大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

大遣唐使展 1 <日米(中)の2観音菩薩像>

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観音菩薩立像 1躯
米国・ペンシルバニア大学博物館
Loaned by the University of
Pennsylvania Museum of
Archaeology and Anthropology,
Philadelphia, U.S.

 仏像は、そこに永らくおわす寺院で拝観するのが一番との考え方がある。その一方、素晴らしい仏像は一級の美術品でもあり、また、その国、寺院の固有の事情(戦争による戦利品、寺院の財政困窮のよる好事家やコレクターへの売却など)から海外に渡ることも多い。だからこそ、われわれは、このような展覧会で、何世紀も隔てた<時代>も、数千㎞以上も離れた<場所>も異なる秀逸な文物を一堂に会し、文字取り「時空を超えて」いながらにして観賞することができる幸運に感謝する。
 唐代の石仏「観音菩薩立像」(米ペンシルベニア大博物館蔵、上記写真)もそのひとつであり、中国で刻まれた最大級の石像は、どういう経緯でそうなったかは知らないが、いまはアメリカにおわし、今回はじめて「来日」した。拝観して、石像こそ、本来その寺院で風雪に耐えるべきものであり、いわば不動産が無理矢理「動産」化されてしまったような不条理を覚える。石像は、ほかにも多く展示されており、なぜ、唐代の中国の石の仏頭がここ日本にあるのだろうか?といったことを考えながら会場を歩く。矛盾した思いである。
 
 この展覧会の物量は凄い。じっくり観賞するなら何日も通わなければならないだろう。仏像を見て考えるのが主ではあるが、関心のレンジはもちろんこれにとどまらない。工芸品、仏具、仏教絵画のほか、様々な文物は仏像との関係も深く、当然、そこにも目はいく。だからこそ、時間はいくらあっても足りない。これは、たとえば正倉院展で、多くの来訪者が感じることだろう。


<参考1>
観音菩薩立像 1躯 米国・ペンシルバニア大学博物館
石造 総高243.8cm 中国・唐 神龍2年(706)


 等身よりやや大きい丸彫の観音菩薩立像で、日本初公開。頭頂から台座仰蓮部に至る全容が石灰岩の一石から彫出され、頭上に高く結った髻の正面に蓮台と光背を伴う坐化仏を表し、左手を垂下して水瓶を執る。条帛・裙・天衣を着用し、天衣は両肩から前面に回り、右体側では蛇行して垂下する。耳飾・胸飾・腕釧など華やかな装身具を身につけており、瓔珞は腹前でX字状に交叉し、膝上で分岐して背面に回っている。
 本像は石窟造像以外の唐代彫刻では最大級の作で、堂々たる上体に比して下半身がやや華奢な印象を与えるものの、時代を代表する名品の1つに数えられる。ことに頭部においては、卓越した彫技が発揮されている。丁寧に刻まれた頭髪の毛筋、鼻翼から眼窩に至る滑らかな曲面、眼球部のふくらみや唇の微妙な起伏、弾力感に富んだ頬から顎まわりの肉付きなど、人体の観察に基づく写実的な造形と、線や面自体のもつ感覚的な美しさが一体となって生み出される風貌は、まことに秀麗である。
 直立する体勢、薄い衣を通して直線的な脚のラインがうかがえる点、下半身の衣文の処理などが共通することから、本像は薬師寺聖観音菩薩立像の源流に位置づけられ、常に比較対象とされてきた。しかし従来注目されなかった側面観は、薬師寺像と大きく異なる。肩を後方に引き、腹を突き出して立つ姿勢は隋代の仏像や7世紀前半~中葉のわが国の諸像、例えば法隆寺金堂四天王立像などにみられるものに近く、薬師寺像にみられる様式の一時代前の要素を濃厚にとどめている。正面観と側面観における印象の相違は、薬師寺像においても異なった形で現れている。これらの現象は、7~8世紀東アジアにおける造像様式の系譜を単線的な発展史として理解することの限界を示すとともに、絵画的媒体を介した図像形式の伝播と丸彫像の関係についても再考を促す。
 なお神龍2年(706)の紀年をもつ台座は石の色味と彫り口が像本体と異なり、またこれほどの大作にも関わらず銘文の書風が素朴であるなどの問題があるが、宝慶寺ほうけいじ石仏群の十一面観音像(長安3~4年=703~4)の表現との近似などから、ひとまず本体も同年の作と考えておく。
(奈良博 プレス・リリース資料より転載)

<参考2>
2010年4月3日 読売新聞から抜粋・引用

大遣唐使展、奈良で開幕

 薬師寺の聖観音菩薩立像とペンシルベニア大博物館の観音菩薩立像に見入る人たち 平城遷都1300年を記念し遣唐使ゆかりの品々を紹介する「大遣唐使展」(奈良国立博物館、読売新聞大阪本社、NHK奈良放送局など主催)が3日、奈良市の同博物館で開幕した。

 開館前には約200人の列ができ、来館者は中国文化の影響を受けた仏像や絵図、仏具などを鑑賞した。

 中国、米国からの日本初公開の出品を含む261件(国宝42件、重要文化財87件)を展示。唐代の石仏「観音菩薩立像(ぼさつりゅうぞう)」(米ペンシルベニア大博物館蔵)は、研究で比較対象とされてきた薬師寺東院堂の「聖(しょう)観音菩薩立像」(国宝)と並べて初めて展示。

 6月20日まで。会期中、展示替えをする。午前9時30分~午後5時(30日から金曜は午後7時まで)。月曜休館(5月3日開館)。
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仏像以外にも注目される展示も多い。吉備大臣入唐絵巻はその一つ。

<参考1>
吉備大臣入唐絵巻 4巻のうち 第1巻、第4巻
米国・ボストン美術館 紙本著色 第1巻 縦32.1cm 長673.5cm 第4巻 縦32.0cm 長598.1cm
平安時代(12世紀)

 吉備真備(695~775)と阿倍仲麻呂(698~770)、2人の実在する遣唐使を主人公とした物語絵巻である。話は遣唐使・吉備真備が船に乗り唐へ渡る場面から始まる。入唐した真備は、その秀才を恐れた唐の皇帝により高楼に幽閉されてしまう。そこに、かつてやはり遣唐使として入唐し、帰国することなく唐で没した阿倍氏(阿倍仲麻呂)が、鬼と化した姿で現れる。真備は朝廷から次々と難題を課され窮地に陥るが、その度に仲麻呂の協力を得て、突きつけられる難題を見事クリアしてゆく。なお物語はなかばで終わっており、本来2巻構成であった絵巻の1巻が残されたものとみられる(4巻仕立てとなったのは、1964年の日本における修理時)。
 史実では2人の入唐は同時であり、真備が二度目に入唐した時も仲麻呂は存命であった。つまり現実的にはあり得ない設定の物語だが、諸学に秀でた天才の真備、望郷の念を抱きつつ帰国を果たせず没した無念の人、仲麻呂という2人のイメージが増幅され、遣唐使に関する様々な情報をベースに、痛快なフィクションが仕立てられたのであろう。
 物語は闊達な筆致で描き出され、特に表情豊かで動きのある人物群は見る者を惹き付け、物語へ誘い込む。描写は同じく平安絵巻の傑作として知られる「伴大納言絵巻」(東京・出光美術館所蔵)に共通するところが多く、いずれも平安時代末期、宮廷絵師常磐光ときわみつ長ながの周辺で制作され、蓮華王院宝蔵に秘蔵された後白河法皇の絵巻コレクションの一つであった可能性が高いとされる。
 日本国内に伝来していたが昭和7年(1932)にボストン美術館の所有となり、幻の国宝ともいわれる。日本での公開は27年ぶりとなる。
(奈良博 プレス・リリース資料より転載)

<参考2>
1300年祭ナビ:大遣唐使展 真備や空海、関連261件--6月まで奈良博 /奈良
 ◇幻の国宝「吉備大臣入唐絵巻」も--6月20日まで
 遣唐使に関連する文化財を展示する特別展「大遣唐使展」が、奈良市登大路町の奈良国立博物館で開かれている。吉備真備(きびのまきび)や空海などにまつわる国宝42件、重要文化財87件を含む261件を展示する。6月20日まで。【花澤茂人】

 「吉備大臣入唐(にっとう)絵巻」(平安時代)は1932年に米国・ボストン美術館の所有となり、幻の国宝とも呼ばれる。吉備真備と阿倍仲麻呂の2人の遣唐使を主人公とした物語絵巻で、唐の皇帝に才能を恐れられ幽閉された真備が、仲麻呂の協力を得て難題を乗り越えていく様子を描く。

 「観音菩薩(ぼさつ)立像」(8世紀)は米国・ペンシルバニア大学博物館所蔵で、日本初公開。唐で作られた石灰岩の石像で、薬師寺の「聖観音菩薩立像」(国宝)の源流ともされる。薄い衣を通して直線的な脚のラインが分かる点などが共通している。2体を並べての展示は初めて。

毎日新聞 2010年4月13日 地方版
http://mainichi.jp/area/nara/news/20100413ddlk29040715000c.html

<参考3>
遣唐使一覧表(再現日本史、講談社)
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http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/chouryu/217/index.html#1

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

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