大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

本の整理

仏像1

今日は時間があったので、少しく蔵書の整理を行なった。

◆戦前に書かれて、いまもよく手にとる本は以下のとおり。

和辻哲郎 『古寺巡礼』1919年
黒田鵬心 『日本美術史講話』1929年
加藤泰  『日本美術史話』1937年
濱田耕筰 『日本美術史研究』1940年
井上政次 『大和古寺』1941年
本郷新  『彫刻の美』1942年
『法隆寺図説』1942年
亀井勝一郎『大和古寺風物詩』1943年
望月信成 『日本上代の彫刻』1943年
野間清六 『日本彫刻の美』1943年
井島 勉 『日本美術図譜』1944年
足立 康 『日本彫刻史の研究』1944年

◆学生のときからお世話になっているシリーズ

日本の美術 No 21 飛鳥・白鳳彫刻 1968年 1月号 上原 昭一 (1968/1/1)
日本の美術 No.15 天平彫刻 1967年 7月号 杉山 二郎 (1967/7/1)
日本の美術 No 44 貞観彫刻 1970年 1月号 倉田 文作 (1970/1/15)
日本の美術 No 50 藤原彫刻 1970年 7月号 中野 玄三 (1970/7/15)
日本の美術 No 78 運慶と快慶 田辺三郎助 (1972)
日本の美術 No 40 鎌倉彫刻 1969年 8月号 西川 新次 (1969/8/15)
日本の美術 No.10 肖像彫刻 1967年 2月号 東京国立博物館 (1967/2/1)
日本の美術 No 98 室町彫刻 1974年 7月号 上原 昭一 (1974/7/15)


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醍醐寺 大日如来坐像

醍醐寺大日如来

醍醐寺大日如来2

 醍醐寺は大寺であり豪勢な寺である。建築、庭園、史跡など見所が多い。じっくりと回ればゆうに半日以上はかかろう。そのなかにあって彫刻、すなわち仏像は以下のような集積はあっても、全体としてはなお控えめな存在である。

【国宝】
彫刻木造薬師如来及両脇侍像(旧上醍醐薬師堂安置)
【重文】
彫刻木造薬師如来及両脇侍像(金堂安置)
銅造阿弥陀如来坐像
木造阿弥陀如来坐像
木造聖観音立像
木造千手観音立像
木造如意輪観音坐像
木造地蔵菩薩立像
木造弥勒菩薩坐像 快慶作(三宝院本堂安置)
木造閻魔天像
木造吉祥天立像
木造金剛力士立像(所在西大門) - 1134年造立
木造帝釈天騎象像
木造五大明王像(旧三宝院護摩堂安置)
木造不動明王坐像 快慶作
木造不動明王坐像
木造五大明王像(上醍醐五大堂安置)[2]
木造理源大師坐像(開山堂安置)
(次のHPを参照)

http://www.daigoji.or.jp/

 その醍醐寺が奈良にやってくる。奈良博の夏場から初秋(晩夏)[平成26年7月19日(土)~9月15日(月・祝)]にかけてのメイン・イベントは醍醐寺展(「国宝醍醐寺のすべて―密教のほとけと聖教―」)である。大きな話題となろう。
http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2014toku/daigoji/daigoji.pdf

 奈良博HPは、醍醐寺のプロフィールを簡潔にまとめている。以下は引用。

「醍醐寺の歴史は、貞観16年(874)理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう)が京都山科の笠取山山上に准胝・如意輪の両観音像を安置したことに始まります。以来、真言宗小野流の中心寺院として発展してきました。
 醍醐寺は、奈良とも深い関わりを持っています。聖宝は若き日に東大寺で修学を重ね、鎌倉時代初めに東大寺再興の指揮をとった大勧進重源(ちょうげん)は、醍醐寺の出身でした。さらに、吉野を拠点として活動した修験道当山派は、大峯修行を再興したとされる聖宝を祖と仰ぎ、醍醐寺三宝院門跡(さんぽういんもんぜき)が当山派の棟梁となります。
 こうした長きにわたる醍醐寺の歴史は、修法の記録や研究の成果である聖教(しょうぎょう)、権力者との遣り取りを記す古文書によって、詳細に知ることが出来ます。膨大な文書・聖教群が、数百年の時を超えて維持されてきた背景には、僧侶による並々ならぬ努力がありました。このたび、平成25年に69378点に及ぶ醍醐寺文書聖教が国宝に指定されたことを記念し、醍醐寺の歴史と美術をたどる特別展を開催致します」。 
http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2014toku/daigoji/daigoji_index.html

