大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

天平彫刻の魅力(1):不空羂索観音菩薩立像

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不空羂索観音菩薩立像(国宝): 東大寺法華堂(三月堂)

 法華堂の本尊。法華堂は、不空羂索観音を本尊とするところから古くは羂索堂と呼ばれていたが、毎年3月に法華会が行われたことから、のちに法華堂と呼ばれるようになった。像は、天平文化のきらびやかさを想起させる堂々たる体躯で、悩める人々をどこまでも救いに赴こうとされている。http://www.naranet.co.jp/cgi-bin/yak-ken-l.asp

 ここでは表記の不空羂索観音について考えてみたい。三月堂に入ると正面におわすのが本尊たるこの大きな仏様である。堂々とした体躯、その峻厳な相貌は、見る者に独特の威圧感を与え、多くの美術史家も、はじめはたじろぎ、どう接近してよいのか悩むと書いている。しばし頭を巡らすとそもそも不空羂索観音とは何かを知りたくなるだろう。

不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん、ふくうけんさくかんのん)は、仏教における信仰対象である菩薩の一つ。サンスクリットではAmoghapasaという。六観音の一つに数えられることもある。「不空羂索観音菩薩」、「不空羂索観世音菩薩」などさまざまな呼称がある。

「不空」(Amogha)とは「空(むな)しからず」の意であり、「羂索」は鳥獣を捕らえる網のこと。転じて不空羂索観音とは、あらゆる衆生をもれなく救済する観音の意である。多面多臂の変化(へんげ)観音のなかでは、十一面観音に次いで歴史が古い。漢訳経典のなかでは隋時代の6世紀後半に訳された「不空羂索呪経」に初めて現われ、唐の菩提流志(ぼだいるし)が8世紀はじめに訳した「不空羂索神変真言経」にも像容等がくわしく説かれている。

この観音像の作例はインドや中国には乏しく、日本でもいくつかの有名な像があるとは言え、作例はあまり多くはない。 よく知られているものの一つは、インドネシアのジャワの王朝シンガサリ朝のヴィシュヌワルダナ王の像がこの姿の仏像として刻まれている。

像容は一面三目八臂(額に縦に一目を有する)とするのが通例で、立像、坐像ともにある。胸前で二手が合掌し、二手は与願印を結ぶ。その他の四手には、羂索や蓮華・錫杖・払子を持す。代表作としては、東大寺法華堂(三月堂)本尊の立像(奈良時代、国宝)が著名である。この像の存在自体が、奈良時代に不空羂索観音信仰があったことを如実に物語っている。西国札所である、興福寺南円堂本尊の坐像(鎌倉時代・康慶作、国宝)も著名である。

不空羂索観音を本尊とする寺としては、奈良の新薬師寺の近くにある不空院が知られる。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%A9%BA%E7%BE%82%E7%B4%A2%E8%A6%B3%E9%9F%B3" より作成

 少し迂遠になるが、まず如来から思い起こそう。「釈迦如来」からはじまったと言われる仏像信仰は、その後、「阿弥陀如来」(死後、天国へ衆生を案内してくれるツアー・コンダクター的存在)、「薬師如来」(現世で病苦などから救ってくれる医師、薬剤師的存在)などの役割分担がすすむが、相対化された如来のなかにあって、その「チャンピオン」たる「盧舎那仏」(大仏)が想定される。さらに、如来、菩薩、明王、天のヒエラルキーの頂点に立つ親玉のような如来が考えだされそれが「大日如来」である。

 このヒエラルヒー的な考え方は菩薩でも同様に考案される。如来になるために修行中の「弥勒菩薩」、「観世音菩薩」(観音)は菩薩ながら、阿弥陀如来と同様な役割が期待され強い信仰を集める。阿弥陀如来の脇侍としての観音、勢至菩薩からいわば分家・独立したようなものであろうか。さらに、この観音が、十一面「観音」や千手「観音」、如意輪「観音」など6、7種類に分化する。
 こうした分化から不空羂索「観音」も生まれるが、これは上記「不空羂索神変真言経」(全30巻)を根拠とし、如来とは独立して独自に衆生を救うことができるという非常に偉い菩薩と位置づけられる。ここではじめてこの仏様の有り難さが認識されることになる。


漆と麻布を主材料にした像本体は3.6メートルあり、体つきもがっちりしている。それでいて、しなやかな印象も受けるのは、太ももあたりで交差する衣の流れるような造形からだろうか。
 実は背中の肩口にも、さも柔らかそうな衣のひだが表現されているのだけれども、残念ながら正面からは見えない。見えないところまでつくり込む熱意に、あつい信仰が感じられる。
 額には縦に目があり、腕は8本で、縄のようなものも持つ。獲物を絡め取る羂索と呼ばれる古代の狩猟具という。三つの目で広く見通し、悩める人々には羂索を投げかけ救い出し、平和を守ると信じられた。

 この像の制作年代や場所については議論があり、制作の背景も、大仏建立の成功祈願や政情不安の解消など諸説ある。いずれにせよ、写実的な造形などからみて8世紀半ばごろ、中国・唐の影響も受けてつくられたことには異論はなさそうだ。
(編集委員・森本俊司、協力は京都大大学院・根立研介教授)http://www.asahi.com/travel/hotoke/OSK200605160025.html

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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