大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

仏像―心とかたち  正・続

望月信成、佐和隆研、梅原猛『仏像―心とかたち』 (NHKブックス20)、『仏像 続―心とかたち』 (NHKブックス 30)1965年

この本は面白い。望月、佐和両先生が若き梅原猛をバックアップして「次代のエース」を世に出してあげたような本ではないですか。

忘れてはいけないと思うのですが、同じ年に、日本美術史を太古から書き記した町田甲一先生の『解説日本美術史』吉川弘文館もでています。

梅原猛は本書で仏像研究の「第3の道」を提起しているが、<亀井>、<吉村>らの叙情的な「印象論」も<望月>、<佐和>らの「様式論」も本質的には否定しているね。そのうえで大上段から「精神史からみた仏像論」を提起する。<和辻>が20代でやってきたことを梅原は30代でやってきて、約40年ぶりに新たな挑戦状を叩きつけたとも言える。鮮烈なデビューだったね。

梅原のヘーゲルやディルタイを援用しての緒論はたしかにその時代の息吹を感じさせますね。望月(1899年生まれ)と佐和(1911年生まれ)は一回り年が違いますが、佐和と梅原(1925年生まれ)はそれ以上に年が離れていますからね。梅原は望月にとっては子どもの世代ですね。

町田甲一や久野建『日本の彫刻』(吉川弘文館)なども、とても素晴らしい成果だと思いますけど・・

町田の本は編年体ではないが、時代区分に沿ってオーソドックスに仏像様式論を展開していくが、梅原らの本は如来、菩薩、明王、天といった分類にそって仏像を俎上にあげていく。しかも様式論のあとに梅原流の文明史観(心を探る)といったものが大胆、自由に書かれる点が異なる。

最近の仏像についての本は如来から順番に説き起こす形式が多いのではないですか。その意味ではこの本はハシリだったと言えますか。

わたしは久野さん、町田さんの本のほうが、当時の時代との状況がわかって読みやすいとも思いますが・・

戦前でも加藤泰『日本美術史話』1937年栗山書房といった成果もあり、時代史は蓄積のある方法論。それに対して、別の行き方としての和辻の流儀は梅原に投影されている。
 しかし、和辻の『古寺巡礼』には広隆寺弥勒菩薩の記述など首を傾げるような荒っぽい断定も多くみられる。なにしろ学術書ではないし自由な発想がその魅力の源泉だからね。それに対して梅原は賢いね。そうした考証部分は両大家がこなしてくれているからね。あとは安心して思い切って自説を注入できる。

それにしても梅原の博覧強記ぶりはたいしたものですね。猛烈に勉強しているし、知識と空想がどんどん湧出してくる感じですね。

しつこくてごめんなさい。でも、やはり様式論もとても重要だと思うし、学問って対象を限定し、一定の方法論にそって深めていくから進歩もあるような気もするし・・。同じ時期に出版された町田さんの本にはその良心を感じますけれど・・

町田甲一『古寺辿歴―古美術襍想』 (1982年) 保育社を読んでごらん。君の言う、そうした熱い思いが綴られているよ。しかし「第3の道」もいまは、思想の揺らぎ、相対化から当時にくらべて読み手サイドからは得心するものが少なく難しくなっているね。
 むしろ、最近はどんどんと専門化した様式史がテクノロジーの進歩とともに跳梁跋扈しているように思うし、その一方でお手軽印象論の軽い本も良く読まれているようだね。

「癒し」がキーワードの時代ですからね。そうした意味ではこの『仏像ー心とかたち』もかくあるべしといった精神主義が、いまから見ると強いように思えますね。

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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仏像―心とかたち (1965年)

仏像―心とかたち (1965年)

  • 2009/11/21(土) 23:37:56 |
  • ロドリゲスインテリーン

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