大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

興福寺 仏頭  東京藝術大学大学美術館で拝顔

興福寺仏頭10

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-369.html

  閉館近くならば、時間は短くとも人出を気にせず拝観ができると思って本日、家内と東京藝術大学大学美術館に足を運ぶ。3時40分すぎに入館したがなお結構な人でむせかえっている。しかし、ずっと仏頭のおあす3階につめて幾度も回遊しているうち、5時近くにはゆっくりと拝顔することができた。

 この仏さまについては、3年前の2010/05/07(金)にこう書いた。


http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-170.html

 いまから約40年前、この仏頭をはじめてみた時の衝撃が思い出される。いまでは想像のできないくらい粗末な宝物館で埃まみれ、無造作に置かれていたように記憶している。そして、沸々と疑問がわいてきた。なぜいま、こういう(無惨な)お姿で残っているのだろうか? 仏頭の大きさ(総高98.3㎝)から考えると、像全体の巨大さはいかばかりだろうか? 白鳳彫刻の同時代で似た仏像はあるのだろうか?・・・

 実は、そうした思いはいまもあまり変わっていない。この仏像の発見の経緯などを調べれば、いかに数奇な運命をたどってきたかがわかるが、その尊顔の素晴らしさから、これを破壊せず(鋳直さず)後世に残していこうという強い意思が働いたか、あるいはある種の呪術的な思いから須弥座の下に再度、安置されたのかも知れない。
 全体の像容の大きさは推して知るべしだが、現存の仏像では、作風はいささか異なり、一回り小さいかも知れないが蟹満寺釈迦如来像(像高約240センチの金銅像)がそのスケール感を「追体験」するうえではひとつの参考になるだろう。また、そのお顔についての類似作は、小さいけれど、法隆寺夢違観音、鶴林寺菩薩立像(聖観音)、盗難にあってレプリカしか残っていないが、新薬師寺香薬師如来立像の白鳳名品「3立像」の金銅仏が直観的に思いつく。

蟹満寺釈迦如来像
蟹満寺釈迦如来像 白鳳時代

 この仏頭の魅力は、頬のふくよかしさ、切れ長で凛々しき目元、アーカイック(古式)の笑いを消した、しかしどこか優しさを湛えたその表情にある。若々しく童子的な印象もあり、否、大人をも超越した神々しさもありといった両義性、それが微妙な均衡を保っている。さらに、観察者が、喪われた巨体を想像し、自ら見上げる姿を思い浮かべるとき、本来であれば、仏頭をこんなに間近で拝顔することはできないし、なにより合わせるべき目線の位置は決定的に異なることに気づくだろう。その1点だけでも他とは違った存在感がある。


興福寺仏頭2

 きょうは、仏頭を見上げながら(良い仰角の展示である)持統天皇とその時代についても少しく考えていた。
 これに関連し、2010/08/16(月)以下を本ブログに書いた。


【仏像彫刻試論3 政治との関係】
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-195.html

 仏像をつくる、祭るということは古代、中世にあって、いまとは比較にならないくらい重い政治的、祭儀的な意味をもっていた。ゆえに、それは時の政権の意思、庇護なくしてはなしえなかった。寺に仏像が祭られる以上、その寺がどのような位置づけで開山され、また社会的に機能したかが重要である。

 日本における造寺のはじまりは、蘇我一族によって主導された。596年法興寺(→飛鳥寺、日本書紀)、607年法隆寺(法隆寺金堂薬師光背造像記)などが創建されたのは蘇我馬子、厩戸(うまやど)皇子(→聖徳太子)らの皇族・蘇我ファミリーの仏教振興への強いリーダーシップあればこそである。日本書紀などの記述をどこまで信じるかどうかの問題は擱くとしても、587年蘇我VS物部の抗争(蘇我馬子による物部守屋討伐)が、崇仏、排仏を争点としてなされたと伝えられること自体の政治的な意味合いは実に大きい。

 その蘇我一族の強大な権勢を排除せんとしたのが中大兄皇子(→天智天皇)と藤原鎌足である。ここにも日本書紀の潤色があるかも知れないが、この二人の時代は661年白村江の敗戦など外交、内政上の非常な難局に直面していた。律令整備は独立国家としての存立上も不可欠であった。672年壬申の乱により大海人皇子(→天武天皇)の勝利は、その後、天武ー持統ー軽皇子(→文武)ー元明ー元正ー首皇子(→聖武)、光明子ー孝謙(称徳の重祚)まで約100年にわたり(政治的には別だが)「皇族系譜」としては<安定期>を迎える。

 そして、この100年こそ、いまにいたるまで、われわれがその遺産に感歎する白鳳・天平文化の象徴とでもいうべき仏像、建築の集積をみる。たびかさなる遷都については、以下のブログでも記してきたが、710年平城京(奈良)遷都後、はやくも同年(山階寺→厩坂寺→)興福寺、716年(大官大寺→)大安寺、718年(法興寺→)元興寺、薬師寺、728年(金鐘寺→)東大寺などが移設、整備され752年東大寺大仏開眼供養(続日本紀)で頂点を迎える。その後も756年正倉院(東大寺献物帳)、759年唐招提寺(伽藍開基記)などが続くが、この間の律令制の実行と鎮護国家論の影響は造像の背景として忘れてはならない。


興福寺仏頭8

 この仏さまは、旧山田寺から略奪されて興福寺に運ばれたのだが、その興福寺のすさまじい歴史についてもかつて書いた。以下を参照されたい。

【興福寺2】2011/06/06(月)
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-234.html

