大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

仏さまと代表作 薬師如来 薬師寺薬師三尊像

201211.jpg


<映像でみる薬師如来>
◆薬師寺 薬師三尊
http://www.youtube.com/watch?v=yWlNu4ObAmc

◆新薬師寺 薬師如来
http://www.youtube.com/watch?v=-xpL5ukyLys&feature=related
◆新薬師寺 薬師十二神将
http://www.youtube.com/watch?v=rCIr4h9PYZ0&feature=related
◆勝常寺 薬師如来
http://www.youtube.com/watch?v=UVRy3UdLNGY
◆願興寺 薬師如来
http://www.youtube.com/watch?v=wvsLV9o7U-M&feature=related

【以下は別ブログからの引用】

薬師寺薬師三尊像について考える

 日本彫刻史上の最高傑作のひとつは、薬師寺の薬師如来三尊立像と聖観音立像でしょう。こうした巨大なブロンズ像(破片の含有量分析では99.9%が銅)が、当時の日本で造られ、今日に伝えられていることは本当に驚くべきことです。
 享禄元年(1528年)の火災では三尊も火を浴び金色剥落、光背なども失われましたが、今日のお姿は奇跡的に残りました。また、明治以降も地震の影響で、月光菩薩の首が落ちそうになり、中子(なかご:中空の鋳物を作る際に、中空となる部分に入れる鋳型。なお、外形の鋳型は主型(おもがた)という)を切り落として首をいったん下ろしました。いまも首筋に痛々しい亀裂(手術のあとの線条のようです)があり、これで日光、月光のお顔はすぐに判別可能です。今日までこうした遺産を受け継いできた無名、無数の人々の献身、努力に対して、まずは心から感謝したい気持ちです。

 金堂の本尊は、正確な製造時期は特定されていませんが、7~8世紀頃の造像といわれます。薬師寺自体に、いまだ決着のついていない明治以来の複雑な「移転論争」があることから、この仏さまも藤原薬師寺から移転されたものか(その場合は白鳳時代の作品、白鳳「移座説」)、あるいは、現在地で鋳造されたものか(天平「新鋳説」)によって年代が違ってくるわけです。
 専門家にとっては重要な論争でしょうが、制作年限の差は千年単位でみれば誤差の範囲です。むしろ、より本質的ないくつものユニークな特色があります。

1.銅像かつ大振りの像容

 三尊、聖観音ともブロンズ(銅像)。真中におあす薬師如来は254.7㎝、左脇侍(向かって右)の日光菩薩は317.3㎝、右脇侍の月光菩薩は315.3㎝と非常に大きな仏さまです。その大きさは遠くでは実感できませんが、近くで拝観するとその見上げるボリューム感に圧倒されます。
 日光、月光両菩薩の正確な図版を、ネガ、ポジ変換して重ねると、両者はピタッと一致するともいわれます。見事なシンメトリー(左右対称)性が確保されている、三尊のバランスに配意し大振りな造像をここまで巧緻になしえた当時の工房の腕の確かさは驚異です。

2.唐の影響を強くうけている

 平城京遷都1300年記念の大遣唐使展では、米国・ペンシルバニア大学博物館蔵「観音菩薩立像」(Loaned by the University of Pennsylvania Museum of Archaeology and Anthropology,Philadelphia, U.S)が出展されました。聖観音立像とならんで見比べることができましたが、両像は多くの共通点を有し、日米別個の研究でも唐の影響が強いとされています。


観音菩薩立像(Loaned by the University of Pennsylvania Museum of Archaeology and Anthropology,Philadelphia, U.S
→http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-156.html

3.当時の唐は異文化の坩堝であった
 
 しかし、ここで難しいのは、唐の影響といっても、当時の最先進国たる大国・唐には世界の文物が流入し、文化の爛熟がみられ、一種の文物の坩堝であったことです。その場合、固有の唐文化とはなにか、という問題があるということです。
 たとえば、聖観音の造作はやや生硬で「初唐」の、三尊の体躯は豊満、成熟し「盛唐」の影響があるともいわれますが、私は両者造像時期に差はない、と思っています。なにより、当時の工房の隔絶した実力は、この両作品を見れば一目瞭然で、様式に微妙な差をもってつくることはなんら難しくはなかったのではと思います。以下、薬師三尊像の特色を見てみます。

(1)三曲法:脇時の体躯の見事な曲率

 顔,腰,足にひねり等を加えて傾きの方向を三回変えて,腕,指先等に流れるようなラインを演出し,体全体をしなやかに見せる技法は「三曲法」といわれます(ほかにも別の技巧で「三屈法」というのもありますが、当時から一種のマニュアル化があったということでしょうか)。
 左脇侍の日光菩薩を例にとると,まず顔を中尊の方,すなわち右に向けさせ,次に腰を同じ方向にひねり,足は右足に重心を置き左足は「やすめ」の格好となります。これはインド・グプタ朝の彫刻様式などの影響が、唐時代の中国を経て日本へ伝わったもの、つまりは「三国伝来」の手法といわれます。


http://kawai51.cool.ne.jp/i-pala-tyouzou.html

(2)風水学:中尊の台座

 中尊を支える台座、正面からみると裳を広げた裳懸座であり、全体はその形象から宣字座といいますが、その裏には、ギリシア、ペルシア、インド、そして中国へとシルクロードなどを経由して伝わったとされる葡萄唐草文、蓮華文や蛮神・異国風の人物(立ち上がった邪鬼のようにも見えます)、四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)などのレリーフがあります。
 葡萄唐草文はギリシアからの影響で豊穣な大地の実りを意味し、外框の蓮華文はペルシア伝来といわれます。蛮神・異国風の人物は「蛮人」とも呼称されますが裸形、蓬髪の姿の源流は、インドやガンダーラにあるとのことです。
 そのうえで、個々の意匠を総合して、一体なにをあらわそうとしているのか、興味は尽きませんが、全体の発想としては、伽藍配置をふくめ中国直入の風水学の影響が顕著であることは確かでしょう。


http://www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_kondo.html

風水による都市計画
→http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-164.html

(3)尊顔の威厳

 ご尊顔は威厳にみちたものです。体躯の豊満さとは異質の厳しくも包容力のある<慈悲>の心を体現しています。よくぞ、ここまで超越的な仏のお顔を鋳ることができたと誰しも思うことでしょう。
 中尊薬師如来は、下記の「東塔檫銘」あるとおり、「巍巍蕩蕩(ぎぎとうとう)たり薬師如来、大いに誓願を発し、広く慈哀を運(めぐら)す」とされます。多くの解説書には、「巍巍」とは高い峰のように大きく堂々としている様子、「蕩蕩」は大河のように広くゆったりとした様子と記されますが、それはご尊顔に結集されていると感じます。
 いまは失われ見ることができませんが、奈良時代に建立された東大寺大仏(現在は江戸時代の後補)、そして本像との共通点もある蟹満寺本尊なども意図的に「巍巍蕩蕩」に鋳造されたと考えられます。おそらく当時の匠の頭には、鎮護国家のシンボルはかくあるべしとの考え方があったのではないでしょうか。

    「東塔檫銘」
維清原宮馭宇
天皇即位八年庚辰之歳建子之月以
中宮不悆創此伽藍而鋪金未遂龍駕
騰仙大上天皇奉遵前緒遂成斯業
照先皇之弘誓光後帝之玄功道済郡
生業傳劫式於高躅敢勒貞金
其銘曰
巍巍蕩蕩薬師如来大発誓願廣
運慈哀猗<嶼の偏が犭>聖王仰延冥助爰
餝靈宇荘厳御亭亭寶刹
寂寂法城福崇億劫慶溢萬


