大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

かんなみ仏の里美術館 重文の仏像、修復開始

◆さくら 富士山

仏の里美術館開館(静岡県函南町)について
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-313.html

【以下は引用】
重文の仏像、修復開始 本来の姿へ 函南の美術館
(2017/5/21 08:08)

 函南町桑原のかんなみ仏の里美術館が所蔵している国指定重要文化財「阿弥陀如来及両脇侍像」の修復作業がこのほど始まった。仏像の一部は一時、行方が分からなくなっていた左腕をつなぎ直すなどの工程を予定していて「全国的にも珍しく、大がかりな作業」(文化庁)という。
 同文化財は鎌倉時代に慶派の仏師実慶が制作した阿弥陀如来坐像と勢至菩薩立像、観音菩薩立像の3体で、800年にわたって地元住民が地域の宝として大切に守り続けてきた。鈴木勝彦館長は「後世に伝えたいという先人の思いの積み重ねが今の修理につながっている。本来の姿に戻し、200年、300年先まで見られるようにしたい」と話した。
 3体はいずれも漆が剝がれ、カビが生えるなど劣化が激しい。同美術館で行った修復では文化庁文化財調査官の指導の下、技術者がアクリル樹脂を塗って剝落止めを施したり、ほこりを除去したりした。

 左腕が亡失していたのは観音菩薩立像。同館で行っている仏像の修復事業で、1年ほど前、別の像につけられていた腕が観音菩薩立像のものと判明した。奈良国立博物館文化財保存修理所(奈良県)に持ち込んで今後、約10カ月掛けて修復するという。同様に傷みがひどかった阿弥陀如来坐像の台座も同修理所に運び入れる。
 3体の仏像が再びそろって同美術館に展示されるのは来年3月ごろになる見込み。

 <メモ>阿弥陀如来坐像の首の内側に「大仏師実慶」の墨書があり、両脇侍像の顔から首の内側に「仏師実慶」との朱書きがあることから、実慶の作と判明した。同像は鎌倉幕府の正史とされる「吾妻鏡」の記録から、鎌倉幕府初代執権の北条時政が戦死した嫡男宗時の霊を弔うため制作を命じたという説が有力だが、地元では源頼朝が造らせたと伝えられている。

http://www.at-s.com/news/article/culture/shizuoka/361518.html

木×仏像(きとぶつぞう)-飛鳥仏から円空へ 日本の木彫仏1000年 見どころ

唐招提寺 薬師立像
重要文化財 木造 薬師如来立像 奈良時代(8世紀) 奈良・唐招提寺

まず、いくつかの展示会の紹介文から。

【以下は引用】
◆【木×仏像】360度で魅了 木彫仏70体を展示

古代から近世まで木で彫られた日本の仏像の歴史をたどる「木×仏像-飛鳥仏から円空へ 日本の木彫仏1000年」(産経新聞社など主催)が8日から大阪市天王寺区の大阪市立美術館で開催される。7日は開会式・内覧会が行われた。

 古来、人間の寿命をはるかに超えた長い時間、風雪に耐えながら立ち続ける樹木に畏敬の念を抱いてきた日本人は、身近で手に入りやすい木を、仏像という祈りの対象の素材として用いてきた。

 約70体で構成される今回の展示は、時代ごとに変わる木材の種類に着目。さらに、造り方や形状がわかりやすいよう、360度どこからでも見られる配置にした。このため、飛鳥時代の「菩薩立像」は横から見ると意外に薄いこと、割れた顔から十一面観音が現れる「宝誌和尚立像」には背後下部に丸い穴があることなども確認できる。

 「いろいろなお寺に宗派を超えて仏像をお出しいただき、充実した展覧会になった」と斎藤龍一・主任学芸員。6月4日まで。
http://www.sankei.com/west/news/170407/wst1704070076-n1.html

◆大阪で、日本の木彫仏1000年の技法展 

「大阪市立美術館」(大阪市天王寺区)で、ユニークな切り口の仏教美術展「木×仏像」が、6月4日までおこなわれています。

仏像の中でも木彫仏に着目し、飛鳥時代から江戸時代まで約1000年の流れをたどるもの。通常、仏像の展覧会は、時代、様式、仏師をテーマに構成されますが、本展のキモは技法や木の種類などです。たとえば技法では、飛鳥時代から平安時代初期までは「一木造(いちぼくづくり)」といって、頭部と体幹部を1本の木から作りました。しかしこの方法には、木材の外側と内側の乾燥度の違いから「干割れ」を起こしやすい欠点があります。そこで像の内部を削る「内刳り」(「背刳り」とも)がおこなわれるようになり、平安時代初期から後期には、仏像を割り、内刳りを施して再接合する「割矧造(わりはぎづくり)」が生まれました。そして平安時代後期になると、複数の部材を組み合わせる「寄木造(よせぎづくり)」へと発展するのです。

技法の進化に伴って使用される木材も、クス(飛鳥・白鳳時代)からカヤ(奈良時代〜平安時代初期)へと変化し、それ以降は主にヒノキを使用する一方、ケヤキ、クス、サクラ、カツラも用いられています。また、霊木や寺社の古材を用いることで、仏像の霊威を高めることもおこなわれました。

本展では、そうした木彫仏の変遷を、主に地元関西の寺院から拝借した55件で紹介しています。頭でっかちのプロポーションが可愛らしい「菩薩立像」、内刳りの様子が分かる「観音菩薩立像」、裂けた顔の下から本来の姿が現れる瞬間を表現した「宝誌和尚立像」など、個性的な仏像が沢山見られるので、マニアならずとも見逃せません。仏像と観客の目線が合うように高さを調整した展示台、陰影を強調して仏像の立体感を伝える照明、360度あらゆる位置から仏像を鑑賞できる配置(担当学芸員の齋藤龍一氏談)など、展示の妙にも注目を。そして最後の展示室では「立体曼陀羅」を思わせる華やかなフィナーレが待ち受けており、観客を驚きと陶酔の世界に導いてくれます。期間は6月4日まで、一般1300円ほか。
https://www.lmaga.jp/news/2017/04/23382/

大阪市美術館 日本の木彫仏1000年の技法展

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関西の仏像集積の分厚さを感じさせる展示会である。関西在勤中に感じたことだが、関西では平安時代の仏像など古仏に、有名でない寺院でも思いがけずお目にかかれる。今回の展示会でも、四天王寺、大門寺、河合寺など大阪の諸寺から半数以上、多くの出品がある。本展の大きな特色だろう。一方で、東博、奈良博からの出品があるのに、京博や京都有力寺院からはない。とても良い企画展なのに何故かなと思う。

【大阪市立美術館】
3 塑造 菩薩立像 Standing Bosatsu, Skt. Bodhisattava 奈良時代・8世紀 Nara period, 8th century 
4 塑造 供養者上半身像 Upper Part of Body of Attendant 奈良時代・8世紀  8th century 
5 木造 塑像心木 Core Wood of Clay Statue 奈良時代・8世紀  8th century 
28 木造 大日如来坐像 Seated Dainichi Nyorai, Skt. Mahāvairocana 10~11世紀 
32 木造 飛天像 Hiten, Flying Apsaras 12世紀
33 木造 聖観音菩薩立像 Standing Sho-kannnon Bosatsu, Skt. Avalokiteśvara 12世紀 
50 木造 薬師如来立像 Standing Yakushi Nyorai, Skt. Bhaiṣajyaguru 江戸時代・17世紀 
<参考> 木造 釈迦如来坐像 Seated Shaka Nyorai, Skt. Śākyamuni 江戸時代・18世紀

【大阪・四天王寺】
9 ◎ 木造 阿弥陀三尊像 Amida Triad, Skt. Amitābha Triad 9世紀 9th century 
31 ◎木造 千手観音・二天像箱仏 Portable Shrine with Thousand-armed Kannnon, Skt Sahasra-bhuja Avalokiteśvara and Two Guardian Kings 12世紀 
43 木造 十一面観音菩薩立像 Standing Eleven-headed Kannon, Skt. Ekādaśamukha Avalokiteśvara 13世紀
45 木造 伝聖徳太子坐像 Seated Youthful Deity(Called Prince Shotoku) 13~14世紀 
46 木造 大日如来坐像 Seated Dainichi Nyorai, Skt. Mahāvairocana 14世紀 

【東京藝術大学大学美術館】
2 木造 天王立像 Standing Guardian King 飛鳥時代・7世紀 Asuka period, 7th century 
19 木造 不空羂索観音菩薩立像 Standing Fukukenzaku Kannon, Skt. Moghapāśa 10~11世紀 
54 木造 仏像寄木法標本(如来坐像) Sample of Statue of Seated Buddha by Joined Wood Block Construction 伊藤礼太郎
By Reitaro Ito 昭和23年(1948)
55 木造 仏像寄木法標本(菩薩立像) Sample of Statue of Standing Boddhisattava by Joined Wood Block Construction 伊藤礼太郎 By Reitaro Ito 昭和23年(1948)
 