 運慶、慶派についても折々に書いてきたが、今日の展示のハイライトは、この仏頭とそれを守護する十二神将が一同に会していることにある。そしてこの十二神将は慶派の手になる。運慶は1187年(文治3年)に、興福寺に運ばれてきた破損まえの本像全体をじっくりと観察していた。これは1183年の有名な「運慶願経作成」から4年後のことであり、まさに運慶、昇竜の兆しの時期と重なる。ここもまた興味は尽きない。

【運慶考3 年表】2011年01月30日
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1901995.html

興福寺 運慶仏頭
釈迦如来像頭部(木造、漆箔)運慶作 重要文化財 (注)

(注)興福寺西金堂の本尊だった釈迦如来像の頭部。『類聚世要抄』(鎌倉時代編纂)の興福寺に関する史料に、文治2(1186)年 西金堂本尊に関する記事に大仏師運慶の名がある。近時、運慶作とみなされるが、造像にあたって対にあたる東金堂本尊の本像をおそらく運慶は深く研究していたことであろう。

【興福寺 「2つの仏頭」の奇跡】
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/2050143.html

 本展示についていくつかの感想を記しておこう。

1.東京藝術大学大学美術館は、立地環境、展示の配置、照明効果など素晴らしかったが、でもなぜ今回は東京国立博物館での公開ではないのだろうか?どこかを検索すればたちどころにわかることかも知れないが素朴な疑問である。

2.板彫十二神将、木造十二神将の同時展示は面白いが、そのコンセプトであれば一歩進めて、本像のもともとの脇持説もある(あった)興福寺東金堂の日光・月光菩薩を是非、両脇に鎮座させてほしかった。両像を出せないなにか特別な理由があるのだろうか?


【仏像は深い38 興福寺東金堂の日光・月光菩薩】2010年10月09日
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1857412.html

3.本当に久しぶりに再会した深大寺釈迦如来倚像の展示は、実にさりげなく、とても気が利いていて有難かった(できれば盗難にあい本物はないが新薬師寺香薬師如来立像の「レプリカ」も見ることができたら最高!)。CGでの金色シミュレーションも見事。これぞ現代技術とのコラボレーションの典型と感じいった。

深大寺 釈迦如来倚像
深大寺銅像釈迦如来倚像(白鳳時代、7世紀 重文)

<備考>
◆公式HP http://butto.exhn.jp/highlight/index.html

◆最後に、参考にさせていただいたブログhttp://www.narayaku.or.jp/narayaku/narayaku/03_1.htmlから。

【以下は引用】

(1)戊寅(ぼいん・つちのえとら)678年12月4日に丈六の仏像(薬師三尊)が銅に鋳造され、乙酉(いつゆう・きのととり)685年3月25日に山田寺創建者の蘇我倉山田石川麻呂の祥月(しょうつき・故人が死んだ月)命日に仏眼を点じた。つまり、石川麻呂の自害後36年の開眼供養であった。

(2)1187年(文治3年)、興福寺の僧が山田寺の薬師三尊像を強奪し、興福寺の東金堂の本尊とする。
興福寺は治承4年(1180年)の平重衝の焼き打ちに遭って伽藍の殆どを焼失した。その後の再建の過程で同寺の東金堂の焼けた本尊の代わりとして当時荒廃していた山田寺の薬師三尊像に目をつけ、強奪したのであろう。当時の興福寺の勢力の強さが想像される。

(3)1411年(応永18年)に東金堂は雷の火災で、この仏像の胴体が失われ、頭部だけ残った。

(4)1937年(昭和12年)に興福寺の東金堂の修理中に須弥座の下より仏頭が発見され、大きく新聞などで報道され、その後上述の如く国宝・仏頭(薬師如来)として、興福寺国宝館に展示されている。

(5)この仏頭は童顔の若々しい張りのある肉付き、眉と眼の直線的な切れ味、高い鼻梁(びりょう)、長く垂れ下がる耳は白鳳期の特徴をよく示している。
1023年(治安3年)10月に53才の藤原道長は高野山参詣の途中、飛鳥・山田寺に寄り、堂塔及び堂中は奇偉荘厳で言語に尽くしがたく黙し、心眼及ばずと感嘆した。当時の山田寺の荘厳なことと仏頭(薬師三尊)の凛然(りんぜん)とした姿に感服したのであろう。 【“興福寺 仏頭  東京藝術大学大学美術館で拝顔”の続きを読む】

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仏さまは美しい

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獅子窟寺 薬師如来坐像
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-244.html

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秋篠寺 伎芸天
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/2025275.html

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敦煌莫高窟 45窟 盛唐
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阿修羅7

興福寺八部衆のうち阿修羅像
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【魅惑の仏像、ギャラリー】
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-41.html

【東洋のヴィーナス】
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仏さまの叡智

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仏さまは人々を叡智をもって導いてくださる。

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仏さまは自ら厳しく修業され、また人々の修業がよくできるように助けてくださる。

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仏さまはこの世の中が良くなり人々をどう救うかを常に考えておられる。

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仏さまは常に叡智をより高めるように瞑想しておられる。そしてそのお姿は真にお美しい。

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仏さまの功徳

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「喜」怒哀楽

仏さまは喜ばしい気持ちで拝顔すれば、その喜びをともにしてくださる。

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喜「怒」哀楽

仏さまは怒れる気持ちを抑えたいと思い拝顔すれば、その怒りをともに取り去ってくださる。

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喜怒「哀」楽

仏さまは哀しい想いを抱えきれずに拝顔すれば、その哀しみをともにし慰めてくださる。

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喜怒哀「楽」

仏さまは人生に感謝の心得をもって拝顔すれば、人生の楽しさをともに歩むことをすすめてくださる。

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