大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

空海と密教美術展 空海について考える10 空海の思想  私論

00000-29.jpg
四国八十八ヶ所霊場巡拝用の納経軸 http://www.eitikai.co.jp/eitikai42singon.htm

 空海が生きた時代、日本では、為政者から民衆まで、現代人よりも、はるかに仏教というものを真剣に考えていたのではないかと思う(※1)。

 空海は、天と地、空(そら)と海(うみ)からなるこの世界を、そこから構成される宇宙というものを見切っていた、あるいは自ら見切ったという強い認識をもっていた(※2)。

 空海は、生死を賭けて、厳しい大自然のなかで一人、神の存在を追求し、そしてその修業のなかで宇宙と一体化するというカタルシスを経験した。「宇宙と一体化する」ということ、それこそが「悟り」であると直観した。
 しかも、その一瞬、「即身成仏」として人は仏になれると考えた。その「資格」は小乗、大乗の仏教徒に限られない。誰でもが「悟り」にいたる潜在的な可能性をもっている。大胆な思想の飛翔であった。

 空海は夢想家、空想家ではなかった。冷静なリアリストであった。釈迦について、インドに生まれた実在の「人物」で、仏教という考え方を開いたということを十分に知っていた。インド人が、宗主の教えがあるとすれば、日本という国(空海のナショナリズムは、彼が遣唐使の一員であったことで、否応なく身についたことであろう)においても、新たな教えを打ち立てることはなんら不自然なことではないと考えていたのではないか。
 釈迦が神(仏)をみたとすれば、空海も神(仏)をみた。その神をなんと言おうか。空海は経典を渉猟し、恵果に深く学び、考え抜いたすえに、その神を「大日如来」と捉えた(※3)。

 宇宙は大日如来であり、それと一体化することこそ、人を仏にする方法論であると空海は考えた。そこにいたる論理を構造的にいくえにも組み上げ、巨大な観念論の体系を打ち立てた。大日如来を頂点とし(両界)曼荼羅という緻密な体系をもった総合的な教義―それを空海は真言宗と命名した(※4)。

 空海の巨大な観念論の体系を、時の統治機構に、仏教関係者に納得させるうえで、密教(秘密宗教)は不可欠だった。顕教ではなく密教、それ以前の「雑」蜜ではなく新たな「純蜜」、そうした概念設定は実に巧みである。圧倒的に秀でていて、かつ真似のできない高みを示すことで、その観念論の体系は、新たな統治理念にもなり、仏教を超える指導原理にもなるはずであった(※5)。

 「即身成仏」をもとめているのは為政者や貴族、「同業者」たる僧ばかりではない。否、むしろ民衆にこそ、その教えを広めなければならない。これこそが空海の目指すべき本道である。民間の教育機関、綜芸種智院の開設はその意味でも画期的であり、不可欠であった。
 余談ながら、憤怒(忿怒)相の恐い仏像たちは、この時代、朝廷など貴族を守る、ないし敵の呪術の攻撃に打ち勝つためのものであり、けっして一般の民を威嚇するものではなかったとの見解は傾聴に値する(※6)。

 言葉こそ重要であった。はじめに言葉ありき。文字は読めなくとも正確な言葉を発することで仏に近づくことができる。それを陀羅尼(ダラニ)という。「真の言葉を正確に心をこめて幾度も唱えること」、これこそ真言陀羅尼であり、この伝道方式は、その後、わが国で主流になっていく。法然、親鸞、日蓮など・・・後身は続々とつらなることになる(※7)。

 教義としての「密教」は巨星、空海亡きあと分派し18もの有力な真言宗グループを形成する(末尾参照)。しかし、総体でみれば、真言密教そのものも一宗派であるにすぎない。不謹慎な言い方ながら、曼荼羅も真言密教の多くの仏さまも「スターダム」に乗ったものは少ない(※8)

 その一方で、方法論としての陀羅尼は生き生きといまも息づく。空海は最後まで沙門と自らを位置づけ厳しい「内省」を忘れなかった。最澄も同様であったろう。この二人の生き様を知る弟子たちにとって師は入滅するまで「完璧」な存在であったろう。
 空海が構想した巨大な観念論的な体系は宗派、一部の人びとにとっては金科玉条でも、釈迦に比類するものにはならなかった。だが、意想外に、より自由で気宇壮大な神話がつぎつぎに生まれ、空海は、日本において秘蹟を導く並ぶものなき「弘法さま」、「お大師さま」になっていく(※9)。

