大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

飛鳥・白鳳彫刻の魅力(9):法隆寺宝物館 N193

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 東京国立博物館法隆寺宝物館の一角にN-193「如来立像」が佇む。献納宝物の金銅仏のなかにあって唯一の木造である。材質はクスノキで白鳳期の作といわれ木製の後背やそれを支える鉄製の支柱も当初からのものと言われている。
 同館のなかの資料室で調べても、あまりこの像のプロフィールの詳細な情報はない。しかし、以前からこのN-193の仏様は気になっている。なぜならば、横から見るとその像は百済観音によく似ていると思うからである。

 その百済観音(写真)については以下の解説がある。


■百済観音(くだらかんのん):「国宝百済観音像は、飛鳥時代を代表する仏像で、広隆寺所蔵の弥勒菩薩像などと ともに、昭和26年に初めて国宝に認定された作品の一つです。
 像の高さ2.09m、八頭身の長身で、樟の一本造りで両腕の肘からさきと水瓶 、天衣など別材を継いで造っています。宝冠は線彫りの銅版製で三個の青いガラス玉で飾られています。独特の体躯の造形を有し、杏仁形(アーモンド形)の目や古式な微笑みをたたえる表情は神秘的であり、多数の随筆等によって紹介されるなど、我が国の国宝を代表する仏像の一つです。
 本来、百済観音は、虚空像菩薩として伝わっていました。虚空とは、宇宙を意味し虚空菩薩は宇宙を蔵にするほど富をもたらす仏様ということなのです。
その宇宙の姿を人の形に表したのが百済観音だというわけです。
 もともと、この像は金堂の壇上で、釈迦三尊像の後ろに北向きに安置されていたもので、今は新築された百済観音堂に安置されていますが、この像の伝来は謎に包まれています。法隆寺の最も重要な古記録である747(天平19)年の「法隆寺資財帳」などにも記載がなく、いつ法隆寺に入ったのかわかっていません 。1698(元禄11)年の「諸堂仏躰数量記」の金堂の条に「虚空蔵立像、七尺五分」と、初めてこの像についてと思われる記事があらわれ、江戸時代、1746(延享3)年、良訓が記した「古今一陽集」に「虚空蔵菩薩、御七尺余、此 ノ尊像ノ起因、古記ニモレタリ。古老ノ伝ニ異朝将来ノ像ト謂ウ。其ノ所以ヲ知 ラザル也」と記されているといいます。
 明治になって、それまで象と別に保存されていた、頭部につける金銅透彫で瑠璃色のガラス玉を飾った美しい宝冠が発見され、この宝冠に観音の標識である化仏 があらわされていることから、虚空菩薩ではなく観音像であるとされるようになりました。いつしかこれに「百済国将来」という伝えがかぶせられて「百済観音」とよばれるようになったということです。しかし、作風からみて百済の仏像とはいえず、また朝鮮半島では仏像の用材に用いられていない楠の木でできていることから、日本で造られた像であると見られています」
http://www.tabian.com/tiikibetu/kinki/nara/horyuji/horyuji4.html

 N-193も楠製だが、この時代の多くは同様でありこれはあまり参考にはならない。体躯のバランスは大違いで長身痩躯の百済観音に対してN-193は小像ながら中肉中背でやや下半身に重心がかかった感じで作造されている。服装、衣紋も異なる。
 しかし目元および横顔のラインは実に良く似てる。また体躯の線のカーヴも横から見ると結構似ているように観察できる。後背は、百済観音とN-193では、支柱の材質こそ異なれ、これも同種の形式であり、横のラインの近似の印象の一因になっていよう。
 百済観音に特徴的な指先は、N-193は後捕でありこれは比較のしようがないが、作造時期はともに白鳳期であり共通している。同じ仏所、工房の作であろうか。興味津々である。

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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