大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

近江路の神と仏5  三井記念美術館 聖衆来迎寺 国宝「六道絵」ほか

聖衆来迎寺 六道絵

 東京・日本橋の三井記念美術館、「琵琶湖をめぐる 近江路の神と仏 名宝展」(~11月25日(日)まで)について5回にわたって若干の感想を記す。今回はその最終回。
 さて今次展示中、国宝の出展は以下のとおりである。彫刻主体の展示ながら実はメインの彫刻分野では1点の国宝も陳列されていない。工芸品的なものと仏画から国宝が選ばれていることがわかる。

1-5  国宝金銀鍍透彫華籠2枚 平安~鎌倉時代 神照寺

金銀鍍透彫華籠

2-1  国宝金銅経箱1合    平安時代 長元4 年(1031) 延暦寺

金銅経箱

7-14 国宝 六道絵のうち畜生道図、譬喩経説話図、等活地獄図 3幅 鎌倉時代 聖衆来迎寺
(以下の出展目録を参照。左は出展会場とそこでの展示番号を記載している)


聖衆来迎寺 六道絵
(聖衆来迎寺 六道絵 等活地獄図)

(出展目録)
http://www.mitsui-museum.jp/pdf/mokuroku120908_02.pdf

 このうちとくに有名なのは聖衆来迎寺蔵「六道絵」(「畜生道図」、「譬喩経説話図」、「等活地獄図」の3幅、鎌倉時代)である。これは比叡山に伝来したもので、『往生要集』をおもなテクストとして描かれた鎌倉時代の大作、全15幅である。

 「4幅にわたる地獄道は、その悲惨な情景を具体的かつ克明に描写していて見るものの眼を奪う。全体を見わたすと、水墨画をこなした宋元画の影響の顕著な幅と、伝統的なやまと絵風の幅とが混在するが、寒色系を主調とする、一種暗さを帯びた色調が全幅の統一感を保っている。どの幅も的確な描写で、画面を破綻なく構成しており、当時第一級の画家の手になるものと思われる。高位の貴族の依頼によるものであるに違いない」(東京国立博物館、松原茂氏)とされる。


(出典)
http://event.yomiuri.co.jp/2006/tendai/works_point.htm

 展示期間が3幅でことなり、小生が見ることができたのは「譬喩経説話図」だったが、画像がうまく見当たらないので上には「等活地獄図」を掲げた。その一方で以下の3幅はなかなか面白かった。

7-16 県文 仏涅槃図1幅 鎌倉時代 少林寺
7-19 重文 釈迦三尊十六善神図1幅 鎌倉時代 聖衆来迎寺
7-22 重文 山王本地仏像1幅 鎌倉時代 延暦寺

 少林寺の仏涅槃図1幅(鎌倉時代)は摩耶夫人の降臨から、あまたの生き物の仏陀涅槃への悲しみの表現が巧みに描かれ飽きさせない構図である。最後の第7室仏画コーナーにも見どころ満載という趣向がなんとも心憎い、と思う。

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近江路の神と仏4  三井記念美術館 吉祥天立像と女神坐像ほか

近江路の神と仏2
(円城寺 吉祥天立像 鎌倉時代 重文)

 写実的ともいえる素朴な美しさをたたえた円城寺吉祥天立像は鎌倉時代の作である。全体のプロポーションも自然かつふくよかな量感があり、宋風の衣服はやや形式的だが、遠くでながめても近くで拝顔してもすぐれた造形感覚がよくわかる。神仏習合の影響もあろうが人間を写したような吉祥天さまである。あまりに時代がはやいが、将来の「仏像」から「人形」への転化のハシリをここに見ることもできそうな気がした。

近江路の神と仏1
(建部大社 女神坐像 平安時代12C頃 重文)

 うってかわって、こちらは神道彫刻。男神、女神のうち後者の坐像である。建部大社(大津市)は近江一宮の神社で、主祭神は日本武尊。そこからこの女神は、日本武尊の后の布多遅比売(ふたじひめ)に比定する見方もあるようだ。仏像、神像には珍しい(斬新な)このポーズがうけて人気の展示となっており、3体の像の前で多くの女性たちがまさに親近感をもって食い入るように見ていた。下膨れの丸顔で切れ長の目元、鼻先の破損も愛嬌を感じ、長髪を中央から別けて口元にそっと手をかずす。これぞ平安美人の佇まい。上とのアナロジーでは、こちらは「神像」から「こけし」への転化のハシリではないかと思った。楽しい2体だがいずれも堂々たる重文。

(補論)

近江路の神と仏4
(葛川明王院 千手観音立像 平安時代 重文)
 
  さて、今次展のガイドブックの表紙(カヴァー)を飾るのみならず、いろいろなPRの場に登場しているのがこの葛川明王院千手観音立像ほかの諸仏である。しかし、自分もかつてこの足で湖東地区を回って驚いたが、近江にはそれこそ超一級の仏さまが各所で文字通りひしめきあっている。本像も優れものだが近江全体では関脇クラスかな・・・(失礼!)。大関、横綱級はほかにありという気がする。さらに、「秘仏開帳」には俗人ゆえにいつも心動くが、それが大関、横綱級かと言われればかならずしも一致しないことも自明。今回の彫刻展示は玄人好みの粒ぞろいとは思う。しかし、小生のなかでの大関、横綱級の価値観に照らしてみると残念ながら期待したほどではなかった。それくらい十一面観音を代表格に近江の集積は凄い!とでも言っておこうか。
 そうしたなかで思わぬ発見もあった。像高7.8㎝のミニチュアのような厨子入阿弥陀如来立像 鎌倉時代 浄厳院である。この巧緻をきわめた銀造彫刻のご尊顔の輝きには魅了された。


厨子入阿弥陀如来立像 鎌倉時代 浄厳院
(厨子入阿弥陀如来立像 鎌倉時代 浄厳院 重文)

http://www2.ocn.ne.jp/~biwa-bun/sub_oumi2/009.html 【“近江路の神と仏4  三井記念美術館 吉祥天立像と女神坐像ほか”の続きを読む】

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近江路の神と仏3  三井記念美術館 報恩寺観世音菩薩立像

報恩寺観音
(報恩寺観世音立像 白鳳時代)

  この仏さまのお顔はまことに清楚で初々しい。下記に解説をのせたが、東博法隆寺館の48体仏にも類例がある。もっと身近な有名どころでは法隆寺の夢違観音さんにも合いつうじるものがあろう。一見して彫りの部分がすこしく爛れ、鈍化して、火を浴びた痕跡があるが尊顔の晴れやかさは幸いなことによく残っておられる。今回の展示でも目をひく優作である。

夢違い1
(法隆寺夢違観音)

 それにつけても近江の仏像の集積は白鳳時代にさかのぼり近世にいたるまでたいしたものである。くわしい記述はさけるが、聖徳太子ゆかりの寺も多い。近江には旧物部氏の所領があり、これを戦勝した聖徳太子が収めたからという背景があるようだ。ゆえに、飛鳥、奈良との緊密な関係があり文化の伝播もはやかったという説もあれば、より積極的に近江一体、この地域の先進性の高さを海路をへて日本海側から至った帰化人(渡来人)の存在、居住から説く見解もある。両者ともに重要な視点であろう。よって、こうした金銅仏もこの地にすくなからず残されているということも不思議ではない。

http://www.sunrise-pub.co.jp/wp/img/p/2010/09/2e0dd94678059c40ca556c6c84575b0e.pdf

【以下は引用】

観世音立像(滋賀・報恩寺) 像高28cm 銅造、鍍金、 奈良時代 重文
「解説」
 宝暦十年(1760)に、公家の広幡家から報恩寺に寄進された観音菩薩像。本体と台座が共に一鋳された、内部に空洞がないムクの金銅仏で、像の表面にはほとんど鍍金が残らず、後世に火災に遭ったためか肌表面が荒れている。体部に対して頭部が大きく、顔の造作がやや下方に表され、愛らしく優しげな表情を浮かべており、七世紀後半の白鳳仏特有の童子形を呈する。左手は垂下し水瓶を握り、右手は掌を正面に向けて下方で施無畏印を表す。
頭部に付けた三面頭飾は、その上部が欠損しているが、正面の飾りには化仏と思われる如来像の下半身が表わされていることから、本像は観世音菩薩像であることが分かる。
 本像の正面にU字型を表わす天衣、宝冠の両脇から連珠繋ぎの瓔珞が垂下し、正面の瓔珞と繫がる表現などは、法隆寺献納宝物の金銅仏いわゆる「四十八体仏」の第一七六号像(七世紀)に近似するが、垂下する天衣や瓔珞の連珠の表現にはやや硬さが見られる。また本像は、はっきりと表わされた二重瞼、仰蓮と反花を重ね複子弁を表した台座形式など、七世紀後半の作例に見られる特徴を具えている事から、制作年代は7世紀後半としてよいだろう。
特別展 「琵琶湖をめぐる 近江路の神と仏 名宝展」 2012年 三井記念美術館

http://blogs.yahoo.co.jp/kojijunreisyaarai/archive/2012/9/17

<法隆寺献納宝物について>
http://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=3280

観音菩薩立像・奈良時代

<法隆寺献納宝物「四十八体仏」第176号像>
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-49.html

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近江路の神と仏2  三井記念美術館 善水寺誕生釈迦仏立像

善水寺誕生釈迦仏立像
(善水寺誕生釈迦仏立像)

東大寺誕生仏
(東大寺誕生釈迦仏立像)

 一目瞭然。上は今回展示のスタート地点でお出迎えの善水寺誕生釈迦仏立像。下はかの有名な東大寺誕生釈迦仏立像。善水寺像はひとまわり小さいけれど、両像は「兄弟作」といってもいいほどよく似ている。往時、このタイプの誕生仏が数多く作像されていたということだろう。戦前は国宝に指定されていた由緒ある逸品であり、いまも金色の輝きが人目をうばう。

 近江の隆盛は、天智天皇時代に都がおかれたことにあらわされているように奈良、京都につぐ多くの集積がある。善水寺(湖南市岩根)は長寿寺、常楽寺とともに湖南三山の名刹。長寿寺(湖南市東寺)は奈良時代後期に聖武天皇の勅願により、良弁僧正によって創建。常楽寺(湖南市西寺)も長寿寺と同じく、良弁僧正によって創建。

 善水寺の歴史はさらに古く、奈良時代和銅年間(708~715)元明天皇勅命により鎮護国家の道場として草創され、和銅寺と号し、延暦年間には最澄の比叡山開創にさいして、堂舎建立の用材を甲賀の地に求められたことにより当寺も注目されることになり、桓武天皇から寺号を賜わったという。 よってこの善水寺には本像以外にも国宝をふくむ平安時代以降の多くの仏さまがおあす。そうした伝統あればこその本誕生仏の継承なのだろう。


【以下は善水寺HPから引用】

善水寺金銅誕生釈迦仏立像
一躯 銅像鍍金。
天平時代明治37年、国宝。現在、重要文化財指定。
 
像高23cmほどの金銅仏で、花祭り潅仏会の本尊である。同じく天平時代の東大寺国宝像(像高47cm)との密接な関係があったと思われる。平素は、非公開ですが毎年5月5日の花祭り潅仏会にあわせ1週間ほど公開します。

http://www.zensuiji.jp/freepage_8_1.html

 ほかにも心休まる金銅仏が展示されている。下記は薬師如来立像 奈良時代 聖衆来迎寺である。いろいろな場でお目にかかっているが、いつもほっとした安らぎをあたえてくださる。

薬師如来立像 奈良時代 聖衆来迎寺
(薬師如来立像 奈良時代 聖衆来迎寺 重文)

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近江路の神と仏1  三井記念美術館 快慶 石山寺多宝塔本尊大日如来坐像

近江路の神と仏 5

  10月6日、三井記念美術館に行く。まずは今回の美術展についての概要から。近江といえば仏像彫刻の宝庫、本展は東京での秋のメイン・イベントであり、事前のPRからもとても期待をして足を運んだ。観客の入りは思いのほか少なくゆったりと時間をかけて観ることができた。

【以下は引用】
特別展 琵琶湖をめぐる 近江路の神と仏 名宝展

開催日: 2012年9月8日(土)~11月25日(日)

三井記念美術館にて、琵琶湖をめぐる近江の古社寺に伝えられた秘仏、名宝を一堂に展示する「特別展 琵琶湖をめぐる 近江路の神と仏 名宝展」が開催されます。

近江は早くから文化が開け、豊かな風土と歴史を背景にして、非常に多くの文化財を創造し今日まで遺しています。
本展覧会は、これらの中から仏教、神道に関わる優れた美術品と貴重な歴史資料を展示。その美しさを鑑賞し、宗教的な意味と内容を理解し、近江に伝えられた文化の奥の深さに触れることができます。
http://www.nihonbashi-tokyo.jp/event/20120908.html

 今回の主役のひとつが快慶の石山寺多宝塔本尊大日如来像である。快慶初期の作で、いわずと知れた運慶初期の円成寺の大日如来との比較は誰しもが関心のあるところであろう。

【以下は石山寺HPからの引用】

多宝塔本尊大日如来像の拝観について

多宝塔のご本尊、快慶作大日如来像(重要文化財)につきましては、下記の展覧会にお出ましされることとなりました。 そのため、大日如来さまの石山寺での公開は、年内は未定です。何卒ご了承下さい。

■奈良国立博物館

特別展「頼朝と重源-東大寺再興を支えた鎌倉と奈良の絆-」
会期:平成24年7月21日(土)~平成24年9月17日(月・祝)
   ※大日如来さまの公開は7月21日から8月5日まで(約2週間)
奈良国立博物館ホームページ http://www.narahaku.go.jp/

■三井記念美術館(東京)

特別展「琵琶湖をめぐる近江路の神と仏 名宝展」
会期:平成24年9月8日(土)~平成24年11月25日(日)
   ※大日如来さまと、如意輪観音坐像(平安時代、重要文化財)がお出ましになります。
三井記念美術館ホームページ http://www.mitsui-museum.jp/
http://www.ishiyamadera.or.jp/news/haikan.html

 両者を比較するうえで、上下に快慶、運慶の大日如来像を掲載した(運慶像は光背のない画像も参考までに掲げてみた)。制作年代では約20年の隔たりがあるが、両者の同質性(とくに全体構成、手印、腰部衣文などの胴体表現)と異質性(とくにご尊顔の表現、もちろん宝冠、光背の有無などは前提としたうえで)は画像をみるだけで明らかであろう。

快慶 大日如来 石山寺
快慶作 大日如来坐像(1194年)

運慶展
運慶作 大日如来坐像(1176年)

(参考)
0-1.jpg
同上(光背なし)

 さて、円成寺、石山寺には共通点があるのだろうか。円成寺の歴史を紐解くと、「天平勝宝8年(756)聖武・孝謙両天皇の勅願により、鑑真和上の弟子、唐僧虚瀧(ころう)和尚の開創と円成寺(えんじょうじ)縁起に書かれている」という。一方、石山寺はその縁起で「聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(ろうべん、東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまり」とされている。このように両寺縁起においては、ほぼ同じ時期に建立されたことがわかる。このあたりの<符号>もなかなか面白いが、ともに真言宗の名刹であり、大日如来のもつ意味は限りなく重要である。

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-261.html
(「大日如来のもつ意味」を参照)

 ところで快慶の大日如来をじっと観察していて思ったのは運慶円成寺像との近接性より、慶派一門の実慶作のそれへの連想である。快慶の「銘」はあるものの、むしろ慶派一門がいかに東寺系などの寺院と密接な関係をたもち、また大日如来は、「カタログ」上位の主要な作品(製品)であったのではないかという、いささか下世話な想像を馳せた。それも次の2つのパンフの同アングルからの画像でご確認いただきたい。

快慶 大日如来 石山寺2

20111220-2.jpg

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-280.html 

快慶の大日如来像はなかなかに興味深いけれど、快慶作を多く見てきた直観では、本像は快慶のほんとうの凄さを示す作品ではないと感じた。運慶の大日如来の諸作にくらべれば訴求力は乏しい。その一方、運慶、快慶、実慶ら慶派工房の大日如来の「共通マニュアル」的な均一性を感じさせる出来ばえは強調しておいてもいいかも知れない。この一派の結束の強さを示す作品であるといいうるだろう。たとえば本展での快慶派の仏師栄快の地蔵菩薩立像などもその典型である。

近江路の神と仏3
(長命寺地蔵菩薩立像 栄快作)

西教寺 薬師(特殊印)
(西教寺薬師如来坐像)

 さらに慶派に関係のありそうなのが西教寺の薬師如来坐像である。小振りで緻密な作風の落ち着きある逸品であるが、特殊な印相を結ぶ。これも慶派一門の手になるものではないかとの想像がはたらく。

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-282.html

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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