http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8ba5.html

蟹満寺について
→http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-59.html

4.もうひとつの<三尊>

 薬師寺で興味深いのは、大講堂に「もう1セット」のブロンズの三尊像があることです。しかも、これが金堂三尊同様の大きな立派なものであるということです。
 本尊267.5㎝(金堂薬師本尊254.7㎝)、左脇侍288.7㎝(金堂日光菩薩317.3㎝)、右脇侍301.4㎝(金堂月光菩薩315.3㎝)と金堂三尊と比較しても遜色のないボリューム感です。しかし、<表と裏>、<陽と陰>ではありませんが、燦然と日本仏教彫刻史の頂点に位置する金堂三尊にくらべて、講堂三尊は日陰の身、といっては言いすぎかも知れませんが、ひそやかな存在であまり注目されません。市販本の図版でも、ほとんど紹介されないか、扱われる場合でも小さな扱いのものが多いこともその証左でしょう。
 その理由は出所、由来がまったく異なっているからです。まず、下記の薬師寺自身の説明(引用)にあるとおり、阿弥陀→薬師→弥勒と尊称をかえており、かつ、その造像時期を巡っても、金堂三尊に先立つ白鳳期説から、後世の模糊作説まであり、はっきりとしません。
 さらに、本尊と脇侍ではいささか作風が異なり、当初からこの三尊が同一セットであったかのかどうか、疑問もあります。金堂三尊の「水も漏らさぬような」一体的統一感にくらべて、講堂三尊では、本尊の古式の表現と脇侍のやや写実的な趣きとはたしかに違いがあります。後補、修理などの後世の手が入っているため、一層難しさもあるのでしょう。

 興福寺東金堂の日光、月光菩薩について、かつて少しく書きましたが、この三尊についても興味をそそられます。改めてまた考えてみたいと思います。


http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1857412.html

【以下は薬師寺HPからの引用】

弥勒三尊像 【重要文化財】 白鳳~天平時代

 薬師寺は法相宗の大本山です。その法相宗の唯識教義を説かれた弥勒仏をお祀りするのが本来の在り方です。

 天平時代には西院正堂のご本尊は弥勒浄土相の障子絵でした。またその北側には玉華寺[ぎょっかじ]の玄奘三蔵の御影像も安置されていました。玉華寺とは玉華宮殿を玄奘三蔵の経典翻訳所として改めたもので、地上の兜率天宮とも呼ばれました。大講堂に安置されている弥勒三尊は、近世の早い頃から西院弥勒堂の仏様でした。向かって右は法苑林菩薩[ほうおんりんぼさつ](左脇侍)で、左は大妙相菩薩[だいみょうそうぼさつ](右脇侍)です。ところが江戸時代になって講堂を再建するために、もとの講堂本尊の阿弥陀繍帳にちなんで阿弥陀三尊と名称を変えてお迎えし、さらに明治以降は、本薬師寺旧仏とのからみから薬師三尊と名称を変えてお祀りしてきました。しかし、平成15年(2003)に大講堂が復興されるに当たって、法相宗の薬師寺にふさわしく、もとの西院弥勒堂のご本尊の由緒を継いで頂くとともに、本来の正しい尊名にお戻り頂くことになりました。

 今後は、大講堂ご本尊を「弥勒三尊」として親しんでお参り頂き、また大講堂を唯識教学の真の研鑚道場として活用していきたいと願っております。
http://www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_daikodo.html

【以下は過去のブログ】

銅造薬師如来及両脇侍像(薬師寺金堂)と銅造観音菩薩立像(薬師寺東院堂)

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-69.html
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-94.html

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-83.html

【参考文献】
長谷川誠・入江泰吉『薬師寺 金堂薬師三尊と聖観音』1974年 岩波書店
大橋一章『法隆寺 薬師寺 東大寺 論争の歩み』2006年 グラフ社
大橋一章 松原智美編著『薬師寺 千三百年の精華 美術史研究のあゆみ』2000年 里文出版
※講堂三尊については同書所収 小林惠英「講堂薬師三尊像」pp.150-185を参照
安田暎胤『住職がつづる 薬師寺物語』2004年 四季社

(注)金堂薬師三尊の造像時期について、長谷川誠氏は白鳳時代説、一方、大橋一章氏は天平時代説。なお、講堂三尊について長谷川誠氏も上記において丁寧に記載している。

http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1891898.html

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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