【東京国立博物館】
1 木造 菩薩立像 Standing Bosatsu, Skt. Bodhisattava 飛鳥時代・7世紀 Asuka period, 7th century 
39 ◎ 木造 阿弥陀如来立像 Standing Amida Nyorai, Skt. Amitābha 永仙 By Eisen 正嘉3年(1259) 

【奈良国立博物館】
41 ◎ 木造 釈迦如来立像 Standing Shaka Nyorai, Skt. Śākyamuni 玄海 By Genkai 文永10年(1273) 

【奈良・新薬師寺】
37 木造 阿弥陀如来坐像 Seated Amida Nyorai, Skt. Amitābha 13世紀 
40 木造 四天王立像 Standing Four Guardian Kings 文永6年(1269) 
49 木造 賓頭廬尊者坐像 Seated Binzuru, Skt. Piṇḍola Bhāradvāja 室町時代・永正11年(1514) Muromachi period, 1514(Eisho 11) 

【奈良・薬師寺】
14 ◎ 木造 地蔵菩薩立像 Standing Jizo Bosatsu, Skt. Kṣitigarbha 10世紀 
23 ◎木造 吉祥天立像 Standing Kichijo Ten, Skt. Mahāśrī 11~12世紀 

【奈良・唐招提寺】
6 ◎ 木造 薬師如来立像 Standing Yakushi Nyorai, Skt. Bhaiṣajyaguru 奈良時代・8世紀 8th century 
7 ◎木造 伝獅子吼菩薩立像 Standing Bosatsu,Skt. Bodhisattava (Skt. Amoghapāśa) 8世紀 

【奈良・東大寺】
8 ◉ 木造 弥勒如来坐像《試の大仏》 Seated Miroku Buddha, Skt. Maitreya 8~9世紀 

【大阪・大門寺】
34 ◎ 木造 四天王立像 Standing Four Guardian Kings 12世紀 
35 木造 阿弥陀如来坐像 Seated Amida Nyorai, Skt. Amitābha 12世紀 
48 木造 蔵王権現立像 Standing Zao Gongen Deity 南北朝時代・14世紀 Nambokucho period, 14th century 

【大阪・河合寺】
20 ◎ 木造 持国天立像 Standing Jikoku Ten, Skt. Dhṛtarāṣṭra 11~12世紀
21 ◎ 木造 多聞天立像 Standing Tamon Ten, Skt. Vaiśravaṇa 11~12世紀 

【滋賀・櫟野寺】
24 ◎木造 十一面観音菩薩立像 Standing Eleven-headed Kannon, Skt. Ekādaśamukha Avalokiteśvara 11世紀 
25 ◎木造 観音菩薩立像 Standing Kannon Bosatsu, Skt. Avalokiteśvara 12世紀 
26 ◎木造 観音菩薩立像 Standing Kannon Bosatsu, Skt. Avalokiteśvara 12世紀
27 ◎木造 釈迦如来坐像 Seated Shaka Nyorai, Skt. Śākyamuni 11~12世紀 大阪・東光院

【兵庫・太山寺】
29 木造 不動明王立像 Standing Fudo Myoo, Skt. Acalanātha 12世紀 
47 木造 普賢菩薩騎象像 Fugen Bosatsu, Skt. Samantabhadra seated on an Elepfant 南北朝時代・14世紀

【大阪の諸寺】
11 ◎木造 十一面観音菩薩立像 Standing Eleven-headed Kannon, Skt. Ekādaśamukha Avalokiteśvara 9世紀 大阪・長圓寺
12 木造 伝聖徳太子坐像 Seated Shinto Deity(Called Prince Shotoku) 9~10世紀 大阪・若山神社
13 ◎ 木造 虚空蔵菩薩立像 Standing Kokuzo Bosatsu, Skt. Ākāśagarbha 10世紀 大阪・孝恩寺
15 木造 地蔵菩薩立像 Standing Jizo Bosatsu, Skt. Kṣitigarbha 10世紀 大阪・蓮花寺
16 木造 地蔵菩薩立像 Standing Jizo Bosatsu, Skt. Kṣitigarbha 10世紀 大阪・三津寺
17 木造 地蔵菩薩立像《あごなし地蔵》 Standing Jizo Bosatsu, Skt. Kṣitigarbha (Called Skt. Kṣitigarbha without Chin) 10世紀大阪・和光寺
36 ◎ 木造 阿弥陀如来坐像 Seated Amida Nyorai, Skt. Amitābha 鎌倉時代・13世紀 大阪・専修寺
42 木造 釈迦如来立像 Standing Shaka Nyorai, Skt. Śākyamuni 13世紀 大阪・来迎寺 
44 木造 閻魔王坐像 Seated King Enma, Skt. Yama-rāja 13世紀 13th century 大阪・正明寺
53 木造 大元帥明王像頭部 Head of Taigen Myoo, Skt. Āṭavaka 北川運長 By Uncho Kitagawa 元禄14年(1701)大阪・延命寺

【その他の諸寺など】
10 ◎ 木造 薬師如来坐像 Seated Yakushi Nyorai, Skt. Bhaiṣajyaguru 9世紀 奈良・宮古薬師堂
18 ◎ 木造 宝誌和尚立像 Standing Priest Hoshi 平安時代・11世紀 Heian period, 11th century 京都・西往寺
22 木造 二天立像 Standing Two Guardian Kings 11世紀 京都・成相寺 
30 ◎木造 十一面観音菩薩立像 Standing Eleven-headed Kannon, Skt. Ekādaśamukha Avalokiteśvara 12世紀 滋賀・誓光寺
38 ◎ 木造 地蔵菩薩立像 Standing Jizo Bosatsu, Skt. Kṣitigarbha 快成 By Kaijo 建長8年(1256) 奈良・春覚寺
51 木造 十一面観音菩薩立像 Standing Eleven-headed Kannon, Skt. Ekādaśamukha Avalokiteśvara 円空 By Enku 江戸時代・17世紀 Edo period, 17th century
52 木造 秋葉権現三尊像 Akiba Gongen Triad 円空 By Enku 江戸時代・17世紀 Edo period, 17th century

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大阪市美術館 日本の木彫仏1000年の技法展 2
滋賀・櫟野寺 観音菩薩立像 平安時代(12世紀)
https://www.lmaga.jp/news/2017/04/23382/

◆特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-481.html
で拝観した櫟野寺の一部の仏さまが、大阪にも出開帳しておられる。

◆帰化人の問題3ー四天王寺
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-129.html
で書いたとおり、四天王寺には多くの寺宝がある。今回の出展でもその一部を観ることができる。

◆東京藝術大学 2013年度研究報告発表展
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-405.html
東京藝術大学美術館にもよく足をはこぶ。関西の各寺との関係を深めており、素晴らしい企画展も多い。そうした観点からか、今回の展示会でも積極的な協力姿勢がうかがえる。

◆大阪市美術館探訪
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-65.html
最後に大阪市美術館について。この美術館は一見、地味だがその収蔵品は充実している。今回の展示も目のつけどころも良いし、啓蒙普及の視点もある。だからこそ、オール関西で、もっと盛り上がるようなラインナップが組めたらと思う。また一方で、予算の制約などもあるかも知れないが、HPでの情報公開や展示のストーリー性への訴求がやや弱い気もする。

ひょうごの美(み)ほとけ-五国を照らす仏像-

圓龍寺観音立像
兵庫県指定文化財 銅造菩薩立像 (白鳳時代)/朝来市圓龍寺蔵
https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/official/ex-2017-sp1.html

ひょうごの美(み)ほとけ-五国を照らす仏像-

【以下は引用】
兵庫の仏像70体一堂、国重文も 姫路で特別展

兵庫県内の仏像を集めた特別展「ひょうごの美(み)ほとけ-五国を照らす仏像」(神戸新聞社など主催)が22日、姫路市本町の県立歴史博物館で始まった。国の重要文化財など約70体を一堂に披露し、うち半数が展示施設では初公開になる。6月4日まで。

 同館は1984、91年に仏像展を開催。今回は前回の展示以降、新たに確認された仏像も数多く加え、白鳳(はくほう)時代-江戸時代の順に紹介した。

 同市書写の書写山円教寺の「毘沙門天(びしゃもんてん)立像」は展示施設初公開。丹波市山南町の岡本区が管理する「薬師如来坐像(ざぞう)」は本来33年に1度しか開帳されないが、今回特別に公開が実現した。
https://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201704/0010121655.shtml

木×仏像(きとぶつぞう)-飛鳥仏から円空へ  展示リスト

東博 菩薩立像(飛鳥時代)
木造 菩薩立像 飛鳥時代(7世紀) 東京国立博物館

*日本列島に仏教が伝わった飛鳥時代(7世紀)にさかのぼる希少な木彫仏で、クスノキ材の一木造りです。現存作例と文献資料による限り、飛鳥時代の木彫仏はすべてクスノキで造られました
http://www.osaka-art-museum.jp/sp_evt/kitobutsuzo#cnt-3

木×仏像(きとぶつぞう)-飛鳥仏から円空へ 日本の木彫仏1000年 展示リスト

No. 指定 名称 作者 時代・世紀 所蔵

1 木造 菩薩立像 Standing Bosatsu, Skt. Bodhisattava 飛鳥時代・7世紀 Asuka period, 7th century 東京国立博物館
2 木造 天王立像 Standing Guardian King 飛鳥時代・7世紀 Asuka period, 7th century 東京藝術大学大学美術館
3 塑造 菩薩立像 Standing Bosatsu, Skt. Bodhisattava 奈良時代・8世紀 Nara period, 8th century 大阪市立美術館
4 塑造 供養者上半身像 Upper Part of Body of Attendant 奈良時代・8世紀  8th century 大阪市立美術館
5 木造 塑像心木 Core Wood of Clay Statue 奈良時代・8世紀  8th century 大阪市立美術館
6 ◎ 木造 薬師如来立像 Standing Yakushi Nyorai, Skt. Bhaiṣajyaguru 奈良時代・8世紀 8th century 奈良・唐招提寺
7 ◎木造 伝獅子吼菩薩立像 Standing Bosatsu,Skt. Bodhisattava (Skt. Amoghapāśa) 8世紀  奈良・唐招提寺
8 ◉ 木造 弥勒如来坐像《試の大仏》 Seated Miroku Buddha, Skt. Maitreya 8~9世紀 奈良・東大寺

9 ◎ 木造 阿弥陀三尊像 Amida Triad, Skt. Amitābha Triad 9世紀 9th century 大阪・四天王寺
10 ◎ 木造 薬師如来坐像 Seated Yakushi Nyorai, Skt. Bhaiṣajyaguru 9世紀 奈良・宮古薬師堂
11 ◎木造 十一面観音菩薩立像 Standing Eleven-headed Kannon, Skt. Ekādaśamukha Avalokiteśvara 9世紀 大阪・長圓寺
12 木造 伝聖徳太子坐像 Seated Shinto Deity(Called Prince Shotoku) 9~10世紀 大阪・若山神社
13 ◎ 木造 虚空蔵菩薩立像 Standing Kokuzo Bosatsu, Skt. Ākāśagarbha 10世紀 大阪・孝恩寺
14 ◎ 木造 地蔵菩薩立像 Standing Jizo Bosatsu, Skt. Kṣitigarbha 10世紀 奈良・薬師寺
15 木造 地蔵菩薩立像 Standing Jizo Bosatsu, Skt. Kṣitigarbha 10世紀 大阪・蓮花寺
16 木造 地蔵菩薩立像 Standing Jizo Bosatsu, Skt. Kṣitigarbha 10世紀 大阪・三津寺
17 木造 地蔵菩薩立像《あごなし地蔵》 Standing Jizo Bosatsu, Skt. Kṣitigarbha (Called Skt. Kṣitigarbha without Chin) 10世紀大阪・和光寺
18 ◎ 木造 宝誌和尚立像 Standing Priest Hoshi 平安時代・11世紀 Heian period, 11th century 京都・西往寺
19 木造 不空羂索観音菩薩立像 Standing Fukukenzaku Kannon, Skt. Moghapāśa 10~11世紀 東京藝術大学大学美術館
20 ◎ 木造 持国天立像 Standing Jikoku Ten, Skt. Dhṛtarāṣṭra 11~12世紀 大阪・河合寺
21 ◎ 木造 多聞天立像 Standing Tamon Ten, Skt. Vaiśravaṇa 11~12世紀 大阪・河合寺
22 木造 二天立像 Standing Two Guardian Kings 11世紀 京都・成相寺 
23 ◎木造 吉祥天立像 Standing Kichijo Ten, Skt. Mahāśrī 11~12世紀 奈良・薬師寺
24 ◎木造 十一面観音菩薩立像 Standing Eleven-headed Kannon, Skt. Ekādaśamukha Avalokiteśvara 11世紀 滋賀・櫟野寺
25 ◎木造 観音菩薩立像 Standing Kannon Bosatsu, Skt. Avalokiteśvara 12世紀 滋賀・櫟野寺
26 ◎木造 観音菩薩立像 Standing Kannon Bosatsu, Skt. Avalokiteśvara 12世紀 滋賀・櫟野寺
27 ◎木造 釈迦如来坐像 Seated Shaka Nyorai, Skt. Śākyamuni 11~12世紀 大阪・東光院
28 木造 大日如来坐像 Seated Dainichi Nyorai, Skt. Mahāvairocana 10~11世紀 大阪市立美術館
29 木造 不動明王立像 Standing Fudo Myoo, Skt. Acalanātha 12世紀 兵庫・太山寺
30 ◎木造 十一面観音菩薩立像 Standing Eleven-headed Kannon, Skt. Ekādaśamukha Avalokiteśvara 12世紀 滋賀・誓光寺
31 ◎木造 千手観音・二天像箱仏 Portable Shrine with Thousand-armed Kannnon, Skt Sahasra-bhuja Avalokiteśvara and Two Guardian Kings 12世紀 大阪・四天王寺
32 木造 飛天像 Hiten, Flying Apsaras 12世紀 大阪市立美術館
33 木造 聖観音菩薩立像 Standing Sho-kannnon Bosatsu, Skt. Avalokiteśvara 12世紀 大阪市立美術館
34 ◎ 木造 四天王立像 Standing Four Guardian Kings 12世紀 大阪・大門寺
35 木造 阿弥陀如来坐像 Seated Amida Nyorai, Skt. Amitābha 12世紀 大阪・大門寺

36 ◎ 木造 阿弥陀如来坐像 Seated Amida Nyorai, Skt. Amitābha 鎌倉時代・13世紀 大阪・専修寺
37 木造 阿弥陀如来坐像 Seated Amida Nyorai, Skt. Amitābha 13世紀 奈良・新薬師寺
38 ◎ 木造 地蔵菩薩立像 Standing Jizo Bosatsu, Skt. Kṣitigarbha 快成 By Kaijo 建長8年(1256) 奈良・春覚寺
39 ◎ 木造 阿弥陀如来立像 Standing Amida Nyorai, Skt. Amitābha 永仙 By Eisen 正嘉3年(1259) 東京国立博物館
40 木造 四天王立像 Standing Four Guardian Kings 文永6年(1269) 奈良・新薬師寺
41 ◎ 木造 釈迦如来立像 Standing Shaka Nyorai, Skt. Śākyamuni 玄海 By Genkai 文永10年(1273) 奈良国立博物館
42 木造 釈迦如来立像 Standing Shaka Nyorai, Skt. Śākyamuni 13世紀 大阪・来迎寺 
43 木造 十一面観音菩薩立像 Standing Eleven-headed Kannon, Skt. Ekādaśamukha Avalokiteśvara 13世紀 大阪・四天王寺
44 木造 閻魔王坐像 Seated King Enma, Skt. Yama-rāja 13世紀 13th century 大阪・正明寺 
45 木造 伝聖徳太子坐像 Seated Youthful Deity(Called Prince Shotoku) 13~14世紀 大阪・四天王寺
46 木造 大日如来坐像 Seated Dainichi Nyorai, Skt. Mahāvairocana 14世紀 大阪・四天王寺

47 木造 普賢菩薩騎象像 Fugen Bosatsu, Skt. Samantabhadra seated on an Elepfant 南北朝時代・14世紀 兵庫・太山寺
48 木造 蔵王権現立像 Standing Zao Gongen Deity 南北朝時代・14世紀 Nambokucho period, 14th century 大阪・大門寺
49 木造 賓頭廬尊者坐像 Seated Binzuru, Skt. Piṇḍola Bhāradvāja 室町時代・永正11年(1514) Muromachi period, 1514(Eisho 11) 奈良・新薬師寺
50 木造 薬師如来立像 Standing Yakushi Nyorai, Skt. Bhaiṣajyaguru 江戸時代・17世紀 大阪市立美術館
<参考> 木造 釈迦如来坐像 Seated Shaka Nyorai, Skt. Śākyamuni 江戸時代・18世紀 大阪市立美術館
51 木造 十一面観音菩薩立像 Standing Eleven-headed Kannon, Skt. Ekādaśamukha Avalokiteśvara 円空 By Enku 江戸時代・17世紀 Edo period, 17th century
52 木造 秋葉権現三尊像 Akiba Gongen Triad 円空 By Enku 江戸時代・17世紀 Edo period, 17th century
53 木造 大元帥明王像頭部 Head of Taigen Myoo, Skt. Āṭavaka 北川運長 By Uncho Kitagawa 元禄14年(1701)大阪・延命寺
54 木造 仏像寄木法標本(如来坐像) Sample of Statue of Seated Buddha by Joined Wood Block Construction 伊藤礼太郎
By Reitaro Ito 昭和23年(1948)東京藝術大学大学美術館
55 木造 仏像寄木法標本(菩薩立像) Sample of Statue of Standing Boddhisattava by Joined Wood Block Construction 伊藤礼太郎 By Reitaro Ito 昭和23年(1948)東京藝術大学大学美術館

◉ ̶ 国宝(National Treasure) ◎ ̶ 重要文化財(Important Cultural Property)
◇6 ◎ 木造 薬師如来立像( 奈良・唐招提寺): 展示期間 5月9日(火)~ 6月4日(日) ◆7 ◎ 木造 伝獅子吼菩薩立像(奈良・唐招提寺): 展示期間 4月8日(土)~ 5月7日(日)

http://www.osaka-art-museum.jp/wordpress/wp-content/uploads/2017/04/e6a651e8878abb9b2a5ef81d99e0a34f.pdf

西大寺 小考3 叡尊上人

西大寺 叡尊
http://saidaiji.or.jp/history/p2.html

叡尊(えいそん・えいぞん、建仁元年(1201年) - 正応3年8月25日(1290年9月29日))は、鎌倉時代中期の真言律宗の僧。字は思円(しえん)。謚号は興正菩薩(こうしょうぼさつ)。建仁元年(1201)大和国添上郡箕田里(現在の大和郡山市白土町)で興福寺学侶慶玄の子として誕生。

同時代の僧としては日蓮(1222-82年)がいる。 日蓮は叡尊よりも20歳以上年下だが、叡尊は長寿であり、日蓮よりも8年長生きしている。日蓮については以下を参照。

(参考)
日蓮論1 http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/2073050.html
日蓮論2 http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/2073080.html 
日蓮論3 http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/2073156.html
日蓮論4 http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/2073231.html
日蓮論5 http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/2073419.html
日蓮論6 http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/2073518.html

叡尊は、7歳で母と死別し、11歳で醍醐寺叡賢阿闍梨の室に入り17歳で出家。主に密教を学ぶ。つまり、真言宗において、その創始者、空海に回帰しようとした。

➡ 建保5年(1217年)醍醐寺の阿闍梨叡賢に師事して出家。
➡ 元仁元年(1224年)高野山に入り真言密教を学ぶ。

弘法大師遺戒の「仏道は戒なくしてなんぞ到らんや。すべからく顕密二戒を堅固に受持し清浄にして犯すことなかれ」の文言に触発され、密教修行を行う。菩提(悟り)に到達するためには、その前提として釈尊が定めた戒律をしっかりと遵守することが肝要であると確信し、34歳のときに生涯の活動の中心となる戒律復興の志を立てる。ここでは、大日如来に帰依するのではなく、釈迦如来に重点をおく。
翌文暦2年(1235)叡尊は荒廃只中の西大寺に入住し、更に翌年、同志四人で東大寺で「自誓受戒」を果たし菩薩比丘となる。叡尊の「自誓受戒」には原始、小乗的な自己陶冶の厳しさがあったかも知れない。

一時海龍王寺に移住するが、嘉禎4年(1238)再び西大寺に帰住し、荒廃した西大寺の再建に全力を注ぎ、密教と戒律を日月のごとく兼修する「真言律」の根本道場という西大寺を復興する一方、ここを拠点に「興法利生」をスローガンとする活発な宗教活動を推進する。

➡ 嘉禎元年(1235年)戒律の復興を志して西大寺宝塔院持斎僧となり、『四分律行事鈔』を学ぶ。
➡ 嘉禎2年(1236年)覚盛、円晴(えんせい)、有厳(うごん)らと東大寺で自誓受戒。地頭の侵奪により西大寺が荒廃したために海龍王寺に移る。
➡ 暦仁元年(1238年)持戒のあり方をめぐり海龍王寺の衆僧と対立したために西大寺に戻る。西大寺の復興に努め、結界・布薩する。
➡ 仁治元年(1240年)西大寺に入寺した忍性の文殊菩薩信仰に大きな影響を受ける。額安寺西宿で最初の文殊供養(文殊図像を安置)をおこない、近傍の非人に斎戒を授ける。
➡ 仁治2年(1241年)三輪宿で文殊供養をおこなう。
➡ 仁治3年(1242年)和爾宿・北山宿で文殊供養をおこなう。額安寺で授戒と『梵網経古迹記』の講義をおこなう。奈良の獄屋の囚人に斎戒沐浴させる。
➡ 寛元元年(1243年)額安寺西宿・三輪宿で文殊供養をおこなう。
➡ 寛元2年(1244年)河内諸宿で文殊供養をおこない、非人に施粥をおこなう。
➡ 寛元3年(1245年)家原寺で別受戒(受戒後9年を経た僧侶が受ける戒法)をうける。法華寺で授戒と『梵網経古迹記』の講義をおこなう。
➡ 寛元4年(1246年)道明寺で授戒をおこなう。
➡ 寛元5年・宝治元年(1247年)仏師善円に念持仏・愛染明王坐像をつくらせる。
➡ 建長元年(1249年)仏師善慶に京都清凉寺釈迦如来像の模刻をつくらせ西大寺四王堂に安置する。
➡ 建長2年(1250年)絵師堯尊に文殊菩薩画像・十六羅漢・十六尊者など21幅を描かせる。
➡ 建長6年(1254年)西琳寺で授戒をおこなう。 『聖徳太子講式』執筆。太子講をはじめる(以後、毎年恒例となる)。
➡ 建長7年(1255年)円仁が唐の五台山から将来した『上宮太子勝鬘経疏義私鈔』を四天王寺で筆写し法隆寺に奉納する。
➡ 正嘉2年(1258年)絵師堯尊に金剛界曼荼羅を描かせる。
➡ 文応元年(1260年)絵師堯尊に胎蔵界曼荼羅を描かせる。
➡ 弘長元年(1261年)浄住寺授戒と『四分律行事鈔』の講義をおこなう。北条実時の使者が訪れ関東への下向を懇請する。
➡ 弘長2年(1262年)太子講を諸所でおこなう。2月より関東へ下向し、新清凉寺(釈迦堂)に逗留、忍性・頼玄らの応援を得て授戒と『梵網経古迹記』の講義をおこなう。北条実時・北条時頼に拝謁し授戒する。7月に西大寺へ帰る。弟子の性海による『関東往還記』がその記録である。
➡ 文永3年(1266年)河内真福寺で非人救済をおこなう。
➡ 文永元年(1264年)光明真言を導入し、密教化をすすめる
➡ 文永5年(1268年)般若寺再建のために文殊菩薩像(仏師善慶・善春が造像)開眼供養をおこなう。 異国の難を払うため四天王寺で勤行をする。
➡ 文永6年(1269年)般若寺落慶供養をおこない、周辺で非人・癩者の救済をおこなう。紀伊の金剛宝寺で授戒と『梵網経古迹記』の講義をおこなう。
➡ 文永10年(1273年)蒙古襲来(元寇)に際して伊勢神宮に参籠し大般若経を転読する。
➡ 文永11年(1274年)蒙古襲来に際して四天王寺で亀山天皇の行幸を得て百座仁王会を修する。
➡ 文永12年・建治元年(1275年)伊勢神宮に参籠する。
➡ 建治2年(1276年)仏師善春に大黒天像をつくらせる。
➡ 弘安2年(1279年)亀山上皇以下公卿らに授戒と『梵網経古迹記』の講義をおこなう。
➡ 弘安3年(1280年)伊勢神宮に参籠する。弟子らが仏師善春に80歳を迎えた叡尊の寿像を造らせる。(西大寺蔵の興正菩薩坐像)
➡ 弘安4年(1281年)蒙古襲来に際して亀山上皇の御幸を西大寺に迎え、石清水八幡宮で尊勝陀羅尼を読誦する。
➡ 弘安7年(1284年)宇治橋修造の朝命を受け殺生禁断のために宇治川の網代を破却する。後深草上皇以下公卿らに授戒をおこなう。
➡ 弘安8年(1285年)院宣により四天王寺別当に就任する。
➡ 弘安9年(1286年)宇治橋を修築、橋南方の浮島に十三重石塔婆を建立する。
➡ 正応3年(1290年)西大寺で病を発し秋に示寂。
➡ 正安2年(1300年)伏見上皇の院宣により行基菩薩の先例により興正菩薩の尊号がおくられる。

