大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

根津美術館

010-7
 雨があがったので、根津美術館へ行く。隈研吾設計によるモダンな建物も見どころながら、彫刻を主体にゆっくりと見る。石像ではユニークで翫味すべき作品がここにある。

010-8
 庭は実に広く手入れもよい。こんなに緑が大きく育ち、豊かにあることは訪れた人の驚きだろう。回遊式の池に緑が映えてモネの絵を連想させる。さらに、邸内にさりげなく石仏、狛犬などが無造作「風」にドンと置かれている。上記の茶室もある。

010-9
燕子花図(国宝かきつばたず/尾形光琳筆 江戸時代 18世紀 紙本金地着色 6曲1双 (各)縦150.9cm 横338.8cm)

 当館でもっとも有名な所蔵品のひとつであろう。日本画のコレクションは近世のこうした国宝に限られず、仏画でも地味ながら秀品も多いが、今日は残念ながら見られなかった。以下では主要な仏像をHPから転載、貼付しておこう。
根津美術館 彫刻ギャラリー
【以下はすべて引用】
010-1
弥勒菩薩立像
クシャーン時代 3世紀 石造(片岩) 1軀 高153.0cm [20097]
紀元1世紀半ば頃から3世紀前半にかけて、現在のパキスタン西北部に繁栄したガンダーラ美術は、それまで造形化されることのなかった仏の姿を表す先駆けとなったことで知られる。本像はその典型的な作品。体部に胸飾や護符紐(ごふひも)などの装飾品を身につける像容は、当地で制作された菩薩像に共通する特徴である。面部の目鼻立ちや、衣に刻まれた深い衣文の表現に、西方のヘレニズムあるいはグレコ・ローマの影響が顕著である。

010-2
如来立像
北斉時代 6世紀 石造(白大理石) 1軀 総高291.3cm [20070]
中国北部、河北省の曲陽や定県では、北魏時代以来、白玉像とよばれる白大理石の仏像が盛んに制作された。その多くは小像であるが、本像は、北斉時代末期より大型化する白玉像の一例であり、左右の肘先を失うものの、台座までを完備する作例として重要である。大ぶりの頭部は下膨れで、切れ長の眼とわずかに笑みを浮かべた唇が独特な表情をつくる。体部に流れるような曲線をえがく大衣(だいえ)の表現が美しい。

010-3
菩薩坐像頭部
天龍山石窟(てんりゅうざんせっくつ)将来 唐時代 7〜8世紀 石造(砂岩) 1個 高35.0cm [20082]
中国・山西省の、隋から唐にかけて開鑿(かいさく)された天龍山石窟の第21窟北壁を飾る菩薩坐像の頭部。頭髪は高く結ってあり、その前面に宝珠をあしらった髪飾りをつける。頬から顎にかけての肉付けはふくよかで、やわらかな量感すら感じさせる。半円形の長い眉や切れ長の眼、中央と両端をくぼませた唇が、堂々とした菩薩の相貌をかたちづくる。天龍山石窟の唐代彫刻を代表する作例である。

010-4
十一面観音立像龕
花塔寺(かとうじ) (宝慶寺(ほうけいじ))将来 唐時代 7世紀 石造(石灰岩) 1面 総高107.0cm [20341]
唐の都長安にあった花塔寺(宝慶寺の名で知られる)に所在した浮彫石仏板群のうちの1面。現存する石仏板の半数に、長安3年(703)あるいは同4年の銘があるが、造像活動はそれ以前より始まっていた。すなわち、本像にみる流麗な衣文線や均整のとれた体軀の表現は、制作が7世紀末にまでさかのぼることを示している。溌剌(はつらつ)として充実した表現は中国・初唐期の仏教彫刻の気風であり、それは当時の日本仏教彫刻の手本となった。

010-6
釈迦多宝二仏並坐像
北魏時代 太和13年(489) 銅造鍍金 1基 高23.5cm [20059]
『法華経』見宝塔品(けんほうとうぼん)には、釈迦の説法に賛嘆した多宝仏が、多宝塔中の自らの座に釈迦を招き入れ、そこで釈迦が説法を続けたことが記されおり、これを表した彫刻作品は中国・北魏時代に多くみられる。向かって左が多宝仏、右手を挙げて説法するのが釈迦である。台座背面には造像銘が鐫刻(せんこく)されており、それにより太和(たいわ)13年亡き父母の供養のために発願(ほつがん)されたことが知られる。細部にこだわらない力強い作風は太和仏の典型であり、本作はその名品にかぞえられる。

(出典)http://www.nezu-muse.or.jp/jp/collection/list.php?category=3

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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