大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

空海と密教美術展 空海について考える6 <真言>+<陀羅尼>

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  空海の「巨大さ」は、さまざまな角度から取り上げることができる。今日は、<真言>について。空海は、その自伝をみてもわかるとおり、若き日、突如「悟り」に達した。その後、その「悟り」を深化すべく当時の最先進国唐に留学し、密教に出会い、それを理論化・体系化し、衆生にどう伝道するかに腐心することになる。
 普通は逆だろう。釈迦ですらながい修業の期間をつうじてはじめて「悟り」の境地に達した。一定の熟成期間、リードタイムがあるはずだが、空海の場合は「悟り」いたる過程が逆、ないし非常にショートカットされている。


 『三教指帰』の序文には、空海が阿波の大瀧岳(現在の太竜寺山付近)や土佐の室戸岬などで求聞持法を修ましたことが記され、とくに室戸岬の御厨人窟(みくろど)で修行をしているとき、口に明星が飛び込んできたと記されている。このとき空海は悟りを開いたといわれ、当時の御厨人窟は海岸線が今よりも上にあり、洞窟の中で空海が目にしていたのは空と海だけであったため、空海と名乗ったと伝わっている。求聞持法を空海に伝えた一沙門とは、旧来の通説では勤操とされていたが、現在では大安寺の戒明ではないかといわれている。戒明は空海と同じ讃岐の出身で、その後空海が重要視した『釈摩訶衍論』の請来者である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7

  しかし、理論化・体系化し、そしてなによりそれを効果的に広範に伝えることには相応な時間を要する。
 理論化・体系化については、すでに見てきたとおりマンダラ(曼荼羅)がその帰結であったとすれば、その教え(教理)を伝道する有効な手法はマントラ(真言)というかたちで示される。マントラとはなにか?


 マントラ(मन्त्र [mantra])はサンスクリットで、本来的には「文字」「言葉」を意味する。真言と漢訳され、大乗仏教、特に密教では仏に対する讃歌や祈りを象徴的に表現した短い言葉を指す。
 宗教的には讃歌、祭詞、呪文などを指す。インドではヴェーダ聖典、またはその本文であるサンヒター (saMhitaa) のことをいう。またタントラ教ではシャクティ崇拝の儀礼の際に用いられる祈祷の定型句、ヨーガ学派では音声による修行法を意味する。

 密教では、真言を念じて心を統一する真言陀羅尼(しんごんだらに、dhaaraNii)が重要視された。また、諸仏を象徴した種子(しゅじ)と呼ばれる悉曇文字(しったんもじ、siddaM)も真言の一種といえる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9

  マントラは<真言>。この<真言>という言葉も強烈な響きをもっている。「真の言葉」、それを暗誦していくども唱えることで解脱への階梯をあがることができる。ここで、もうひとつ難しい言葉が付加される。<陀羅尼>(だらに)である。これは、サンスクリット語の原文を尊重して原音をまねて音読することをさす。
 すなわち、<真言>+<陀羅尼>とは、有難い教えをたたえた「真の言葉」を、サンスクリット語の原文を尊重していくども音読することとなろう。般若心経において、われわれもなじみのある「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」はその典型といわれるが、実はその意味は不明とされる。これを皆で唱えているときに、その独特なイントネーションや抑揚から、時にある種の説明不能な高揚があるような気もする。

曼荼羅は複雑で巨大な体系、その一方、<真言>は力強い短いフレーズに特色がある。このコントラストも面白い。


真言(しんごん)、サンスクリット語:マントラ(मन्त्र [mantra])とは、大日経などの密教経典に由来し、真実の言葉という意。転じて仏の言葉をいう。真言は音が重要であることから、翻訳せず音写を用いる。漢訳では呪、明呪と訳される。

真言は密教成立以前から用いられており、古代インドから効能がある呪文として重視されてきた。真言を唱えることで、発願を仏に直接働きかけることができるとされている。真言宗では、心で仏を想い、手で印を結び、三返ないし七返声で唱える(三密)。

