大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

仏さまと代表作 阿弥陀如来 浄土寺阿弥陀如来三尊像

浄土寺阿弥陀三尊


<映像でみる阿弥陀如来>

◆浄土寺 阿弥陀三尊
http://www.youtube.com/watch?v=6uu2XPAs8uA&feature=related

◆阿弥陀如来Ⅰ
http://www.youtube.com/watch?v=kVcOAZ_mozA
◆阿弥陀如来Ⅱ
http://www.youtube.com/watch?v=VMbgOP8tjdQ
◆法隆寺 阿弥陀三尊
http://www.youtube.com/watch?v=4fgtBt5_Uow&feature=related
◆阿弥陀如来および両脇侍立像(善光寺式三尊像)
http://www.youtube.com/watch?v=8vb27I_KL60

【以下は本ブログの再掲】

浄土寺阿弥陀如来三尊像について考える

 ある日の午後、贅沢にもこの阿弥陀三尊立像を(ご住職以外)、一人で思うさま拝観していて感じたのは、快慶がこの三尊を全方位マルチに見せることを強く意識していたのではないかということである。真正面から仰ぎ見るのがもちろん常道ながら、真横に立ってみる脇侍のプロフィールは鋭角的な目鼻立ちが森厳さをたたえ、やや斜めから三尊の表情を拝すれば柔和な面立ちにまた別の感興をもつことであろう(ご住職は、向かって右斜めからの仰角を推奨しておられた)。
 つまり、堂内をぐるぐると回行し功徳をうることを念頭においていたのでないかという勝手な想像をした。そして、この想像は、<チーム運慶>の興福寺北円堂諸像の作造のあり方や鑑賞法へも直結する(また、東大寺二月堂の修二会、いわゆるお水取りの日、堂内で行なわれる修業へと連想は広がっていく)。

 浄土寺は重源ゆかりの寺である。播磨別院の淵源は聖徳太子に、そして帰化人にいきつくように思うし、ここは太子と関係が密接な鶴林寺とも近い。豊かな風土、富の蓄積とともに、浄土寺のある小野はかつて算盤の生産で知られた。古代から優秀な帰化人がここに住んでいたのではないか。その伝統あればこその別院が設けられたのではないかとも思う。


◆「鶴林寺(兵庫加古川市)」(2010/12/11)
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1879505.html

 その重源と快慶の親密さはよく指摘されることであり、両者は固い絆で結ばれていたともいわれる。そして、浄土寺についても以下のような見方がある。

【以下は引用】
 重源は東大寺再建に際し、西行に奥羽への砂金勧進を依頼している。更に東大寺再建のためには時には強引な手法も用いた。建久3年9月播磨国大部荘にて荘園経営の拠点となる別所(浄土寺)を造営した時及び周防国阿弥陀寺にて湯施行の施設を整備した時に関係者より勧進およびその関連事業への協力への誓約を取り付けたが、その際に協力の約束を違えれば現世では「白癩黒癩(重度の皮膚病)」の身を受け、来世では「無間地獄」に堕ちて脱出の期はないという恫喝的な文言を示している。また、文治2年7月から閏7月にかけての大仏の発光現象など大仏再建前後に発生した霊験譚を重源あるいはその側近たちによる創作・演出とする見方もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%BA%90

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-268.html

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