大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

仏像ブームとは・・・

小金銅仏images

 お久しぶりです。最近、ますます仏像ブームでいろんな本がでて、面白いですね。でも、どこか焦点のみえないような気もします。<お寺に行く、仏像をみる、癒される>という意味はどこにあるのでしょうか。出版されている本の多くは、お寺の解説、仏像の知識で鑑賞のノウハウは満たしてくれますが、そこに何か物足りなさを感じる人もいるのでないかと思います。

 いや、相変わらずだね。いいじゃない、ものごと何でも理由はあるが、その理由がわからないからといっていちいち悩むことはない。お寺さんだけがブームじゃない。宗教関係だって最近の関心は高くなっている。般若心教なども随分、読まれているし写経熱も高い。仏像も見るだけでは飽きたらず、実際、鑿をとって彫刻教室で制作に挑戦する人もいる。

 仏像もお年寄りのお寺参りでの流行というよりも、若い女性なんかが積極的に見て発言していますね。しかも、印象批評に思えても、実は様式史なども良く研究していたりして・・・

 本質的な議論ではないが、おそらく、ある意味で周期的にくるブームはあると思う。いまがそうした時期、時代なのかも知れない。また、宗教関係でいえば、語り部としての立派な宗教指導家が少なくなっているのかも知れない。しかし、根底には別の見方があるかも知れない。

そうはどういう意味ですか?
 
 草庵にひとり座して、深く世を考える、あるべき人生を説くといった「隠者の思想」といったものが古来からある。日本だけではなく、どの国にもあると思うが、そうした哲学的、宗教的な営為がいまは希薄になっている。仏像は、けっして語らぬいわば永遠の「沈黙の隠者」だが、その眼前に立つ人が、沈黙のなかで自らに問い、自ら考えることができる。

 なるほどねえ。般若心教なども、お寺の講話より、むしろ本を買って座右で自習する人が多いと聞くし、写経も、まあ寺院の寄進目当てということもあるが、個人としての真面目な向き合いだ。彫刻も、無意識ながら自念仏に通じるといえるかな。個人主義のなせるところとも、カリスマの不在ともいえるのかな。でも、哲学や宗教ばかりじゃないのでは、先生!
実際、美術愛好家からの仏像ブームもあるんじゃない。

 それは仏像に限らないのではないか。たとえば、美術工芸への関心は広範になっているし、骨董ばやりで、日本絵画や陶芸への関心もかつてないほど高い。その一角を占めるという意味では、阿修羅展なども典型に、仏像もその例外ではない。
 しかし、仏像は蒔絵工芸とは明らかに異なる点がある。それは、神、人間を写して創られていることである。

 つまり、その点でいつも時代を投影しているということでしょうか?

 私はそう思う。たとえば、日本においても、南都の炎上、応仁の乱、比叡山の焼き討ち、廃仏毀釈といった受難の歴史は、また来ないとは限らない。人類は進歩しているから、もはやそうしたことは起こらないとの考えもあるかも知れないが、そうでない蓋然性をも歴史は示唆している。
 乱世、英雄・カリスマの時代は、けっして好ましいとは思わないが、現世の「語り部」にあきたらない人が、また、将来に対してその不確実性を強く感じているからこそ、歴史を生き抜いてきた「沈黙の隠者」の前に立ちたいと思うのではないか。

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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