(注)
約2ヶ月間、空海について考えています。以下はそのインデックスでもあります。

※1:空海と密教美術展 空海について考える7 
   時代背景 (08/13)(参考データ)空海略年譜
※2:空海と密教美術展 空海について考える2 十住心論の体系 (08/07)
※3:空海と密教美術展 空海について考える5 大日如来 (08/10)
※4:空海と密教美術展 空海について考える 両界曼荼羅 羯磨曼荼羅 (08/06)
※5:空海と密教美術展 空海について考える8 
   空海の思想  巨大な観念論 (08/14)
※6:空海と密教美術展 空海について考える4 憤怒(忿怒)相の意味 (08/08)
※7:空海と密教美術展 空海について考える6 <真言>+<陀羅尼> (08/11)
※8:空海と密教美術展 空海について考える9 
   空海の思想  仏さまの履歴 (08/14)
※9:空海と密教美術展  観る 考える -空海の業績 (08/05) )


(その他の記事)
※空海と密教美術展 空海について考える3 NHK「空海 至宝と人生ー“仏像革命”」を観る (08/07)

空海と密教美術展 魅力の彫刻6 人気NO1 帝釈天騎象像 (07/31)
空海と密教美術展 魅力の彫刻5 立体曼荼羅展示に疑問あり! (07/29)
空海と密教美術展 魅力の彫刻4 醍醐寺薬師如来坐像 (07/28)
空海と密教美術展 魅力の彫刻3 神護寺五大虚空蔵菩薩像 (07/27)
空海と密教美術展 魅力の彫刻2 獅子窟寺薬師如来坐像 (07/27)
空海と密教美術展 魅力の彫刻1 兜跋毘沙門天 (07/25)
空海と密教美術展に行く 仏像の魅力 (07/24)

空海と密教美術展 東京国立博物館の案内 (06/14)

(末尾)
真言宗十八本山(順不同)
古義真言宗系 金剛峯寺 - 高野山真言宗総本山
教王護国寺 - 東寺真言宗総本山
善通寺 - 真言宗善通寺派総本山
随心院 - 真言宗善通寺派大本山
醍醐寺 - 真言宗醍醐派総本山
仁和寺 - 真言宗御室派総本山
大覚寺 - 真言宗大覚寺派大本山
泉涌寺 - 真言宗泉涌寺派総本山
勧修寺 - 真言宗山階派大本山
朝護孫子寺 - 信貴山真言宗総本山
中山寺 - 真言宗中山寺派大本山
清澄寺 - 真言三宝宗大本山
須磨寺 - 真言宗須磨寺派大本山
新義真言宗系 智積院 - 真言宗智山派総本山
長谷寺 - 真言宗豊山派総本山
根来寺 - 新義真言宗総本山
真言律宗 西大寺 - 真言律宗総本山
宝山寺 - 真言律宗大本山
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97#.E7.9C.9F.E8.A8.80.E5.AE.97.E5.90.84.E6.B4.BE.E7.B7.8F.E5.A4.A7.E6.9C.AC.E5.B1.B1.E4.BC.9A.EF.BC.88.E5.90.84.E5.B1.B1.E4.BC.9A.EF.BC.89
(参考データ)

『弘法大師と密教美術 入定1150年 図録』
京都・東京国立博物館 真言集各派総本山会 1973年 朝日新聞社(1973/03)
福永光司(責任編集)『日本の名著〈3〉最澄 空海』中央公論社 (1977/05)
宮坂 宥勝 , 金岡 秀友 , 梅原 猛 (編)『講座密教 〈1〉密教の理論と実践』
春秋社 (1978/09)

中国仏教協会, 日中友好仏教協会 (編)
『中国仏教の旅〈第1集〉北京・太原・西安・洛陽』美乃美 (1980/04)
奈良国立博物館『日本の仏教を築いた人びと―その肖像と書』
奈良国立博物館 (1981/04)
宮坂 宥勝・宮崎忍勝『空海密教のすべて』朱鷺書房 (1983/11)
宮坂 宥勝『空海―生涯と思想』筑摩書房 (1984/06)
→ちくま学芸文庫で入手可能
宮坂 宥勝 , 金岡 秀友 , 梅原 猛 (編)
『講座密教〈5〉密教小辞典』春秋社 (1987/04)
福田 亮成編『真言宗小事典』法蔵館 (1987/08)

『密教の本―驚くべき秘儀・修法の世界』学習研究社 (1992/01)
宮坂 宥勝編『空海 思想読本』法蔵館 (1992/6)
宮坂 宥勝『空海曼荼羅』法蔵館 (1992/11)

宮坂 宥勝 (監修), 頼富 本宏 (翻訳)『空海コレクション 1』
筑摩書房 (2004/10/7)
宮坂 宥勝 (監修), 頼富 本宏 (翻訳)『空海コレクション2』
筑摩書房 (2004/11/11)
松原 泰道『法華経と宗祖・高僧たち―日本仏教の真髄を読む』
佼成出版社 (2005/10)
『空海 (KAWADE 道の手帖)』河出書房新社 (2006/1/21)
東京国立博物館『空海と密教美術展 図版』(2011/7/20)

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/tb.php/260-e7fd75ec
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad