大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

飛鳥・白鳳彫刻の魅力(11)

奈良博白鳳仏003

 飛鳥・白鳳仏に惹かれるのはなぜだろうか。以下は小生の最近の文字通りの「自問自答」である。

 飛鳥・白鳳時代とはいつまでを指すのかという「論争」はひとまず措くとして、一応奈良時代の前期までの時代とゆるやかに考える。この時代の血なまぐさい歴史はまずもって驚きである。天皇家と諸豪族間の複雑で近親性の強い結合と離反、豪族間でのすさまじいばかりの権力闘争、そして多くの死と葬列。われわれがいまもこころの安寧をえる多くのこの時代につくられた「仏像」とその「時代」とのミス・マッチ感覚はいわく言い難いほどの乖離がある。

 最近の聖徳太子ブームで、多くの本を手にとってみると当時の仏教受容問題の大きさにも驚く。それまでのシャーマニズム、自然神信仰とは異質な、新たな価値理念としての仏教の到来。当時の人たちの戸惑いと畏敬はわれわれの想像をはるかに超えるものであったろう。そして、その仏教とともにもたらされた舶来品としての仏像。その尊顔をみた当時の人びとの衝撃は大きかったはずである。

 死と隣り合わせの凄惨な政治的闘争や疫病の蔓延、仏教受容という一種の文化革命の只中にあって、仏像のもつ意味は現代人からみた「鑑賞体」とはまったく異なる大きさをもっていたと考えるべきだろう。

 さて、それとは別の視点から、仏像そのものの一種の「発展史」的な捉え方からみても、この飛鳥・白鳳時代は興味が尽きない。奈良時代後期以降の形式主義に至らない自由奔放の伸びやかな作風こそ、この時代の仏様の魅力の源泉である。教典や儀軌の影響を一種の「マニュアル主義」とでも呼べば、未だマニュアル未整備のおおらかさがあった時代とも言えるだろう。止利様式、非止利様式といった分類が気に入らないのは、原初的な時代に、後世からみた様式論を無理に物差しとしてあてがおうとしているように私には思われるからである。

 

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/tb.php/33-1bbe874b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad