大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

飛鳥・白鳳彫刻の魅力(2):法隆寺釈迦三尊

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 まず、法隆寺釈迦三尊に注目してみよう。
 これについて詳述しているのは<望月:前掲書>である。飛鳥彫刻の源流には2系譜があり、釈迦三尊を北魏系とし、それに対して百済観音を南梁系として両者の特色を大陸の事例との比較で検討していく。釈迦三尊の北魏系は、磨崖仏の伝統から「浮彫」的な技法にあり、一方、百済観音の南梁系は「丸彫」りを特色とする。そこから前者には正面観照性があるとされ、後者は背面を含むあらゆる角度からの観賞にたえるとされる。
 <望月>は、飛鳥時代の2系譜のうち前者は大陸の完全模倣、後者は日本的な展開の萌芽といった分類で論陣をはっているが、これは戦中の意識を色濃く反映しているようにも思う。即ち、大陸模倣(釈迦三尊)よりも日本的な特質の源流(百済観音)を上にみる見方である。それは第5章の結言にも読み取ることができる。

 <佐和>では驚くべきことに釈迦三尊についての記載がほとんど存在しない。止利の確定現存作を飛鳥寺釈迦如来像に限定し、徹底的な資料考証からのみ検討を行っている。日本書記を読み込んで、そこからの事実認定で作品の時代を特定していく方法論をとっているが、それはそれで面白い。しかし、釈迦三尊についてほとんど無視する姿勢は専門家としてはやや狭量にすぎる感は否めないだろう。

 <和辻>も、<佐和>と同じく釈迦三尊をほとんど記載せず百済観音に多くの紙幅をさいている。さらに<吉村>は釈迦三尊を全く取り上げていない。それに対して<亀井>は<望月>的なアプローチを参考にしながらも、こうした様式論、文献史学に対して一定の否定的な見解を示し、資料から止利の人間的な謹厳実直さを垣間見ようとしている。<竹山>はここでもユニークな見解で、堂宇で遠くから目視する釈迦三尊と写真で近接してみる違いから印象論を展開していく。

 <野間>は時代が下った論文であり、それ以前の論点を整理していく。まず、<望月>のように飛鳥時代に2系譜を並立させるのではなく、南梁系の諸作を後の白鳳時代の作としてここに時間差を置いている。また、<佐和>のような文献接近の方法論も意識しているが、実はこの背後には有名な法隆寺再建、非再建論争がある。両陣営に分かれた大論争の渦中にあっては、時代考証に当時慎重な見方があったとしても仕方がなかったかも知れない。これについては次の事実が最近、確認されている。


 「2004年(平成16年)、奈良文化財研究所は高精度デジタルカメラ(千百万画素)で撮影した画像による年輪年代測定の結果を発表した。それによると、法隆寺金堂、五重塔、中門に使用されたヒノキやスギの部材は668年(天智7) - 685年(天武14)ころに伐採されたものであるとされ、法隆寺西院伽藍は7世紀末の再建であることがあらためて裏付けられた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA 

 自分は、素人ゆえに仏像への根本的な見方では<亀井>に共感するが、好きな仏様と邂逅すれば、より知りたくなるのも当然。その意味では<野間>の見解が素直でもっとも参考になる。

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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