大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

快慶 安倍文殊院 騎獅文殊菩薩像

◆安倍文殊院2
安倍文殊院の諸像

 東京国立博物館には、興福寺勧学院の旧本尊と伝来される渡海文殊像がある。湛慶の後継者、康円の晩年の作であり1273(文永10)年の納入文書があるようだ。快慶の渡海文殊像は1220(承久2)年開眼なので、約半世紀後もこうした新たな群像がつくられていたことは大変興味深い。当時の南都での信仰の一端を示すものだろう。以下は東京国立博物館からの引用。

「この一群の像は五台山文殊(ごだいさんもんじゅ)とも渡海文殊(とかいもんじゅ)とも呼ばれ、中国における文殊の聖地五台山信仰を背景に産まれた図像に基づくが、海を渡る表現は日本に独特のものである。この像では台座の框(かまち)の上面に海の波が描かれている。文殊菩薩は髻(もとどり)を5つ結う形で、少年のような容姿に造るのは、経典に「童子相」とあるのによる。文殊の知恵が子供のように清らかであることを示す。侍者のうち幼い子供の姿は善財童子(ぜんざいどうし)。童子は文殊菩薩の説法に導かれて53の善知識を訪問し、菩薩行を体得したと『華厳経(けごんきょう)』に記される。」

http://www.emuseum.jp/detail/100434/000/000?mode=detail&d_lang=ja&s_lang=ja&class=3&title=&c_e=®ion=&era=¢ury=&cptype=&owner=&pos=9&num=2

 中国には菩薩信仰の聖地があり、「仏教四大名山」と呼ばれる。文殊菩薩の聖地は五台山(山西省)、普賢菩薩は峨眉山(がびざん、四川省)、観音菩薩は普陀山(浙江省)、地蔵菩薩は九華山(きゅうかざん、安徽省)。
渡海文殊は、文殊様がはるばる五台山から眷属を引き連れ、日本海を渡って、あるいは雲にのって日本に来てくださるという有難いストーリーと言えようか。
 円仁が将来した密教秘法では文殊菩薩を本尊とし、当時仏画もあわせて輸入されたが、同道する眷族は決まっており文殊五尊(五台山文殊)と呼ばれる。優填王(うてんおう、インドの国王と言われる)、最勝老人(さいしょうろうじん、文殊の化身。文殊院では文殊の問答相手の維摩居士とされる)、仏陀波利三蔵(ぶつだはりさんぞう、インドの学僧)、善財童子(文殊の影響から求技の旅にでた案内役)などであり、いずれも役回りがあるがそれは省略。
 慶派は、集団としてこの文殊五尊を「カタログ化」していたようで、先の康円作のほか、京都市左京区黒谷の金戒光明寺には運慶作と伝えられるものもある。さて、快慶像である。


快慶木造騎獅文殊菩薩及脇侍像
騎獅文殊菩薩像

 騎獅文殊菩薩および眷属像。重源と文殊院との所縁はすでに書いた。自ら五台山に学んだ重源、東大寺の別院でその重要度の高い寺院での慶派工房得意の作である。快慶の力が入らないわけがない。
 本尊の騎獅文殊菩薩は、桃山時代後補の獅子像をふくめて高さ約7mの大作。文殊菩薩像単体でも198.0mの像高がある。檜材の寄木造りでほかの眷属が玉眼なのに、本像は彫眼ながら双眼鏡でみると実に眼力のある彫り方である。
 内身は粉溜(素地に膠を塗り、その表面に金を鑢で細かくした粉をまいたもの)で装飾され、かつ彩色がほどこされている。見るからに緻密で細心の作業を思わせる。1203年に「安阿弥陀仏」(快慶)墨書銘があり、開眼は1220年。
 すでに、「美と醜」、「聖と俗」、「麗と朴」といった二分法的な発想では、快慶は前者のイメージ(美と聖と麗)が強いと書いたが、本像は文殊らしい童顔のうちに独特の強さも秘めていると感じる。遠くを一直線に見つめる眼差しには布教の決意がこめられているかのようだ。


→ (参照)拙稿「快慶論」 http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-426.html 【“快慶 安倍文殊院 騎獅文殊菩薩像”の続きを読む】

奈良 室生・桜井 に遊ぶ

◆室生寺金堂諸仏
室生寺金堂諸仏

 畏友O氏の案内で、奈良に遊ぶ。関西在勤中の2008年4月27日以来である。前回は観音寺(普賢寺)、蟹満寺、禅定寺、MIHO MUSEUM、関宿といった広域コースであったが、今回のO氏の推賞コースは室生・桜井方面に絞っての拝観である。

(参考)前回のメモ
◆飛鳥・白鳳彫刻の魅力(5) 蟹満寺釈迦如来座像
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-59.html

 室生寺、聖林寺、そして安倍文殊院をクルマでまわり、飛鳥の山田寺近くの山田亭にて出汁のきいた美味しい天婦羅うどんをご馳走になって、近鉄橿原神宮前駅まで送ってもらう。いつもながら心から有難く、多謝である。

 以下は、室生寺、聖林寺の諸像の一部についての感想(動画をふくめ下記記事も参照)。

◆室生寺十一面観音
室生寺金堂十一面観音

 室生寺金堂の十一面観音立像は、小雪舞う冷気のなかにあって、ほの温かさを感じさせる絶妙な表情(特に向かって斜め左側からのお姿がとてもよい)が淡い彩色とともに印象に残る。平安当時、特定の若き美女を写したかもしれない「あざとさ」を感じさせる一方で、その印象を脱色するかのような可憐さ、清純さ、慈しみが前面に見事にでている。今世の善女からの圧倒的な支持をうける理由がわかる気がした。

◆室生寺釈迦坐像
室生寺国宝釈迦坐像

◆室生寺釈迦立像
室生寺国宝釈迦立像

 室生寺では、立像、坐像の2体の国宝釈迦如来が有名だが、坐像のほうは出開帳でいろいろなところにおでかけになっており、眼にふれる機会も多い。名優フランキー堺(古いなあ・・・)に似ている、などと不謹慎な軽口をたたき、O氏の顰蹙をかったかも知れないが、それだけ誰にでも親しみやすいご尊顔である。
 一方、立像の方は金堂のご本尊だが、本来は薬師如来であったとも言われる。前に控える十二神将との眷属関連でも薬師如来説には説得力がある。神護寺や元興寺などの貞観彫刻にくらべて、いかにも柔和な印象ながら、像高237.7㎝のお姿は実に大きく見える。帰宅後調べて、深く鋭角的な「翻波式」衣文に対して薄く流麗に彫る「漣波式」衣文と呼ばれることを思い出したが、漣(波)<さざなみ>の譬えはなるほどと思う。また、残された黒漆の胴体とベンガラ彩色の薄紅色の法衣のコントラストもユニークである。

聖林寺6
聖林寺十一面観音立像

 聖林寺十一面観音立像のご尊顔には森厳さが漂う。209.1㎝の大像の体躯、その素晴らしいプロポーションは「現代的な」女性美の基準にぴたりと合致するが、ご尊顔に集中すれば、痛々しいひび割れ、剥落をあえて「自己補正」して見たとしても、その本来の面立ちには厳しさと近寄りがたい「稟性」がある。体躯の女性を打ち消すような丈夫ぶりといっていいかも知れない。
 その一方で、なぜかまわりに寂寞さが漂う。室生寺の群像の仏さまの「ほっこり感」とは対極の、孤高の屹立さは緊張感を周囲に放ってるようだ。この仏さまに関しては、かつての小生の「あざとい」見方そのものを修正せねばならない。かつ本像隣・中央には、おそらくいまの薬師寺薬師三尊同様、森厳さを湛えた「本尊如来」がおあしたのではないかと見ながらに勝手に連想した。いまは一人残されて佇む者ゆえの強き孤高さかも知れない。


(参考)
十一面観音像の由来(聖林寺以前に大神寺<大御輪寺>に本像があったことを踏まえて)

【以下は引用】
 さて、十一面観音像であるが、大神寺の創建以来の仏像であると思いたいところであるが、そうは単純に断定できないらしい。観音像の安置が確認できるのは、文献や旧本堂の建築的な検討から弘安3年以降となる。それ以前の本堂のスケールでは十一面観音像を納めるには無理があるというのが、専門家の意見である。それでは、大神寺の他の堂から観音像は移されたのか、あるいは他の寺から運ばれたのか。これも両説がある。

 本殿の天井裏から脱活乾漆の螺髪断片が見つかっていて、奈良時代の丈六如来像の一部と考えられる。乾漆造りの仏像は官営の工房が担った。大神寺は氏寺にしては相当の規模と内容を備えたものであったと想像できるが、これは大神氏が名門であったことと朝廷からの厚い支援あってこそ可能だろう。沙門浄三の記事は朝廷との太いパイプを裏付けているのではないだろうか。乾漆の丈六如来像に脇侍の十一面観音像、古代三輪山の麓に招来され、麗しくも輝いた美形の仏たちが思い浮かぶのである
<出典>奈良歴史漫歩 No.071「大御輪寺の滅亡」橋川紀夫氏による
http://www5.kcn.ne.jp/~book-h/mm074.html

◆仏像・雑感
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-305.html
◆聖林寺十一面観音立像 美の巨人たち
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-376.html
◆仏像は深い34 あざとい「美しさ」のほとけさま
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1853842.html

  安倍文殊院の諸像についても、さまざまなことを考えたが、下記、快慶論を補完する意味でも他日に期したい。

◆快慶論
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-426.html

中国の仏像 成都で新発見

◆成都2014仏像発見

◆◆成都2014仏像発見2

 中国にはまだまだ、さまざまな仏像の発見があるだろう。地中に眠っている石仏は今後も出土する可能性がある。その一方で、仕組まれた贋作もあるだろう。そこも中国の逞しさかも知れない。

【以下は引用】
成都で1000年前の"金メッキ仏像"が出土

成都市文物考古研究所は15日、「11月に入ってから、もともと成都市水表場(水量メーター工場)だった青羊区下同仁路126号の発掘現場で、石でできた仏像彫刻と関連文化財80点あまりが出土した」と発表しました。

 今回の出土品の中には金メッキが施された珍しい仏像彫刻が含まれています。出土品の多くは、今から1500年前の南北朝時代から唐の時代の間に作られたものと見られています。(殷、高橋敬)

http://japanese.cri.cn/881/2014/12/16/142s230292.htm

謹賀新年

初日の出4

謹賀新年
本年もどうぞよろしくお願いします。
2015年元旦

FC2Ad