大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

近江路の神と仏3  三井記念美術館 報恩寺観世音菩薩立像

報恩寺観音
(報恩寺観世音立像 白鳳時代)

  この仏さまのお顔はまことに清楚で初々しい。下記に解説をのせたが、東博法隆寺館の48体仏にも類例がある。もっと身近な有名どころでは法隆寺の夢違観音さんにも合いつうじるものがあろう。一見して彫りの部分がすこしく爛れ、鈍化して、火を浴びた痕跡があるが尊顔の晴れやかさは幸いなことによく残っておられる。今回の展示でも目をひく優作である。

夢違い1
(法隆寺夢違観音)

 それにつけても近江の仏像の集積は白鳳時代にさかのぼり近世にいたるまでたいしたものである。くわしい記述はさけるが、聖徳太子ゆかりの寺も多い。近江には旧物部氏の所領があり、これを戦勝した聖徳太子が収めたからという背景があるようだ。ゆえに、飛鳥、奈良との緊密な関係があり文化の伝播もはやかったという説もあれば、より積極的に近江一体、この地域の先進性の高さを海路をへて日本海側から至った帰化人(渡来人)の存在、居住から説く見解もある。両者ともに重要な視点であろう。よって、こうした金銅仏もこの地にすくなからず残されているということも不思議ではない。

http://www.sunrise-pub.co.jp/wp/img/p/2010/09/2e0dd94678059c40ca556c6c84575b0e.pdf

【以下は引用】

観世音立像(滋賀・報恩寺) 像高28cm 銅造、鍍金、 奈良時代 重文
「解説」
 宝暦十年(1760)に、公家の広幡家から報恩寺に寄進された観音菩薩像。本体と台座が共に一鋳された、内部に空洞がないムクの金銅仏で、像の表面にはほとんど鍍金が残らず、後世に火災に遭ったためか肌表面が荒れている。体部に対して頭部が大きく、顔の造作がやや下方に表され、愛らしく優しげな表情を浮かべており、七世紀後半の白鳳仏特有の童子形を呈する。左手は垂下し水瓶を握り、右手は掌を正面に向けて下方で施無畏印を表す。
頭部に付けた三面頭飾は、その上部が欠損しているが、正面の飾りには化仏と思われる如来像の下半身が表わされていることから、本像は観世音菩薩像であることが分かる。
 本像の正面にU字型を表わす天衣、宝冠の両脇から連珠繋ぎの瓔珞が垂下し、正面の瓔珞と繫がる表現などは、法隆寺献納宝物の金銅仏いわゆる「四十八体仏」の第一七六号像(七世紀)に近似するが、垂下する天衣や瓔珞の連珠の表現にはやや硬さが見られる。また本像は、はっきりと表わされた二重瞼、仰蓮と反花を重ね複子弁を表した台座形式など、七世紀後半の作例に見られる特徴を具えている事から、制作年代は7世紀後半としてよいだろう。
特別展 「琵琶湖をめぐる 近江路の神と仏 名宝展」 2012年 三井記念美術館

http://blogs.yahoo.co.jp/kojijunreisyaarai/archive/2012/9/17

<法隆寺献納宝物について>
http://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=3280

観音菩薩立像・奈良時代

<法隆寺献納宝物「四十八体仏」第176号像>
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-49.html

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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