大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

空海と密教美術展 空海について考える 両界曼荼羅 羯磨曼荼羅

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 あまり知られていないが「毘首羯磨」(びしゅかつま)という難しい言葉がある。これは大学時代入部していた研究会の年報の名前だった。

◆毘首羯磨:《(梵)Viśvakarmanの音写。妙匠・種々工巧と訳す》帝釈天(たいしゃくてん)の侍臣で、細工物や建築をつかさどる神。転じて、美術工芸に巧みな人。http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/184645/m0u/%E3%81%B3%E3%81%97/

 さて、この言葉の後段、「羯磨」という言葉は、「空海と密教美術展」とおおいに関係がある。今回の主展示となっている立体曼荼羅は別名、「羯磨曼荼羅」というようだ。

◆羯磨曼荼羅: 「羯磨」とはサンスクリット語で「働き、作用」という意味である。羯磨曼荼羅とは、曼荼羅を平面的な絵画やシンボルではなく、立体的な像(彫刻)として表したものである。京都・東寺講堂に安置される、大日如来を中心としたの21体の群像は、空海の構想によるもので、羯磨曼荼羅の一種と見なされている。 http://livedoor.blogcms.jp/blog/shokkou/article/edit
◆東寺立体曼荼羅について http://www.toji.or.jp/mandala.shtml

 次に、曼荼羅だが、その意匠はじつはいまやいろいろなところに生かされている。曼荼羅アートというのも流行、これは日常生活における風水ブームなども後押ししているようだ。よく聞く、ある意味で身近な言葉としてのマンダラ(曼荼羅)だが、密教ではもっとも重要なアイテムでもあり、意味はもちろんたやすくはない。

◆曼荼羅:サンスクリット語のmandalaの音写である。通常、本質とか精髄を意味するmandaと、~を具有するという意味をもつ接尾辞laという語の合成語とされ、本質、精髄をもつもの、「仏法の本質を象徴する物」つまり仏の悟りそのものを意味する言葉とされている。
 また単に、円、輪、集合体と言う意味もあり、漢訳としては壇(仏を招き供養するための聖なる場所)とか輪円具足(りんえんぐそく)と訳されている。後者は、あらゆるものを包摂し、しかも円輪のごとく秩序を保ちつつ個性の発揮される、調和と共生の世界を説く曼荼羅の精神をよく伝えている。
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/mandara.htm 

 空海の「天才」は、この曼荼羅を自身の教義体系の中心におき、大日如来を頂点とする壮大な思想を日本に根付かせようとしたことにある。その体系性は両界曼荼羅に結実しており、今回のメインの展示にもなっている。

◆両界曼荼羅: 「両部曼荼羅」とも言い、「金剛界曼荼羅」「大悲胎蔵生曼荼羅」という2種類の曼荼羅から成る。「金剛界曼荼羅」は「金剛頂経」、「大悲胎蔵生曼荼羅」は「大日経」という、密教の根本経典に基づいて造形されたもので、2つの曼荼羅とも、密教の根本尊である大日如来を中心に、多くの尊像を一定の秩序のもとに配置している。密教の世界観を象徴的に表したものである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E7%95%8C%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85

 ぼくは40年ちかく前になるが、佐和隆研先生の本を読んで、密教・仏画について少しく知ったが、実はいまだにしっくりとこない部分がある。その理由を考えてみると、第1に、両界曼荼羅に象徴され、密教では大変重要な「天上の序列」についての疑問をもっているからかも知れない。

◆天上の序列 http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-140.html

 第2に、仏画の重要性はある程度、頭では理解しているつもりながら、その関心はもっぱら図像学的な「データ集」としてであり、ときたま気にいった作品はあっても、鑑賞して仏さまとして深く打たれるような感動がいまだにない。たぶん知識も不足し見方が浅薄なのだと自省しつつも「空海と密教美術展」でもいまのところ同様である。

◆仏画の魅力 http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1849943.html
◆参考文献リスト http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-22.html

 そして第3に、より本質的にはこれは密教そのものについての考え方に帰着するのかも知れない。密教については、純粋な宗教とはどうしても捉えにくい(そもそも、純粋な宗教とは何かという命題もあるだろうが・・・)。以前から密教は解析不能な呪術的要素と不可分であると感じている。
 「教義」としての密教ではなく、呪術的要素、すなわち異界との関係をどう考えるかという密教の空想力・構想力(これは実は嫌いではない、むしろ興味津々の領域である)に注目するとき、日本には空海以前、そしてそれ以降にユニークな人脈があるのではないかと従来より思っている。

 勝手な想念だが、かねてから自ら命名した「異界の7人」に惹かれている。
1人目は役行者こと役小角、2人目は当時のスーパー国際人吉備真備、3人目は沙弥・空海、4人目は陰陽師こと安部晴明、5人目は悲劇の武将・平将門、6人目は江戸の科学者・平賀源内、7人目は特定の人ではなく風水師という「異界案内人」である。さらに、この系譜とは別に、やはり聖徳太子と空海の関係も大いに気になるところである。


◆術(じゅじゅつ、magic):呪とは、人類の初期社会や初期文明において、押並べて発生したとされる、祈祷や占いなど神託としての運命の決定やそれらを指針とした政(まつりごと)、民間治療ともいわれる呪術医療(呪術医)と生活の糧を得るための「狩り・漁り」による薬草や毒草の知識や使用、または呪い(まじない)や呪い(のろい)や祓い(はらい)といわれる祈祷師による神霊の力の利用をさし、原始宗教でもある文化人類学におけるシャーマニズムとアニミズム、それぞれの観念や行為にともなう呪文に代表される形式や様式や儀式をさす。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%AA%E8%A1%93

◆異界の7人:http://www.amazon.co.jp/%EF%BC%97%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%95%B0%E7%95%8C%E4%BA%BA%E5%88%97%E4%BC%9D%EF%BC%88%E5%BD%B9%E5%B0%8F%E8%A7%92%E3%80%9C%E5%B8%9D%E9%83%BD%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%81%BE%E3%81%A7%EF%BC%89/lm/R30H44NH4UG434/ref=cm_lm_byauthor_title_full

◆聖徳太子と空海:http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-194.html
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1884381.html
(参考データ)

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<出典>http://www10.ocn.ne.jp/~mk123456/kon.htm


◆金剛界曼荼羅


日本で一般的に用いられる金剛界曼荼羅は、成身会(じょうじんえ)、三昧耶会(さまやえ)、微細会(みさいえ)、供養会、四印会、一印会、理趣会、降三世会(ごうざんぜえ)、降三世三昧耶会の九会(くえ)から成る。これはひとつの曼荼羅の9つのブロックと考えるよりも、9つの曼荼羅の集合体と考えるべきものである。

中心になる成身会の中尊は金剛界大日如来(左手の人差し指を右手の拳で包み込む「智拳印」をむすぶ)である。大日如来の東・南・西・北には阿閦(あしゅく)・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来の4如来が位置する(大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就を合わせて金剛界五仏あるいは五智如来という)。各如来の東・南・西・北には四親近菩薩(ししんごんぼさつ)という、それぞれの如来と関係の深い菩薩が配されている。

三昧耶会、微細会、供養会は中央の成身会とほぼ同様の構成をもっており、四印会はそれをやや簡略化したもの、一印会は他の諸仏を省いて大日如来一尊で表したものと考えて大過ない。

曼荼羅画面向かって右に位置する三会の曼荼羅はこれとはやや構成が異なる。理趣会は金剛薩埵を中尊として、欲望を擬人化した菩薩がこれを取り囲む。これは、欲望を単に煩悩として否定するのではなく悟りを求める心に昇華すべきだという理趣経の理念を図示したものである。 降三世会は仏菩薩が憤怒の姿を現したものとされ、代表して金剛薩埵が恐ろしい形相をした降三世明王の姿で描かれている。降三世三昧耶会は降三世会を三昧耶形で描いたものである。これらの諸尊もすべては大日如来の悟りが形を変えて現われたものであり、すべては大日如来一尊に由来するということを表現したものと思われる。

