大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

大遣唐使展 3 <仏像彫刻の逸品>

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 下記の目玉展示のほか、会場内には逸品の仏像が多い。金銅仏は奈良博と東博の常設展示分などがいわば「転用」されており、「お久しぶりです」と語りかけたいような感じである。小金銅仏は、東博法隆寺館の飛鳥時代の諸仏の作風から比べると、全般の印象として柔和、丸み(物理的な意味より、その醸す印象とでも言っておこうか)を感じる。多くの観賞者がその前で足をとめ、思わず「可愛いね」とお互い話しかける女性たちも・・・。見ていて微笑ましい。小賢しい知識よりも優れた感性で見るべし、これぞ仏像のもつ本来の魅力である。
 第2会場の最後の方にある最澄(滋賀 観音寺)、空海(奈良 元興寺)の並んだ肖像彫刻も両人の性格を反映しているようで、見飽きない。最澄の表情は険しく瞑目、一方、空海は一種茫洋とした表情でまわりに目線を送っている。法隆寺、東大寺、唐招提寺、大安寺など奈良諸寺も仏像を出展しているので、居ながらにしてこの時代の彫刻の特徴を知ることができる。遣唐使が舶載した仏像がいかに大きな影響をわが国に与えたか、その一方、既に日本国内でも仏所、工房の生産体制も整いつつあったろう。
 なお、大阪市美術館からは中国の2つの大きな仏頭(龍門石窟)が出張っている。


(参考)
<大遣唐使展>「仏教美術の東伝」解説…公開講座で稲本室長

「仏像の手本を遣唐使が持ち帰った」と説明する稲本室長(奈良市の奈良国立博物館で) 「大遣唐使展」の公開講座が10日、奈良国立博物館講堂(奈良市)で開かれ、展示品の選定などを担当した同博物館の稲本泰生・企画室長が「仏教美術の東伝と遣唐使」をテーマに講演、約100人が聞き入った。

 稲本室長は、初めて並んだ薬師寺の聖(しょう)観音菩薩(ぼさつ)立像と、その源流とされてきた唐代の石仏・観音菩薩立像(米・ペンシルバニア大博物館蔵)それぞれの特徴を解説。「正面の印象は似ているが、横から見た姿勢には違いがある」と指摘した。

 また、仏教美術がインドから唐を経て日本に伝わった経緯について、釈迦の足の裏の形を刻んだ薬師寺の仏足石などを例に挙げて説明。「仏像の理想像が東アジアに広がり、日本に持ち帰る役割を遣唐使が果たした」と語った。
(2010年4月11日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/nara/news/20100411-OYO8T00338.htm
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龍門石窟 敬善寺洞 如来坐像頭部 唐時代 H58.0

(大阪市美術館HPから)
龍門石窟の敬善寺洞は、唐時代の顕慶~龍朔年間(656-664)に造営されたと考えられています。本像は敬善寺洞の主尊である如来坐像の頭部です。その表貌は人間のすがたを写実的に表現したものといえ、唐時代の卓越した造形感覚をいまに伝えています。
http://www.city.osaka.lg.jp/museum/page/0000021453.html

写真のないもう一体は、龍門石窟 奉先寺洞 如来立像頭部 唐時代 H44.3

高さ17メートルの毘盧遮那如来を本尊とする奉先寺洞は龍門石窟最大の規模を誇る石窟であり、唐時代の高宗と則天武后の願いにより上元2年(675)に完成しました。その後、玄宗の命により約50体にのぼる等身の如来立像が追刻されています。この頭部は追刻された如来立像の1体のものです。ほぼ球状であり、まぶたや頬が大きくふくらむその面貌には、インド・グブタ彫刻の影響をみることができます。
http://www.city.osaka.lg.jp/museum/page/0000021454.html

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

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