大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

大和古寺風物誌

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 和辻の「剛」に対して、亀井の「静」といったイメージで学生時代はあまり評価しなかったが、むしろ、いま読むと感性が鋭く仏像をめぐる考え方では、いまだ清新さも失われていない。

<亀井の経歴>
 北海道函館市元町生まれ。旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)から1926年に東京帝国大学文学部美学科に入学、1927年には「新人会」会員となりマルクス・レーニンに傾倒し、翌1928年には退学。4月には治安維持法違反の疑いにより投獄され、1930年保釈される。1932年にはプロレタリア作家同盟に属すが、翌年には解散。以後、同人雑誌『現実』(1934年)、『日本浪曼派』(1935年)を創刊し、評論を発表する。1934年、最初の評論集『転形期の文学』を刊行。

 1937年には『人間教育(ゲエテへの一つの試み)』を刊行し、1938年、菊池寛より池谷賞を受ける。1937年に武者小路実篤と顔を合わせる。翌1938年、『日本浪漫派』廃刊後、『文学界』の同人となり、以後同誌に連載し、この頃、太宰治と親密になる。その後、仏教との出会いにより開眼し、親鸞の教義を信仰し、宗教論、美術論、人生論、文明論、文学論など人間原理に根ざした著作を連載した。

 1942年、文学報国会評論部会幹事となった。1945年8月、第二国民兵として3日間軍事教練を受け、その3日目に敗戦の報を聞いた。

1959年より『文學界』に「日本人の精神史研究」を連載、ライフワークとなる。64年、日本芸術院賞受賞、65年、『日本人の精神史研究』等で菊池寛賞受賞、同年、芸術院会員に選ばれる。

戦中、武者小路実篤の人生論を解説つきで出したが、戦後昭和30年代に再びこれを再刊してベストセラーにし、自身も、人生論、恋愛論の類をベストセラーにした。

1969年より、文藝評論の賞として亀井勝一郎賞が設けられたが、14回で休止。一時は小林秀雄と併称された文芸評論家だったが、人生論風のものが多いせいもあり、今ではほとんど読まれない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 『大和古寺風物誌』(1943年 天理時報社)は36才の作品。戦前の作品で、亀井の屈折、苦節の時代が投影されている。それゆえに精神の救済をこめての求道の旅でもあった。

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テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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