大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

仏像の道-インドから日本へ 1

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 東京国立博物館の特別第5室は、天井の高いアトリウム型の解放空間で心地よく時間が過ごせる。ここで、最近まで展示されていたのが表記の「仏像の道-インドから日本へ」である。東博に行くとだいたいここに立ち寄るから、もうどこに何が展示されているかもあらたか覚えてしまったが、HPの表示が残っているうちに、このブログに転載しておこう。
 仏教は紀元前5世紀頃のインドでブッダが説いた教えで、ブッダの死後もその教えを受け継ぐ人々によって伝えられてきました。仏教徒は、ブッダの遺骨(舎利:しゃり)を納めた仏塔(ストゥーパ)を礼拝の対象としました。この仏塔にブッダにまつわる説話を表わしたり、さまざまな装飾をほどこすようになり、仏教美術が始まります。しかし、はじめはブッダを人間の姿で表わすことは禁じられており、ブッダは足跡や傘、車輪といった象徴によって、その存在を暗示するという約束ごとがありました。

 紀元後1世紀になって、ブッダを人間の姿で表わすことが行なわれるようになり、仏教徒は仏像を礼拝するようになります。仏教の教えの広がりとともに、インドのみならず各地でさまざまな形の仏像が造られ、人々の信仰を集めました。
(参考)
 仏像の誕生とほぼ時を同じくして、仏教は中央アジアを経由して中国に伝えられました。中国では、南北朝時代になると、国家の保護の下で仏教が繁栄し、5世紀に入ると大規模な石窟(せっくつ)寺院なども造営されるようになり、おびただしい数の仏像が作られました。仏像の様式がインド風から中国風へと変化するのはちょうどこの頃で、外来の仏教を自分たちのものにしていく様子がわかります。

 4世紀の終わりに、仏教は中国から朝鮮半島へ伝わりました。やはり王室が仏教を保護し、仏像は中国南北朝時代(420~589)のスタイルを継承しながら、朝鮮半島に独自の流行もうみ出しました。

 6世紀には、朝鮮半島の百済からわが国へ仏教が伝来しました。日本では7世紀に入ると造寺造仏活動が本格化します。伽藍(がらん)配置や仏像の様式には、朝鮮半島や中国との関連がうかがわれます。中国では618年に唐王朝が成立し、都の長安では仏教が大いに栄え、わが国の仏教文化にも大きな影響を及ぼしました。

 今回の展示では、仏像の誕生したガンダーラから中国、朝鮮半島、日本の仏像20点余を選び、それぞれの時代、地域で、どのような仏像が作られ、人々の信仰を集めていたのかをたどってみたいと思います。
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=01&event_id=4467

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