大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

飛鳥・白鳳彫刻の魅力(5):聖徳太子

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 これも最近読んだ本で小林惠子『聖徳太子の正体―英雄は海を渡ってやってきた』 (文春文庫)というのがある。内容(「BOOK」データベース)を引用すれば次のとおり。
 ーー「日出ずる処の天子」と隋に使者を送り中国と対等に渡りあった聖徳太子、三宝を敬い、日本人の心に安らぎを伝える聖人聖徳太子―。しかしその実像は、興亡やまぬアジアの草原を疾駆した騎馬民族・突厥の英雄・達頭可汗その人だった。闘う倭王・聖徳太子の姿を、ペルシャ、中国、韓三国、日本の史料を駆使して明らかにする。
http://booklog.jp/asin/4167555018
 
 大胆不敵な着想で、聖徳太子伝説をペルシアから東アジア全体に展開し「裏返し」てみせる点で破天荒なドラマ展開だが、こうした小説が登場するくらい「正史」たる記紀の正統性が揺らいでいる証なのかも知れない。それ以外にも聖徳太子を取り上げた文献は多く、いまや一種のブームをつくっているようだ。

 四天王寺によく足を運ぶ。この寺域には一種の妖気を感じることがある。梅原猛『隠された十字架』などからの相当な先入主があり、それがゆえに感性が揺らぐのかも知れないが、観光客がまばらな日に内陣あたりを一人逍遙していると言いしれぬ薄気味悪さを感じたりする。 
 法隆寺や広隆寺ではあまり感じないが、四天王寺は幾重の戦乱、火災で堂宇が消失し、また時をへて再建されるといった人柱の重み、その「累積性」のなせるものかも知れない。

 さて、ここでは広隆寺についてである。2体の弥勒菩薩はいずれも太子との係わりが日本書記などに記載されている。一体は太子が秦氏に授けたもの、もう一体は新羅使・任那使が来朝し献納したものだが、いずれもこの記述が正しければ、日本での作像ではない。材質論、類似作の大陸での存在もよく知られるとおりこれを補強するものだろう。

 それにしても聖徳太子が秦氏に弥勒を授けた点が興味深い。なんのためであったろう。弥勒信仰と秦氏との関係も気になる。また、当時の人々はこの2つの弥勒を拝してどのような思いをもったのであろう。

 水沢澄夫『広隆寺』1965年中央公論美術出版を読むと、漢氏(鞍部止利や百済系仏師を輩出)に対して秦氏は新羅系とのことで、その歴史・伝統・嗜好の違いから、弥勒は秦氏にとって重要な仏であり、それは当時にあって太子ほかの知識人間では共通の認識であったのかも知れない。あるいは、その高貴すぎる尊顔も、秦氏一族にとっては親しく(あるいは懐かしく)見慣れたものだったとも考えられる。

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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