが、山本源氏山本判官義経がこの寺を祈願寺として崇敬し、七堂伽藍を整備したという。本像は、像の大半をヒノキの一材から彫出し、内刳(うちぐ)りは施さない古様の構造からなる。条帛・天衣(てんね)・裳ともに輪郭のみを表し、衣文線をいっさい表現しない点に特色がある。奥行きのない胸、肉付けを抑えた体躯の表現から、平安時代の後期、12世紀の制作と考えられる。
【平安時代(後期) 像高 101.3センチメートル】

湖北の仏像8
木造十一面観音立像 米原市米原 青岸寺蔵

 青岸寺は、JR米原駅の東方、太尾山西麓に建ち、室町時代に近江守護・佐々木道誉が開創したと伝える。本像は、その大半を一材から彫出し、内刳りは行わない。表面は、漆箔や彩色を施さず素地(きじ)のまま仕上げているが、全体に赤っぽい染料を塗り透(す)き漆がかけられ、いわゆる檀像(だんどう)彫刻を意識しての造像とみられる。左右対称的なバランスで直立し、全体に痩身を強調した表現となっている。鎌倉時代も後半、13世紀から14世紀にかけての制作とみられるが、裳裾の広がった安定感は、この時代には珍しく、他に先行する図像や作例に倣(なら)ったものであろうか。
【鎌倉時代 像高 56.2センチメートル】

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平櫛田中の愛した仏像たち

平櫛田中1
木造矜羯羅童子立像

平櫛田中2
木造聖徳太子孝養立像

平櫛田中3
木造阿弥陀如来化仏

平櫛田中4
木造阿弥陀如来坐像

【以下は引用】

平櫛田中の愛蔵した仏像を紹介します。木造の仏像は18点が完体であり、あとは蓮弁、腕、足先、装身具など断片がほとんどで、いずれも大きなものではなく、どのようにして入手したか等、来歴が不明なものです。しかし、これらを平櫛田中は身近に置き、創作への糧としていたことは確かです。木彫家であり、東洋芸術への深い教養を有し、数多くの優れた日本の古美術品を実見することによって培われた「美しいもの」を見る眼があれば、断片であっても想像力で補えば充分に魅力的な作品であったことでしょう。
 今回の展示は、ふくやま美術館で7月14日~9月2日に開催される特別展「平櫛田中展」(小平市平櫛田中彫刻美術館・会期9/9~10/21、三重県立美術館・会期10/30~12/9に巡回)にあわせて開催いたします。

http://www.city.ibara.okayama.jp/denchu_museum/exhibit/exhibit_history/201207.html#syoukai

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門外不出の円空仏 東博へ

円空仏


門外不出の円空仏、東京国立博物館で来年公開 (2012年09月06日)

【以下は引用】

2012年9月6日(木)、東京・上野の東京国立博物館で来年1月に開催される特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」の記者発表が都内で開催された。

生涯で12万体の仏像を彫ったともいわれる江戸時代の僧、円空。

展覧会では「両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)」を江戸時代以来約300年ぶりに寺外で公開するなど、岐阜・千光寺(せんこうじ)が所蔵する仏像を中心に、飛騨に伝わる像100体を展示する。

両面宿儺は日本書紀に登場する飛騨の怪物だが、円空の像は斧を持つなど独自の解釈で表現されている傑作で「両面宿儺としては最古の像の可能性がある」(展覧会担当の浅見龍介・東京国立博物館東洋室長)。

千光寺でも7年に一度しか公開されない秘仏「歓喜天立像(かんぎてんりゅうぞう)」も特別公開される。

会期は2013年1月12日(土)~4月7日(日)。観覧料は一般当日で900円、前売800円。前売券は10月1日(月)発売。

http://www.museum.or.jp/modules/topNews/index.php?page=article&storyid=2780

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若狭の仏像

若狭の仏像2
正林庵の如意輪観音半跏像

若狭の仏像3
長福寺の十一面観音菩薩立像

若狭の仏像1
高成寺の千手観音立像=いずれも県提供

秋の嶺南 秘仏訪ねて 2012年09月06日

【以下は引用】

 嶺南の14寺が今月中旬から、日ごろ公開していない秘蔵の仏像などを期間限定で一斉公開する。若狭地方には平安や鎌倉時代から続く寺院が残り、国の重要文化財や県の文化財に指定されている仏像も多い。秘仏めぐりを楽しめそうだ。

 公開されるのは、小浜市12寺、おおい町1寺、美浜町1寺が所蔵する仏像など17点。国の重要文化財は、高成寺(小浜市)の千手観音立像、竜前区薬師堂(同)の薬師如来立像、加茂神社為星寺(同)の千手観音立像、正林庵(同)の如意輪観音半跏像、意足寺(おおい町)の千手観音立像の5点。

 公開は15日から10月23日まで。日時は寺ごとに異なり、1日限定公開の寺もある。県文化振興課(0776・20・0572)や同課ホームページでスケジュールの確認が必要だ。

 特別公開に合わせてガイド付きツアーバス(全10コース)も運行される。問い合わせは若狭おばま観光協会(0770・53・1111)。(足立耕作)

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運慶作か?諏訪の不動明王

運慶・諏訪不動明王
運び出す作業の前に仏像を確認する瀬谷貴之学芸員(左)と岩崎宥昶住職=諏訪市四賀の仏法紹隆寺

「運慶作」見極めへ/諏訪の不動明王像 2012年09月10日

【以下は引用】

諏訪市四賀の仏法紹隆寺が所蔵する、鎌倉時代の名仏師、運慶の作と伝えられる木彫仏像「不動明王像」が10日、10月に神奈川県鎌倉市の鎌倉国宝館で開かれる特別展への出展のため運び出された。特別展は「武家の古都鎌倉」の世界文化遺産登録を目指す神奈川県の行事で、県立歴史博物館、鎌倉国宝館、県立金沢文庫の3館共同企画。不動明王像は、運慶作の仏像と並んで展示されるとともに、比較調査され、運慶の作かどうかが見極められる。

 不動明王像は、15年ほど前、文化庁の主任調査員だった故松島健さんが調査して「運慶の作」と発表、注目された。写実的な作風が、他の運慶作仏像と共通しているほか、X線写真で、運慶の仏像に多い、体の内部に仏像の魂とされる心月輪(しん・がち・りん)と呼ばれる円盤が、あることが分かった。

 金沢文庫の瀬谷貴之学芸員によると、「紹隆寺は、鎌倉幕府の有力御家人であった諏訪氏ゆかりの寺だけに、幕府のために仏像を作った運慶の作があってもおかしくない。可能性は大きい」という。

 不動明王像は、特別展にさきがけ、金沢文庫に運ばれ、2007年に運慶作と断定された「大威徳明王像」(横浜市の称名寺光明院蔵)と比較調査され、最新のX線調査なども施される予定だ。

 特別展への出展について瀬谷学芸員は「鎌倉の武家文化紹介のために、門外不出だった諏訪氏ゆかりの不動明王像のお出ましをお願いした」。

 岩崎宥昶(ゆう・しょう)住職は「寺に伝わる仏像の由来が明らかになれば、と今から楽しみ」と比較調査に期待している。

 鶴岡八幡宮内の鎌倉国宝館での特別展「古都鎌倉と武家文化」は10月20日から12月2日まで。横浜市金沢区の県立金沢文庫での特別公開は9月29日から10月8日まで。(三浦亘)

http://mytown.asahi.com/nagano/news.php?k_id=21000001209100001

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