大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

法隆寺を歩く

法隆寺images

 「南大門」(国宝:k)を遠目でとらえて次第に近づく。この大門を潜ると左に「上土門」「唐門」(重要文化財:j)が続く。建築が好みの人はこの辺で足をとどめて専門本を取り出す。右手には「護摩堂」「弥勒院」があり、運よく法事をやっていれば、ここまでは一般人もぶらりと入れる。普段公開されていない若草伽藍にもっとも近くに寄ったことになる。思わず、ジャンプして東の伽藍跡を覗きたくなる瞬間である。

 正面に「中門」(k)が見えるが、閉ざされた廻廊内への入り口は左手一カ所にある。焦ることはない。弁天池のさまざまな伝説、逸話でも思いだしながら、左手の休憩所に入る。趣きのある鄙さのなかで、セルフ・サービスながら、ここでお茶が飲める。上に目をやり「西円堂」(k)を仰ぐ。この階段を上がるまえに右手の大きな建物をよく見よう。「西室(三経院)」(k)である。実は、この近くに「表門」「西大門」「本堂」(j)などもあるが、むしろ、ここは登ったあと西円堂からの眺めを楽しもう。この「西」のウイングは法隆寺の静かな穴場だと思う。

 料金所をへてメインの内陣に入ると、左に「五重塔」、右に「金堂」、さらに「廻廊」の両翼に、同じく「経蔵」「鐘楼」が見える。前面には「大講堂」(以上k)があり、その裏手丘に「上御堂」(j)がある。ここで、たっぷりと時間をかけたら、鏡池を左手にみて「東室(聖霊院)」に。堂内に上がって御朱印帖に墨書、押印を頂戴できる。
「網封蔵」「食堂」(k)を右手に、いよいよ法隆寺美術館たる「大宝蔵院」へ。ここは左回りで西宝蔵~百済観音堂~東宝蔵の順に歩く。出口から南に歩をすすめると名前が紛らわしいが「大宝蔵殿」がある。特別展があれば、ここも参観できる。ここにもゆっくりできる休憩所がある。また、子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句碑も。

 「東大門」(k)をくぐり、よく見えないが右手に「律学院」(j)があるが、まっすぐ行けば「夢殿」「伝法堂」「鐘楼」(k)がある東院伽藍がある。ここからは中宮寺へ。
(以上は、法隆寺作成境内平面図を指さしながらの追体験。奈良に行けないので、自分なりの<机上散歩>である)


(参考)
■金堂(こんどう)---国宝 <飛鳥時代>
 法隆寺のご本尊を安置している殿堂。四方に階段を付けた二重の基檀に立つ二層づくりであるこの金堂は、柱上に横材が何段も井桁に組まれているもので、飛鳥時代の特徴的な建造物。金銅釈迦三尊像をはじめ、諸像が安置されているほか、天井には、天人と鳳凰が飛び交う天蓋が吊るされ、周囲の壁面には、世界的に有名な飛天図が描かれている。昭和の大修理の最中の昭和24年(1949)1月26日朝に火災につつまれ、あらかた焼失するも、現在は昭和42年に14名の日本画家の手によって再現された壁画が白壁を埋めている。

■五重塔---国宝<飛鳥時代>
 高さ約31.5m(基檀上より)で、我が国最古の五重塔として知られ2重基檀の上に建ち、各重の平面と屋根の大きさは逓減率が大きく、また、5重目の柱間は初重の半分になっている。五重塔は釈尊の遺骨(仏舎利)を泰安するための塔。最下層内陣には、奈良時代初期に造られた塑像群があり、地下1.5mに埋められた大理石の上部には舎利奉納孔がある。近年、この五重塔の心柱の伐採が594年であることが、年輪年代測定法により判明し、日本書紀の記述にある天智9年(670年)の火災以降に再建されたという、再建論に一石を投じる形となった。

■大講堂---国宝<平安時代>
 仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立。大講堂の両脇には、経蔵と鐘楼がある。これは古代寺院の様式。また垂木勾配を緩くしたままにする為日本独特の屋根の上に屋根を設けるという形式の屋根では現存最古もの。
鐘楼とともに正暦元年(990)には再建され、本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に作られている。

■回廊---国宝<奈良時代>
 回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵につながり、西院伽藍を形造っている。平安時代以前の回廊は、経蔵、鐘楼の手前で閉じられ、大講堂、経蔵、鐘楼は回廊の外側に建っていた。また西側より東側のほうが一間だけ長くなっているのは、金堂と五重塔のバランスを考慮したものだと考えられている。

■経蔵(きょうぞう)---国宝<奈良時代>
 経典を納める施設として奈良時代建立。楼造で、壁面に見える二重虹梁(こうりょう)と、その受けの蟇股(かえるまた)の架構が良く整っている。現在は、天文や地理学を日本に伝えたという百済の学僧、観勒僧正像(平安時代)が安置されている。

■鐘楼(しょうろう)---国宝<平安時代>
 鐘は白鳳時代、建物は延長3年(925)に落雷によって焼失し、現在の鐘楼は経蔵の様式にならって再建されたもの。

■中門---国宝 <飛鳥時代>
 西院伽藍への入口である中門は深く覆いかぶさる軒、その下の組物や勾欄、それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の特色を持つ建築物。エンタシスとは中央にふくらみをもつ柱で、古代ギリシャローマ建築の影響を受けたものと一般的には言われている。中門がある西院伽藍は天智9年(670)に若草伽藍が全焼した後に場所を変えて建てられたと考えられており、金堂、五重塔、中門の順に建立されたと考えられている。また、この中門は門の両脇に我が国最古の金剛力士像が配置されている事から仁王門とも呼ばれる。

■聖霊院---国宝<鎌倉時代>
 1121年(保安2年)、東室の南側の一部を改造したもので、現在の建物は1284年(鎌倉時代)に改築された寝殿造りの建物。法隆寺のご本尊でもある聖徳太子45歳の像のほか太子の長子・山背大兄王や兄弟皇子の殖栗王の像、太子の兄弟皇子・卒末呂王や高句麗僧・恵慈法師の像(いずれも国宝)が祀られ 、毎年行われる、法華経などを中心として太子の遺徳をたたえる法会である「お会式」で公開される。この法要は太子の命日に毎年行われるもので、法隆寺最大の行事。

■網封蔵(こうふうぞう)---国宝<奈良時代>
 平安時代の初期に建立された寺宝を保管するための南北9間の両端各3間にそれぞれ蔵を設け、中央の3間が吹き抜けになっている蔵で、双蔵(ならびくら)と呼ばれる様式の建物。またエンタシスの床柱など奈良時代の特色をみることも出来る。現在ここの宝物は、大宝蔵殿などへ移されている。

■食堂(じきどう)---国宝<奈良時代>
 天平時代に建立された現存日本最古の食堂で、もともと政所という法隆寺の寺務所だが、平安時代に入り僧が食事をする場所として使われた。細殿と軒を接してこのように二つの建物を並べて建てるのを、双堂(ならびどう)といい、奈良時代の様式。

■東室・西室(ひがしむろ・にしむろ)---国宝<奈良時代>
 西院伽藍の東西それぞれに、東室・西室という南北に長い建物がある。東室は東に位置する僧房で、法隆寺に住む僧が生活していた建物。天平時代東室は大房と呼ばれ、僧が寝泊まりし、東室の東側にある妻室は小子房と呼ばれその従者が寝泊まりしていたもの。

■三経院(さんぎょういん)---国宝<鎌倉時代>
 聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈されたこと(三経義疏)にちなんで、西室の南端部を改造して建てられた。創建時代の建物は焼失したため現在の建物は1231年(鎌倉時代)に再建されたもの。
三経とは、法華経・維摩経・勝鬘経で現在も毎年、夏安居の3ヶ月間(5月16日~8月15日)に講義を行っている。

■西円堂---国宝<鎌倉時代>
 八角形をした西円堂は奈良時代、聖徳太子の3夫人の1人橘夫人の発願により行基菩薩によって、創建されたと伝えられているが、現在の建物は、1250年(建長二年)に再建されたもの。俗に「峰の薬師」と呼ばれる本尊薬師如来座像が安置されている。薬師信仰は、日本の民俗信仰の発展と共に、特に西円堂の「峯の薬師」に集中せられて今日に至っている。西円堂の東側にある鐘楼は、時を知らす鐘で、現在8時・10時・12時・2時・4時にその数だけ撞かれている。

■南大門---<国宝> 室町時代
 法隆寺の玄関にあたる「南大門」は、創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建。三間一戸の八脚門で、単層入母屋造。東大寺南大門(奈良県奈良市)・東照宮陽明門・日暮門(栃木県日光市)とともに、日本3大門のうちの1つ。

■東大門---国宝<奈良時代>
 三棟造りの大門で、奈良時代に建立され、奈良時代を代表する建物の1つである東大門は、西院と東院の間に建ち、「中ノ門」ともよばれている。この門は、切妻造、本瓦葺で奈良時代八脚門の典型的な形式の山門。三間一戸の八脚門で、天平時代のものとしては、他に東大寺の転害門があるのみ。

■夢殿---国宝<奈良時代>
 聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に、斑鳩の宮跡に、行信僧都という高僧が建てた伽藍を上宮王院(東院伽藍)といい、その中心となる八角円堂の建物が夢殿。四方に扉が設けてあり、瓦ぶきの屋根は創建当時のもの。夢殿の名前の由来は太子が夢の中で金人(仏)に出会ったという伝説から名づけられたとも言われ、「三宝絵詞」「日本往来極楽記」「今昔物語」に出てくる記録によると、聖徳太子が禅定をして夢を見るための聖所を記念したものとされているが、夢殿は643年蘇我入鹿によって焼かれ、現在ある夢殿は天平時代の建立なので、聖徳太子の在世の推古時代にこの形であったかは不明。岡倉天心は明治17年(1884)に薬師寺東塔を凍れる音楽と評したフェノロサと共に数百年間開けられたことの無かった法隆寺夢殿の中で聖徳太子等身と伝えられる秘仏救世観音像をみつけたことで有名。

■伝法堂(でんぽうどう)---国宝<奈良時代>
 739年(天平11)聖武天皇夫人の橘古那加智の住居を施入したもので、東院の講堂にあたる。床を張った現存最古の建物で、桁行き三間、梁行き四間の壁と扉で閉ざされた部分桁行き二間の開放的な部分そして広い簀子敷と三つの空間からなり、床を上げ、土間から切り離す事によって、土間と違った領域を空間化している古代平地住居の形式をとっている。また、空間を仕切るものとして壁と扉しかなく、内部に間仕切りの無かったことも重要な特質。

■東院鐘楼---国宝<鎌倉時代>
 三間二間の楼造で、一階に腰板を張って軸部を見えなくした袴腰という形式 。内部に「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊されている事から中宮寺より移されたものと言われている。

(出典)http://www.tabian.com/tiikibetu/kinki/nara/horyuji/

テーマ:神社仏閣 - ジャンル:学問・文化・芸術

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