 さて、(以上の基礎知識をふまえて)上記写真をご覧いただきたい。国宝でも重文でもない平安時代の大日如来坐像(金剛界)である。いささか整いすぎた感はあるが、おそらく江戸時代の修理(記録あり)の精緻さゆえであり、原型がうしなわれた(古色をほどこすなど手が入りすぎた?)という判断からか文化財としては「無冠」の扱いとなっている。

 しかし、醍醐寺のそれ以外の仏さま(上記国宝、重文)と比較しても、一観察者として、この仏さまの品位と美形はなかなかに際立っていると思う。同じく無冠の如意輪観音様(下記)もおあすのだが、こちらは類似作も多数あれど、この大日如来坐像は平安時代の作品のなかでも一頭、群をぬいていると感じた。

 形の優劣ではなく、文献考証などが確定され(歴史的由来正しく)、後補の影響が軽微であれば国宝、重文の指定がなされ、小生のような俗人が実に良きお姿と感じても、それを評価する術はもちろんない。しかし、それをおかしいというつもりはなく、自身の好きな仏さまをみつけるのに、国宝、重文の「権威」は必ずしもいらないと考えよう。運慶のかの円成寺大日像以前に鑿がうたれ、江戸時代の仏師が修理に丹精をこめた最優品のひとつ、それで良いと思う。

 拝観期間は限定ながらいまは「醍醐の春」。秀吉が晩年に愛でた醍醐の桜は現在も約800本。花見のつれづれに幸い霊宝館仏像棟にて、お側近くで凝視できる格好な公開シーズンである。
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円覚寺に行く

円覚寺聖観音菩薩坐像3

 逗子で浄楽寺の3月3日(年2日のうち)の特別拝観をみて、北鎌倉で下車して東慶寺仏像展2014をじっくり回り、まだ時間があるので浄智寺をへて円覚寺に足を運ぶ。円覚寺もひさしぶりに全山をゆるりと散策した。
 さて、山門近くの比較的小さなお堂「選仏場」にて、良き仏さまとお会いした。気にいって帰りにいま一度確認のため立ち寄り、一眼鏡でクローズアップして見る。美しい表情とは直観したが、残念ながら像が黒く、かつまわりが暗く、かならずしも明らかでない。一般には、正面におわす堂々たる薬師如来立像に視線がいき、「右にもよく見えないけれど坐像があるな」といったところではないかと思うが、とても勿体無い。お顔立ちの良さは東慶寺水月観音と伍していると思った。


円覚寺聖観音菩薩坐像

楊貴妃観音

  インターネット上で良い画像がなかなか見つからない。有難いことに上に掲げた1枚を発見(出典は下記を参照)。実際におそば近くでのお顔の特有な雰囲気を伝えることはできないけれど、イメージづくりのために、京都の美形中の美形、泉涌寺・楊貴妃観音を掲げてみた。ご尊顔部のみ、眼を凝らして比較していただきたい。姿態は円覚寺像は、東慶寺水月観音同様、下記にしるした遊戯観音のさまなので異なるが、うつむき加減な相貌は如何だろうか。

(参考)
http://nora-pp.at.webry.info/201108/article_8.html
円覚寺HPも参照
http://www.engakuji.or.jp/about/ 【“円覚寺に行く”の続きを読む】

