大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

大遣唐使展 6 <聖徳太子>

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法華義疏写本(紙本墨書)

  第2会場の聖徳太子関連展示も大変充実している。法華義疏写本と天寿国繍帳残闕の2つの国宝はそのハイライトである。
 法華義疏写本は聖徳太子の作で、書き込み、改訂があるのは太子が推古天皇にレクするにあたっての「草稿」だからとの解説もあるが、これについては異説も多い。自分の直感でも、何故、このような古筆(紙)が太子ゆかりの寺々の動向(ほとんどは焼失、最古の法隆寺も再建)からも、今日、存在している蓋然性を考えると異説に傾きたくなる。
 「日本書紀を疑え」、「聖徳太子はいなかった論」などに単純に荷担するつもりはないが、さりとて、これを真作とすることに躊躇は禁じえない。しかし、現物を有り難く見ていると、凡人の常で、「もしかすると太子の真筆の部分があるとすれば、太子はこんな筆跡だったのかな・・・」などと悠久のロマンを感じることも事実であり、しばしの間釘付けとなった。
 聖徳太子の時代はほぼ遣隋使とオーバーラップするが、この展覧会で太子関係の文物が多く展示されているのは、いかにその影響が大きいかを物語る。この点は、太子の時代、それ以降の激動し複雑な外交史、厖大な文化・技術移入、おそらくは最重要課題であったであろう帰化人政策との関係でも興味は尽きない。


(参考)
『法華義疏』は伝承によれば615年に作られた日本最古の書物となる。

一般に聖徳太子自筆とされている『法華義疏』の写本(紙本墨書、4巻)は、記録によれば753年までに行信が発見して法隆寺にもたらしたもので、長らく同寺に伝来したが、1878年(明治11年)皇室に献上され御物となっている。

この写本は冒頭の表題と撰号(著者署名)を欠いており、第一巻の巻頭には別紙を継いで、ここに「法華義疏第一」の内題があり、その下に本文とは別筆で「これは日本の上宮王(聖徳太子)が創ったもので、海外から渡来したものではない」(意訳)と書かれている。 料紙については、本文は中国製の紙を使用し、貼紙は日本製の紙であるとの見方もある。 本文の行間には書込み、訂正などが見られ、草稿本であることが明らかである。書風は六朝風であるといわれ、聖徳太子自筆の草稿本と考えられているが、異説もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%B5%8C%E7%BE%A9%E7%96%8F#.E6.B3.95.E8.8F.AF.E7.BE.A9.E7.96.8F
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天寿国繍帳残闕

 こちらも、普段、中宮寺で弥勒菩薩にお会いしたあと、いくどもレプリカをみて「見知って」はいるものの本物を目にするのははじめてである。解説(文書、音声)に導かれながら、飛鳥時代の残闕の部分に注目する。

(参考)
天寿国繍帳残闕(てんじゅこくしゅうちょう ざんけつ)
 染織品は、陶磁器、金属製品などに比べて保存がむずかしい。本品は断片とはいえ、飛鳥時代の染織の遺品としてきわめて貴重なもの。現在、奈良国立博物館に寄託。1982年に製作されたレプリカが現在本堂に安置されている。聖徳太子の母、穴穂部間人皇女と聖徳太子の死去を悼んで王妃橘大女郎が多くの采女らとともに造った刺繍、曼荼羅である。もと2帳。その銘は『上宮聖徳法王帝説』にある。
(出典)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AE%AE%E5%AF%BA

(参考文献)
第495号(1992年6月、B5判)
天寿国繍帳の現状(沢田むつ代)
寛永期風俗画についての一考察-<邂逅図>という主題を中心として-(我妻直美)

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

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