岡山の仏像 焼失
焼失したとみられる岡山県重要文化財「木造阿弥陀如来坐像」=同県教委提供
年末にとても残念なニュース。写真でみるお姿は清々しい。以下は引用。
県重文の仏像など焼失か 全焼の岡山・金山寺本堂
安土桃山時代の建立から四百数十年を経た国重要文化財・金山寺本堂の全焼という事態を受けて25日、国や地元の文化財行政担当者たちは、深い喪失感の中で対応に追われた。
午後1時ごろ、文化庁の下間久美子文化財調査官ら2人が現場入り。岡山県・市教委の担当者と共に、柱や梁(はり)などが真っ黒に焼け落ちた現状を確認。松原宏澄住職への聞き取りを行い、出火時や消火活動の状況も調べた。
下間調査官は「想像以上に損傷が激しい。国民共有の財産だっただけにショックだ」と言葉少なだった。
本堂内には、本尊の観音像があったほか、修復工事中の県重要文化財・護摩堂から平安時代後期に造られた同・木造阿弥陀(あみだ)如来坐(ざ)像(ぞう)なども移されていたが、横山定県教委文化財課副参事は「がれきに埋もれ見つからない。焼失はほぼ確実だろう」と肩を落とした。
一方、平安時代以降の古文書52通などからなる国重文・金山寺文書は岡山県立博物館に寄託されており無事。県指定の仏具「五鈷杵(ごこしょ)・五鈷鈴(ごこれい)」、市指定の仁王門も被災を免れたことが確認された。
文化庁などは今後、焼損した文化財の指定取り消しも検討する。
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2012122513472160/
仏の縁
最近、おもわぬところで仏像の話で意気投合することがある。きょうは、夜の宴席で、渡岸寺の観音さま(背面および横の角度からの観賞)の好きな人がいて、ひとしきり十一面観音や聖観音(薬師寺)の話となる。そこに、法華寺の観音さまや秋篠寺の伎芸天のファンが加わって楽しきひとときとなる。秋篠寺の多聞天も実に良いとの談。ひとそれぞれ、魅せられた仏さまがおあす。
金子啓明『仏像のかたちと心 白鳳から天平へ』(2012年 岩波書店)を読んでいて、プロの眼の力量にあらためて感じ入る。研究者は、ひとつの仏像をどう観察するのかといった点でお手本のような丁寧な著作である。その一方で、プロはプロとしての抑制(学問的な確証)があるがゆえに不自由なこともあろうとも思う。
知識で観ずに感性で接するとき、仏さまは意想外に「眼」にではなくいきなり「心」に染みてくると思うことがある。その一方で、知識が穿って、なかなかに印象が結実しないこともある。
きょうの思いがけぬ仏像談義が楽しいのは、そこに仏さまの縁を感じるからかも知れない。話のあいだに、かつて拝観したそのお姿が髣髴としてよみがえり、記憶がほどよく刺激され、感性が解き放たれるような気がする。アマチュアゆえの楽しさ哉。