大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

運慶ブーム2

 金沢文庫での展示(★で表示)を中心に以下、運慶作品を紙上で見てみよう。

0-1.jpg
★国宝 大日如来坐像 運慶作  安元二年(1176)  奈良・円成寺所蔵

00-6.jpg
★重文 大日如来坐像  鎌倉時代初期  東京・真如苑所蔵
(展示期間:2月8日(火)~3月6日(日))

00-5.jpg
★重文 厨子入大日如来坐像 鎌倉時代初期  栃木・光得寺所蔵

 まずは、今回展示の目玉である3つの大日如来座像。3像をくらべてみるといかに酷似しているかは明らかだろう。スケール感こそ異なれ、全体構成、髻(蓬髪)、印相(智拳印)、衣文処理ともに共通している。
 国宝円成寺像は運慶初期の作品で来歴がわかり、運慶作品のなかでも最も有名なものであり人気も高い。生年不詳の運慶のおそらく25才前後の作品といわれるが、学生時代、はじめてこの仏さまをみた時の衝撃はいまも忘れない。単なる威圧でも慈愛でもない複雑な心象がこめられているように感じる。金色剥落による黒光りの部分、自然のなせる年降りが独特の落ち着きをあたえ魅力を高めている。
 なお、ながらく円城寺像は運慶の最初期の作品といわれてきたが、蓮華王院(三十三間堂)510号の千体千手観音の足ほぞに運慶の名前があり、これを最初期の作品とみる見方もある(『芸術新潮』1992.2号 pp.8-10)。
 真如苑所蔵重文像は、いわば今回の運慶ブームの火付け役になったもの。ニューヨークでのオークション、海外流失懸念から大きく報道され、さらに上記国宝像と似ていること、山本勉氏らの研究による運慶作の特定といったこともあって、多くの人が公開の場に足を運んだ。小生も東博になんども見に行ったが感激の度合いは円成寺像とは異なる。どこに違いがあるかは観察者如何ではあろうが。


00-2.jpg
★重文 毘沙門天立像 運慶作 文治五年(1189) 神奈川・浄楽寺所蔵
(展示期間:1月21日(金)~2月27日(日))

(参考1)
00-8.jpg
重文 毘沙門天立像 運慶作 文治二年(1186)静岡・願成就院所蔵

 如来(先の大日のほかいくつかの如来像がある。下記参考3、4の写真を参照)には静的な中に、内なる強いエネルギーを籠めるように彫る一方、眷属には動態的、写実的な表現を思い切って彫る、すなわちエネルギーを外に向かって開放するような大胆さに特徴があるのが運慶仏、と思っている。その典型がこの2つの毘沙門天立像だろう。
 これはまったくの想像だが、<戦いの神>毘沙門天の場合、とくに請願者の鎌倉武士に好まれたであろうから、その顔はもしかすると、(もちろんいろんな制約はあるが)身近な武人の顔(請願者自身、近親者)を写したかも知れないなと思う。実は運慶以降は、徐々にまた形式主義に戻っていくようなきらいもあるが、運慶、快慶たちは、おそらく強大な自信があったのだろう。縦横無尽な技法の駆使こそ身上。次はそれを端的に示すもの。


00-3.jpg
★重文 不動明王立像 運慶作 文治五年(1189) 神奈川・浄楽寺所蔵
(展示期間:1月21日(金)~2月27日(日))

(参考2)
00-9.jpg
重文 不動明王立像 運慶作 文治二年(1186)静岡・願成就院所蔵

 仏像にひかれて本を読むと、美麗美文調ではないが、その素晴らしさを称える多くの文章を目にする。そうしたなか、技法のひとつとして「玉眼嵌入」(ぎょくがんかんにゅう)という外科医と手術の話をしているような、およそ興ざめの言葉に出会う。この技法こそ康慶以降の慶派のお家芸で、これ以降、玉眼嵌入は一般的なテクニックとして用いられることになる。
 奈良・興福寺には、木造仏頭[重文:文治2(1186)年]、北円堂 弥勒仏坐像、無著菩薩・世親菩薩立像[国宝:建暦2(1212)年]などの運慶一派の彫刻があるが、運慶は如来には必ずしも玉眼嵌入手法を用いておらず、彫眼の場合もある。そのあたりの使い分けもまた面白い。
 さて不動明王である。本像は、よく小さな不動堂に置かれここで護摩をたく。暗闇の堂宇のなか真っ赤な炎が下から不動明王を照らす。そのとき、嵌入した玉眼の曲面(瞳)がこの炎を映してめらめらと不気味に輝く。それは美を超越して、畏怖する存在としての仏である。運慶はじめ、慶派の仏師はこうした不動明王も得意の領域であり、ここに掲げた2像も優れた作品である。神奈川・光明院所蔵 大威徳明王坐像もその系譜である。

http://www.h7.dion.ne.jp/~butsuzou/page/mametisiki/butu.gihou.html

00-4.jpg
★重文 帝釈天立像 伝運慶・湛慶作 正治三年(1201)頃 愛知・滝山寺所蔵

0-14.jpg
★重文 大威徳明王坐像 運慶作 建保四年(1216) 神奈川・光明院所蔵

 以上のさまざまな出展作品をみても、運慶ほか慶派の多様な仏さまを彫る高い技術力、奔放な想像力は明らかである。とりわけ伊豆、願成就院には、上記の毘沙門天立像、不動明王のほか不動明王に侍る二童子立像に加えて、堂々たる本尊阿弥陀如来坐像がある。浄楽寺とともに運慶彫刻の東国における殿堂といってよい。
 願成就院二童子立像は、和歌山・金剛峯寺 八大童子立像[国宝:建久8(1197)年]ともよく比較されるが、こうした小振りの童子像から仰ぎ見る巨大な奈良・東大寺南大門 金剛力士立像[国宝:建仁3(1203)年]まで、しかも工房の共同作業で短期間で仕上げてしまう運慶を棟梁とする慶派工房の実力は当代にあって他に並ぶべきものなきものであったろう。


(参考3)
00-10.jpg
重文 阿弥陀如来坐像 運慶作 文治二年(1186)静岡・願成就院所蔵

(参考4)
00-11.jpg
重文 阿弥陀三尊像 運慶作 文治五年(1189)神奈川・浄楽寺所蔵

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8B%E6%85%B6

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/tb.php/211-686be658
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad