大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

聖徳太子について(10)

1-9

 谷沢永一『聖徳太子はいなかった』(新潮新書 2004年)を読む。石渡本は、ある意味でヒロイックに力を籠めて、帰化人による政権論を説き、その象徴としての聖徳太子神話のベールを剥ぐといったおもむきだが、この谷沢本はもっと軽い、ないし歴史書ではなく、単なる読み物として書かれた聖徳太子論といった印象である。
 松本清張の論考は、ときの「学界」に対する反権威主義に貫かれ、深い歴史的な造詣によって書かれた一種の挑戦状といった風情があり、石渡信一郎の本は、さらにこの路線を徹底して、仮説としての帰化人王権説を展開するが、谷沢永一の本には、そうした気概や迫力はない。書肆学者としての谷沢は、どこまでが底を踏める論証かを慎重に見極めながら、ここまでは言っても決定的な「反論」はかわせるなといった地点に立って、安心して批判を展開しているかに見える。考証可能性という防具をまとっての緒論である。その意味では、類書に比較してオリジナリティのない、得るところの乏しい本と言えよう。

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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