以上の年譜記載の活動は概ね以下の5点に集約されると思う。

1.戒律を重視し釈尊本来の仏教に立ち戻ろうとした戒律の復興活動のこと
2.社会的に疎外された貧困階層の人々を中心に救済の手を差しのべた救貧活動のこと
3.元寇への祈祷などをつうじて、鎌倉幕府、朝廷と接触し、上記2つの活動を認知せしめたこと
4.聖徳太子、空海について、教義の研鑽を深め、その普及をおこなったこと(アンダーラインで記載)
5.多くの仏像、仏画、石塔婆などを勧請し、後世に残したこと(赤字で記載)

【以下は、西大寺HPから引用)
その根本理念である「興法利生」とは、「興隆仏法(仏教を盛んにすること)」「利益衆生(民衆を救済すること)」の略語で、それぞれ叡尊上人の具体的活動である戒律復興と貧困階層の救済に結実している。但し、叡尊にとって興法と利生は別々のものではなく、まさしく「興法利生」という一体の言葉で捉えたように、戒律を復興し本来の仏教を追求することは民衆救済に直結する課題でもあった。この点にこそ叡尊の仏教者たる真の面目があると考えられる。  

叡尊一代の行蹟を記した『西大勅謚興正菩薩行実年譜』によれば、その生涯に菩薩戒を授けた道俗総数97710人、講席を啓くこと10721座、行法を修すること41208座、殺生禁断とした場所1356所、寺院新建100余所、修造590余所、西大寺に寄附した末寺1500余寺とあり、その活躍はまことに驚異的なものであった。

正応3年(1290)90歳の高齢に達した叡尊上人は、8月25日、自ら禅定に入るが如く遷化した。正安2年(1300)7月、亀山法皇は叡尊上人の高徳を偲んで院宣を下し、五朝の国師として四輩は菩薩と仰いだとその教化を讃美し、興正菩薩の貴号を贈った。また後伏見天皇も同年閏7月3日に、「勅す、伝灯大法師位叡尊は、一天四海の大導師にして、濁世末代の生身仏なり」として重ねて興正菩薩の号を賜わったのであった。
http://saidaiji.or.jp/history/p2.html

西大寺 小考2 四天王邪鬼は見ている

西大寺 増長天邪鬼
西大寺 増長天邪鬼(奈良時代)
https://plaza.rakuten.co.jp/takacyan/diary/201111050000/

西大寺については、創建当初の時代についての風説をふくめ、あまりにも多くの「ストーリー性」がある。普通の美術史家には書けないが、梅原猛氏は、藤原仲麻呂と孝謙上皇との情交、そしてその後の抗争と仲麻呂の頓死(恵美押勝の乱)の濃厚な可能性についてふれ、さらに、母、光明皇太后の死にショックをうけて病気となり、その治療をつうじて寵愛を受けた僧道鏡との情交にもふれている。
道鏡は、称徳天皇(孝謙上皇重祚)の後見のもと権力を握り、皇位を狙うが失脚する。称徳天皇崩御ののち、政情は大いに動揺し、やがて都は長岡京を経て平安京に移る。 大義名分なき造営、人望の失墜した称徳天皇の寺、西大寺は、南都七大寺の一つながら、その没落の道は早かった。上に掲げた「西大寺 増長天邪鬼」(奈良時代)は当初のものとのことだが、この邪鬼だけがかわらぬ歴史の証人というのもなにか皮肉なものを感じる。

(参考)梅原猛「俗と聖の間の寺」(『古寺巡礼 奈良8西大寺』1979年 淡交社)を参照

西大寺 小考1 南都七大寺

西大寺東塔跡と本堂(重要文化財)

【南都七大寺】

西大寺は南都七大寺の一つ。その七大寺とは、通常は興福寺(奈良市登大路町)、東大寺(奈良市雑司町)、西大寺 (奈良市西大寺芝町)、薬師寺(奈良市西ノ京町)、元興寺(奈良市中院町、芝新屋町)、大安寺(奈良市大安寺)および法隆寺(生駒郡斑鳩町)と言われる。
このうち、いまも大伽藍ないし多くの第一級の多くの宝物誇るのが、興福寺、東大寺、薬師寺、法隆寺の四寺であり、大安寺、元興寺および西大寺の三寺は没落の憂き目にあっている。
今回の西大寺展で面白いのは、この没落組の西大寺をはじめとする多くの寺院の連携である。今回の展示会に先立って、いまから四半世紀以上も前の1991年にも、奈良西大寺展が大規模に開かれたが、「真言律宗一門の秘法公開」と銘打たれ、今回同様、各寺院が集っている。

【真言律宗】

西大寺の興正菩薩叡尊を中興の祖とする宗派であり、真言宗の開祖、空海を特に仰いでいる。「叡尊は荒廃した既存仏教に対する批判から律宗の覚盛とともに、これまで国家が定めた手続きによる方法しか認められていなかった出家戒の授戒を自らの手で行った(自誓授戒)。その後、戒律に対する考え方の違いから覚盛と一線を画するが、彼の依頼による西大寺再興を引き受けて、続いて海龍王寺・法華寺・般若寺などの再興に従事して、朝廷の許可なくして独自の戒壇を設置した。続いて弟子の忍性が登場して叡尊が十分に達せられなかった民衆への布教に才覚を示して、鎌倉に極楽寺を建立した。」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%BE%8B%E5%AE%97

つまり、西大寺をはじめとして、海龍王寺、法華寺、般若寺、極楽寺(鎌倉)が同宗派のコアということになる。次に由緒寺として、放生院(京都府宇治市)、岩船寺(京都府木津川市)、浄瑠璃寺(木津川市)、不退寺(奈良市)、元興寺極楽坊(奈良市)、元興寺小塔院(奈良市)、白毫寺(奈良市)、額安寺(奈良県大和郡山市) などがある。こうしてみてくると、確かに大寺ではないけれど、ユニークで至宝をもつ寺院が名を連ねていることがわかる。

【元興寺】

さて、ここで南都七大寺の一つである元興寺がふたたび登場する。「日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が平城遷都にともなって、 蘇我氏寺から官大寺に性格を変え、 新築移転されたのが、元興寺 (佛法元興の場、聖教最初の地)である」(元興寺HP)という最も正統なる歴史をもつ大寺は、儚く没落するだけでなく、多くの文物は南都の他の寺へ移管され、いわば解体されてしまう。その後の数奇な変遷もほかの都七大寺にはないものである。

「飛鳥時代以来、伝統の三論宗、(『大安寺流』に対し『元興寺流』)と法相宗(興福寺の北寺伝『御蓋流』に対し南寺伝『飛鳥流』)が主に学問されていたが、平安中期には衰えてしまう。むしろ真言宗に属する多くの僧を輩出した。
その後、伽藍は荒廃し、堂塔が分離してゆくことになる。中でも伽藍の中央部、金堂、講堂など中枢部の北に当たる僧坊の地域に、東室南階大房が十二房遺って、その一室が特に極楽坊と呼ばれるようになる。この場所は奈良時代の元興寺三論宗の学僧智光法師が居住した禅室で、我が国浄土三曼荼羅(智光、当麻、清海)の随一である智光曼荼羅(掌中示現阿弥陀如来浄土変相図)発祥の地とする信仰が生まれた。
極楽坊では嘉応3年(1171)頃から盛んに百日念仏講が営まれ、南都の別所的役割を担ったようである。その後、高野聖西行法師が極楽房天井の改築勧進を行ったとか、東大寺戒壇院の圓照実相上人が僧房改築の勧進をしたとか、西大寺信空慈道上人が僧房修理のため南市で勧進を行ったとか伝わる。要するに、遁世僧や律僧の大切な道場として再出発したようである。
治承4年(1180)平重衡の南都焼き討ちによって、興福寺大乘院(今の奈良県文化会館あたり)が焼失し、元興寺禅定院に寄生した事によって、特に極楽坊は大乘院が支配することになり、住持は光圓上人を初代としてその法流が八代続いた。
寛元2年(1244)には極楽房を中心に大改築が行われ、元興寺極楽坊本堂(極楽堂)と禅室(春日影向堂)の二棟に分離された。この事から極楽房は東向き(旧元興寺は南向き)の独立的な寺院となったようである。
さらに、文永五年(1268)には約5,000人に及ぶ道俗の勧進からなる聖徳太子立像(十六才孝養像)、弘安年間に弘法大師坐像が造立され、聖徳太子と弘法大師に係わる寺院としての性格を確立していった。この時点で、恐らく西大寺叡尊思円上人や東大寺聖守中道上人の影響を多大に受けたようである。」(元興寺HP)

