大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

聖徳太子について(9)

1-11

 石渡信一郎『聖徳太子はいなかった』(三一書房 1992年)を読む。松本清張の論文が書かれてから20年後の出版だが、こちらはもっと根本的な帰化人政権説に基づいている。「帰化人の問題」はこのブログでも書いているところだが、石渡の考え方はより徹底しており、4~5世紀に帰化人が政権を簒奪し、蘇我氏をその中心に置く。『ウィキペディア(Wikipedia)』から、彼の主張を引用すれば、以下の諸点となる。

1.蘇我馬子=聖徳太子(厩戸皇子)は、用明天皇の架空の分身。
2.応神天皇は百済の蓋鹵王の弟昆支で、462年に崇神王家の入り婿となった。478年には倭国王武として宋に遣使し、491年に百済系の倭国「大東加羅」を建設した。
3.奈良県桜井市にある箸墓古墳の年代は393年。その被葬者は崇神天皇。
4.仁徳陵の被葬者は継体天皇。仁徳天皇は継体天皇の架空の分身で、継体天皇は応神天皇の実弟。
5.『日本書紀』、『古事記』の神話に出てくるスサノヲは蘇我大王家の象徴。
蘇我蝦夷、入鹿の父子は天皇。
6.天武天皇は天智天皇の異母兄である古人大兄皇子と同一人物。
7.4世紀前半に朝鮮半島の加羅勢力が北部九州に渡来し、瀬戸内海を経て、大和の纏向が王都の倭国=大加羅(南加羅)を建設した。崇神天皇はその初代王。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B8%A1%E4%BF%A1%E4%B8%80%E9%83%8E

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

コメント

家康が知っていた倭国年号

安土桃山末期、江戸初めの1608年に、ロドリゲスというポルトガル人が日本に布教に来て30年ほど滞在し、日本語教科書を作るため、茶道を含む、日本文化を幅広く聞き書き収集して著した、「日本大文典」という印刷書籍です。400年前の広辞苑ほどもあるような大部で驚きです、さらに家康の外交顧問もしていました。スペイン国王からはメキシコに帰る難破船救助のお礼に、「家康公の時計」をもらっています。
この本の終わりに、当時ヨーロッパ外国人が聞き書きした、日本の歴史が記載され、この頃あった、古代から伝えられてきた日本の歴史について知ることができる タイムカプセル でしょうか。これが戦国時代直後までの古代史の認識で、倭国年号が522年善記から大宝まで記載され其の後に慶雲以後の大倭年号が続きます。明治以後にはこの歴史認識は失われてしまったようです。日本語研究書と見做され、日本大文典の倭国年号のこの内容は、実物を手に取った人にしか分からない状態になっています、ウィキなどにも倭国年号の存在は記載されていませんので、ぜひ一度手にとってご覧いただければ幸いです。
ついでに
倉西裕子著 『「記紀」はいかにして成立したか』 続日本紀記載の720年「日本紀」は普通古代史専門家はこれを「日本書紀」と読み替える前提ですが、理由無く読み替えられない、別物という論証がされています。
宜しくお願いします。

  • 2013/12/28(土) 06:57:22 |
  • URL |
  • いしやま #j1BwbPXw
  • [ 編集 ]

Re: 家康が知っていた倭国年号

貴重なご意見をどうもありがとうございます。倭国年号、興味深いご指摘です。倉西裕子さんでは、『国宝・百済観音は誰なのか?―実在したモデルとその素顔』 (著) http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-72.html は以前拝読したことがありますが、下記の本はまだ手にとっておりません。卓抜な構想力をもっておられる方ですね。折をみて読んでみたいと思います。織工

> 安土桃山末期、江戸初めの1608年に、ロドリゲスというポルトガル人が日本に布教に来て30年ほど滞在し、日本語教科書を作るため、茶道を含む、日本文化を幅広く聞き書き収集して著した、「日本大文典」という印刷書籍です。400年前の広辞苑ほどもあるような大部で驚きです、さらに家康の外交顧問もしていました。スペイン国王からはメキシコに帰る難破船救助のお礼に、「家康公の時計」をもらっています。
> この本の終わりに、当時ヨーロッパ外国人が聞き書きした、日本の歴史が記載され、この頃あった、古代から伝えられてきた日本の歴史について知ることができる タイムカプセル でしょうか。これが戦国時代直後までの古代史の認識で、倭国年号が522年善記から大宝まで記載され其の後に慶雲以後の大倭年号が続きます。明治以後にはこの歴史認識は失われてしまったようです。日本語研究書と見做され、日本大文典の倭国年号のこの内容は、実物を手に取った人にしか分からない状態になっています、ウィキなどにも倭国年号の存在は記載されていませんので、ぜひ一度手にとってご覧いただければ幸いです。
> ついでに
> 倉西裕子著 『「記紀」はいかにして成立したか』 続日本紀記載の720年「日本紀」は普通古代史専門家はこれを「日本書紀」と読み替える前提ですが、理由無く読み替えられない、別物という論証がされています。
> 宜しくお願いします。

  • 2014/01/01(水) 02:55:28 |
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  • 大和織工 #-
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