大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

空海と密教美術展 魅力の彫刻1 兜跋毘沙門天

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 国宝「兜跋毘沙門天立像」は彫刻展示で早いほうに置かれているが、彫刻としての完成度、抜群のプロポーションと構成力を誇る基準作で唐時代・8世紀の招来仏とみなされているもの。
 
 本像は、奈良国立博物館像や清涼寺像の「模範」となったオリジナルである。模倣は巧みになされており、3像は酷似しているが、やはり本物にはそれにふさわしい風格があり、圧倒的な存在感を示す。白っぽい素地が石造を連想させる。硬質な美しさに注目。


【以下は引用】

<一般知識>
 兜跋毘沙門天(とばつ びしゃもんてん)は仏教の護法善神である天部の一つ。四天王の中の北方の護法神である多聞天は、独尊では毘沙門天と呼ばれて信仰されるが、このうち地天女の両手に支えられて立ち、二鬼を従える姿で表された特殊な像の名称である。

 兜跋毘沙門天像は一般に、金鎖甲(きんさこう)という鎖を編んで作った鎧を着し、腕には海老籠手(えびごて)と呼ぶ防具を着け筒状の宝冠を被る。持物は左手に宝塔、右手に宝棒または戟で、見るからに異国風の像である。また、邪鬼ではなく地天女及び二鬼(尼藍婆、毘藍婆)の上に立つ姿である。

「兜跋」とは西域兜跋国、即ち現在のトゥルファンとする説が一般的で、ここに毘沙門天がこの姿で現れたという伝説に基づく。また「刀抜」「屠半」などの字を宛てることもある。 像容は、東寺像を忠実に模刻したもの(奈良国立博物館像、京都・清凉寺像など)と、地天女の両手の上に立つ以外は通例の毘沙門天像と変わらないもの(岩手・成島毘沙門堂像など)とがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%9C%E8%B7%8B%E6%AF%98%E6%B2%99%E9%96%80%E5%A4%A9

<奈良博像について>
 京都・東寺には中国・唐から将来され、平安京の守護神として羅城門(らじょうもん)上に安置されたと伝える毘沙門天(びしゃもんてん)が現存する。「兜跋毘沙門(とばつびしゃもん)」と称されるこの東寺像は、宝冠をかぶって外套状を呈する金鎖甲(きんさこう)(鎖を編んだ鎧)をまとい、二鬼(尼藍婆(にらんば)・毘藍婆(びらんば))を従えた地天女(ちてんにょ)が差し出す両手の上に立つなどの特徴がある。本像はその忠実な模像で、原像の精悍な顔立ちや引き締まった体つきもよく再現されている。なお「兜跋」の語源・語義については諸説あるが、近年は毘沙門天がもつ宝塔(ストゥーパ)に由来するとの見方が強い。

なら仏像館 名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.109, no.143.

 通形の毘沙門天と異なる兜跋毘沙門天は、西域の兜跋国に出現したといわれ、王城鎮護のために城門に安置される。正面に鳳凰(ほうおう)、その左右の側面に宝棒を持って立つ人物を薄肉彫する宝冠、外套(がいとう)風の特殊な金鎖甲(きんさこう)、両手に海老籠手(えびごて)、脛(すね)にも海老状の脛当を付け、地天女(じてんにょ)の上に立つことなどが特徴である。  

 我が国には、平安初期に、中国・唐から伝わり平安京の羅城門(らじょうもん)上に安置されていたといわれる像が、現在は東寺に伝来する。平安後期にはこの東寺像の模刻が始まるが、京都・清凉寺や鞍馬寺に伝わる模刻像が原像の独自な解釈を交えて製作されているのに対して、本像は原像に忠実であろうとしていることが特筆される。ただ東寺像が腰や足に微妙な動きを与えるのに対して、本像は静かに立ち、面相でも瞳に東寺像のような黒石を使わないことから穏やかさが感じられる。ヒノキの寄木造で、彩色仕上げされる。

奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.294, no.78.
http://www.narahaku.go.jp/collection/d-754-0-1.html
(参考データ)
東寺の兜跋毘沙門天立像は、霊験あらたかと称えられ、類似作が多くつくられ一種の流行を生み出しました。以下にそのいくつかを添付しておきます。


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東寺像。その特色は、異界の顔の表情と足部で地天女の両手に支えられて立ち、二鬼を従える姿にある。

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奈良博像。東寺像の顕著な模倣がみられる。上記の解説を参照。

「四天王のうち、北方を護る多聞天が単独で祀られる時の名が毘沙門天です。もとはヒンドゥー教の財宝の神クベーラで、財宝や福徳をつかさどる一面ももっています。鎧(よろい)をつけて宝塔を捧げ持つか、腰に手をあて、岩座の上に立つ姿が一般的です。
 平安時代には、とくに東北地方で多く造られました。護国あるいは戦勝の神として、武士の信仰も盛んでしたが室町時代頃からは七福神の一つにもなりました。
 鎧で身を固め冠をつけ戟(刃先が3つにわかれた矛)と宝塔を持ち、両脇に尼藍婆・毘藍婆の2邪鬼を従えた地天(釈尊が悟りをひらいた時地から現れて魔を除き、説法を諸天に伝えたという仏法の守護神)の両掌上に直立する形の毘沙門天を、特に兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)といいます。
 中国の安西城におけるチベット駆逐の説話に基づいて造られたもので、わが国へは空海、最澄によって伝えられたといわれています」。
http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/bukkyou27-6.htm

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清涼寺像。これも東寺像の顕著な模倣がみられる。

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鞍馬寺像。

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成島毘沙門堂像。平安中期の像で高さは4.7m。旧国宝で現国重文。地方作でとりわけ有名なもの。
http://www.sukima.com/16_hanamaki01_02/14narushima.html

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己高閣像。欅一木作、素木、162cm、平安時代の作。
http://shunjudo.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-7190.html

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観音寺像。右手を下ろしている点、基準作と異なる。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1998/00415/contents/065.htm

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東光院像。関東地方にも兜跋毘沙門天像は流布している。

「東光院に伝えられるこの像は、髻(もとどり)を結い、左手は屈臂(くっぴ)して宝塔を掲げ、右手は屈臂して腹前で戟(げき)を取り、身に鎧を着、地天の上に立っています。頭・体躯・地天を一木から彫り出し、背部に内刳(うちぐり)を施しています。守護神の力強さがうかがわれますが、全体に素朴な印象で、制作年代は平安時代と考えられています」。
http://www.city.kawasaki.jp/25/25koho/home/youran/youran2007/wards/asao/index.html
http://www.city.kawasaki.jp/88/88bunka/home/top/stop/zukan/z0207.htm

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川崎大師像。多聞天という表示あり。
http://blog.goo.ne.jp/hideru_a/e/9e3dfcf9dc4d2612d8b5d050447721e7

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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