金剛界八十一尊曼荼羅
なお、金剛界曼荼羅でも九会ではなく一会のみからなるものもある。金剛界八十一尊曼荼羅とよばれるもので、主に天台宗で用いられる。

その構成は九会金剛界曼荼羅の成身会にほぼ同じであるが、三昧耶会、微細会、供養会にあらわれる「賢劫十六尊」という菩薩を追加し、四隅に降三世会、 降三世三昧耶会にあらわれる明王を描いている。いわば一会をもって九会を代表する構成といえる。

胎蔵曼荼羅が真理を実践的な側面、現象世界のものとして捉えるのに対し、金剛界曼荼羅では真理を論理的な側面、精神世界のものとして捉えていると考えられる。

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<出典>http://www10.ocn.ne.jp/~mk123456/tai.htm

◆胎蔵曼荼羅

胎蔵曼荼羅は、詳しくは大悲胎蔵生(だいひたいぞうしょう)曼荼羅といい、原語には「世界」に当たる言葉が入っていないが、金剛界曼荼羅に合わせて、古くから「胎蔵界曼荼羅」という言い方もされている。 曼荼羅は全部で12の「院」(区画)に分かれている。その中心に位置するのが「中台八葉院」であり、8枚の花弁をもつ蓮の花の中央に胎蔵界大日如来(腹前で両手を組む「法界定印」を結ぶ)が位置する。大日如来の周囲には4体の如来(宝幢-ほうどう、開敷華王-かいふけおう、無量寿-むりょうじゅ、天鼓雷音-てんくらいおん)と4体の菩薩(普賢菩薩、文殊師利菩薩、観自在菩薩、慈氏菩薩)、計8体が表される。

なお、通常日本に取り入れられた曼荼羅の呼称について胎蔵界曼荼羅・胎蔵曼荼羅の2つが併用されているが、密教学者・頼富本宏は『曼荼羅の美術 東寺の曼荼羅を中心として』において「曼荼羅の典拠となった大日経と金剛頂経のいわゆる両部の大経を意識したものであり、空海もこの用語(注:両部曼荼羅)のみを用いている」「即ち金剛頂経には、明確に金剛界曼荼羅を説くのに対して、大日経では大悲胎蔵曼荼羅もしくは胎蔵生曼荼羅を説くのにかかわらず、胎蔵界曼荼羅と言う表現は見られないからである」と書いている。また頼富本宏は、円仁・円珍・安然など天台密教(台密)が興隆すると修法のテキストにあたる次第類の中に「胎蔵界」と言う表現が用いられるようになり、両界曼荼羅・胎蔵界曼荼羅の語が使われるようになったとする。

中台八葉院の周囲には、遍知院、持明院、釈迦院、虚空蔵院、文殊院、蘇悉地(そしつじ)院、蓮華部院、地蔵院、金剛手院、除蓋障(じょがいしょう)院が、それぞれ同心円状にめぐり、これらすべてを囲む外周に外金剛部(げこんごうぶ)院、またの名は最外(さいげ)院が位置する。これは、内側から外側へ向かう動きを暗示し、大日如来の抽象的な智慧が、現実世界において実践されるさまを表現するという。

さらに、胎蔵曼荼羅は、中央・右・左の3つのブロックに分けて考えることが必要である。 図の中央部は大日如来の悟りの世界を表し、向かって左(方位では南)には聖観自在菩薩(観音菩薩)を主尊とする蓮華部院(観音院)、向かって右(方位では北)には金剛薩埵(こんごうさった)を主尊とする金剛手院(金剛部院。薩埵院)がある。蓮華部院は如来の「慈悲」を、金剛手院は如来の「智慧」を表すものとされている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E7%95%8C%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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