大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

『韓国仏像史 三国時代から朝鮮王朝まで』 水野さや著

日韓半跏思惟像4
注目すべき書物である。時間があるときに、じっくりと手にとってみたいと思う。以下はそのための備忘録まで。

【以下は引用】
半島ならではの色合い

 西暦五三八年、百済の聖明王から仏像と経文が大和朝廷にもたらされ、日本に仏教が伝来した、と高校日本史で習う。次の世紀には日本でも本格的な仏像製作がはじまるが、法隆寺の釈迦三尊像や「百済観音」、中宮寺の菩薩半跏ぼさつはんか像、広隆寺の弥勒みろく菩薩半跏思惟像など、飛鳥時代を代表する作品には朝鮮半島の影響が強く残ると教えられる。だが、かの地の仏像について、私たちは多くを知らないままに済ませてきた。

 朝鮮半島では、三国時代、中国の前秦からまず高句麗に、続いて東晋から百済に仏教は伝わった。四世紀後半のことであり、半世紀ほど遅れて新羅にも仏教は伝わる。こうして、三国時代の朝鮮半島は仏教色に染まってゆく。仏像製作がそれに伴った。仏像製作は三国の間で刺激しあい、中国からの影響も受けながら、半島ならではの色合いを滲にじませてゆく。統一新羅時代から高麗時代にかけても王朝に手厚く保護された仏教信仰は民間に浸透し、仏像は時代ごとの表情をみせてゆく。崇儒すうじゅ廃仏を掲げた李氏朝鮮時代でさえも、面相が優雅で温和、姿勢が荘重で温雅な仏像が数多く製作されていた。

 朝鮮半島の今に残る仏像は、古くはもっぱら金銅仏と石造仏である。統一新羅時代から鉄造の仏像がこれに加わる。塑像は朝鮮時代になって普及した。日本には「百済観音」をはじめ木造仏が伝わったが、なぜか朝鮮半島に木造仏は残らなかったのだ。それでも、三国時代の金銅菩薩半跏思惟像は広隆寺に伝わる木造の弥勒菩薩像を思わせずにはおかないだろう。慶州の石窟庵ソックラムに坐ざす如来像(八世紀中頃)は、写真からでも、その静寂の内に秘めたのびやかな力量感が伝わってくる。

 本書は日本で最初の朝鮮半島の仏像通史である。著者は東アジア、なかでも朝鮮半島の仏像史研究に携わる美術史家。各時代に目を配り、韓国の研究者たちとの議論をふまえつつ、個々の作例にじつに丁寧な解説をほどこしてゆく。

 ◇みずの・さや=愛知県生まれ。金沢美術工芸大准教授、文学博士。著書に『図説 韓国の国宝』など。

 名古屋大学出版会 4800円

2016年11月07日 05時28分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

聖徳太子のまなざし

法隆寺釈迦三尊2

日経新聞で日曜日「美の美」のコーナーで3回にわたって「聖徳太子のまなざし」という特集があった。第1回では釈迦三尊像と聖徳太子二王子像(唐本御影)が、第2回では聖徳太子坐像(聖霊院御影)と塔本塑像(北面)が、そして第3回では救世観音菩薩立像と聖徳太子供養像(孝養御影)が取り上げられている。全体としてはオーソドックスな解釈と丁寧な解説で良い記事だと思った。

聖徳太子についても、法隆寺に関しても拙ブログでいままで随分書いてきたのでここでは繰り返さない。前者については、一部はいささかユニークな(へそ曲がりの)本を読んで書いたものだが、以下のカテゴリーの「聖徳太子論」をご覧いただきたい。

◆飛鳥・白鳳彫刻の魅力(5):聖徳太子
小林惠子『聖徳太子の正体―英雄は海を渡ってやってきた』 (文春文庫)
◆聖徳太子について(1)
「奈良検定」の聖徳太子創建七ヶ寺:橘寺、法隆寺、中宮寺、法起寺、四天王寺(大阪)、広隆寺(京都)、葛木寺
◆聖徳太子について(2)
勝鬘師子吼一乗大方便方広経(勝鬘経)
◆聖徳太子について(3)
法隆寺伽藍縁起併流記資材帳、法貴寺縁起、法貴寺縁起ほか
◆聖徳太子について(4)
法華義疏、法蓮華経(鳩摩羅什訳、5世紀)
◆聖徳太子について(5)
日本書紀
◆聖徳太子について(6)
上原和『斑鳩の白い道のうえに―聖徳太子論』(朝日新聞社 1975年)
◆聖徳太子について(7)
黛弘道『古代史を彩る女人像』(講談社学術文庫 1985年)
◆聖徳太子について(8)
門脇禎二『蘇我蝦夷・入鹿』(人物叢書 日本歴史学会研編集 吉川弘文館刊 1977年)
松本清張「聖徳太子の謎」(『日本史謎と鍵』平凡社刊 1976年所収)
◆聖徳太子について(9)
石渡信一郎『聖徳太子はいなかった』(三一書房 1992年)
◆聖徳太子について(10)
谷沢永一『聖徳太子はいなかった』(新潮新書 2004年)
◆聖徳太子について(11)
3冊の「聖徳太子はいなかった」本
◆大遣唐使展 6 <聖徳太子>
法華義疏写本と天寿国繍帳残闕
◆聖徳太子と中大兄皇子
家系図
◆聖徳太子と空海
田村圓澄『聖徳太子 斑鳩宮の争い』 (中央公論社 1969年(第5版))

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