真言宗の「真言」はこれに由来するが、真言宗のみで使われるものではない。般若心経の最後にある「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」も真言であり、浄土真宗などを除く多くの宗派で読まれている。法相宗では薬師如来への発願で頻繁に唱えられる。 真言にはそれぞれ出典となる経が存在するが、同じ密教経典でも成立の過程が異なる大日経 (胎蔵界) と金剛頂経 (金剛界) では、真言が異なる。例えば大日如来の真言を唱える場合は、両界の真言を連続して唱える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%A8%80

陀羅尼 (だらに)、梵名ダーラニー (धारणी [dhaaraNii])とは、仏教において用いられる呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は訳さず(不翻)サンスクリット語原文を漢字に音写したものを唱える。

意訳して総持、能持、能遮等ともいう。ダーラニーとは「記憶して忘れない」という意味で、本来は仏教修行者が覚えるべき教えや作法などを指した。 やがてこれが転じて「暗記されるべき呪文」と解釈される様になり、一定の形式を満たす呪文を特に陀羅尼と呼ぶ様になった。

本来、陀羅尼は暗記して繰り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事を目的とした。「能遮」という意訳は雑念妄想を「能く遮る」という意味である。

その構成は、多くの場合まず仏や三宝などに帰依する事を宣言する句で始まり、次にタド・ヤター(『即ち、この尊の肝心の句を示せば以下の通り』の意味。一般には『タニャター』『トニヤト』『トジト』等と音写される)と続き、本文に入る。本文は多くの場合、神や仏、菩薩や仏頂尊などへの呼びかけや賛嘆、願い事を意味する動詞の命令形等で、思想上あまり深い意味は無い。そして最後に成功を祈る聖句「スヴァーハー」(『ソワカ』『ソモコ』等と音写される)で終わる。

陀羅尼の本文が意味希薄な言葉なのは、これが本来無念無想の境地に至る事を目的としていたためで、あまり具体的な意味のある言葉だと日常的な連想が働いて却って雑念を呼び起こしてしまうからである。

しかしそのあまりに神秘的な響きから、やがてこれを唱えたり書写したり、また暗記する事で様々な霊験が現れるという信仰が生まれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%80%E7%BE%85%E5%B0%BC

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(参考データ)

◆真言・陀羅尼

真言・陀羅尼を、空海は「如来の秘密語」と言った(般若心経秘鍵)。空海密教においては、真言・陀羅尼は法身である大日如来が自ら(自内証・宇宙の真理)を自ら説く説法のコトバであり、真如(実相)であり、「果分可説」の原理である。空海はヒンドゥーの神々への賛歌や祈りのコトバ「マントラ」に祈りの内容を顕在化する不思議な力(シャクティ)の内在を言うインド伝統の言語観を知っていて、密教のなかに採り入れられたそれをさらに高いレベルに止揚した。真言・陀羅尼は空海密教にとって必要欠くべからざるキーコンセプトであり、重要なメソッドである。

◆真言・陀羅尼の実際

真言・陀羅尼と梵字・悉曇は表裏一体の関係にある。
古代インド、ヴェーダ(Veda)に発する神々への祈りのコトバ=マントラ(mantra、咒)を、密教は積極的に取り入れ、大日如来の説法のコトバ、あるいは諸仏諸尊への利益具現の祈り、あるいは行者(人間)と諸仏諸尊(仏)とが交信する秘密語として多用している。

漢訳仏典は、真言・陀羅尼が仏徳の具現や秘密語の故に、インド言語(サンスクリット)のまま表記しその通りに発音するように指示している。密教の行者はそれに従い、行中に真言・陀羅尼をサンスクリット音の通り唱えることを義務づけられた。その漢訳仏典に見られるサンスクリットのアルファベット文字を梵字といい、その梵字のつづり方や字義のことを悉曇という。

空海は日本初の梵字辞典『梵字悉曇字母并釈義』を残している。日本人ではじめてインド言語である梵字・悉曇を本格的にしかも相当なレベルまで学んだのも空海であった。

http://www.mikkyo21f.gr.jp/cat46/post-213.html

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テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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