【興正菩薩叡尊との関係】

ここまできて、叡尊が登場する。西大寺を再興させた叡尊が、民衆信仰の基盤のもと元興寺についてもコミットするのである。

西大寺展と聖徳太子像

聖徳太子立像 元興寺
奈良県指定文化財 余木造玉眼 南無仏太子像 (鎌倉時代)

三井記念美術館で「奈良 西大寺展」創建1250年記念―叡尊と一門の名宝を観る。
展示のキーコンセプトとは少し離れるが、興味深かったのは空海と聖徳太子についてである。西大寺が真言律宗の名刹であることから、空海について、「重文 弘法大師坐像 1 軀 鎌倉時代 元興寺:7-1 63(展示リスト参照)」があることは当然として、元興寺聖徳太子関連の仏像なども展示されている。

「重文 聖徳太子立像(孝養像) 善春 1 軀 鎌倉時代・文永5 年(1268) 元興寺:4-23 55」
「重文 聖徳太子立像(孝養像) 像内納入品のうち眼清願文 1 紙 鎌倉時代 元興寺:4-23-1 55-1」
「重文 聖徳太子立像(孝養像) 像内納入品のうち木仏所画所等列名 1 紙 鎌倉時代 元興寺:4-23-2 55-2」
「聖徳太子立像(南無仏太子像)  1 軀 鎌倉時代 元興寺:7-2 54」

聖徳太子伝説から、こうした作像がなされたことは当時にあっても根強い太子信仰があったことを示している。元興寺「聖徳太子立像(孝養像)」については、「聖徳太子が16歳のとき父・用明天皇の病気平癒を祈る姿を表しています。叡尊は聖徳太子を救世観音あるいは如意輪観音の化身として篤く信仰していました。この像は文永5年(1268)5千名近い人々が結縁して、仏師善春らにより造立されました。結縁者の中には叡尊の弟子も多く、叡尊による太子信仰の広まりを物語っています」(展示解説)とある。
また、「聖徳太子立像(南無仏太子像)」については、太子2歳のときに、東を向いて「南無仏」と唱えたシーンを造像したものである。これも定例パターンながら、聖徳太子の成長とともに、こうした造像がなされてきたこと自体が意味深い。

直感だが、日本では珍しい、一種の教育的教材としての太子像という見方もありえるかも知れない。当初は限られた貴族や僧侶の母親や子供向けであったかも知れないが、その後、広く市井の一般人も含め、子供の健康を願い、そして孝養をつくし世のためになる大人への成長への期待をこめて、子供たちを像を前に誘い、太子の人となり、その業績を語るーそんな連想をはせてみた。

【以下は引用】
元興寺の聖徳太子信仰

 聖徳太子(厩戸王)は、用明天皇と穴穂部間人皇女の子である歴史的実在の人物である。が、死後間もないころから、その偉人的な性格が誇張され、太子に対する尊崇の念が高まり、追慕の念が信仰へと昇華されたものである。『上宮聖徳法王帝説』や『日本書紀』を初め、『聖徳太子伝暦』、『日本往生極楽記』や『大日本国法華験記』に見られるように、太子は日本における最初の仏教者、祖師であると意識され、佛のように礼拝される対象となっていったのである。
 すなわち、「太子伝」という物語の普及、「太子絵伝」という仏教美術の展開、「太子像」という一種の仏像であり、祖師像を生んだのである。
 また、各寺院や宗門は聖武天皇、伝教大師最澄、弘法大師空海、理源大師聖宝の太子後身説、太子が観音の化身であり、我が国最初の往生人とし、あるいは、達磨の化身、阿弥陀の化身、法華経弘通の祖師とみて、太子を立宗の根本に位置付け、競って自宗派との関係をうたい、由緒寺院は創建の基を太子として権威化を図っているのである。
 元興寺は太子建立四十六ケ寺のひとつとされ、官大寺に列せられる事になるが、その由緒として、推古天皇勅願・聖徳太子建立を唱えたり、蘇我馬子と聖徳太子の関係深さを主張する。つまり、飛鳥寺・法興寺と斑鳩寺・法隆寺とは用明天皇と推古天皇により、蘇我馬子と聖徳太子に指名された「仏法興隆」の拠点たる『法興』と『法隆』の二寺なのであった。
 平城遷都に伴って「仏法元興之場 聖教最初之地」を主張するのもこの事が認められてきたからであった。源平の合戦を経て、鎌倉時代に南都復興が大々的に行われるが、その中で元興寺も復興勧進がすすめられた。
 その中心的な活動が極楽坊の独立であり、聖徳太子信仰の宣揚だったのであろう。すなわち、「重文・聖徳太子立像(孝養像)」、「県指定・聖徳太子立像(南無佛太子)」の造立であり、太子堂(明治期に消滅)の建立である。
 孝養像は、その像内納入品から、文永5年(1268)卯月八日(4月8日つまり釈迦生誕の花まつり)から一升ずつ千杯供養の勧進をすすめ、約五千人の結縁で、仏師善春が造立している。恐らく、太子生誕700年(1275)に向けての活動だったのであろう。
 また、南無佛太子像は、像内が明らかでないが、他寺院の銘文がある作などから考え、生誕750年(1325)が想定できよう。
 太子堂は、応永年間と伝えられているが、応永33年(1425)が生誕850年で、800年遠忌に重なっており、それに向けての動きであろう。その後、南都の太子堂とは、元興寺極楽坊のことを言うようになるのだ。
 現在、「太子堂」や「太子伝」などを失ってはいるが、優秀な「孝養像」や「南無佛太子」の存在が聖徳太子信仰の高まりを物語っている。
 因みに、孝養像とは、16歳像とも呼ばれる美豆良に結って官服に袈裟、横被を付け、柄香炉を持つ姿で、用明天皇(父君)の病気平癒を祈る姿なのか、それとも葬送の姿であろうか。明確ではないが、僧俗一体の姿ではある。
 一方、南無佛太子像は2歳像ともいわれ、幼児姿で、腰袴だけ付け、合掌するもので、2月15日の出来事を表していると言う。つまり、この姿は釈迦誕生佛からの発想であり、始めと終わり、「南無佛」、すなわち釈尊入滅の涅槃会を意識しているのだろう。
http://www.gangoji.or.jp/tera/jap/midokoro/midokoro1.htm#shoutokutaishi

奈良 西大寺展 創建1250年記念 「叡尊と一門の名宝」 を観る

西大寺東塔跡と本堂(重要文化財)

西大寺は9年前にゆっくりと拝観した。秋篠寺のあとに行ったが、そのときの記憶は鮮明に覚えている。

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-67.html

今回は三井記念美術館で上記の展示会を観る。

【以下*は公式ガイドから一部引用】

*西大寺の創建は天平神護元年(765)。光明皇太后の信任を得て淳仁天皇を擁立し権力を握った藤原仲麻呂と孝謙上皇との抗争(恵美押勝の乱)鎮定を祈願して、称徳天皇(孝謙上皇重祚)が造営した。 乱の鎮定後、今度は、僧道鏡が天皇の寵愛を受けて権力を握り、皇位を狙うが失脚。政情は大いに動揺し、やがて都は長岡京を経て平安京に移る。 西大寺は、鎮護国家仏教として栄えた南都六宗の都、平城京最後のきらめきとして残されることになった。

➡ 偉大な父母ゆかりの東大寺、対してその娘、称徳天皇(孝謙上皇重祚)が建立したのが西大寺。道鏡とのスキャンダルは、あまりにも有名だが、西大寺の縁はその点でもやや格調に欠ける。

西大寺 塔本四仏坐像
「塔本四仏坐像」のうち「釈迦如来坐像」「阿弥陀如来坐像」(奈良・西大寺)

*西大寺には創建後間もなく東塔・西塔の2基の塔が建てられました。この4軀の如来坐像は、そのいずれかの塔の初層(1階)に安置されたと伝えられています。奈良時代後期を中心に流行する木心乾漆の技法により制作されています。西大寺創建に近い時期までさかのぼり、4軀まとまって伝わる貴重な仏像です。各像の名称は後世のものと考えられます。

*都が平安京に移された後、奈良の寺社は苦難の時代を迎え、創建直後にバックボーンを失った西大寺の状況は深刻だったが、鎌倉時代に中興の祖、叡尊が登場する。 若くして真言密教を学んだ叡尊は西大寺に入り、寺を伝統的な律宗の教えと密教を組み合わせた「密・律兼修の道場」とした。
僧侶や市民の集う「光明真言会」を創始、救済事業を進めるなど精力的に活動し、その教えは大いに広まった。 叡尊はそのかたわら、愛染明王坐像や本尊釈迦如来立像、大黒天像などの造立を発願し、「大茶盛」を始めるなど、西大寺独特の文化をつくり上げた。

➡ 零落した南都六宗の名刹を復興した叡尊は、真言宗と律宗の双方をその根底におく。「平安時代末期から鎌倉時代には実範・明恵が戒律復興を論じ、それを引き継いで嘉禎2年(1236年)覚盛・有厳・円晴・叡尊の4人が国家と結びついた戒壇によらない自誓受戒を行った。後に覚盛は「四分律」を重視して唐招提寺を復興して律宗再興の拠点としたのに対して、叡尊は西大寺を拠点に真言宗の『十誦律』を中心とした真言律宗を開いた。更に京都泉涌寺の俊芿が南宋より新たな律宗を持ち帰った。このため、俊芿の「北京律」と「南都律」と呼ばれた唐招提寺派・西大寺派(真言律宗)両派の3つの律宗が並立した。この3派の革新派を新義律と呼称して、それ以前の古義律と区別することがある。しかし、結果的にこの新義律3派が議論と交流を重ねることで律宗の深化と再興が進み、中世には禅宗と律宗を合わせて禅律とも呼ばれて重んじられた。室町時代には禅宗に押されて再び衰退するが、江戸時代には明忍・友尊・慧雲が出現して再度戒律復興が唱えられた。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8B%E5%AE%97)。
叡尊ゆかりの展示が多いのは以上の背景があるからだが、真言宗が主導した仏像群が、いまに伝えられる西大寺の貴重な財産になる。

西大寺 3
「愛染明王坐像」(奈良・西大寺)

*愛染堂の秘仏本尊であり、現在も美しい彩色を留めています。宝治元年(1247)叡尊と弟子たちは、西大寺に三宝(仏・法・僧)が永く伝えられることを求めて発願・結縁し、仏師善円(善慶と同一人物)が造立しました。この年は叡尊が僧堂を造営した年に当たり、当初は叡尊が三宝久住の強い願いをこめて僧堂に安置したと考えられています。
愛染堂の秘仏本尊であり、現在も美しい彩色を留めています。宝治元年(1247)叡尊と弟子たちは、西大寺に三宝(仏・法・僧)が永く伝えられることを求めて発願・結縁し、仏師善円(善慶と同一人物)が造立しました。この年は叡尊が僧堂を造営した年に当たり、当初は叡尊が三宝久住の強い願いをこめて僧堂に安置したと考えられています。

西大寺 文殊菩薩騎獅像及び四侍者像
「文殊菩薩騎獅像及び四侍者像」(奈良・西大寺)

*この形式の五尊像は、中国五台山の文殊信仰に基づくもので、渡海文殊として鎌倉時代に多く制作されました。叡尊は文殊信仰に基づき多くの民衆救済の事業を行っており、文殊菩薩像も造像しています。この像は叡尊の没後弟子たちが発願して造像されたもので、叡尊の十三回忌に完成し、文殊堂の本尊とされました。現在は本堂西脇間に安置されています。

*叡尊の教えは全国各地の多くの寺院にも広がっていった。東国では、叡尊のもとで学んだ忍性が鎌倉を拠点として貧民救済など社会福祉事業や道路・橋梁(きょうりょう)の建設などに尽力し、鎌倉幕府の要人から庶民まで広く信仰を集めた。
畿内や西国でも叡尊に連なる律僧たちが寺院の復興や社会事業に従事し、江戸時代には奈良・生駒に宝山寺を興した湛海らが活躍。
明治期に入ると廃仏毀釈や宗教統制の荒波にさらされるが、教義を貫き法灯を守った。 現在、真言律宗には元興寺、浄瑠璃寺、岩船寺、不退寺、海龍王寺、般若寺、白毫寺、宝山寺など、関西を中心に多くの名刹が名を連ねる。

➡ 西大寺はいまもひっそりと佇む鄙びた古刹だが、元興寺、浄瑠璃寺、岩船寺、不退寺、海龍王寺、般若寺、白毫寺、宝山寺などのうち、浄瑠璃寺などは人気抜群のスポットとなっている。今回に限らず過去においても、これらの寺院が「西大寺展」に協力している。 【“奈良 西大寺展 創建1250年記念 「叡尊と一門の名宝」 を観る”の続きを読む】

奈良 西大寺展 創建1250年記念 「叡尊と一門の名宝」 展示リスト

西大寺

<以下は引用>
南都七大寺の一つである奈良の西大寺は、奈良時代に称徳天皇によって創建された由緒ある寺です。創建1250年を記念する本展覧会は、西大寺に伝わる仏像・肖像彫刻・仏教絵画・密教法具など工芸品の名宝の数々と、元興寺・浄瑠璃寺・白毫寺さらには東国の極楽寺・称名寺など、真言律宗一門の珠玉の美術作品を一堂に展示します。
http://saidaiji.exhn.jp/

<展示リスト:入れ替え制、展示期間注意>
番号指定 名称 作者 数量 時代 所蔵

【展示室1:密教と修法具】

1-1 69 重文 金銅密教法具(五鈷鈴・独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵・金剛盤) 5  鎌倉時代 西大寺
1-2 71 金銅一面器(火舎・花瓶・六器) 1 括 鎌倉時代 西大寺
1-3 117 重文 愛染明王坐像(厨子入) 1 軀 鎌倉時代・永仁5 年(1297) 称名寺(金沢文庫保管)
1-4 76 黒漆光明真言厨子 1 基 鎌倉~南北朝時代 西大寺
1-5 68 金銅大檀具のうち(五鈷鈴・独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵・金剛盤) 5  鎌倉時代 西大寺
1-6 70 白銅密教法具(五鈷鈴・独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵・金剛盤) 5  鎌倉時代 西大寺
1-7 72 白銅打鳴し 2  鎌倉時代 西大寺
1-8 74 金銅金剛盤 1 面 鎌倉時代・正和3 年(1314) 奈良国立博物館
1-9 73 銅独鈷杵1  平安時代 西大寺
1-10 120 金銅密教法具(五鈷鈴・独鈷杵・三鈷杵) 3 鎌倉時代 称名寺(金沢文庫保管)
1-11 75 金銅飯食器2  鎌倉時代 西大寺

【展示室2:戒律と舎利信仰】

2-1 39 国宝 金銅透彫舎利容器 1基 鎌倉時代 西大寺

【展示室3:西大寺の瓦と塼】

3-1 9 軒瓦(創建期)、垂木先瓦、緑釉・褐釉塼 一括 奈良時代 西大寺(奈良文化財研究所保管)

【展示室3(如庵ケース):西大寺の大茶盛式】

3-2 参考 出品大茶盛式の大茶碗1  西大寺

【展示室4:⑴西大寺の創建から平安時代まで】

4-1 6 国宝 大毘盧遮那成仏神変加持経 巻1・巻2 2 巻 奈良時代・天平神護2 年(766) 西大寺
4-2 5 国宝 金光明最勝王経 巻1・巻6 2 巻 奈良時代・天平宝字6 年(762) 西大寺
4-3 5-1 国宝 月輪牡丹蒔絵経箱 1 合 鎌倉時代 西大寺
4-4 7 西大寺資財流記帳上下2 巻鎌倉〜室町時代 西大寺
4-5 2 重文 塔本四仏坐像 釈迦如来坐像・阿弥陀如来坐像 2 軀 奈良時代 西大寺
4-6 4 国宝 十二天像 帝釈天像・火天像・閻魔天像・水天像 4 幅 平安時代 西大寺 帝釈天 火天 閻魔天 水天
4-7 3 重文 如意輪観音半跏像 1 軀 平安時代 西大寺

【展示室4:⑵ 叡尊の信仰と鎌倉時代の復興】

4-8 20 重文 叡尊自筆書状 2 巻 鎌倉時代・建長元年(1249)、弘長2 年(1262) 西大寺各
4-9 13 国宝 興正菩薩坐像善春 1 軀 鎌倉時代・弘安3 年(1280) 西大寺
4-9-1 13-3 国宝 興正菩薩坐像 像内納入品のうち観海願文  1 通 鎌倉時代 西大寺
4-9-2 13-6 国宝 興正菩薩坐像 像内納入品のうち授菩薩戒弟子交名 1 巻 鎌倉時代 西大寺
4-9-3 13-5 国宝 興正菩薩坐像 像内納入品のうち西大寺有恩過去帳 1 巻 鎌倉時代 西大寺
4-10 23 重文 愛染明王坐像 善円 1 軀 鎌倉時代・宝治元年(1247) 西大寺
4-10-1 23-3 重文 愛染明王像 像内納入品のうち範恩造像願文 1 巻 鎌倉時代 西大寺
4-11 77 重文 黒漆大神宮御正体厨子 1 基 鎌倉時代 西大寺
4-12 14 重文 興正菩薩坐像 1 軀 鎌倉時代 白毫寺
4-13 16 興正菩薩像 1 幅 鎌倉時代 西大寺
4-14 19 興正菩薩像 1 幅 鎌倉〜南北朝時代 西大寺
4-15 22 重文 感身学正記 1 冊 南北朝時代・延文4 年(1359) 西大寺
4-16 52 重文 叡尊願文 1 巻 鎌倉時代・文永6 年(1269) 般若寺
4-17 27 南山大師像 1 幅 南北朝時代 西大寺

4-18 29 大智律師像 1 幅 南北朝時代 西大寺
4-19 48 重文 文殊菩薩騎獅及び四侍者像のうち文殊菩薩坐像・善財童子立像・最勝老人立像 3 軀 
鎌倉時代・正安4 年(1302) 西大寺
4-19-1 48-3 重文 文殊菩薩坐像 像内納入品のうち文殊菩薩像 1 軀 鎌倉時代 西大寺
4-19-2 48-4 重文 文殊菩薩坐像 像内納入品のうち八字文殊曼荼羅図 1 紙 鎌倉時代 西大寺
4-19-3 48-5 重文 文殊菩薩坐像 像内納入品のうち種字曼荼羅図・文殊図像・真言・種字等 1 巻 鎌倉時代 西大寺
4-20 58 重文 大黒天立像善春 1 軀 鎌倉時代・建治2 年(1276) 西大寺
4-20-1 58-2 重文 大黒天立像 像内納入品のうち大黒天像(曲物笥入)  1 軀 鎌倉時代 西大寺
4-20-2 58-3 重文 大黒天立像 像内納入品のうち弁才天懸仏(曲物笥入)  1 面 鎌倉時代 西大寺
4-21 78 地蔵菩薩立像仙算 1 軀 室町時代・永正11 年(1514)  西大寺(奥の院)
4-22 59 毘沙門天立像 1 軀 鎌倉時代 西大寺
4-23 55 重文 聖徳太子立像(孝養像) 善春 1 軀 鎌倉時代・文永5 年(1268) 元興寺
4-23-1 55-1 重文 聖徳太子立像(孝養像) 像内納入品のうち眼清願文 1 紙 鎌倉時代 元興寺
4-23-2 55-2 重文 聖徳太子立像(孝養像) 像内納入品のうち木仏所画所等列名 1 紙 鎌倉時代 元興寺
4-24 35 重文 釈迦三尊像(仁王会本尊)  1 幅 鎌倉時代 西大寺
4-25 36 釈迦三尊十六善神像 1 幅 鎌倉時代 西大寺
4-26 91 重文 愛染明王像 1 幅 鎌倉時代 宝山寺
4-27 89 尊勝曼荼羅図 1 幅 鎌倉時代 宝山寺
4-28 90 重文 弥勒菩薩像 1 幅 鎌倉時代 宝山寺
4-29 65 五大虚空蔵菩薩像 1 幅 南北朝時代 西大寺

【展示室5:戒律と舎利信仰】

5-1-1 13-1 国宝 興正菩薩坐像 像内納入品のうち金銅八角五輪塔 1 基 鎌倉時代 西大寺
5-1-2 13-2 国宝 興正菩薩坐像 像内納入品のうち舎利安置状 1 通 鎌倉時代 西大寺
5-1-3 34-1 重文 釈迦如来立像 像内納入品のうち舎利塔紐付 1 基 鎌倉時代 西大寺
5-1-4 48-1 重文 文殊菩薩坐像 像内納入品のうち舎利塔 1 基 鎌倉時代 西大寺
5-1-5 48-2 重文 文殊菩薩坐像 像内納入品のうち舎利塔容器 1 合 鎌倉時代 西大寺
5-1-6 58-1 重文 大黒天立像 像内納入品のうち五輪塔 1 基 鎌倉時代 西大寺
5-2 30 宇治浮島十三重石塔納置品のうち(金銅舎利塔1 基・水晶五輪塔 13 基・金銅筒型容器1 合・金銅瓶形容器1 合・鋳
銅経筒1 合・鋳銅五鈷鈴1 口・金銅蓮台 形容器1 合・銅版鋲留角形箱1 合・紺紙 金泥法華経第1 巻1 巻) 一括 鎌倉時代 放生院
5-3 44 重文 黒漆舎利厨子 1 基 鎌倉時代 般若寺
5-4 47 重文 十三重石塔納置品のうち(金銅五輪塔1基・金銅五輪塔1基・水晶五輪塔4基)  一括 鎌倉時代 般若寺
5-5 43 重文 金銅火焔宝珠形舎利容器 1 基 鎌倉時代・正応3 年(1290) 海龍王寺
5-6 40 舎利塔厨子 1 基 室町時代 西大寺
5-7 42 重文 金銅火焔宝珠形舎利容器 1 基 室町時代・応永21 年(1414) 西大寺
5-8 46 国宝 金銅能作生塔 1 基 鎌倉時代 長福寺(奈良県)
5-9 114 重文 金銅密教法具 (五鈷鈴・独鈷杵・五鈷杵) 3  鎌倉時代 極楽寺
5-10 121 重文 金銅装宝篋印塔 1 基 鎌倉時代・永仁5 年(1297) 称名寺(金沢文庫保管)
5-11 122 重文 玉華鬘 1 面 鎌倉時代 称名寺(金沢文庫保管)
5-12 123 重文 弥勒菩薩立像 像内納入品のうち舎利容器残闕 一括 鎌倉時代 称名寺(金沢文庫保管)

展示室6:西大寺の伽藍配置】

展示室7:⑴真言律宗一山の名宝】

7-1 63 重文 弘法大師坐像 1 軀 鎌倉時代 元興寺
7-2 54 聖徳太子立像(南無仏太子像)  1 軀 鎌倉時代 元興寺
7-3 56 如意輪観音坐像 1 軀 鎌倉時代 元興寺
7-4 49 文殊菩薩坐像 1 軀 鎌倉時代 法華寺
7-5 96 重文 普賢菩薩騎象像 1 軀 平安時代 岩船寺
7-6 94 重文 普賢菩薩坐像 1 軀 平安時代 文化庁
7-7 57 重文 不空羂索観音坐像 1 軀 鎌倉時代 不空院
7-8 101 重文 吉祥天立像 1 軀 鎌倉時代 浄瑠璃寺(6/6 ~ 6/11)
7-9 99 重文 地蔵菩薩立像(延命地蔵)  1 軀 平安時代 浄瑠璃寺
7-10 82 地蔵菩薩立像 1 軀 平安時代 不退寺
7-11 61 重文 太山王坐像康円 1 軀 鎌倉時代・正元元年(1259) 白毫寺
7-12 62 重文 司命半跏像・司録半跏像 2 軀 鎌倉時代 白毫寺
7-13 97 四天王立像のうち多聞天立像 1 軀 鎌倉時代 岩船寺

【展示室7:⑵忍性と東国の真言律宗】

7-14 110 忍性菩薩坐像 1 軀頭部 鎌倉時代 体部 室町時代 極楽寺
7-15 113 釈迦如来像 1 幅 南北朝〜室町時代 極楽寺
7-16 112 重文 釈迦如来坐像 1 軀 鎌倉時代 極楽寺
7-17 111 文殊菩薩坐像 1 軀 鎌倉時代 極楽寺
7-18 115 重文 釈迦如来立像院保他 1 軀 鎌倉時代・徳治3 年(1308) 称名寺(金沢文庫保管)
7-19 116 十大弟子立像のうち舎利弗像・富楼那像・迦旃延像・優波離像 4 軀 鎌倉時代称名寺(金沢文庫保管)
7-20 124 重文 地蔵菩薩坐像院誉 1 軀 鎌倉時代・元亨4 年(1324) 長福寺(福島県)
7-20-1 124-1 重文 地蔵菩薩坐像 像内納入品のうち妙法蓮華経巻8 1 巻 鎌倉時代 長福寺(福島県)(金沢文庫保管)
7-20-2 124-2 重文 地蔵菩薩坐像 像内納入品のうち某願文断簡 1 紙 鎌倉時代 長福寺(福島県)(金沢文庫保管)
http://www.mitsui-museum.jp/pdf/mokuroku_170415.pdf

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