大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

「奈良の古寺と仏像 ~會津八一のうたにのせて~」展

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[左上]釈迦如来:像高 70.8cm、[右上]阿弥陀如来:像高 75.3cm、[左下]阿閦如来:像高 73.2cm、[右下]宝生如来:像高 75.0cm。いずれも木心乾漆造/漆箔、所蔵者:西大寺

2010年7月7日(水)~9月20日(月・祝)
特別展 平城遷都1300年記念 
奈良の古寺と仏像 ~會津八一のうたにのせて~
三井記念美術館(東京日本橋)
 


 もっとはやく行きたかったのだが、雑事におわれ今日やっと足をはこぶ。炎天下のせいだろうか、思いのほか訪れる人が少なく、幸いじっくりと鑑賞することができた。
 「夢違観音」をふくめ、東京展では飛鳥、白鳳の金銅仏群が展示のハイライトだろうが、奈良時代(後期ないし平安初期)の作、西大寺塔本四仏像をずらりと「一列」でみることができたのが収穫だった。2体は普段、東博、奈良博におあすとのことで、4体が一堂に会するのはなんと下記のとおり約20年ぶりという僥倖である。
 20年前の展示会とは「奈良西大寺展」(平成3年7月)であろうか。これは興生菩薩叡尊700年遠忌記念として行われたものであり、図版をみると今回同様4体揃い踏みとなっている。
 さて、4体は近くで観察すると剥落まだらのご尊顔が痛ましく感じるが、少し離れて、4体を一同見通せるソファーにゆっくりと座って眺めると、その距離がほどよくお顔の「難」を隠し、4仏には気品があり、また阿閦、宝生、阿弥陀、釈迦の各如来(但し、外形からは4如来の見分けはつかないだろうが)のお顔も印相も異なっていて、その微妙な個性の違いは見ていて飽きない。たとえば印相の相違について。阿閦は施無畏与願印、宝生は説法印、阿弥陀は来迎印(但し手は後補であり当初は不詳)、釈迦は施無畏与願印となっている。
 勝手な想像だが、これら4体は本来あった大日如来を含む五智如来(五大如来)であったかも知れないと思う。その場合は、大日如来(中心)、阿閦如来(東方)、宝生如来(南方)、阿弥陀如来(西方)、不空成就如来(北方)となるが、後世、大日如来が失われ、その後、不空成就如来のかわりに釈迦如来の名をあてたのでは・・・などと考えながら見ていた。
 
 
(参考)西大寺|塔本四仏像【以下は引用】
 4像は寸法、構造、技法など共通点が多く、元来1セットの像として造られたとみられる。平城京にそびえ立つ東・西両八角塔に納められたと考えられ、弘安6年(1283)の書物に「御塔四仏」記述があることから、当時、残っていた東塔に安置されたとみられる。「宝生(ほうしょう)如来」は北、「阿閦(あしゅく)如来」は東、「釈迦如来」は南、「阿弥陀如来」は西を守る。いずれもヒノキ一材から彫り出した後、木屑(こくそ)漆(うるし)、漆箔などを施して完成させた。4像が一堂に会するのは約20年ぶり。
http://butsuzo.exhn.jp/tokyo_spot/index.html

 會津八一という人は巨大な個性をもっていた人で、「観佛三昧」という額を日吉館に寄贈し、秀でた歌よみであり、書をよくし、大学で教鞭をとり、なによりも「哲学」から和辻が仏を論じるのとは、まったく別の「感性」から奈良を、仏を愛でた。
 ぼくは、学生時代、日吉館や畝傍館に長期投宿し奈良を歩いた。日吉館の女将はじめ皆さんがわがままを許してくれたのは、會津八一、安藤更生などの先生の系譜あればこそであったかも知れない。当時、先輩からこうした伝統を習い、一応意識はしていたが、歌にも書にも関心が向かわず、ひたすら仏像「彫刻」の魅力の虜になっていた。日吉館の額を見るにつけ今回の展示はある意味懐かしく、また歌<うた>の魅力は新鮮でもあった。このブログで登場する畏友O氏も当時、日吉館に止宿して奈良を回ったメンバーの一人である。素晴らしい仏像との邂逅、その表現手段としての歌という視点は、今回の展示の底流にある主張と思う。

 トルソーは沢山まとめてあると有り難さがうすれ「補完的」な展示に思えている。ギリシアを旅したときに、あちこちに無造作におかれたトルソーをみて厄介もののようにも、とても勿体ないようにも複雑な感想をもった。しかし、今回のように優品1点展示であるとぐっと惹きつけられるものがある。以下は引用。

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如来形立像、木造(榧材)、像高:154.0cm、唐招提寺

唐招提寺|如来形立像
重要文化財|平安時代前期/9世紀

頭部、両手、両足先を失った姿が、ギリシャやローマの遺跡から発見されたトルソーを想起させることから、「唐招提寺のトルソー」と呼ばれ、親しまれてきた。會津八一は早稲田大学在学中の恩師でギリシャ生まれのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の影響を受けて、古代西洋美術、古代ギリシャに強い憧れを抱いていた。この像は八一のそうした思いをさらに高ぶらせたかもしれない。カヤ材の一木造。整った衣文(えもん)の表現から、平安時代前期の像と推定される。その姿から当初は薬師如来像か地蔵菩薩像だったとみられる。(展示期間:7月27日~9月20日)

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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