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東慶寺へ行く

水月観音菩薩半跏像
神奈川県指定文化財 鎌倉時代・13世紀 像高34.0cm 木造、金泥塗・彩色、玉眼

【以下は引用】

岩にもたれてくつろいだ姿勢をとる観音像。同様の姿は水墨画に多く、水月観音、楊柳(ようりゅう)観音、白衣(びゃくえ)観音などの名前がある。この像は水面に映った月を見る姿と言われる。こうしたくつろいだ姿の観音像は、中国の宋から元時代に大流行した。観音は補陀洛山(ふだらくせん)というところに住むと言われるが、中国では山と言えば仙人のいる場所である。観音と仙人が重ね合わされた結果、仙人特有のポーズを観音がとることになったと考えられる。 中国で大流行したのに、日本では鎌倉周辺にしか見られない。おそらく保守的な京都では菩薩にふさわしくないとして受け容れられなかったのだろう。これに対して、鎌倉は中国風をより積極的に受容したことがわかる。 かつては室町時代あるいは南北朝時代の作とされていたが、頭髪や衣の写実的な表現がみごとで、鎌倉時代も13世紀の作と見られる。東慶寺開山、北条時宗夫人の覚山尼にかかわる遺品である可能性もある。銅製の冠、胸飾などは後世補われたもの(東慶寺HP)
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「東慶寺仏像展2014」が4月23日(水)まで、東慶寺の松岡宝蔵で開催されている。午前9時30分から午後3時30分まで、会期中は無休。入館料300円(入山料は別途)。

 期間中、常設展示の「聖観音菩薩立像(重要文化財)」のほか、同寺20世住職天秀尼の念持仏「阿弥陀如来立像」や「香薬師如来像」、「観音菩薩半跏像」などが展示されている。また、3月27日(木)まで限定で通常「水月堂」で特別拝観としている「水月観音菩薩半跏像(県指定文化財)」の特別展示も。

 3月30日(日)には東京国立博物館の浅見龍介氏を招いて講演会を行う予定。午後1時から2時30分まで、予約制。
 予約や問合わせは【電話】0467・33・5100東慶寺へ。
http://www.townnews.co.jp/0602/2014/02/14/225343.html

  浄楽寺のつぎに東慶寺に立ち寄る。この季節は寺内に点在する有名な紅梅、白梅とともに、鎌倉を代表する見どころである。松岡宝蔵(宝物館)は、ふだん月曜日は休館ながら「東慶寺仏像展2014」の期間中は幸い開いている。尼寺に似つかわしい清潔で瀟洒な小館はとても居心地がいい。鎌倉らしい凛とした佇まいは訪問者にとって清清しいおもてなしだ。

 特別拝観で水月観音菩薩半跏像に久しぶりにお会いする。鎌倉では、江ノ島の艶麗な弁財天様と人気を二分する(?)美形の仏さまである。しかし、照明(この場合は自然光)と見る角度(仰角)によって、受ける印象は異なる。近くで拝観できるメリットはあるけれど、残念ながら、ご尊顔をつぶさに拝見するには照度が足りない気がした。

【光と仰角】
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-192.html

【江ノ島弁財天】
http://blog.goo.ne.jp/tomotubby/e/c7de4ee8900eec3980543af9b22ca7e0

 お顔の中性的な威厳(あるいは諦観)と胴体部の女性らしい艶かしさがアンビバレントである。造像的には見事な一体感がありながら、受ける印象は複雑で相克的と言っても良いかも知れない。だからこそ、訪れる女性の多くの支持と共感があるのかも知れない。男性に人気の江ノ島の弁財天様とは、その意味でも対極の存在である。
 遊戯観音ではほかに名品がある。北條寺聖観音像である。下記を参照されたい。


北条寺遊戯観音4


【以下は引用】
北條寺本尊・観音菩薩半跏像[かんのんぼさつはんかぞう](県指定文化財)。半跏とは半跏坐[はんかざ]の略で、両足を組む結跏趺坐[けっかふざ]から、片足のみ崩して下ろす坐法。結跏趺坐は足裏を上にして反対側の膝上に乗せて組むのが正式だから、本像のように右足が左膝に乗らない形は、厳密には遊戯坐[ゆげざ]と呼ぶべきだが、これも含めて半跏像ということが多い。ところで遊戯坐は日本の古い仏像にはあまり見られず、中国宋時代の観音像に多い坐法。
 本像の腹部に裙[くん](巻スカート)の結び目が見えるのも、衣の裾が複雑な衣文[えもん]を見せながら長く垂れ下がるのも宋風である。これらの特徴は、宋からもたらされた仏像や絵画の表現を学んだもの。大陸文化への憧れを背景に、宋美術の強い影響を受けて鎌倉後期から南北朝時代の鎌倉を中心に流行した造形で、本像もこの頃の像と考えられる。
 伊豆の地誌「豆州志稿」は、本像は天竺[てんじく](インド)から中国に渡った伽羅木[きゃらぼく](香木)の像で、遣唐使として渡唐した智証大師(円珍[えんちん])が日本に持ち帰ったと記す。この記述を事実とは認め難いが、本像の異国的な姿が生んだ伝説だろう。
出典:http://izu-np.co.jp/feature/news/20130414iz0003000126000c.html

インドに源流がある遊戯観音。参考までにインド博物館蔵の良い画像があるので以下に添付。

インド博物館蔵 遊戯坐
出典:http://www.ne.jp/asahi/y-sakai/fukui/sub28.html

アメリカのネルソン・アトキンズ美術館にも中国:水月観音像として以下のたおやかな像があるようだ

ネルソン・アトキンズ美術館所蔵 中国水月観音像

出典:http://blog.livedoor.jp/ishizueblog/archives/51766420.html

  さて、ここで思いがけず遭遇した木心乾漆造、漆箔、奈良時代の如来坐像(内田満氏寄贈)が小ぶりながら優作だった。唐招提寺の諸仏を連想させるが、小仏でありながら堂々とした存在感がある。残念ながらネットで画像が見つからなかったが、「試みの大仏」同様の大像を念頭においた試験作かも。顔を寄せて細見するが、古くからの念持仏であったか、あるいはコレクションものの寄贈であったか。

香薬師如来像

[出品作品より]
奈良新薬師寺に伝わった銅造香薬師如来像は白鳳時代を代表する傑作のひとつであるが、昭和18年盗難にあい今に発見されていない。 時の住持の悲嘆を見かねて、東大寺の上司 海雲師が文芸春秋社長 佐佐木茂索氏に話し、氏もこれに同情し、幸いに寺にこの立像の石膏模型のあるのを利用し 昭和25年に3体の模造を鋳造、一体を新薬師寺に寄贈し、一体を国立博物館に、もう一体を佐佐木家に所蔵したが、27回忌に東慶寺に寄贈された。 本像は模造とはいえ大変精巧な作でよく当初の面影を伝え、微笑をたたえた童顔の面相、薄い衣を透かして体躯の抑揚がたくみに表現されているのも白鳳後期(7世紀末)の特色で、左手には小さな薬壺をとり 前につき出した右手も人々をさしまねくようなしぐさ。 この像もまた 深い感銘を与えるであろう。(久野健博士解説)東慶寺HP

 最後に香薬師如来像のレプリカを。上記経緯のとおりだが、レプリカ3体のうちの1体である。これについては以下も参照。

(参考)天平彫刻の魅力(3):新薬師寺
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-30.html

東慶寺はHPがとても充実している。詳細は以下を参照。
http://www.tokeiji.com/heritage/honzon-shakanyorai/

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浄楽寺へ行く

浄楽寺4

【以下は引用】
 横須賀市芦名の浄楽寺で3日、いずれも鎌倉時代の仏師・運慶作で国指定重要文化財の阿弥陀(あみだ)三尊像、不動明王立像、毘沙門天立像が開帳された。関東では数少ない運慶の傑作が間近で見られるとあって、大勢の拝観者でにぎわった。
 浄楽寺は鎌倉幕府の有力御家人・和田義盛が建立したと伝えられる。義盛は奥州合戦での戦勝祈願とともに北条時政への対抗心から、木造の阿弥陀三尊像などを造らせたとみられる。同寺では、毎年3月3日と10月19日の2回、本堂裏手の収蔵庫に安置するこれらの仏像を開帳している。(2013年3月4日 神奈川新聞)
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1303040003/
 

 今年も上記とまったく同じ風景。そこに小生もいた。残雪がまだ少しあって、昨夜からの小雨がやんだ直後だった。堂宇内はひとしお寒かった。午前10:30頃に入館したが、善男善女が次々に狭い空間に押しかけてくる。されど、床板からの冷気厳しく、人いきれで暖をとれる・・・とまではいかない。以前もお目にかかっている仏さまばかりながら、こちらの心構えが反映し、やはり足を運んで拝顔すると有り難味がます気がする。

