大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

韓国で新金銅仏 発見!

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 これは注目すべきニュースである。朝鮮日報、中央日報ともに伝えているが以下は後者の引用。写真では判然とはしないが、日本に伝来した多くの金銅仏との共通点はシルエットからだけでも窺うことができよう。

【以下は引用】
聞慶で統一新羅時代の金銅仏像7点出土
 ‎2011年4月21日 中央日報

慶尚北道聞慶市虎渓面(キョンサンブクド・ムンギョンシ・ホゲミョン)の烏井山(オジョンサン)には「チョルゴル」という地名がある。「寺がある谷」という意味だ。朝鮮時代の文人、徐居正(ソ・ゴジョン、1420~1488)が聞慶県八詠に「烏井鐘楼」を挙げ、金宗直(キム・ジョンジク、1431~1492)は時調「烏井霜鐘」で夜に聞こえる寺の鐘の音を詠んだ。過去の地図や文献にも烏井寺という寺が現れるが、いつなくなったのか、正確にどこにあったのかは究明されたことはなかった。ところが国軍体育部隊を移転するために敷地を調査していたところ、寺の跡が確認された。統一新羅時代の金銅仏像も7点出土した。埋蔵文化財専門調査機関の嶺南(ヨンナム)文化財研究院は21日、烏井寺の建物跡9棟、築台施設6基、付属施設8基などを発掘したと明らかにした。

新たに見つかった仏像は精巧に作られた金銅如来立像と金銅菩薩立像などだ。仏像は8世紀の統一新羅時代から、それより少し後代に作られたものとみられる。最も大きいものは長さが18センチメートルに達するが、鋳物ではなく板で作られた薄い作品だ。左から2番目の金銅如来立像と3番目の金銅菩薩もやはり典型的な8世紀のものだ。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=139383&servcode=400§code=400

(参考)韓国の歴史

668 - 935年: 統一新羅の首都は慶州でその時期に仏教が盛んになりたくさんの寺の建築や芸術作品に花を咲かせました。中国からの多くの影響もありましたが新羅特有の文化を形成しました。 社会は少数官僚グル‐プと大衆に分けられていました。官僚組織がだんだんバラバラになってくると昔の高句麗と百済地域の軍部が勢いを増しながらとうとう高句麗の子孫である王建が統一新羅を倒し国名を昔の高句麗の脈を継ぐ意でコウイラ(高麗-Koryo)と名付けました。
http://www.lifeinkorea.com/information/history1j.cfm

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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