大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

永青文庫

夏季展示 「神と仏 日本の祈りのかたち」
6月26日(土)~9月26日(日)


 朝から思わぬ豪雨。小降りになった束の間に、家内と永青文庫美術館へ出発。高田馬場からタクシーで向かう途中、ふたたび雨足が強くなる。リーガロイヤルホテル前を左折し、胸突坂前で降車。名前のとおりの急な坂は、東京都文京区目白台一丁目にある。近隣には見どころも多い(※1)。
 坂を登り切った左手がめざす永青文庫。都内とは思えない静寂、鬱蒼たる緑のなかの古い洋館が美術館となっている。下のように本館と別館があるが、本館にて期限間近、表記の展示を見る。その後、別館にて昭和以前の年代の風景に浸りながらゆっくりと珈琲を飲む。

<本館>
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本建物は旧細川侯爵家の家政所(事務所)として昭和初期に建設されたもの
<別館>
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本建物は、吉田五十八の弟子で両国国技館、京都南座、日本美術院などを手がけた建築家・今里隆の設計による、1960年代住宅様式の代表作

以下が本展示リストである。太字の彫刻を見るのが今日の目当てである。

<主な展示作品>
細川幽斎 奥書 『豊後国風土記』  文禄3年(1594)
細川幽斎 奥書 『出雲国風土記』 慶長2年(1597)
北野天神縁起絵巻  室町時代(16世紀)
祇園祭礼図巻  江戸時代(17~18世紀)
藤崎宮祭礼絵巻  江戸時代(18~19世紀)
『日本書紀』  寛文9年(1669)
『神皇正統記』  慶応元年(1865)
賀茂真淵 『真淵雑録』  江戸時代(19世紀)
本居宣長 『玉くし希』  文化14年(1817)
本居宣長 序、長瀬真幸 後序 『古訓古事記』 享和3年(1803)
平田篤胤 著 『多満の真はし良』  江戸時代(19世紀)
三尊仏坐像  北周・建徳元年(572)
阿弥陀如来坐像  唐・咸亨3年銘(672)
菩薩立像  隨・開皇二十年銘(600)
菩薩坐像  唐時代(8世紀)

白隠慧鶴 筆 布袋携童図  江戸時代(18世紀)
仙義梵 筆 指月布袋  江戸時代(19世紀)
平櫛田中 作 五大明王  大正~昭和時代(20世紀)
沢田政広 作 聖観世音菩薩  昭和45年(1970)


 永青文庫について以下のブログでその特色について書いてきた。今回、三尊仏坐像:北周・建徳元年(572年)、菩薩立像:隨・開皇二十年銘(600年)、阿弥陀如来坐像:唐・咸亨3年銘(672年)のように、造像時期が特定できる中国仏があるのが見物。日本での現存仏との比較においても貴重な存在である。菩薩坐像:唐時代(8世紀)も美形。土砂降りの雷雨のなか、古建築のなかの古仏は静かに息づいていた。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-167.html

<参考>周辺にはぶらりと散策によい所も多い。以下はすべて引用

※1:胸突坂(むなつきざか)
神田川から目白台に上るための坂である。周囲には新江戸川公園、椿山荘、永青文庫、芭蕉庵等が位置する。 階段とスロープによって成り立っている。かなり急であるため、距離は短いにもかかわらず休憩所が設けられている。自転車も通れるが乗ったまま下るのはきわめて危険である。上りきると和敬塾がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%B8%E7%AA%81%E5%9D%82


新江戸川公園:当地一帯は江戸時代中頃まで幕臣の邸宅があったところであった。その後、幾度かの所有者の変遷を経て、幕末に細川家の下屋敷になり、明治時代には細川家の本邸となった。1960年に東京都が当地を購入し、翌年には公園として開園。1975年、文京区に移管されて現在にいたる。当地付近は目白台からの湧水が豊富な地点で、その湧水を生かした回遊式泉水庭園を主体とした公園となっており、江戸時代の大名屋敷の回遊式泉水庭園の雰囲気を現在でも楽しむことが出来る。

関口芭蕉庵:東京都文京区関口にある史跡。かつて松尾芭蕉が神田上水の改修工事に携わった際に住んでいた住居跡が元になっている。敷地内は芭蕉堂や庭園、池などからなっている。

財団法人和敬塾:東京都文京区目白台にある男子大学生・大学院生向けの学生寮。1955年(昭和30年)、前川製作所の創業者である前川喜作によって創設された。和敬塾本館(旧細川侯爵邸)は、1936年、細川護立(元首相細川護煕の祖父)が細川侯爵家の本邸として建てた西洋館であった。細川護煕も幼少時、和敬塾本館で過ごしていた。東京都指定有形文化財になっており、映画やドラマ撮影のロケにも使われている(現在は敷地が分割されているが、新江戸川公園、永青文庫の敷地まで細川邸であった)。 また、本館は結婚式の会場に使われることがある。

椿山荘:武蔵野台地の東縁部にあたる関口台地に位置し神田川に面したこの地は、南北朝時代から椿が自生する景勝地だったため「つばきやま」と呼ばれていた。明治の元勲である山縣有朋が1878年(明治11年)に購入、自分の屋敷として「椿山荘」と命名した。1918年(大正7年)には大阪を本拠とする藤田財閥の二代目当主藤田平太郎男爵がこれを譲り受け、東京での別邸とした。戦災で一部が焼失したが、1948年(昭和23年)に藤田興業の所有地となり、その後1万余の樹木が移植され、1952年(昭和27年)より結婚式場として営業を開始した。1955年(昭和30年)に藤田興業の観光部門が独立して藤田観光が設立されると、椿山荘の経営は藤田観光に移管された。そして1992年(平成4年)に、敷地内にフォーシーズンズホテル椿山荘東京が開業した。2006年(平成18年)5月には藤田観光の本社が敷地内に移転している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B7%9D%E5%85%AC%E5%9C%92

椿山荘前の東京カテドラル。こんな近代建築の代表作もあります。
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