【阿弥陀三尊】
浄楽寺1

運慶展 (11)

浄楽寺 運慶 阿弥陀4

浄楽寺 運慶 阿弥陀3

浄楽寺 運慶 阿弥陀

浄楽寺 運慶 阿弥陀2

0-20.jpg
【毘沙門天】
運慶展 (2)
【不動明王】
浄楽寺3

  寒いなか地元ボランティアの方の丁寧な解説があった。面白かったのは、願成就院諸像が国宝に指定されたのに、浄楽寺の彫刻群は重文のまま据え置かれたことについてのコメント。荒ぶる(独創性の高い)願成就院諸像に対して、大人しい(平安様式も残す)浄楽寺諸像のちがいではないか・・・といった見立てであった。後補のやり方、程度の違いもあるだろうと思う。
 
 浄楽寺阿弥陀如来については、興福寺北円堂本尊(弥勒如来坐像)のほうに、むしろ近接性があるように感じた。写真の右指をご覧いただきたいが、印相が同じである。西村公朝氏は、「品」は信仰の深さを、「生」はどれだけ善行をしたかを表すとし、願成就院像が武士向けの「中品中生」印であることを解説しておられる(西村公朝 熊田由美子『運慶 仏像彫刻の革命』新潮社 1997年 pp.37-38)。運慶は造像にあたって印相による表現の違いを意識していたという重要な指摘である。とすれば、浄楽寺像、興福寺像の表現にそれが投影されていてもおかしくはない(下記の画も参照)。

 また、「やや大人しい作風」といった点も曲者である。そもそも像内納入の銘札がはやくから知られていながら、浄楽寺像は日本美術史の専門家からは、ながらく運慶の真作とは認められてこなかった。有名な久野健氏のX線撮影によって、願成就院像が運慶作と認められ、であれば浄楽寺像も・・・といった不名誉な連鎖的な「認定」であったことは忘れてはならない。それくらい様式史は危ういものなのに、いまだその呪縛からまったく開放されていないように思う。

 運慶、晩年の最高傑作と日本美術史の専門家が絶賛する北円堂弥勒如来坐像は本当に完成された様式なのか?たとえば、初期の大日如来坐像と比較して、ここには形式化による「大人しさ」は微塵もないと誰がいえるのだろうか?
 むしろ、ミステリー風にいえば、動機、アリバイ、本星と3つの要素をみれば、「動機」はあくまでも施主の意向を踏まえたもの、「アリバイ」は製作日数の長短、そして「本星」は、どの程度、運慶自身が関与したのかにあるように思う。浄楽寺像も運慶他弟子など10名が造像に参加、弥勒如来坐像では運慶工房はすでに隆々と巨大化しており、どの程度、運慶自身の鑿(ノミ)が入っているかは不詳。

 さらに言えば、「アリバイ」でも運慶工房は一度に多くの仕事をかかえており、運慶自身の関与度合いも異なり、その出来ばえには差があったとしてもなんら不思議はない。しかし、われわれが現在、拝顔できるのはあくまでも現存作であり、厖大な作品群のごく一部にすぎないことを忘れてはならない。相対的だか、秀作も凡作もならべて、年代順に様式史を緻密化しても意味はない(場合もある)。
 虚心にみれば、浄楽寺阿弥陀如来は立派な作品であり、無理な様式論で優劣は論じてはならないと考える。ながらくご尊顔を拝していてほかに考えることもあったが後日に・・・。


(参考)運慶、快慶など国宝指定
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-354.html

【興福寺北円堂本尊】
運慶北円堂2

運慶北円堂3

運慶北円堂4

運慶北円堂6

運慶北円堂7

【良く比較される願成就院像】
運慶展 (10)

運慶展 (9)

阿弥陀三印相

【運慶、快慶、慶派】インデックスとして
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-282.html

(参考)【特別展】運慶 中世密教と鎌倉幕府 神奈川県立金沢文庫80年
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-212.html
(参考)運慶ブーム
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-210.html
(参考)運慶ブーム2
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-211.html
(参考)参考文献リスト 4  鎌倉時代の彫刻
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-category-4.html

なお、各像の概要については以下も参照
http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/raisan/shodana/shodana49.htm

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