大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

空海と密教美術展 空海について考える2 十住心論の体系

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国宝「両界曼荼羅図(西院曼荼羅)」 平安時代・9世紀 京都・東寺蔵

 空海とは、空(そら)と海(うみ)をさす。すべての「自然」ともいえるし、「宇宙」ともいえる気宇広大な名前である。また、空海の空(くう)は仏教における究極の境地でもある。

  空海は密教を日本にもたらした。その際、かれの密教の根本におかれたのは曼荼羅であり、特に重要なのは、独自の両界曼荼羅というものである。両界曼荼羅は2つの世界からなっている。金剛界と胎蔵界である。

A金剛界―「金剛界曼荼羅」―「金剛頂経」(「初会金剛頂経」)

B胎蔵界―「大悲胎蔵生曼荼羅」―「大日経」(「大毘盧遮那成仏神変加持経」)

  この2つは別のルーツからもたらされたようだ。山本智教氏によれば、Aは南インドのカーンチーを淵源とし、Bは中インドのナーランダで生まれたという。もともと別の風土で、さまざまな人種の考え方の移入、混交をうけて形成された2つの思想があり、これをひとつの教義に再編せんとしたわけである。

 2つを再編、統合せんとしたのは空海その人がはじめてではない。空海の中国における師、恵果(えか/けいか、746~806年)こそ、空海にそれを授けた。ここにもまた系譜がある。

              (金剛頂系)不空
空海←― 恵果 ← (大日系) 玄超 ←――善無畏
              (蘇悉地系)

 恵果は、中国唐代の密教の高僧で真言八祖の第七祖(大日如来―金剛薩埵―龍猛―龍智―金剛智―不空―恵果―空海)といわれる。空海は恵果から、両界曼荼羅の継承をうけその後これを保った唯一の人物となったのである。

 A「金剛頂経」自身が、先の出自にもあるとおり多くの教義をコンポーネントとしているが、その内容は、大日如来が18の異なる場所で別々の機会に説いた10万頌(じゅ)に及ぶ大部の経典の総称であり、単一の経典ではないという。
 実践法に力点がおかれており、そこでは、五相成身観(密教の重要な修行法の一つ。五段階の修行を経て、仏の真実の姿を修行者の身体に実現させる法。五法成身)が説かれる。これは、未熟な求道者を、瑜伽(ゆが)の観法を通じて導き、清浄(「しょうじょう」と読む)の境地にいたったとき、その心象こそが如来の智慧に他ならないことを諭し、如来との一体化をもって本来そなわる如来の智慧を発見するための実践法といわれる。

 B「大日経」は、毘盧遮那如来と金剛手の対話によって真言門を説き明かしていくという、初期大乗経典のスタイルを踏襲。漢訳では7巻36品(章)で構成(うち最後の5品は付属編)され、そのうち31品の「住心品」と残りの「具縁品」以下からなる。「住心品」はいわば理論編、それに対して、「具縁品」以下は実践編という位置づけといわれる。
 「住心品」では、悟りとは、すべての者を救おうとする慈悲の心(大悲)を基盤とし、努力する決意(菩提心)をもって修行し、その究極の目的は、自己を顧みず他者に尽くすこと(方便)にあるとされる(「如実知自心」)。一方、「具縁品」以下は、一種のマニュアル的に、曼荼羅の作り方、護摩法要のやり方、師匠と弟子の資格などについて詳細に記述される。

 空海はA、Bの考え方をふまえ、これを階序的に整理し、「十住心論」という大胆な世界観論を形成する。あらゆる思想、哲学、宗教を段階的に位置づけ密教、大日如来の教えを頂点におく巨大な「知」の総合ともいえる。


<十住心論の体系>

 1 異生羝羊(いしょうていよう) 宗教以前の段階
 善悪を知らない凡夫の迷う心 本能的で欲深い<本能的>

 2 愚童持斎(ぐどうじさい)  儒教 
 善に向かう兆候道徳を知る段階<倫理性>

 3 嬰童無畏(ようどうむい)  インド哲学 
 老荘思想 宗教心の芽生え<宗教心>

 4 唯蘊無我(ゆいうんむが)  顕教 小乗 
  声聞乗の境地 事物の本質は存在しないと気づく
<無我心>

 5 抜業因種(ばつごういんしゅ)顕教 小乗 
  縁覚乗の境地 自分の迷いはなくなる<自利的>

 6 他縁大乗(たえんだいじょう)顕教 大乗 
  法相宗の修行者 全衆生救済の大乗仏教の第一歩
<利他的>

 7 覚心不生(かくしんふしょう)顕教 大乗 
  三論宗の修行者<空の境地>

 8 一道無為(いちどうむい)  顕教 大乗 
  天台法華の教え<生命観>

 9 極無自性(ごくむじしょう) 顕教 大乗 
  華厳宗の教え<価値観>

10 秘密荘厳(ひみつしょうごん)密教 大乗 
  大日如来の教え 真言密教の境地<絶対観>

http://japanese-thought.seesaa.net/article/156681106.htmlから作成
(参考データ)
 密教の受容と中国、インド


 日本からみた密教と、中国、インドでのそれは異なっている。空海の存在によって、真言密教は日本に根付いた。一方、中国では空海の師匠、恵果の時代が頂点であり、その後、中国密教は変容し結果的に消滅の道を歩む。
 インドでは、密教以前に仏教そのものがヒンドゥー教に飲み込まれていく。ヒンドゥー教が席巻する過程で、仏教サイドからみれば、密教は双方の「融合」化をはかるという意味では一種のキラーコンテンツであったかも知れない。しかし、結果的には、仏教も、密教も巨大なバキュームのようなヒンドゥー教に吸引されていった。
 ただし、山岳地帯や周辺地域では「密教」的な信仰が継承されることになる。山岳部などで「密教」的な信仰が生きながらえるというのは、日本の修験道を連想させて面白い。

 各国、というよりも固有の人民が長く、重い歴史の蓄積のある「地域」には、固有の神がいる。あるいは共同体を運営する不文律の規範がある。その神を信奉する、規範を尊重する基底の力はしぶとく強い。

 中国にとって、インドで生まれ移入された外来種としての仏教は、中国固有の儒教や道教と「融合」し結果的には、そうした固有思想の影響下に馴化されていく。
 一方、インドでは多神教で強烈な自然信仰にも裏打ちされた原始宗教(その淵源をいつに求めるかは不詳といわれ、ファウンダーや象徴的な現世神【釈迦、キリスト、マホメット】を持たないともいわれる)があり、これがヒンドゥー教である。その吸引力は絶大で、結果的にインドで生れ落ちた仏教も、この大きな投網に引き寄せられていく。空海が承継した密教は、チベットはじめモンゴルなどの地域では、ラマ教などのかたちで少数勢力として命脈を保つ。

 こうした流れを見てくると、中国で熟成された「恵果の密教」をまるごと空海が継承し、それを日本に持ち帰ったことの重みが実感されてくる。そこを丁寧に、かつ実証的に論じたのが司馬遼太郎『空海の風景』(下巻)であると思う。
 一方、密教の母体とでもいうべきヒンドゥー教の歴史的な長さ、裾野の広さはそれ自身、興味がつきない。クシティ・モーハン・セーン 『ヒンドゥー教 - インド三〇〇〇年の生き方・考え方』( 中川正生訳、講談社現代新書、1999年)がいまのテキストである。
 ヒンドゥー教の教典は、難解な仏教経典にくらべて神話を読むように手にとれる部分もある。もちろん内容の理解は別だが、密教を知ってからヒンドゥー教に接近すると、意外に近い存在に思えてくる。ここでは、『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』(責任編集:長尾雅人 1969年 中央公論社)が基本文献である。

 ところで、上記、空海の<十住心論>の体系には原典がある。それは『大乗仏典〈8〉十地経』で読むことができる。ここでは以下の10の分類が示される(注1)。

第一「歓喜にあふれる」菩薩の地
第二「垢れをはなれた」菩薩の地
第三「光明であかるい」菩薩の地
第四「光明に輝く」菩薩の地
第五「ほんとうに勝利しがたい」菩薩の地
第六「真理の知が現前する」菩薩の地
第七「はるかに遠くにいたる」菩薩の地
第八「まったく不動なる」菩薩の地
第九「いつどこにおいても正しい知恵のある」菩薩の地
第十「かぎりない法の雲のような」菩薩の地

 空海の翻案能力の高さは、この比較でも相当、クリアに知ることができる。『大乗仏典〈8〉十地経』の源流はヒンドゥー教典に求められ、華厳大経に大きな影響をあたえたとされる(注2)。

 ヒンドゥー教のいわば投網的性格、バキュームのような吸引力は、実は空海の思想体系の根底にも生きているように思う。本地垂迹、神仏習合(神仏混淆)は密教によく合ったようだ。敵対的なものを吸引していく、固有の体系のなかに異教の「居場所」を与えていくというのは一種の政治的な手法に似ている(曼荼羅のひとつの側面はそこにあるかも知れない)。それゆえ、明治の神仏分離、廃仏毀釈では、真言密教系では手ひどい被害もあったという。このあたりの関係も気になるところである。


(注1)
大乗仏典〈1〉般若部経典―金剛般若経・善勇猛般若経 (中公文庫) [文庫]
長尾 雅人 (翻訳), 戸崎 宏正 (翻訳)
大乗仏典〈2〉八千頌般若経(1) (中公文庫) [文庫] 梶山 雄一 (翻訳)
大乗仏典〈3〉八千頌般若経(2) (中公文庫) [文庫] 梶山 雄一 (翻訳), 丹治 昭義 (翻訳)
大乗仏典〈4〉法華経(1) (中公文庫) [文庫] 松涛 誠廉 (翻訳), 丹治 昭義 (翻訳), 長尾 雅人 (翻訳)
大乗仏典〈5〉法華経(2) (中公文庫) [文庫] 松涛 誠廉 (翻訳), 桂 紹隆 (翻訳), 丹治 昭義 (翻訳)
大乗仏典 (6) 浄土三部経(中公文庫) [文庫] 山口 益 (翻訳)
大乗仏典〈7〉維摩経・首楞厳三昧経 (中公文庫) [文庫] 長尾 雅人 (翻訳), 丹治 昭義 (翻訳)
大乗仏典〈8〉十地経 (中公文庫) [文庫] 荒牧 典俊 (翻訳)
大乗仏典〈9〉宝積部経典―迦葉品/護国尊者所問経/郁伽長者所問経 (中公文庫) [文庫]
長尾 雅人 (翻訳), 桜部 建 (翻訳)
大乗仏典〈10〉三昧王経(1) (中公文庫) [文庫] 田村 智淳 (著)
大乗仏典〈11〉三昧王経(2) (中公文庫) [文庫] 田村 智淳 (翻訳), 一郷 正道 (翻訳)
大乗仏典〈12〉如来蔵系経典 (中公文庫) [文庫] 高崎 直道 (翻訳)
大乗仏典〈13〉ブッダ・チャリタ(仏陀の生涯) (中公文庫) [文庫] 原 実 (翻訳)
大乗仏典〈14〉龍樹論集 (中公文庫) [文庫] 梶山 雄一 (翻訳), 瓜生津 隆真 (翻訳)
大乗仏典〈15〉世親論集 (中公文庫) [文庫] 長尾 雅人 (翻訳), 荒牧 典俊 (翻訳), 梶山 雄一 (翻訳)

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E5%A4%A7%E4%B9%97%E4%BB%8F%E5%85%B8%E3%80%80%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB&rh=n%3A465392%2Ck%3A%E5%A4%A7%E4%B9%97%E4%BB%8F%E5%85%B8%E3%80%80%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB&ajr=8#/ref=sr_pg_1?rh=n%3A465392%2Ck%3A%E5%A4%A7%E4%B9%97%E4%BB%8F%E5%85%B8%E3%80%80%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB&keywords=%E5%A4%A7%E4%B9%97%E4%BB%8F%E5%85%B8%E3%80%80%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB&ie=UTF8&qid=1314540108

(注2/以下は引用)
◆ヒンドゥー教典
ヒンドゥー教は多くの意味でバラモン教を受け継いでいて、ヴェーダ文献群と、その最後尾に位置するウパニシャッド群は、現代でも聖典として多くのインド人に愛読されている。聖典であるためキリスト教の聖書やイスラム教のコーラン同様、成立後の人為的な変更は無い。ヴェーダに次ぐ聖典として、多くの神話を含みヒンドゥー教について広範囲に規定したプラーナ文献がある。庶民に人気のある「ドゥルガー女神が水牛に化けた悪魔を倒す話」はプラーナ文献のひとつである『マールカンデーヤ・プラーナ』にある。

聖典以外に『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』といった、神の化身が悪と戦う叙事詩は現在も愛読されており、これらの神話に基づく祭礼が各地で盛大に行われている。例として、ラーマーヤナ(ラーマ王子の物語)を劇化した「ラーム・リーラー(英語:Ramlila)」(ベナレス)[21]、マハーバーラタに登場するクリシュナ神の活躍を歌舞劇にした「ラース・リーラー(英語:Rasa lila)」(マトゥラー)がある。

聖典ではなく叙事詩や抒情詩であるギーター(歌)も民衆の信仰を支えている。特に『バガヴァッド・ギーター』(「神の歌」の意)は民間伝承物語ではあるが、ヒンドゥー教徒の信仰生活を実質的に規定してきた[23]。サンスクリットの大叙事詩『マハーバーラタ』の一部にも含まれる「ギーター」は、その後も熱烈な信仰心をもった詩人達に作られ続けており、その中にはミーラー・バーイー(1499-1546)のような女性詩人もいる。最近でも例えばマハトマ・ガンディーはギーターを生涯愛好し続けたことで知られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E6%95%99

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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