大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

仏像の道-インドから日本へ 4 中国への伝播

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  中国では石窟彫刻が有名である。その白眉とでもいうべきが、上の雲岡石窟第20窟の如来坐像である。「雲岡、敦煌詣で」は、かつてでは考えられなかったが、いまは一種のブームであり、多くの日本人観光客も目にすることができるようになった。しかし、以前からの疑問なのだが、われわれが惹かれる飛鳥、白鳳、天平、貞観彫刻とシナジーを感じる中国の彫刻は、実は一部を除き多くはないのではないか。もちろん、様式の共通性はある。彫出仏などはその典型だし、三尊形式もしかり。しかし、そのご尊顔では異質性を感じるほうがはるかに多いのではないか。
(参考)
元は霊巌寺といい、現在では石仏寺などと呼ばれる。北魏の沙門統である曇曜が文成帝に上奏して460年(和平元年)頃に、桑乾河の支流の武周川の断崖に開いた所謂「曇曜五窟」(第16窟、第17窟、第18窟、第19窟、第20窟)に始まる。三武一宗の廃仏の第一回、太武帝の廃仏の後を受けた仏教復興事業のシンボル的存在が、この5窟の巨大な石仏であった。

その後も、第1・2窟、第3窟、第5・6窟、第7・8窟、第9・10窟、第11・12・13窟と大規模な石窟の造営が続けられ、雲崗期(460年-494年)と呼ばれる中国仏教彫刻史上の一時期を形成した。

様式上は、最初期の「曇曜五窟」には、ガンダーラやグプタ朝の様式の影響が色濃い。その後の石窟ではギリシア様式の唐草文様に代表される西方起源の意匠も凝らされており、当時の建築様式を模した装飾も豊富に見られる。しかし、洛陽へ遷都する494年以降の末期になると、初期の雄大な質感は姿を消し華奢で力強さの感じられない造形が増加する傾向が顕著となる。そして、この傾向の延長線上に、続く龍門期が待ち受けている。

また、その影響関係で言えば、雲崗の様式は涼州(甘粛省)の石窟にその淵源を持つとも考えられるが、雲崗の影響は龍門・天龍山・南北の響堂山などの広範囲な石窟寺院に及んでいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E5%B4%97%E7%9F%B3%E7%AA%9F

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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